*2000年01月31日:心霊FEP
*2000年02月01日:CDカートリッジ廃棄開始
*2000年02月02日:ヴァン・ヴォークト、逝去
*2000年02月03日:「全集未収録エピソードの解説へのリンク集」
*2000年02月04日:YAHOO!Japanに変更連絡
*2000年02月05日:CDカートリッジ廃棄完了
*2000年02月06日:「カリガリ博士」「シャイニング」
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*2000年01月31日:心霊FEP


 私のリブ100(またはATOK12)が、妙な病気に犯されてしまった。「れい」を変換して確定する瞬間、たまに、「霊魂の祓い」だか「霊魂の禍い」だか、何かそのような文字列が、“一瞬だけ”現れる(従って、辛うじて視認できるのは「霊魂の…い」だけであって、途中の漢字が「祓」か「禍」か、あるいはその他の文字なのかは、実はよくわからない)、という病気に。(「霊」に変換確定するときだけではなく、「礼」や「例」でも、この現象が起こるのである。)

 もちろん、こんな文字列は学習させていない。また、ATOK12には、例えば「なくはない」を変換すると「《否定の連続》」などというコメントを(一時的に)表示する機能があるのは知っているが、それが起動しているのでもない。この機能ならば、次にキー操作するまで表示は消えない。そうではなくて、一瞬のうちに、(文字列全部を読んでいる暇が無いほど速く、)消えてしまうのだ。

 はっきりいって、すごくいや [/_;]。「れい」を変換したくない [/_;]。

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*2000年02月01日:CDカートリッジ廃棄開始


 午前半休。CDプレーヤー(PD−M6)を廃棄した後始末として、(今はCDをDVDプレーヤーで聴いているのだが、)PD−M6用の6連装CDカートリッジの整理を始める。

 説明が必要だろう。PD−M6にはCDを一度に6枚までセット出来るのだが、単に本体に(一時的に)セットするのではなく、別売の専用カートリッジ(製品名は「CDマガジン」と言うのだが、雑誌名のようで紛らわしいので、「CDカートリッジ」と呼ぶことにする)があって、その中に最大6枚セットする。そしてこのカートリッジごと、抜き差しできるのである。

 これは、恐ろしく便利な仕組みであった。15年前の私は、狂喜したものである。なにしろ、ベートーヴェンの交響曲全集(多くの場合、CD6枚組)が、ひとつのカートリッジに「コンパクトに」収まって、これごと、ワンタッチで装着出来るのだ。単に、(LP時代を考えれば、夢のような)軽量化がなされたと言うだけではない。「ベートーヴェンの全交響曲」という、ひとつの「(巨大な)小宇宙」が、ひとつのカートリッジに収まってしまった、という“象徴的”な意義に、より大きな喜びを覚えたのである。「ベートーヴェン交響曲全集・バーンスタイン版」「ベートーヴェン交響曲全集・スウィトナー版」などのカートリッジを作って、悦に入っていたものだ。

 もちろん、3〜4枚組のオペラを、途中で裏返すどころか、盤を取り替える必要すらなく、ノンストップで聴き通せるようになったことにも、大いに満足した。

 そして増長 [;^J^] した私は、あらゆる種類のカートリッジを作り始めたのである。それも、例えば、「グールドのバッハ」全3巻(トータル18枚)、「BISレーベルのシベリウス作品集」全6巻(トータル枚数失念)などのように、もともと一連のシリーズであるCDを集めたものだけではなく、例えば、「ベートーヴェン協奏曲全集」、「ブラームス交響曲・管弦楽曲集」など、互いに独立な、様々な演奏家のCDを集めたものなどまで。

 わりと切実な理由もあった。それは、CDラックの問題である。埃のことを考えると、CDは、出来るだけガラス戸つきの(相対的には高価な)ラックに入れたい。しかし何しろCDが多く、全てをガラス戸つきのラックに入れていると、ラックの購入代金が馬鹿にならない。

 ところが、CDを、厚さ27ミリのCDカートリッジに(最大6枚)セットすると、オリジナルのケースに納められている状態のトータルよりも、相当コンパクトになるのである。

