2025年09月22日:「本当の勇気」
2025年09月23日:「年代記形式」のこと
2025年09月24日:大道芸ワールドカップの件
2025年09月25日:バンコクの道路陥没事故
2025年09月26日:深宇宙展/絵金展
2025年09月27日:「ベートーヴェン捏造」
2025年09月28日:秋の格付け
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2025年09月22日:「本当の勇気」快晴。涼しい。スーパービバホーム長津田。CoCo壱。(← こういう文体もここち良いよね。[^.^](← 「文」かよ。[;^.^]))
人間ドックの結果が届いた..う〜む..[;^.^][;^.^][;^.^] まぁ、手は打とう。[;_ _][;^J^]
小学生時代に読んでいた「赤い風車」(堀江卓、1967〜68)の単行本を最近入手したのだが、「本当の勇気」というエピソードの幕切れに改めて感動したので、ご紹介しておく。
(右から、ラスト5頁。)義賊・こねずみこぞうと対峙する、主人公・赤い風車。こねずみこぞうは、実は彼の旧友・仙波だったのだ。捕り手たちに囲まれたこねずみこぞうは、彼を応援する民衆たちの目の前で見事な死に様をみせる覚悟であるが、赤い風車は、それだけはしてくれるな、と、説得する。なぜならば..
このテーマの作品は、ほかにも多々あるとは思うが、実にストレートに胸をえぐる。心に残る。こういう作品をこそ語り継ぎ、子どもたちに読ませていきたいものである。
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2025年09月23日:「年代記形式」のことChatGPT に訊いてみた。(またかよ。[;^J^])
長い年月を描く大河的作品において、時間的に飛び飛びの出来事を描く短い作品(短編小説)を接続する手法があります。たとえば、ブラッドベリの「火星年代記」など。こういう手法をなんといいましたっけ? 「点景」や「点描」は、意味が違います。「オムニバス」も違うと思います。ポイントは、長い年月にわたって、数10年おき、あるいは数百年おきに、エピソードを連結していることです。
..昔から喉に引っ掛かっているというか、ときどき思い出してはしばらく考え、すっきりしないままにまた(脳内の)抽斗(ひきだし)にしまい込んできていた疑問なのであるが..ChatGPT は、こういう質問に強い。
おそらく探しておられるのは「連作短編集(fix-up novel)」という呼び方です。
・ fix-up novel(フィクスアップ小説)は、元々は独立した短編や中編を、共通する舞台・登場人物・テーマでつなぎ合わせ、全体として長い時間軸や大河的な流れを描く手法を指します。 ・ 短編は時間的にも地理的にも飛び飛びで、読めば個別に成立しますが、全体としては年代記や一つの大きな物語世界を形作ります。 ・ レイ・ブラッドベリ『火星年代記』や、クリフォード・D・シマック『都市』、アイザック・アシモフ『銀河帝国興亡史』初期三部作の一部も、この形式に近い構造です。 日本語で明確な定訳はなく、「連作短編集」「年代記形式」「エピソード連結型」などと説明されることが多いですが、英語圏のSF批評用語としては fix-up が定番です。
(中略)
ブラッドベリの『火星年代記』型=fix-up novel の代表的な例を、ジャンル別に挙げます。(※ほとんどはもともと短編として発表され、後に一本の大きな物語としてまとめられたものです)
SF
・レイ・ブラッドベリ『火星年代記』
→ 火星探査から植民、衰退までを、数十年〜数百年単位のエピソードで描く。・クリフォード・D・シマック『都市』(City)
→ 人類文明の衰退と犬やロボットが築く世界を、寓話風の短編連作で語る。・アイザック・アシモフ『ファウンデーション』(第一期三部作)
→ 数十年〜数百年ごとの「危機」を、別々の登場人物と時代背景で描く。(特に第1巻はほぼ完全な短編連作構造)・ジェイムズ・ブリッシュ『都市と星々』…ではなく、『彼方への旅』(Cities in Flight) の短編群
