*1996年07月22日:日記を公開する理由
*1996年07月23日:バックアップの快楽
*1996年07月24日:上野顕太郎の漫画を買う
*1996年07月25日:ニフティサーブにつながらない
*1996年07月26日:ユッケを食べたい
*1996年07月27日:「ムーンライトながら」の切符を買いそこなう
*1996年07月28日:クルージング:花火大会
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*1996年07月22日:日記を公開する理由


 日記を公開する理由は、ふたつある。ひとつは、生活を活性化するためだ。先週、「仕事中毒」の項で述べたように、ルーチンワークにはまってしまうと本当に楽なのであって、仕事以外に何もしなくなってしまうのだ。それを防ぐために、日記を公開する。考え方にもよるが、私は全く変化の無い日々を公開することを、潔しとしない。どんなにささいなことでもいいから、昨日とは異なるネタを書きたい。すると、自動的に、生活がアクティブになる。実際、日記を公開していなかったら、ここまでしつこく「島比売神社」のことを調べつづけたかどうか。土地の古老たちとのつながりも出来、これは大きな収穫だったのである。

 上記の目的のためには、“毎日”書くことが必要条件であるが、いや実際、なかなかつらいことでもある。「ネタが無い日はネタを作る(捏造する)のが新聞の基本」とは、誰の言葉だったか忘れたが、一面の真理であろう。

 日記を公開する、もうひとつの理由は、「あまり馬鹿な行為をしでかさないよう、自分の行動に歯止めをかける」ことにある。無論、日記を公開しているからといって、何もかも書かなければならないなどということはない。当たり前である。恥ずかしくて書けないようなことは、(一部の例外を除いて)書いていないのだ。その意味では、公開日記は、歯止めにはならない。しかし、「敢えて書かなかった」という記憶は(それが不自然な行為である故か)逆に強く刷り込まれるものなのである。その日の日記を読み返すと、「ここには書いていないが、本当はあんなことやこんなことをやった日なのだ」という記憶が、鮮烈に蘇って来る。そういう居心地の悪い思いをしたくない、という気持ちが、歯止めに結び付くのである。

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*1996年07月23日:バックアップの快楽


 私は、バックアップ作業が好きである。昔、会社でUNIXの管理者をしていた頃は、ストレージの容量が小さかったので、深夜までかかって手動でバックアップをしたし、のちにストレージの容量が大きくなってからは、もっとも効率良くリストア出来るような自動バックアップスクリプトを、色々と工夫した。いずれの作業も楽しくて楽しくて仕方がなかった。(こういうことを公言すると、変な目で見られるのだが、全くいわれの無い偏見というものだ。)

 今、プライベートでは、ノートブックの500メガのハードディスクを、MOにバックアップしている。旧式のドライブなので、128メガのメディアしかかけられず、バックアップは4枚組となる。このバックアップセットを、3組作ってある。ひとつは、自宅に、もうひとつは会社に、そして三つめは実家に。バックアップは、毎日自宅で取り、これを週に1回、会社のセットと入れ替える。横浜に帰省する時に、やはり自宅のセットを持ち帰って、実家に保存してあるセットと入れ替える。

 自宅と会社だけでは不安である。実家にも保存しておくのは、大災害が発生しても、浜松と横浜が同時に壊滅することはあるまい、という読みからである。(阪神大震災がきっかけというわけでは、全くない。10年来のバックアップ体制である。)最悪、浜松で2セットのバックアップごと死んだとしても、横浜にはもう1セットのバックアップが残るから、安心である..と説明すると、これまた妙な顔をされるのだが、心外である。

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*1996年07月24日:上野顕太郎の漫画を買う


 上野顕太郎の「帽子男の子守唄」という短編集を買う。この、明らかに傑作よりも駄作の方が多く、絵もたいしてうまくはない、アイデアだけで勝負している寡作の短篇漫画家が、何故か好きなのである。