 そこで、CDを、オリジナルのケースから抜き出して、CDカートリッジの状態でガラス戸ラックに並べることにすると、より大量のCDをガラス戸ラックの中に納めることができる、つまり、スペースセービングになる、というわけである。「抜け殻」となったオリジナルのケースは、これは別に埃を浴びても問題は無いので、例えばCDショップのキャンペーン期間などにタダでもらえるような、安物のラック(概して、プラスチック製で容量40枚程度)に入れておけば十分。これによって、高価なガラス戸ラックの数を、少なく押さえることができる、と、考えたわけだ。(ガラス戸ラックの購入代金など、それに納めるCDの購入代金と比較すれば、誤差みたいなものだ、という計算が、当時は出来なかったのである。[;^J^])

 この、便利であるとともに、「小宇宙」を具現化するという、象徴的な意味合いをも持つカートリッジが、これを装着できるCDプレーヤーが無くなったことによって、無意味になった。「ガラス戸ラックのスペースセービング」については、今なお有効ではあるが、やはり、このカートリッジから、いちいちCDを(1枚づつ)抜いては、DVDプレーヤーで聴く、というのは不自然である。それに実は、「ガラス戸ラックのスペースセービング」にはなっていたのであるが、「抜け殻」であるオリジナルケースは、「外」に追い出されていたわけであって、これらも含めると、当然、CDカートリッジの分だけ、全体としては膨れ上がっていたのである。

 ということで、「カートリッジごとCDプレーヤーに装着する」、という主目的も消滅したし、多少のメリットよりもデメリットの方が目立ってきたので、CDカートリッジからCDを抜き出してオリジナルケースに戻し、カートリッジは廃棄する、という作業を開始したのだが..

 CDカートリッジの数が相当あるし、当然のことながら、ガラス戸ラック内の並べ替え、詰め替えが発生するわけで、とても午前中で終わる作業ではなく、そのことは事前にわかっていたので、軽くあたりをつけてみただけなのだが..

 ..えらいものを見つけてしまった。

 それは、CDケースの中の「スポンジ」の「化学変化」である。

 2枚組み(以上)のCDケースの中には、(クッションのつもりか)スポンジが入れられていることがある。最近はあまり見かけないような気がするが、80年代には、珍しくなかった。

 とある、オリジナルケースの中に、CDを戻そうとして、愕然とした。オリジナルケースの中のスポンジが、ボロボロになっていたのである。つまむだけで、砂のように崩れ落ちる。それだけではなく、にちゃっと溶けて、ケースの内側中央部の、CDを保持するあたりに貼り付いていた。

 たまたま、このケースは「抜け殻」として、中にCDが納められていなかったから良かったようなものの..もしもCDが納められていたら、それにも被害が及んでいたかも知れない。こうと判れば、全ての(2枚組以上の)CDケースを開けて、中のスポンジの状態を片端から調べるか、あるいは問答無用で捨ててしまわなくては..

 もう昼も近いし、いまさら慌てても仕方がない。(数年乃至十数年かけて進行してきた劣化に対して、数日の対策の遅れは、誤差範囲である。)この週末に、始末することにしよう。やれやれ。

 午後から出社。途中、書店と郵便局によって行く。

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*2000年02月02日:ヴァン・ヴォークト、逝去


 享年87歳。もう長いこと、新作を発表していなかったし、期待もしていなかったが、やはり寂しい。彼の作品こそが、「本物のSF」だったのである。

 ちなみに、(以前にも、ちらりと話題にした記憶があるが、)Van Vogtの発音は、(私の思い違いでなければ)「ヴァン・ヴォート」に近いらしい。しかし、1960〜70年代には、「ヴァン・ヴォクト」と読まれていたし、その時代に対する郷愁もある。それで私は、「ヴァン・ヴォークト」と書き、発音することにしている。

 ..などと余計なことを書いたのは、朝日新聞2/1付け夕刊の死亡記事が、「バン・ボクト」という、珍しい表記になっていたからである。多分、記者が古いSFファンである..ということは、まずなくて、恐らく「Van Vogt」という人名を知らず、これを「ヴァン・ヴォクト」としか読めず、そして、「ヴァ」行は「バ」行に書き改める、という、朝日新聞の(推定されるところの)社内規定に従って、表記したのだろう。(あなたは、「番卜戸」を知っていますか? ← アジマニア検定初級試験。)

 この死亡記事には、もうひとつ、疑問がある。「デビュー作「黒い破壊者」は映画「エイリアン」のヒントになったともいわれている」..違うんじゃないか?

