*2000年02月07日:部下の悪口
*2000年02月08日:どっちもどっちのクラッキング
*2000年02月09日:踏まれて嬉しいか
*2000年02月10日:「解説」執筆にかかる時間
*2000年02月11日:書架、到着
*2000年02月12日:鬼門について
*2000年02月13日:「魔人ドラキュラ」
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*2000年02月07日:部下の悪口


 午前半休を取り、税務署へ。毎年恒例の処理なので、我ながら手慣れたものである。

 夜、仕事を終えて、天狗にて。カウンターで隣りに座った二人組の話が、いやでも耳に入る。(必要以上に響く声なのだ。)年齢的には“部長と課長”でもおかしくはないが、話の内容的には“課長と係長”かな。その内容なのだが..「上司の悪口」ならまだしも、「部下の悪口」。これはもう、最っ低に、見苦しく、聞き苦しい [;-_-]。おれはこんな真似、してないだろうなぁ..本当に心配になってきた。(「上司の悪口」なら見苦しくない、と言ってるわけでは、ありません。)読者のみなさんも、自戒されたし。

 ちなみに、部下を「酒の肴」にするのなら、一向に構わんのですよ。この楽しみは、譲れません [^J^]。「悪口」と「酒の肴」の違いは、おわかりかな。

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*2000年02月08日:どっちもどっちのクラッキング


 一週間近く溜まって山をなしていた新聞に、ざっと目を通す。

 一週間分、浦島太郎状態だったとはいえ、さすがに、一連の省庁のウェブページへのクラッキング事件ぐらいは知っていたが..その後のフォローの記事を読んでいなかったのだ。そうですか。ファイアーウォールが無かったですか。どあほ。

 省庁の担当者の知識水準には、なんの期待もしていないが、一体どこに、システム構築の業務委託をしていたんだよ。その情報を開示しろよ。(されてるのかな?)そういう論外なシステムを作る「業者名」こそが、重要な情報だと思うのですが。(他にも、その業者に、セキュリティの「無い」システムを作られてしまったという「被害」を受けている組織が、あるはずです。)

 そんなウェブページに侵入したクラッカーもなぁ..恥を知れよ。鍵もかけずにドアも窓も開けっ放しで留守にしている家に、泥棒に入って楽しいか? 誇れるか? プライドは無いのか? 俺なら、恥ずかしくて入れんよ。“一人前”のクラッカーなら、困難に立ち向かえよ。

 帰宅時、雪がパラつくほどの冷気と強風。間違いなく、この冬一番の寒さである。天狗に行くのは諦める。

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*2000年02月09日:踏まれて嬉しいか


 強い風が残っており、出社時、浜松環状線では、横風にあおられて恐かった。

 いい加減、しつこいと思われているでしょうが、底厚靴の話です [;^J^]。別に、目の敵にしているわけではないのですが..さらにひとつ、あれの重大な欠点に気がついてしまいました。それは何かと言うと..底厚靴で踏まれても、嬉しくもなんともない、ということです。

 ハイヒールで踏まれることが(人にも状況にも依りますが)嬉しいのは、それが(時には、足に穴が開いたかと思うほど)「痛い」からです。底厚靴で踏まれても、「重い」だけではありませんか。

 それのどこが欠点なんだと訊きますか? もちろん、欠点ですとも!(あなたは、「痛い!」と思われたいですか、「重い!」と思われたいですか? > 若い女性)

 荒井注、急死。

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*2000年02月10日:「解説」執筆にかかる時間


 昨夜は24時まで根を詰めたが、やはり作業は半分も終わらない。2時まで仮眠を取ってから、出社時刻のタイムリミットぎりぎりの、朝の7時50分まで働いて、ようやく更新完了。週に一度の難行である。

 「廃墟通信」の更新だけなら、そうたいした手間では無いのだが、「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」の「総解説」執筆作業を、本格的に再開したためである。とにかく、これには時間がかかるのだ。今週の更新で、ようやく56巻分の解説を書き終えた。あと、344巻..

 現在、取り組んでいるのは、「ブラック・ジャック」の解説である。これにどの程度の時間がかかっているのか、心覚えに書いておこう。

 「解説」の原稿書きは、4フェーズに分かれている。

 まず、「データ起こし」。作品を再読(あるいは三読、四読)して、その作品の解説を書くために必要な「素材」を、とにかく片端からリブ100に打ち込んで行く。この段階では、文章を練ることはしない。パラグラフも考慮しない。特に気を配るのは、必要になるであろう「固有名詞(人名、地名、病名など)」や「数字」を、「正確に」書き写すことである。「感想」や「意見」は、自分の内側から紡ぎ出せる。しかし「固有名詞」や「数字」などの「事実」は、「現物」と食い違っていては、話にならないのである。(これは「取材」の基本でもある。)「引用すべきセリフ」を(注意深く)書き写すのも、このフェーズ。これらに加えて、話の流れを(時には名詞の羅列として)テキスト化する。