→ 「オカンソン・シリーズ」短編をまとめたもの。
ファンタジー/神話風
・ロード・ダンセイニ『時と神々』
→ 神話的な時間感覚で断片的なエピソードを連ねる。・スプレイグ・ディ・キャンプ & フレッチャー・プラット『ハロルド・シェイ・シリーズ』
→ 厳密なfix-upではないが、連作短編をまとめ長期的世界観を構築。
日本の例
・小松左京『日本沈没(原典連載版)』の一部構成
→ 単行本版より連載初期は、断片的な各地の出来事を積み重ねる形だった。・光瀬龍『百億の昼と千億の夜』連作短編構造(原型)
→ 同タイトルの長編版は再構成だが、元は雑誌掲載短編を連結。・山田正紀『神狩り2』の一部
→ 長い時間スパンを複数の短編エピソードで補強する構成。
特徴まとめ
・共通テーマ・世界観・歴史軸で統一 ・各話は独立して読める ・通して読むと、大きな年代記・歴史物語となる ・英語圏批評用語では fix-up novel、または mosaic novel とも呼ばれる
..なるほど、得心が行った。感謝。挙げられた例の中では、「時と神々」は、やや違うと思うし、「日本沈没」の「原典連載版」の方は読んでいないものの(※)、「数十年〜数百年」のタイムスパンを持っているわけはないので、これも違う。(「短編の連結」に引っ張られてしまったのかな? → ChatGPT)しかし、それ以外は妥当。なるほど、「連作短編集」「年代記形式」「エピソード連結型」ね。適当に使い分けていくか。(この質問をするに際して私が想定していたのは、オールディス「銀河は砂粒のごとく」、桑田次郎「ミュータント伝」、筒井康隆「幻想の未来」などであるが、「幻想の未来」以外はマイナー過ぎてわかりにくいかな?[;^J^])
※追記:
アップ後、読者の方から「「日本沈没」は書き下ろしのはず」と指摘され、慌てて ChatGPT に詰めたら、
「いいご指摘ですね。調べたところ、小松左京『日本沈没』 は、最初から長篇単行本として刊行されたオリジナル作品 であって、雑誌連載で断片を積み重ねた「連作短編」形式ではなかったようです。(中略)したがって、先に私が「連載初期は断片的な各地の出来事を積み重ねる形だった」という表現は、誤りまたは根拠のない推測であった可能性が高いです。申し訳ありません。」
..と、きたもんだ。[;_ _][;^.^]凸
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2025年09月24日:大道芸ワールドカップの件そう言えば、エアフェスタ浜松2025の日程を確認していなかったな、と、調べてみたら.あらあら、10月26日か [;^J^]。「音楽のつどい」とかぶってしまった。しゃあない、今年は行けないな..どうかその日は浜松が台風に襲われますように..[-人-][-人-][-人-](← やめなさい。[;^.^])
大道芸ワールドカップin静岡は、10月31日から11月3日まで。まぁ行って行けないことはないが、1日だけになるかなぁ..プレミアムステージのチケットを買うかどうか、迷うところだ。
19:00から40分ほど、防犯パトロール。
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2025年09月25日:バンコクの道路陥没事故昨夜は早めにベッドに入り、ニュースも見ていなかったので、早朝、スマホに流れてくる動画を眺めていて初めて知った。バンコクの道路陥没事故。
初見では、AIによるフェイク映像かと思ったのである。うんざりするほど流れてくる、フェイクディザスターのひとつかと。何しろ、孔が垂直に深すぎるし、ピックアップトラックが変なところに引っかかっている。これは、編集で消し忘れたのかな、と..しかし気になって裏を取ってみたら、フェイクではなかったので、ちょっとびっくり。
現時点では原因の特定には至っていないようだが、周囲の建物は大丈夫なのだろうか..死傷者はいないとのことだが..
