2025年09月01日:私はギャンブルをやらないし、
2025年09月02日:元木大介っていつのまに..
2025年09月03日:9〜10月の展覧会観覧予定
2025年09月04日:67歳/日記の終活に悩む
2025年09月05日:松本零士展など
2025年09月06日:Sさん退職 [/_;]
2025年09月07日:朝カルウェビナー:印象派、国民楽派/近畿地方のある場所について
競馬/競輪/競艇はともかく、パチンコ/パチスロなど、この世からなくなってしまえばいいと思っているくちなのだが、福留光帆の生活の潤いになっているらしいので..そういうことなら、まぁ、いっか..(ヘタレ。[;^.^])
..こんなに痩せてしまったの? [;^.^] いささか心配になって軽く検索してみたところ、病的なものではないらしいのだが、ほぼ別人..[;^.^]
快晴。もうたいしたことはないのだが、まだ咳がやや深いので、念のため昼前に白根診療所。薬の追加。昼食はスエヒロ館で焼き肉。
頑張って片付けてきたかいあって、ここまで減らせた [;^J^]。今秋はやることがいろいろあって、あまり遠征できそうもないので、やれやれだ。[;^J^]
東京国立博物館
「特別展「江戸☆大奥」」
〜9月21日(日)まで
町田市立国際版画美術館
「ドーミエ、どう見える?―19世紀フランスの社会諷刺」
〜9月21日(日)まで
奈良国立博物館
「世界探検の旅 ―美と驚異の遺産―」
〜9月23日(火)まで
日本科学未来館
「深宇宙展〜人類はどこへ向かうのか To the Moon and Beyond」
〜9月28日(日)まで
サントリー美術館
「幕末土佐の天才絵師 絵金」
〜11月3日(月・祝)まで
奈良国立博物館には、行けない可能性が高いかなぁ..
というわけで、67歳の誕生日。100歳の2/3、クリアである。だからどうしたという気もするが。[;^J^]
老人の嗜みとして、終活も(牛の歩みで [;^J^])進めているのだが、なかなかやっかいなのが「日記」である。ここでいう「日記」とは、デジカメでいうところの「RAWデータ」というか、日々の事実のみを記録した、その意味では「本当の日記」のこと。この「廃墟通信」は、そこから「他人が読んでもまったく意味がなかったり、あるいは読まれては都合の悪い記述」[;^J^] を削除して、いわば「エンタメ」として読むに耐える形に整えたものである。吾妻ひでおの「失踪日記」に倣って言えば、「書かれていることはすべて事実だが、事実のすべてが書かれているわけではない」のである。
従って、公開用の「廃墟通信」は、残す。というか、デジタルタトゥーとして、ネットワーク空間に残ってしまっている。問題は、先述の「本当の日記」である。買った物、行った店..たとえ死後であろうとも、読まれたくない情報が載ってるのである [;^J^]。じゃあ、さっさと消してしまえって? そういうわけにはいかないのだ。その「不都合な情報」は、今でもしばしば「本当の日記」から検索しているし(「あれは、どこで買えたっけ?」とか [;^.^])、その用途はたぶん、死の直前まで残ると思うのだ..というか、死は(願わくば)突然襲い来るので、「都合の悪い情報」を削除するタイミングがないのである。困った、こまった..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]
ちなみに私の「本当の日記」は、右のようなテキストファイルである。いっけんして、不思議なフォーマットだとは思わないだろうか。各行80文字以内で、各行の先頭に年月日が付いている..