 次が、「初稿」。「データ起こし」の終わったテキストを、文章として整形する。パラグラフを編成し、文章の流れを組み立てるのは、この段階である。「文章」としては、ここで完成させる(ことを目標とする)。HTMLのタグも、全てここで挿入する。これ以降は原則として、大規模な変更は加えない。ここまでの作業は、フルスクリーンのDOS窓で、Vzエディタで行う。(言うまでもなく、ひたすら文章を打ち込むには、もっとも効率の良い環境だからである。)

 そして、「二稿」。原稿をブラウザでブラウジングしながら、細かい修正を加える。文章の流れを最終的に整えるのは、この段階である。(具体的には、句読点の数を減らしたり、語尾の時制の変化に(流暢な)流れを作ったり、能動態を受動態に、またはその逆に変更したりする。)ここで使うエディタは、「DOS窓でVz」ではなく、Winアプリである「秀丸」である。ネットスケープと秀丸を立ち上げて、秀丸で微修正をしては、ネットスケープでリロードし..という作業を、繰り返す。秀丸を使うのは、「DOS窓を開けて、そこでVzを常駐させている」状態でネットスケープも立ち上げると、後者のパフォーマンスが大幅に低下するからなのである。(私は、秀丸という高機能シェアウェアを、ほとんどこのためだけに使っている。)

 ここまでで、基本的には完成であるが、「三稿(最終稿)」作業が残されている。私の「総解説」は、HTML文書だけでなく、プレーンテキストとしても提供されている。(「圧縮してダウンロードできる」版が、それである。)ブラウザでしか読めない、というのは、やはり不便だ。ブラウジング画面のプリントアウトは、もちろん誰でも取れるのだが、フォントの問題で読みにくいことも多い。プリントアウトするならば、プレーンテキストに限る。DOSの(検索などの)ツールにもかけやすい。

 そこで、「二稿」までで完成したHTML文書を、まず、プレーンテキストに変換する。(ヘッダやフッタを削ったり、タグを外したりするだけなので、この作業自体は、半自動である。)そして以前も紹介した、XTRというテキスト整形ツールにかけたあと、最後の校正にかかる。これが、「三稿(最終稿)」である。ここで行うのは、基本的に、誤字・脱字の修正だけである。この作業は、(DOS上のテキストファイルの編集なのであるから、)再び、フルスクリーンのDOS窓で、Vzエディタで行う。

 これでようやく、完成するわけだ。「データ起こし」直後は、まだ文章の体を成していないのだが、その後、文章を、「フルスクリーンのDOS窓で、タグの入っているテキスト」、「ネットスケープでブラウジング」、「フルスクリーンのDOS窓で、タグの入っていない、整形されたテキスト」、と、「異なるレイアウト(とフォント)で3回」、推敲するわけである。ここまでやらないと、満足の行く文章が書けない(というか、これだけやっても、あの程度)というのが、私の「知的生産性」の現状である。(推敲の各段階ごとに「レイアウト(字面)」を変更するのが、重要なポイントなのである。これを行うと、画面上の行末付近の誤字・脱字を、発見しやすいのだ。)

 で、上記の4フェーズに、各々どれだけの時間がかかるか、というと..「ブラック・ジャック」の解説を一巻分、書き上げる場合、「データ起こし」に4〜5時間(プラス「オプション」の「調査時間」)、「初稿」に90分から2時間、「二稿」と「三稿(最終稿)」に、各々30分、といったところである。(但し、途中で休まず、ネットサーフィンやメール/掲示板の読み書き等に逃避せず、集中して作業した場合。)「調査時間」というのは、読んで字の如くで、他の資料に当たらなければならない場合、当然、所用時間がはね上がる訳だ。最も運が良ければ、リブ100の中に入っている「世界大百科」や「日本大百科全書」その他の資料群(または、ネットサーフィン)で片が付く。あるいは、自宅の書棚で調べられる。もっと運が悪いと、休日に浜松中央図書館だ。最悪の場合、国会図書館であって、これは次に上京するチャンスを待つ他ないのだが..

 ..まぁ、ここまでの事態に追い込まれることは滅多に無く、ほとんどの場合、自宅の書棚で調べはつくのであるが。それより、もっとも「余計な」時間を食いかねないのは、思わず読みふけって(作品世界に入りこんで)しまうことなのである。こうなると、解説を書くどころではない。そんなことは極力せずに、事務的にサクサク片づけていかないと、それこそ(残り344巻の執筆が)ライフワークになってしまうのだが..しかし「入り込む」ことをしなければ、まともな文章を書くことなど、できはしないのである..