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2025年09月26日:深宇宙展/絵金展快晴、爽やか。秋になりかけの、素敵な気候である。
7:57のバス。8:23に鶴ヶ峰駅を発ち、9:32、ゆりかもめの東京国際クルーズターミナル。9:40、日本科学未来館。開館は10:00。「深宇宙展〜人類はどこへ向かうのか To the Moon and Beyond」(〜9月28日(日)まで)である。
われわれSF者(もの)は「ディープスペース」と聞くと、ロクでもない遥けき想念に襲われ超遠未来に魂を飛ばしたりしがちなのであるが [;^.^]、もちろん、地に足のついた、宇宙探査の展示である [;^J^]。この日記の読者であれば先刻ご承知であろう内容がほとんどなので、簡単な切り取りに留めておく。
左端写真は、JAXAとトヨタが開発中の「有人与圧ローバー(有人月面探査車)」。月面で2人の宇宙飛行士が宇宙服を着ずに1年のうちに1か月間活動できる。想像していたよりも大きい。
中写真は、ご存知、月面への誤差100m以内のピンポイント着陸を(しかも倒立姿勢で [^.^])決めたSLIM(小型月着陸実証機)の、1/2模型。右端写真は、そのSLIMの雄姿を撮影した、LEV−2(変形型月面ロボット)の実物大模型。実にかっこいい。できれば動いているところを展示して欲しかったところである。
12:05に退出。12:43、六本木。鶏三和 東京ミッドタウン店で名古屋コーチン親子丼。13:15、サントリー美術館。「幕末土佐の天才絵師 絵金」(前期:〜10月6日(月)まで、後期:10月8日(水)〜11月3日(月・祝)まで)である。
芝居絵のジャンルで活躍した土佐の絵描きである。「絵金」というのは「絵師・金蔵」の略なのであるが、「金蔵」以前にも、同時代にも、「絵金」というニックネームで呼ばれる絵描きはいたらしく、しまいには「芝居絵屏風」自体も、さらには「絵描き」の総称も、「絵金」と呼ばれるようになったとのこと。
歌舞伎や浄瑠璃のストーリーを極彩色で(しばしば異時同図法で)絵画化した芝居絵屏風がメインの展示であるが、それだけではない。とにかく観ていて楽しいものであるが、情報量が多く、(しばしば複雑な)ストーリーを解説しているキャプションを読むだけでも、時間がかかってしまう。[;^.^]
左から、「鎌倉三代記 三浦別れ」、「芦屋道満大内鑑 葛の葉子別れ」、「伽羅先代萩 御殿」。
左端図は、「図太平記実録代忠臣蔵」から「第七 六段目 勘平切腹」。次の2点は、石川五右衛門の一代記、「釜淵双級巴」から。「絵馬提灯」なので、五角形。「第二十四」はクライマックスの(どなたもご存知)釜茹での図。息子の五郎市も茹でられている。同じく罪人とはいえ、子どもの処刑図というのは、やはり胸が痛む。
そして特異なのが、処刑後の「第二十五」。2人の死体(釜茹でにしたらブクブクと膨れ上がるのかどうかは知らないが、本図ではそのように描かれている)を掻き出して、釜の清掃をしているのである。[;^.^]
芝居絵以外からも、数点ご紹介。左から、「常盤御前図」。雪の中の逃避行図なのであるが、少なくとも子ども達は、なんだか楽しそうである [;^J^]。「三人上戸」は、多数残されている白描画(墨一色の線描画)から、笑い上戸、怒り上戸、泣き上戸のスケッチである。「土佐震災図絵(抄)」は、安政元年(1854)の安政東海地震、安政南海地震、安政二年(1855)の安政江戸地震の、いずれかに取材したもの。「養老の滝図/龍虎図」は合作であり、中央の養老の滝図」が絵金、左右の「龍虎図」が宮田洞雪の作。
15:45に退出。16:08に日比谷線に乗り、16:43、横浜。有隣堂、郵便局。17:05、「それゆけ!鶏ヤロー!横浜店」。19:55に出て、20:53に帰宅。
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2025年09月27日:「ベートーヴェン捏造」夜間、降っていたらしいが、上がっている。曇天からやがて晴天。
日中は(この廃墟通信に)記載すべきほどのことはない。(記載したくないことは、いろいろやったが。[;^.^])20:45に出て、ららぽーと横浜へ。トーホーシネマで、21:40〜23:45の回で「ベートーヴェン捏造」。素晴らしい!
バカリズムの脚本なので信頼してはいたものの、やはり最初にパンフを見た時点では、「違和感」はあるのだろうなと覚悟していたのである [;^J^]。何しろ、200年前のウィーンが舞台だというのに、役者は全員日本人で、もちろん日本語。外国人(ドイツ人)によせたメイクをしているわけでもないし..ところが驚くべきことに、これがまったくの杞憂だったのである。「まったく、なんの、違和感もない!」のである!