これは、私が今もリブ100(Windows95 機)の「DOS窓」に常駐させている「Vz エディタ」の「スケジューラマクロ」で開くためのフォーマットなのである。このエディタは自在にマクロを定義できるのであるが、ホットキー:ALT + F1 で立ち上がるようにしてある「スケジューラマクロ」が、自動的にこのファイルを開いて、このような画面となるのである。カーソルキーで日付を選び、CR や TAB で、入力/修正をする。
「スケジューラ」ではあるのだが、これでスケジュール管理をしているわけではない。(この用途には、Google Calendar を使っている。)その日のできごとをひたすら入力していくだけ。これが私の「本当の日記」なのだ。なにが便利かといって、年月日情報付きのテキストファイルなので、検索が極めて容易なのだ。これが、1992/04/13 以降、1日も欠けることなく、残っている。私の人生は、過去33年半、検索可能なのだ..いま気がついたが、ちょうど「半生」か..[;^.^][;^.^][;^.^]
朝から雨。ポストに「ノイシュヴァンシュタイン城 公式ガイドブック」(英文)が届いていた。
50ページほどの小冊子である。
以前から、ノイシュヴァンシュタイン城の平面図を探していたのだが、国会図書館でも、まぁ検索の仕方も甘かったのだろうが、「ヨーロッパの絶景」とか「世界の美しい城」とか「ロマンチック街道」とか「おとぎの城コレクション」とかとか、あえていまどきありえない炎上ワード [;^J^] を(わかりやすいので)使わせていただくと、「女子供むけの」きれーな写真集ばっか [;_ _][;^.^]凸。なかば諦めていたのだが、今年になってから ChatGPT に相談したところ、これら「写真集」以外のいくつかの選択肢を呈示してくれた。それらをネット古書店で検索をかけつづけ、ようやく、そのうちのひとつが見つかったというわけ。
「観光用のガイドブック」であるから、観光客が入れるフロアの図面しかない。それは仕方がない。(旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)の公式ガイドブック所載の平面図も、同様である。)それでも、あるとないとでは大違いである。各部屋毎の詳しい解説も掲載されている。この角度からは、これ以上のものはなさそうだ。他のフロアの図面を求めるのであれば、内外の研究機関の紀要などにあたる必要があるかもしれない。(実のところ、現時点では、テレビ番組の録画(「新美の巨人たち:あっと驚く世界の名建築!ノイシュヴァンシュタイン城×シーランチ」(2020/07/04)、「地球ドラマチック:ノイシュヴァンシュタイン城 〜未完の名城 建設秘話〜」(2022/10/15)など)が有用だったりする。)
8:06のバスで発ち、鶴ヶ峰からは8:38の和光市行き。9:25、六本木。5分後、六本木ヒルズ森タワー。10:00から東京シティビューで、「「銀河鉄道999」50周年プロジェクト 松本零士展 創作の旅路」(〜9月7日(日)まで)である。
まぁまぁかな。量的には物足りなかったのだが、松本零士宇宙をひととおりサーベイすることはできる..という以上の感想は、正直なところ、もてなかった。[_ _]
11:15に出て、鶴ヶ峰に直帰はせず、いったん横浜に寄って買い物1件。(この買い物の内容は「本当の日記」には書かれているが、「廃墟通信」に記載されることはないのである。[;^J^])12:48に鶴ヶ峰。サイゼで食事兼読書をしていたら、13:26、シンフォニック・サイゼ♪ 店内のあらゆる携帯端末から、「横浜南部に土砂災害 警戒レベル4相当」のアラート音が時間差で♪ その後も何度も繰り返される。
15:30、帰宅。雨。うたた寝から目覚めたら、18:30 [;^J^]。既に雨は上がっている。
気がついた。10年近く使い続けてきたリュックのショルダーストラップの付け根の縫い目が、ほつれつつある。まだ千切れかけているというほどの段階ではないが、寿命が見えた。早急に買い換えないと..
今日、知った。浜松の某店に勤務されていたSさんが、数日前に退職されていたようだ [/_;]。今秋、また久しぶりにお会いできることを、楽しみにしていたのに..[/_;]
日記を読み返してみると、ご知己を得たのは、約3年前。夢をお話しいただいたこともある。今後のご活躍とご多幸を祈る。[_ _][^J^]
朝日カルチャーセンターのオンライン講座、高山博氏による「西洋音楽の歴史シリーズ 第5回」、「花の都パリ、各国の音楽と色彩(印象派、国民楽派)」を、アーカイブ受講する。(実施日の8月30日は、日本SF大会とのダブルブッキングだったのだ。)
ロマン派と表裏一体の国民楽派。ナショナリズム。「展覧会の絵」の「プロムナード」の「変拍子」について。これが「変拍子」だと思うのは、西洋音楽の楽譜で記述しようとするから。実際、聴いているぶんには「変」どころか、全然不自然ではない。(むしろ「1拍子」というべきか。)拍子というのは、決して普遍的なものではない。自由リズムの(カウントしない)音楽は、日本も含めて世界中にある。(プロムナードは、お経に似ているかも知れない。)