 ヴァン・ヴォークトの代表作、「宇宙船ビーグル号」は、「黒い破壊者」を含めて4つの中編を連結したものであり、「黒い破壊者」は、その第一エピソード。二番目の、「イクストル」という虎のようなエイリアンが出てくるエピソードが、映画「エイリアン」にパクられた、と、問題になったんじゃなかったっけ?(イクストルは、宇宙船の乗員をさらって、腹に卵を産み付けるのである。)

 (問題の「二番目のエピソード」の元になった中編のタイトルを検索するのに失敗した。「宇宙船ビーグル号」の解説に書かれていたと思うのだが、実家においてきてしまったし、gooで「Van AND Vogt AND Destroyer AND Beagle」で検索しても、見つけられなかった。修行が足りんなぁ。)

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*2000年02月03日:「全集未収録エピソードの解説へのリンク集」


 「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」に、「全集未収録エピソードの解説へのリンク集」を追加した。

 「全集未収録エピソード」は、「全集未収録作品リスト」に、(私が把握している限りの)ことごとくをリストアップしているし、そのうち百数十編については解説を書いて、リンクしてある。特に、「ブラック・ジャック」や「三つ目がとおる」など、いくつかの主要な作品については、全集に収録されなかった全てのエピソードについて、解説を書き上げてある。だから、「全集未収録作品リスト」だけあれば必要十分なはずなのだが、なにしろこのリストは膨大なものであるし、全ての未収録作品を時系列で並べているので、例えば「ブラック・ジャック」だけ拾い読みしようと思っても不便だし、他の作品群に紛れて、読み落としかねない状態なのである。

 そこで、まとまった量の解説がある作品については、拾い出して整理したのである。ご利用下さい。(ログを解析してみたところ、これら、「未収録エピソードの解説」へのアクセスが、(前述のごとく不便なのか)とても少なくて寂しかったから、というのが、真相であるが。)

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*2000年02月04日:YAHOO!Japanに変更連絡


 YAHOO!Japanに登録している、ミクロコスモス下の各ページのURLを、ふと思い立ってチェックしてみたら、あらま、「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」と「吾妻ひでお 著作リスト」が古いまま(“rinc.or.jp”に直っておらず、以前の“inetc.roland.co.jp”のまま)であった。他のページへのURLは直っている。

 へんだなぁ、連絡したと思ったけど..まぁいいや、改めて連絡しておく。数週間もすれば、直るでしょ。

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*2000年02月05日:CDカートリッジ廃棄完了


 火曜日に少しだけ手をつけていた、CDカートリッジの廃棄&オリジナルケースへの詰め戻し&ラック内での並べ直しを、完了した。CDカートリッジは全部で55巻あった。やれやれ。

 詰め戻しの過程で、オリジナルケースに「スポンジ」が入っているのを発見したら、状態の如何に関わらず、片端から廃棄した。粉末状に崩れているスポンジが、火曜日に発見したもの以外にも、もうひとつあった。危ない危ない。また、ここまで悪化していないにしても、変色しているスポンジは、非常に多数あった。それも、一様に変色しているのならばまだしも、中央付近だけとか、周辺だけとか、部分的に茶褐色化が始まっていたりするのである。こんなものには、恐くてCDを密着させられない。

 ひとつのケースに複数のスポンジが入っている場合、片方だけ変色(劣化)して、もう片方は無傷、というものも、いくつもあった。こういうのは、製造工程上のムラがあったとしか、思えんなぁ。しかしそもそもこの変色や粉末化の原因は、何なんだ? 温度? 湿度? 虫? 黴? とにかく、10年以上ケースの蓋を開けていないCDをお持ちの方は、念のため、チェックしておく方がいいですよ。