バカリズムは、原作にはない「枠物語」を設定したのである。舞台は中学校の放課後の音楽室。(多少根暗な [;^J^])音楽教師が、忘れ物を取りに来た生徒に、「ベートーヴェンの“秘書”」シンドラーについての蘊蓄を語る..その生徒の脳内の(想像上の)「ベートーヴェンとシンドラーの物語」..というレイヤーに落としこんだのである。だから、その空想の中でシンドラーを「演じる」のはその音楽教師なのだし、ベートーヴェンを「演じる」のは校長先生だし、シンドラーと対決し彼の嘘(捏造)を暴こうとするジャーナリストを「演じる」のは、担任の先生なのである。子どもの「空想」としてはまったく自然なことであるし、だからもちろん、その他の登場人物もすべて日本人なのである。当然である。空想の物語の中でドイツ人がドイツ語を話しているわけがない [;^J^]。まったく、バカリズムの「発明」には、ほとんど目も眩まんばかりである。
物語本編の面白さも、無類である。もちろん実話ベースなのだが、ベートーヴェンの「奇人」ぶり(ゴミ屋敷だとか、癇癪もちだとか、エロ親父属性だとか)の描写が、むしろ控えめであるのもいい。ここを誇張すればコメディとしてはいくらでもハメを外せるのだが、バカリズムのクレバーさには、まったく死角がない。シンドラーは、後世に残す(図書館に寄贈した)貴重な史料(会話帳)のうち都合が悪い部分を廃棄し(焼き捨て)、自作の「ベートーヴェンの実像(虚像)」を書き加え、捏造した。これはもちろん、とんでもない暴挙なのであるが..しかしこの「虚像」を暴くことを、人々は望んでいますか? と、シンドラーは問いかける。人は、信じたいものを信じるのである。天才にして英雄・ベートーヴェンの、それに相応しいエピソードを..極めてこんにち的なテーゼである。強くお薦めする。
唯一、残念..というほどでもないな [;^J^]、どうでもいいいちゃもんであるが、同時代の作曲家や文学者たちが、モブに近いちょい役で顔を出すのが楽しい趣向なのだが..ショパン、ハイネ、ヴァーグナー、シューベルト、チェルニー、ベルリオーズ、マイアベーア。彼らがあまり「似ていない」のである [;^J^]。ここは、音楽室に飾られている肖像画に「もっと寄せても」良かったのではあるまいか。唯一、マイアベーアを演じる河内大和が、マイアベーアの写真とはまったく異なる髪型(ほぼ落ち武者 [;^.^])で、「存在感がありすぎる」。[;^.^]
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2025年09月28日:秋の格付け昨夜録画した、「芸能人格付けチェック 秋の3時間半SP」。今回は、「シャンパン」「ブレイキン」「混合アンサンブル」「サルサダンス」「能楽囃子」「唐揚げ」である。
「シャンパン」と「唐揚げ」については、視聴者には判断のしようがないのでおいといて。「ブレイキン」は、パリ五輪日本代表と高校生ダンサーを見分けられるか、というもの。この類のスポーツには門外漢だしな..と、最初から判定を放棄して眺めていたのだが [;^J^]、もしかしたらわかったのかもしれない。確かに「止め」の安定感が違う。これは、「サルサダンス」についても同様。やはり無理だと放棄していたのだが、判定の決め手には、それも含まれていた。
「混合アンサンブル」は、弦楽合奏+マリンバ+ピアノ+女声ボーカル。「Let It Go ありのままで」の演奏を、プロの奏者か中学生か聴きわけるのだが(ボーカルは共通)、なんと、「外してしまった」[;_ _] ..まぁ、全チーム外していたのだが [;^.^]、それを言い訳にするのは潔くない [;_ _]。うーん、プロ奏者のアンサンブルのほうが、チェロの刻みが大きすぎるなど、バランスが悪いように聞こえたのである..となると、演奏以降のミキシング系の問題か?(それを言い訳にするのかよ。[;_ _][;^.^])
「能楽囃子」は、わかるわけがないと、なかば捨ててかかっていたのだが、なんと正解できてしまった [;^J^]。笛の音である。不正解のアマチュア奏者の(稽古用のプラスチック笛の)音は、「綺麗すぎた」のである。プロの奏者の音は、もっとかすれていて情報量が多かった。
出演者中、藤原紀香については、実は以前から個人的には非常にネガティブなのであるが [;_ _]、今回ばかりは、ポジティブな印象である。今回の格付けにおける、「混合アンサンブル」でプロの演奏を全員外した(そして外したあと、プロ奏者たちに出迎えられた [;^.^])シーンと並ぶ2大「名シーン」、なんと市川右團次が「能楽囃子」を「外した」シーンにおいて、自分は正解できていながら、彼と違う方を選んだということで不安に苛まれ(何しろ彼女は梨園の妻なのであり)、しかし見事正解発表されて感極まって流した涙が、市川右團次のダメっぷりを際立たせるという好サポートを見せてくれたので、今回は許してやろう。[^.^](どういう立場で。[;^.^])
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Last Updated: Oct 2 2025
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