西欧に(産業革命、富国強兵を経た)強力な文明が現れ、(彼らの)「普遍的な価値観」を発信し始める。全世界をこれに従わせようとする。それへのキャッチアップと、それとは逆なローカルなものへの愛着。それと、ロマン主義との結びつきと。
「ペール・ギュント」の「朝」の5音音階。ペンタトニックは、世界中の民謡にある。「黒人音楽」や、のちの「ロック」「ポップス」にも。クラシックがずっとやってきた長調でも短調でもない、発祥が違う音階。長短調のシステムから逸脱するゆえ、クラシック音楽ではあまり使われてこなかった。国民学派は、これも積極的に使っていく。
国民学派が、印象派の母胎になる。
世界首都をめざすナポレオンV世統治下でパリが整備された。ベル・エポック。20世紀への変わり目をまたいで、世界の文化中心だった。当時のオペラ座を代表するマイヤベーアの作品は、長く等閑視されてきた。当時から、シューマンやヴァーグナーからは、各国の様式の寄せ集めだとか芯(国民性)がないとか批判されていたが、そもそも彼はコスモポリタンだったから。国民学派/ナショナリズムの時代には薄っぺらくみられてしまったが、パリは世界都市なので、受容されていた。
コンセルヴァトワールでは、オペラ座でかかるオペラを書ける作曲家を養成していたが、それに対して、ニデルメイエールが校長になって作った学校では、教会音楽(カトリック音楽)を復活させた。これが重要。オペラではなく、昔の、長短調以前の古い時代の対位法を研究し、それと古典派以降の和声を、結びつけた。これが「フランス和声」になっていく。旋法を取れ入れた。
ここで学んだのが、フォーレ。ロマン派から印象派への橋渡し。「シシリエンヌ」は、長調でも短調でもない、曖昧な感じ。
普仏戦争に負けて、フランスのナショナリズムが燃え上がった時代。フランスならではの音楽の希求。1899年のパリ万博では、ジャワのガムランも演奏された。西洋音楽の和声構造とは全く異なる、しかも高度なアンサンブル。ドビュッシーも、ショックを受けた。彼の「夢想」は、古代音楽っぽい。和音が変わらず、ずっと立ち止まっている。たゆとうような進行が、音楽における(絵画でいうところの)「印象派」(モネ「印象、日の出」:茫漠とした感じ。光そのもの)と結びつけられ、呼ばれた。(もっとも、ドビュッシー自身は印象派ではない(むしろ象徴主義である)と語っている。)(絵画関係のメモは多少端折りまして..)「牧神の午後への前奏曲」や「ゴリウォーグのケークウォーク」の紹介。
ラヴェルについて。フォーレの弟子。ドビュッシーと異なる、古典派的なバランスの取れた音楽。「水の戯れ」は印象派的な題材だが、本人は印象派/主義を意識していなかった。「ボレロ」は音色変化で聴かせるところが、印象派絵画的。「ダフニスとクロエ」の「夜明け」。これも音色だけで作り上げていく。舞台の上に音の雲(塊)ができて、その色彩が刻々と変化していく。印象派の音楽こそ、ナマで聴くべき。
最後に、滝廉太郎について。西洋音楽を真摯に学んでいる。「花」のドイツ的なハーモニー、古典派的均斉。
夕方から車で出て、18:40、ららぽーと横浜。ヨーカドーのアオキでベストを買い、3Fのトーホーシネマで20:50からの回で、「近畿地方のある場所について」を観た。
原作未読のまま観るのはいかがなものかと(今回は)思ったので、緊急で回してます、じゃなくて [;^J^]、緊急で原作を読んだのだが..単行本の「近畿地方のある場所について」と「文庫版 近畿地方のある場所について」があり、これが内容が全然違うということを知り、どちらを先に読めばいいんだ、と、ChatGPT に(店頭で)相談したところ、「文庫版からで問題ありません!」と太鼓判を押されたのでそれに乗っかって、緊急で読んでおいたのだが..映画はこれとは内容が、かな〜り、違っておりました [;^.^]凸。もしかして映画は、単行本版をベースにしているのか? いや、単行本版とも異なる可能性がある..結局、両方買って読めってか!?[;^.^]凸
「文庫版」読了後の感想というかまとめは、「相互の関連が不明なさまざまな「怪談」あるいは「奇妙な話」が、ネットや雑誌記事などのさまざまなメディアの切り貼りで語られ、収束していくというフォーマット。愚かにも不幸にも死んでしまった自分の親族への愛憎から、彼らを「怪談の主」として語り続けることによって、その痕跡をこの世に留め、それによって(ある意味)「実体化」させ「意味を与え」ようとする」というもの。なかなか悪くはない。それに対してこの映画は..ホラー映画としては、まずまずの出来。説明されていない怪異現象がいくつもあり、つまりは伏線が回収されていないのだが、まぁ、そういうジャンルだと割り切れば。最後の●●●●●の造形はなかなかのものだし、また、その直前、●●を喰う(取り込む?)群体は、「笑う標的」(高橋留美子)からの引用かもしれない。
22:45に出て、23:05、帰宅。
Last Updated: Sep 13 2025
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