*1999年06月21日:「富田勲は偉かった!」そうだが..
*1999年06月22日:CDの白濁
*1999年06月23日:リストの差分
*1999年06月24日:死の水
*1999年06月25日:乱丁の楽しみ
*1999年06月26日:「日本国語大辞典」VS「国語大辞典」
*1999年06月27日:テーブル/辞典/こうもり
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*1999年06月21日:「富田勲は偉かった!」そうだが..


 なんと珍しいことに、リブ100を会社に置き忘れて帰宅してしまった。おかげで、積読の消化がいつもの夜より進んだのだが、解決すべき問題点は、どこにあるか。[;^.^]

 ここしばらく、FCLAの現代音楽系の会議室で、「富田勲は偉かった!」というタイトルのチェーンが続いている。冨田勲が、テレビドラマやアニメ番組に、多くの名作音楽を提供していることを話題にしているのである。(「新日本紀行」や「ジャングル大帝」など、数え上げればきりがないのだ。)それはそれで結構なのだが..

 「富田勲は偉かった!」と言われてもねぇ..彼の名前は、「冨田勲」なのである。

 ま、CD売場でも、間違えて表記されていることの方が多いのであるし、コメントチェーンの中の各記事を読んでみると、記事の中では正しく表記している人も、いくらかいるのである。(タイトルの誤字に気が付いていないか、あるいは、途中からタイトルを修正することを憚っているのであろう。)だから、頭ごなしに批判する気はないのだが..かりにも人の名前を間違えている表題がつけられている記事を、まじめな気持ちで読むのは難しいものだ。どうしても色眼鏡をかけてしまう。

 ことほどさように、「表ヅラ」は大切なのだ。あなただって、(最初からすっぴんならともかく)化粧の下手な女性の素顔をみたいとは思わないでしょ?(なんか違うかも。[;^J^])

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*1999年06月22日:CDの白濁


 嫌な情報を仕入れてしまった。88〜90年頃のLONDONレーベルのCDの一部に、不良が出ているらしいのである。症状は白濁。無論、再生不可。製造不良らしいのだが、症状が現れるまで10年かかり、ようやく判明したとのこと。

 チェックをしなくちゃ。ゲ〜ロゲロ。

 購入したCDは、全てデータベースに情報を入れてあるのだが、購入年月日の記録は、ない。しかもこの場合は購入日のデータでは駄目で、(中古盤も多く買っているのだし、)プレス日?の情報が必要なのである。結局、LONDON盤は、全数チェックしなくてはならない。

 そして、私の数千枚のCDコレクションのうち、LONDONレーベルは、恐らく最大勢力である。(88〜90年頃は、もっとも精力的にCDを買いまくっていた時期だ、という、ありがたいオプション付きである。)

 しかも、「白濁」したCDのサンプルは無いのだ。一目瞭然なものなのであろうか? なんか曇っているように見えるけど..という盤があれば、いちいち再生してみなくてはならないのであろうか? 考えただけで、気が遠くなる。

 販売元では、返品・交換に応じているそうであるから、その意味では安心なのだが..(とはいえ、10年前の盤など、多くは廃盤であろう。「代替品」と交換してくれるのだろうか?)

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*1999年06月23日:リストの差分


 N書店から、当選していた5冊(「少年パンチ」他)が届く。

 「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」と「吾妻ひでお 著作リスト」に、それぞれ前バージョンからの「差分ファイル」も添付(掲載)することにする。

 Mさんという方から、「頻繁にバージョンアップされるのは有り難いが、(ウェブページ上では)前バージョンとの違いが判らないので、毎回ダウンロードして確かめなければならないのは、ちょっと手間である」というメールをいただいていたのである。これはまことにもっともな要望であって、差分を見て、ほとんど変化が無い(または自分が興味を持っている箇所とは異なるところが変更されている)ことが判れば、いちいちリスト本体をダウンロードする必要はないわけだ。

 「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」も「吾妻ひでお 著作リスト」も、メンテ対象である原データから、半自動スクリプトでデータ変換/書式変換を行っているのだが、このスクリプトに手を入れて、半自動的に前バージョンとの差分が登録されるような仕掛けを組み込んだ。

