*1996年08月19日:デュマレスト・サーガを求めて
*1996年08月20日:何故、ループコースターに乗ったことがないのか
*1996年08月21日:久々に、旨い秋刀魚を喰う
*1996年08月22日:「陽子のいる風景」
*1996年08月23日:再び、バックアップについて
*1996年08月24日:ソフトのコレクションについて
*1996年08月25日:旧友の墓参り。そして、どろろ/きりひと讃歌/I.L、調査
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*1996年08月19日:デュマレスト・サーガを求めて


 とうの昔に絶版になっているが、創元推理文庫から、「デュマレスト・サーガ」(E.C.タブ)というシリーズが出ていた。故郷の地球を求めて宇宙をさすらうデュマレストという名の青年の、旅と冒険を描いたこのスペースオペラ、実に“淡々とした”アダルトなムードが独特の香気を漂わせている、逸品である。全31巻、手元にあるが、もう何年も前に入手したというのに、まだ10数冊しか読んでいない。読み飛ばしやまとめ読みは似つかわしくないのだ。折りにふれて、1冊ずつ、ゆっくりと読んでいくつもりである。

 この31冊を入手した経緯について、話そう。

 ネットニュースの“売ります”記事で、このシリーズの1巻から30巻までを、まとめて廉価で入手したのは、もう4年以上も昔になる。最後の1冊だけは、その時は手に入らなかったのだ。この時点で既に絶版。新刊書店にも残っておらず、地球を求めるデュマレストの旅よろしく、デュマレスト・サーガの最終巻を求める、私の遍歴の旅が始まったのである。

 古本屋を巡る長い長い探索の旅の果てに、私は、中央線沿線のI書店で、31巻全巻揃いを発見した。確か3000円かそこらだったと思う。

 私は躊躇した。求めているのは最終巻だけなのだ。しかし一括でしか売ってくれない。30巻、だぶってしまうのだ。だぶった分は売り払えば良いとはいえ、それは全巻揃いにはならず、買い叩かれるのは必定。何よりも、1冊のために全巻を買うという力まかせな方法は、愛書家としての美学が許さなかった。しかし、さんざん探して、ようやく見つけた最終巻だ。ここで買い逃したら、次にどこで見つけられるか、見当もつかなかった。

 私は躊躇した。さんざん迷った挙げ句、その日は買わずに引き上げたが、数日後に、またI書店を訪れ、まだ売れずに残っている全巻パックを前にして、数十分も迷い抜く。そして、再び買わずに帰り..

 こうして、何度足を運んだことだろうか。ある日ついに、私の願いが通じたか、全巻パックがばらされて、バラ売りになっていたのである! 最終巻100円。私はこの1冊のために全巻を買うなどという、愚かでバブルな消費者にも、書籍に対して尊大なコレクターになることもなく、ピンポイントで、必要な巻だけを射止めることに成功したのだ。かくして、デュマレスト・サーガを求める私の旅は、終った。

 しかし、この(バラ売りになる)日を夢見て、通い続けた私が費やした交通費は、3000円の倍どころでは、なかったのである..

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*1996年08月20日:何故、ループコースターに乗ったことがないのか


 それは、遊園地に行く機会が無いからだ、などという身も蓋もない話ではない。ちょっとしたトラウマ(というよりは、刷り込み)という奴だ。

 ループコースターが初めて現われたのは、多分、私が大学に入ったばかりか、あるいは、高校生の頃である。新しいものは何でもそうであるが、当時はやはり驚き、感心した。何しろ完全に真っ逆さまになるのである。

 一度は乗ってみたいと思っていたので、一応、機械科の学生に聞いてみたのだ。

 「凄いねぇ、素人目には実に危なっかしく見えるんだが、専門家の目で見れば、力学的には安全性が、キチンと計算されているんだろうねぇ」

 「そう思う?(ニヤリ)」

 それっきりである。

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*1996年08月21日:久々に、旨い秋刀魚を喰う


 レッスンのあと、いつもの居酒屋が夏休みで閉まっていたので、同じ通りの串焼き屋へ。この店は初めてである。

 グルメ的素養は全く持ち合わせていないのだが、串焼き(焼き鳥、鳥皮、等)はともかく、秋刀魚の塩焼きは、久々に旨いものを食べたと、感激。何しろ、柔らかいのだ。この近辺の居酒屋で出る奴は、概して焼き過ぎで固い。もう、それらの店で秋刀魚の塩焼きを食うことは出来ない。(ここより旨い店が、星の数ほどあるであろうことは、もちろんである。)

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*1996年08月22日:「陽子のいる風景」


 かつてコミック・モーニングの愛読者だった(今では、一部の作品を、立ち読みするだけである)私は、1冊だけ、手元に保存している。91年の38号。これには、「陽子のいる風景」(白山宣之)という、比類なき傑作が掲載されているからだ。

 内容を要約すれば、欄外に書かれているとおり「この静かに輝く一日」と言うことになる。全く何の変哲も無い一日。

 早朝の家庭菜園。バス出勤。ビジネス街。ロッカールームでのおしゃべり。パソコンで事務作業。喫茶店。お習字の稽古。マーケットでの買い物。帰宅。従姉妹夫婦が子供を連れて泊りがけで来宅。ビール。TVでプロ野球観戦。入浴。花火大会。就寝。

 現代日本の普通の生活を、淡々と描いただけ。(唯一の非日常的事件と言えば、陽子がプロポーズされたことだが、彼女は結論を出さぬまま、この日は終わり、作品も終る。)確かに美しく描かれているし、醜い側面には触れていないが、ことさら美化している訳でもない。