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*1996年07月25日:ニフティサーブにつながらない


 2週間ほど前から、ニフティサーブの浜松ROAD2の回線(456-9812)が、極端に状態が悪くなってしまった。電話はかかるものの、モデムがハンドシェイクをはじめるや否や、ゴミが返ってきてつながらない、あるいは、そもそもハンドシェイクをしない、あるいは、つながっても極端に重く、しばらくすると勝手に切れてしまう、などなど。ROAD4は問題なく、rincへの接続も問題ない。ROAD2も、日中などすいている(と思われる)時間帯には、トラブルは発生しにくい。以上から、これは私のモデムやパソコンの問題ではなく、ニフ側の問題であると推測できた。

 NIFにねじ込む前に、まず裏を取るために社内ニュースで相談したところ、確かにそういう現象が(最近になって)顕著であるらしい。それと、浜松にはもうひとつROAD2(FENICSの回線)があり(458-5596)、そちらは問題を起こしていない、という情報が得られたので、トライしてみたら、ほぼ問題なし。しばらく様子を見てから、テレホーダイの番号を切り替えることにする。NIFに電話するのは、やめた。(既に誰かが指摘しているはずだ。)

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*1996年07月26日:ユッケを食べたい


 ふとユッケを食べたくなって、近所の朝鮮料理屋で頼んでみたら、「申し訳ございません、ただいま、刺し身は止めさせていただいております」と来た。なるほど、O157か。とても残念だが仕方が無い。それにしてもここは大きな店であり、他にいくらでもメニューはあるのだから、影響も比較的少なかろうが、経営の根幹が揺らいでいる業者もあるのではなかろうか。

 代わりに、ガーリック・チャーハンを注文する。私は、ニンニクが大好きなのである。

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*1996年07月27日:「ムーンライトながら」の切符を買いそこなう


 素晴らしく暑い陽射しを背中に浴びてヤマハに出向き、指揮棒を買う。ついでJRの窓口で8月4日深夜東京発の「ムーンライトながら」の切符の購入を試みるが、満席。大体私は、常に実家が上り方向にあったものだから(いまでもそうだ)、帰省が逆方向で、指定席を買う必要に迫られたことがないのである。(「中国旅行」と「北海道旅行」で購入した飛行機のチケットが、ほとんど唯一の例外である。)だから、夏場はいつ頃には切符が完売してしまうとか、そういう事柄に対する感受性が鈍い、というか、全く気がつきもしないのだ。駅に行けば電車には乗れる、という感覚が、骨の髄まで染み込んでいるのである。この春からの、「人民列車(自由席)→ムーンライトながら(全席指定)」の切り替えは、全くもって試練なのだ。

 とにかく、切符は取れなかった。仕方がない、8月5日の朝いちのひかりで帰って来るしかない。5日は、半休を取って、午後から出社と決まった。さらに“目の覚める様な青いYシャツ”を浜松駅周辺で探すが、全く見当たらない。

 昼過ぎに帰宅してから、Y酒店でジンジャーエールを1ケース(2ダース)買う。これは昔、会社の先輩社員に教えてもらった「ジャックダニエルのジンジャーエール割り」用である。これはべらぼうに旨い。問題は、浜松では何故かジンジャーエール(それも、カナダドライのもの)を置いている店が、ほとんどないことである。(ジャックダニエルは、廉価で入手出来るのだが。)あちこち探しまわって、結局、この小さなY酒店が、近所のイタリアレストランに納めるために扱っているのを発見したというわけだ。元々営業用途でしか扱っていないので、バラ売りは、しない。このケースを数年来、個人で購入しているのは、私だけだと思う。

 午後、「三つ目がとおる」の解説を、がんがん書く予定だったのに、全く書けない。暑気払いに、ジャックダニエルのジンジャーエール割りを飲ったせいだということに、しておこう。

 ニフティサーブの FCOMIC のライブラリにも、吾妻ひでお著作リストを登録してあるのだが、これが2年近く前に第7版をアップしたまま放ってあったので、最新の第10f版を登録する。ついでに、FCOMICにインターネット会議室が出来ているのを見つけたので(ここのところ、ずっと、FCOMIC を巡回していなかったのだ)、ホームページの宣伝をアップしておく。