 差分は diff 形式であり、patch コマンドに食わせることが出来る。例えば、第3a版の「osamu-3」(全作品リスト)と、第3a版から第3b版へのパッチファイル「osamu-3.dif」があれば、UNIXまたはMS−DOSのコマンドライン(WindowsならDOS窓)から、


patch osamu-3 <osamu-3.dif

とすれば、第3b版の osamu-3 が出来上がる。(Macで patch が使えるかどうかは、知らない。)patch が手元になければ、goo などで、キーワード「GNU patch」とでもして検索すれば、いくらでも見つかる。

 とはいえ、今週は「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」も「吾妻ひでお 著作リスト」も変更無しなので、差分が登録されるのは来週からになる。

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*1999年06月24日:死の水


 紀伊國屋のBOOKWEBで、なんの気なしに「オトラントの城」を検索していたら、検索結果画面に「同一分類書を探す」というリンクが張られているのに気が付いた。「ゴシックロマンの一覧が出るのかな?」、と、ちょっとワクワクしながらクリックしたら..NDC(日本十進分類法)の「933(英米文学:小説)」を検索。24568件。

 おもしれーことするじゃねーか。["^J^]凸

 「真青なエーゲ海は、実はほとんど不毛の海である」とは、どこで読んだ文章だったか。とにかく歴史はじまって以来(数千年間)陸地の木を伐りつづけた結果、植物の栄養分のある水が海に流れ込んでこなかったというのである。だから、磯の臭いがしない。魚を育めない。清潔そのもの。真っ青な不毛の海。

 これは近海における、陸地からの植物栄養の補給の問題だが、遠洋についても、一般に、南方の青い海というのは、不毛の海らしい。強烈な紫外線に焼き殺されるのか、プランクトンが極めて少なく、従って透明度が高い。この美しい海(海水)は人間(観光客)には尊ばれるが、実態は、死の砂漠と変わるところはない、という。生命の希薄な、不毛の水。「死の水」..

 これに対して、北方の海はプランクトンが豊富で、だから魚も豊かなのである。その代わりに透明度は低い。豊かな濁った海..

 栄養豊富な水、といえば、今でも思い出すのが、北九州市。小学校三年生の夏までしか住んでいなかったので、ほとんど何もかも忘れているのだが、小学校のプールの周囲が、深い林(森)に取り囲まれていたのは、何故か良く憶えている。

 別に山の中の学校だったわけではない。学校を取り巻く並木が、小学生の目にはとても「深く」見えていたのであろう。とはいえ、その「並木」の「厚み」は、やはりかなりのものだったと思う。

 そして、その「森」の中のプールには..常に緑や茶色の葉が舞い落ちており、水に潜って目を開けてみれば、透明度の低い、緑色に濁った水のあちこちに、蜂や黄金虫や玉虫の死骸が(水槽の中の綾波レイの群れのごとく)漂っていたのである。

 時には、溺れたてのホヤホヤで、まだ水中でもがいている蜂などもいた。下手に口を開けていると、それらを飲み込んでしまう危険があった。そうでなくとも、苔臭い緑色の水など、だれも飲みたくはなかったが..

 私は、「栄養豊かな水」よりも、「死の水」の方が、好きである。[;^J^]

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*1999年06月25日:乱丁の楽しみ


 昔(1960年代)のアニメ(に限らずテレビドラマ)は、しばしば音声がずれていたことは、以前に話題にしたと思う。映像はまだ前半なのに、音声は既に後半に突入していたりするのである。

 当時を思い出して驚くのは、「そういうエラーを頻繁にやらかすテレビ局の、技術的な未熟さ」ではなく、そういう状態でも「問題なく」あるいは「力ずくで」楽しんでいた、当時の視聴者の「包容力」と「集中力」である。先行する(すなわち、未来の時間を走っている)音声、または画像を「バッファ」に入れて、ひとり時間差並行処理をしていたのである。一度に複数のテレビ番組を観る子供たちの「情報処理能力」が話題になったのは、1970年代か80年代だったと思うが、私に言わせればヌルいヌルい。1960年代の子供たちは、それより遙かに高度な情報処理を行っていたのである。