 既に50回は読んだと思う。死ぬまでに、あと500回くらいは、読み返すのではあるまいか。

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*1996年08月23日:再び、バックアップについて


 バックアップの楽しみについては既に述べたが、付け加えておくべきことを、少々。

 Vzエディターの開発者、c.mos 氏は、かつて、Vzエディターの製品版パッケージについて、「(ソースコードの)10万本のバックアップ」と表現されていたことがあったと記憶している。洒落た表現だ。ソースコードに限らず、広く配布するプログラムや文書には、「バックアップ」としての側面が、確実にある。私もかつて、ネットニュースに積極的に文書やデータを配布していた頃には、確かに「全世界にバックアップをばらまいている」という感覚があった。無論、ネットニュースは、一般にはニュースサーバからエクスパイアされて消去されていくのであるが、だからこそ必要な人は、ローカルにバックアップするものであって、それが(少なくとも数人以上の読者にとって)有用な文書・データである、と信じられるものについては、必ずや誰かがバックアップしておいてくれるであろう、という確信を持てたし、事実、数多くのバックアップが取られていた。「新・ベルリオーズ入門講座」や「吾妻ひでお 著作リスト」などが、その例である。

 WWW時代(というかなんというか)になって、様相が一変した。

 ネットサーファーは、普通、Web上のデータ(文書、画像など)を、常時ローカルにバックアップ(ダウンロード)したりはしないものである。必要に応じて、そのサイトにアクセスして閲覧する。その方が確実なのだ。何故なら常に最新版を参照・使用出来るからである。(無論、ハードディスクなどに入れなければ仕方がない「プログラム」等は別だ。)つまり、Webで公開した文書は、誰もバックアップを取ってくれない(可能性が高い)。なんらかの事故でホストのディスクが吹っ飛んでしまった場合、もしもローカルなバックアップを自分自身で取っていなかったなら、世界中のどこにも、バックアップは存在しない、完全に地球上から消滅してしまった、ということになりかねないのだ。

 ということを、まるで心配せずに、バックアップも取らずに平気でいられる人々が、実に大勢いる。この世のものとは思えぬ神経である。

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*1996年08月24日:ソフトのコレクションについて


 昨日の話にも関連するのだが、昔は、ネットニュースやニフティサーブのさまざまなフォーラムのデータライブラリから、使えそうな(いつか使うかも知れない)ソフトをかき集めて来て、それを数十枚のフロッピーディスクに整理して詰め込んで、悦に入っていたものだ。(それらの大部分は、全く使用されなかったことは、言うまでもない。)

 この習慣は、三つの段階を経て、木っ端微塵に砕け散った。

 まず、モデムが速くなった時点で、ニフティサーブからソフト本体をダウンロードしなくなった。その代わりに、ライブラリリストだけを毎月更新して、手元に置いておく。必要になったら、ライブラリリストから検索して、その都度、最新版をニフティサーブからダウンロードする。ほとんどのソフトは、死蔵している間にバージョンアップが繰り返されるので、旧バージョンをフロッピーの肥やしにするよりも、この方が遥かに合理的なのである。(ニフティサーブに FIND コマンドが実装されてからは、手元のライブラリリストも、消してしまった。)

 第二段階が、CD−ROMドライブ付きのパソコンを入手したことである。つまり、雑誌の付録のCD−ROM。あるいはデータライブラリ集。手間暇かけてネットワークからかき集めて、フロッピーやハードディスクに整理するよりも、CD−ROMを、ただ(あるいは、ただと感じられる状況(例えば、付録という形))で入手する方が、簡単なのである。今では、CD−ROMの整理が追い付かないほど、CD−ROMが勝手に増えてしまう状況であり、これはこれで問題である。(昨年のことだったと思うが、秋葉原で、ゲームか何かのデモ版を収めたCD−ROMを、まるでティッシュペーパーのように配っていたのには、さすがに驚いた。)

 最後の段階は、もちろんインターネットである。詳述の必要は、あるまい。

 僅か数年間で、価値観がこれだけ変わった。ニューメディアとやらについて、判った風な有難い御託を並べてくださる評論家諸氏(の一部)の言葉に、さっぱり説得力がないのは、こういう段階を踏んでいないからではないか。

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*1996年08月25日:旧友の墓参り。そして、どろろ/きりひと讃歌/I.L、調査


 18年前に水の事故で亡くなったW君の墓参りに、横浜の港南台へ。あれから18年.. 眩暈がする.. 私は今年38歳になる。あれがこれまでの人生の分水嶺だったのか.. ありきたりの感慨で恐縮だが、この後半生で成し遂げたことは、前半生のそれに遥かに及ばないのではないか..

 折角ここまで来たのだからと、現代マンガ図書館へ。(港南台駅を13時40分に出て、江戸川橋の現代マンガ図書館に着いたのが15時過ぎ。)それから4時間弱で114冊チェック。「どろろ」「きりひと讃歌」「I.L」を片付ける。

 片付けきらなかったのが、「どろろ」である。少年サンデーでの連載が終わってから、冒険王に移ったのだが、その冒険王版の第1回が掲載されているはずの号が欠落している。仕方がない、これは後日、国会図書館だ。(国会図書館は、基本的に土日は休館である。いくら“オタク中のオタク”といえども、そうたびたび平日に(有給休暇を取って)上京するわけにはいかない。月に一度だけ土曜日に開館しており、その日を狙って上京するのである。今度は9月21日だ。)もうひとつ、冒険王の1969年夏季別冊に、「どろろ」の100ページの読切りが掲載されているらしいことが、広告で判った。これまで調べた資料には記載されていない作品だ。(少年サンデー版の総集編である可能性も、極めて高い。)残念ながら、この号も現代マンガ図書館にはないので、やはり国会図書館で探してみるしかないが、見通しは極めて暗い。国会図書館は、別冊・増刊・付録などの、イレギュラーな刊行物に弱いのである。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Aug 25 1996 
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