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*1996年07月28日:クルージング:花火大会


 今日も暑い。会社の上司に誘われて、上司のクルーザーで浜名湖でセーリング。乗員は、後輩社員ふたりと合わせて、全部で4人である。

 クルーザーに乗るのは初めてであり、見るもの聞くものやることなすこと面白い。専門用語は知らないが、とにかく、ロープを張ったり緩めたり、ヨットの片側に全員が寄ってヨットの姿勢を傾けて、マストの高度を低くしたり(上部の障害物を(間一髪)潜り抜けた時のこと)、複数の乗員の連携プレーで動かすということが、面白くて仕方がなかった。小型車の運転とは、わけが違う。

 トラブルも堪能できた。[;^J^] エンジンが止まったのである。広い湖面でのセーリングには支障はないが、接岸などの小細工ができないし、全くの凪になってしまうと、身動きできない。小さな湾の中のど真ん中で、ほぼ航行不能になり、まぁ遭難する気遣いはなかったにしても、脱出用のゴムボートを(これまたトラブルと闘いながら)用意するなど、面白い経験であった。

 この過程で、徹底的に日焼けした。もう少し正確に表現すると、事実上の火傷である。何しろアウトドアに慣れていないものだから、日焼どめクリームのことなど、考えもしなかったのである。両腕が外側と内側で、同じ人間の皮膚の色とは思えない、蜥蜴(あるいは魚類)状態。上陸してから、ひたすら氷で冷やす。

 夜の7時半過ぎから、花火大会が始まる。湾の中程から打ち上げられる花火を、湾内に停泊したヨットから見上げるわけで、文字どおり特等席だ。もちろん、同様にヨットから観覧している人は、大勢いる。

 数年前に、自宅の近所で(久しぶりに)花火を見た時から、現代の花火は、私が子供だった時分とは、相当様相が異なっていることには気がついていた。私らが子供の頃は、花火と言えば同心円に決まっていたのである。今や(同心円が基本であることには変わりはないが)楕円、あるいは空中でのブラウン運動など、多彩な動きを見せるのだ。今回、新たな発見として、「直前の花火の煙を利用する」というコンセプトに気がついた。つまり、背景に広がる煙を“照らす”のである。まさに散光星雲。これには驚いた。偶然の結果かも知れないが、光点よりもそれを照り返す“煙”の方が美しい、という効果には、意表をつかれた。さらにこれも偶然の悪戯かも知れないが、既にかなり残存煙がたまっている状態で打ち上げられた(それ自体は、常識的な同心円状の)花火が、文字どおり“煙を突き破って”“しかし半ばは隠されたまま”放射状に飛び出して来たのにも、驚いた。

 この調子で花火が進化していったら、いずれ、「単色」「音だけ」「光だけ」「暗黒」などなどの前衛花火も登場するであろう。楽しみなことである。

 花火見物の最中は、当然、酒である。つまみの大ヒットは、アサリのワイン蒸し。といっても、誰ひとりレシピは知らない。2キロのアサリを適当に砂抜きしてから、漬かる程度の海水と共に鍋に入れ、コップ一杯の白ワインを足して、貝の口が全部開くまで、トロ火で煮込んだだけである。(出来上がるまでの、アサリとワインの旨そうな匂いといったら!)ひとり増えて5人いたのだが、5人で2キロは、食う手間がかかることを考えれば適量であろうとたかをくくっていたら、大間違い。アサリのワイン蒸しを食うのが手間だというのは、箸を使う時のこと。火から下ろして少し冷ましてから、あとは手掴み。これは実に能率良く食える。ほとんどポテトチップス感覚だ。しかも、うまい。海水のほどほどの塩味とワイン風味が、素材の味を引き立てる。たちまち無くなってしまったのは、大きな誤算。次回からは、ひとりあたり1キロ用意しようという話になった。

 最高のクルージング(と火傷と遭難 [;^J^])と最高の花火と最高の料理を味わって、ひとりあたり2300円。素晴らしいコストパフォーマンスの休日であった。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 28 1996 
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