 同じようなエラーとして、当時の漫画月刊誌では、乱丁が珍しくなかった。先頭からシーケンシャルに読んでいると、どうも話のつじつまが合わない。展開が唐突である。そこで、もしかしたら..と、前後のページを繰りながら、「正しい順序」を探すのである。これも結構、知的処理能力を要求される作業である。大概、翌月号の欄外に「お詫び」とともに「正解」が載るのであるが、それまで待っていられる訳がない。[^J^]

 乱丁だけでなく、コマの番号も、しばしば混乱していた。これも、どうも話の進行がおかしい、と思ったら、コマを読む順番を考える必要があった。

 今から考えると酷い話だが..しかし当時は、こういう目に遭っても、けっして怒ったりはしなかった。むしろ「喜んだ」。なぜなら、間違った順番で読まされた「乱丁版」でも、それなりに(シュールで異様な展開の)物語を楽しめたのだから、今度は正しい順番を探し出して、改めて読み直すことによって、同じ作品を「二度、楽しめる」のである。

 こういう「心持ち」は、今の時代には通用しないものであろう。乱丁なんぞ、今では..ただの「不良品」だ..

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*1999年06月26日:「日本国語大辞典」VS「国語大辞典」


 休日出勤をして、電源工事に立ち会う。昼過ぎには終わったので、買い物を若干してから浜松市立中央図書館により、帰宅してから夜まで惰眠する。

 図書館に寄ったのは、「日本国語大辞典」(全20巻)の現物を見るためと、特にその収録語彙数を調べるためであった。小学館の「日本大百科全書」のCD−ROMを買ってみようかと思っているのだが、それに併録されている「国語大辞典」がどの程度の実力のものなのかが、はっきりしない。「国語大辞典」は、「日本国語大辞典」(全20巻)を全1巻に圧縮したものである。従って、オリジナルの「日本国語大辞典」と情報量が同じであるはずがない。「国語大辞典」の項目数は、25万である。では、「日本国語大辞典」の項目数は、どれほどなのだろうか?

 「日本国語大辞典」の現物は、図書館にあった。ところが(調べ方が悪かったのか)どこをひっくり返しても、収録語彙数(項目数)の数字が出てこない。[;^J^] そして、「国語大辞典」は置かれていなかった。おかげで、項目と記述の減りぐあいの比較が出来ない..

 ..と、ふてくされて帰宅してから、ひと惰眠したというわけ。

 夕方、優雅に目を覚ましてから、ふと思いついて、gooで「日本国語大辞典 AND 項目数」。あらま、直撃 [;^J^]。50万か。

 巻数が20分の1になって、項目数が半減した..つまり、項目密度は10倍である。「国語大辞典」の現物が見られないので想像するしかないが、最密充填印刷をしたとしても、各項目の情報量を保てたとは思えない。用例などを大幅にカットしたのではなかろうか..

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*1999年06月27日:テーブル/辞典/こうもり


 午前中に、テーブルが配達された。DKを(まずまず)整頓して置いたので、手早く組み立て、設置する。上にスキャナーとCD−Rドライブを置き、テーブルと直角にシンセ(XP−50)を置く..

 ..この配置だと、流しで食器を洗って振り向くと、そこにシンセ(の背面)があるのであった [;^J^]。どうして実際に配置するまで気が付かんかな [;^J^]。いずれ必ず、水だかお湯だかをぶちまける事故をやらかすぞ。せめてビニールシートでも被せるか。

 浜松市立中央図書館で「日本国語大辞典」の適当なページをコピーしてから、谷島屋書店へ。ここに「国語大辞典」があれば、照合できると思ったのだが..無い。結構古い辞典だからねぇ。売れ筋の「広辞苑 第5版」とか「大辞泉」とか「大辞林」とかは、ずらっと並んでいるのだが。

 午後から大雨。

 FCLA夏オフで仕切る「こうもり」。パート譜が届くのを待っていると、次のアクションが、一歩遅れる。やれることからやっておこう、と、LDで演奏時間を再チェックし、LDも参考にしつつ、スコアから各ナンバーの配役表を作成する。男声と女声の(配役数の)バランスが取れているかどうか、チェックするためだったが、ひとり、ややこしい役がいるので、勘定が面倒になって、投げ出してしまう。[;^J^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 30 1999 
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