 もう一件の調査(チェック)も、並行して行った。それは、以前お伝えした、88〜90年頃のLONDONレーベルの、一部のCDの不良の件(具体的には“白濁”)である。どのCDがその期間に該当するのか、いちいち調べているよりも、LONDON盤を全数チェックする方が早い。それにしても、片端から蓋を開けて盤面をチェックするのは、これまたエライ手間であった。こんなにLONDON盤があったとは。

 困ったのは、その症状(白濁)のサンプルが、無いことである。その意味では、ひとつ位「駄目」になっていて欲しかったほどだ。良品と不良品の境界が判らないのだ。「なんとなく薄曇りじゃないか?」、と思われるものはあったのだが、それらからピックアップして再生しても、問題なくかかるし。

 こんな時こそインターネット、と、gooで「CD AND 白濁 AND 写真」で検索したら..そう来ましたか、なるほどね。ひと休みして、そのへんのページをざっとサーフィンする(嘘)。

 午後から家具屋に出かけ、背の低い書棚を2台、(カタログで丁度いいサイズの物を見つけたので)発注する。多分、重ねられないタイプだが、まぁいいでしょう。

 「シャイニング」のビデオをレンタル。「カリガリ博士」のDVDを購入(..それはいいから、未開封のLDの山を、なんとかしろよ [;^.^])。

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*2000年02月06日:「カリガリ博士」「シャイニング」


 ..ということで、「カリガリ博士」と「シャイニング」である。恥ずかしながら、共に未見であったのだ。(後者については、これまた久々の“レンタルビデオで観る、「こんなメジャー映画をまだ観ていなかったのか」シリーズ”となる。)

 まず、「カリガリ博士」。これが有名な、眠り男・チェザーレか。確かに、舞台装置が素晴らしい。この作品に仕掛けられた、ちょっとした「トリック」については、知っていたのだが、これは(仮に事前に知らずとも)観ていて予想がつくものなので、損したとは思わない。なかなか結構でした。

 次、「シャイニング」。原作を読んだのは13年前であるから、細部については忘れている箇所の方が多いのだが、鮮明に記憶している情景(と“印象”)も、多々ある。だから、どうしてもそれと比較してしまうのだが..原作は、もっともっと、恐い小説であった。

 ..というか、当時、私は原作のポイントを、前半の「ダニーの恐怖」、後半の「ホテルの夢の幻想美」、と整理して捉えていた。この映画は、その「ホテルの夢」にフォーカスしているようだ。とすると、「恐怖」が足りない、という文句は、無い物ねだりになるのかもしれない。

 ニコルスンの暴走気味の演技は、オッケー。というか、こいつの百面相を観ているだけで、楽しく [;^J^] なってしまう。

 ダニーについては..この急場に「足跡トリック」をかましているとは、余裕があるじゃないか [;^J^]。彼の位置づけが曖昧になってしまったのが残念であり、特に、トニーの意味が、これでは良くわからない(..と疑問に思って、(分厚い原作を読み直す元気は無いので)読書記録を確認したら、やはり「トニーの問題が未解決」と書かれていた [;^J^])。

 「ジュラシック・パーク」の、「ラプトルの台所の場」の原イメージを、いくつか確認した。そうでしたか。

 いくらなんでも、あの人をいきなり殺しちゃいかんでしょう..て、まぁ、彼の行為は、いちおう、役には立っているんですけどね。ホテル自体の運命に関しては、原作よりも映画版の方が好きだな。そもそも原作では、(この大不祥事の)あとのフォローは、どうなっていたんだっけ?

 管理人一家は管理人一家らしく、管理人室で寝起きしていればいいものを、このクソ馬鹿馬鹿しくでかいホールや食堂で、仕事や食事をしたりしているんだから、どんなに恐い目にあっても、因果応報じゃいっ..て、そういう話じゃなかったっけ? [;^J^](..それはいいから、DVDやレンタルビデオを観ている暇があったら、未開封のLDの山を、なんとかしろよ [;^.^])。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 9 2000 
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