 (いずれにせよ、こんなありさまでは、週3巻ペースを維持することが並大抵ではないことは、お判りいただけよう。)

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*2000年02月11日:書架、到着


 午前休出して、(午後に1時間少々かかってしまったが、)軽くひと仕事片づける。その後、浜松家具センターに車を飛ばし、入荷連絡をもらっていた、ハーフサイズの組み立て式書架を2台、引き取る。

 受け入れ態勢は(大雑把ながらも)作ってあったので、サクサク組み立てる。強度的に、「やや」疑問を感じたので(今度はハニーコーエイに車を飛ばして)L型とT型の金具を購入し、これで補強する。疑問というのは、天板が、側板の上から「差し込まれている」だけだ、ということである。これは通常使用時には、問題にならない。なぜなら、天板にかかる荷重は(かかるとしても)上からだけであるからだ。しかし、この書架自体を持ち歩く時に、天板だけを持つと、「引っこ抜き方向」への力がかかるわけだ。まぁ、問題にはならないと思うが、一応、念のため。

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*2000年02月12日:鬼門について


 組み立てた2台の書架(W865×D310×H880)を、それぞれ書架A、書架Bと呼ぶことにしよう。書架Aと書架Bを、部屋の中の所定の位置に設置する。CDラック群の移動が伴ったが、面倒なので中味を出さずに、そのまま担いで(というか抱きかかえて)上げ下ろしや平行移動をする、という暴挙に出た。ガラス戸つきなのに、である。全く幸いにも事故は起こさなかったが、良い子は真似をしないこと。

 書架Aには、枕元に「うずたかく」(解体新書風)積まれていた、未読の書籍等を納める。書架Bには、日常生活において、あるいはWEBに掲載する文書等を執筆する時に、(両者に実質的な差が無い、という議論はありうるが、)参照する機会が多い(あるいは、もっと参照すべき)書籍群を納める。

 いずれも、たちまち満杯になってしまった [;^J^]。書架Bを満杯にする過程において、従来の書棚に、いくらか空きが出来たはずなのであるが、どこがどのように空いたのか、全く認識できない。ま、お約束の展開である。

 この機会に、廃墟の六畳間の「隅々」にも、ハタキと掃除機を入れる..というか、それをしなければ、上記2台の書架(特に書架A)に、書籍を詰め込むことが不可能だったのであるが..最も“邪悪な”(枕元側の)片隅では、うずたかく積まれた書籍の山脈の、手が届きにくかった奥の方の山に至っては、上に埃が「積もっている」、などという段階ではなく、「埃の層」を「フェルト」のように「剥ぐ」ことが出来るし、本の山と山の間の谷間には、簡単には分離も分解もしない、「埃の塊」が沈んでいる..よくまぁ15年間、ハウスダストで死ななかったものだ。(いや、あるいは既に、死にかけているのか? あるいは..)

 今さらながら気が付いたのだが、この、私の部屋の中で最も“邪悪な”一角は、北東隅=艮(うしとら)の方角、つまり、鬼門に当たっていたのである。なるほどね。この惨状が、その原因だか結果だかは知らないが、私は15年間、“それ”を吸ってきたわけだ。

 午後から外出。ジョーシンでDVDをチェック。郵便局で振り込み一件。ヤマハで「マタイ受難曲」のスコアを購入する。

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*2000年02月13日:「魔人ドラキュラ」


 廃品(資源ゴミ)の回収日。私は、ただこれに出すためだけに、新聞を定期購読しているような気がする。[;^J^]

 行きつけのイタリア料理店「N」で、モーニングセット。ここはなかなか居心地が良く、気に入っているのである。朝早くから深夜(3時くらい)まで、いつでも開いているのも、ポイント高い。料理の味も、それなりに良い。惜しむらくは、格安のワインが無いことで、居心地がいいからと言って、半日もゴロゴロしていると、酒と料理で簡単に5千円越えてしまう。最近はもっぱら、休日の午前中、モーニングからランチ(過ぎ)まで居座って、読書したりウェブページ用の文書書きをしたり、という使い方である。

 とはいえ今朝は10時前に腰を上げて、ジョーシンへ。本日購入のDVDは、「魔人ドラキュラ」(トッド・ブラウニング、ベラ・ルゴシ、1930)である。

 いわゆる最近のハリウッド系大作映画(話題の映画)などは、ほとんど一回しか観ないことが判りきっているので、DVDやLD等を購入する気になれない。レンタルで十分だ。購入金額が惜しいのは言うまでもないが、置き場所が無い方が切実であり、それよりさらに気に触るのは、それらのソフトは、私の「城」に相応しくない、ということなのである。邪魔な「不純物」なのだ。例えば、私は「タイタニック」という映画を、一度だけ観たことがあり、面白いと思ったし、どちらかと言えば肯定的に評価しているのであるが、しかしあの映画のDVDなりLDなりは、「倉田わたるのミクロコスモス」である「私の部屋」の中に、あるべきでは無い、と思うのだ。(パンフレットは購入して、それは今も書棚にある。それはあっても構わない(むしろ、ある方がいい=捨てる気は毛頭ない)と考えている、この美意識(のバランス感覚)が、理解していただけるだろうか。)

 そうなると、購入するソフトは自ずと限られてくる。マニアック系か、古典。いずれにせよ、繰り返し観る(あるいは、参照する、調べる)ことがはっきりしているソフトである。

 昼前に、ちょっと休出したあと、モンテカルロ野田三方原店でタイヤ交換。別にツルツルになっている訳ではないが、何故かヒビが深く、左後ろのタイヤには、側面から釘が刺さっているのだ。このことは、2ヶ月前からわかっていたのだが..全く、腰が重いのも、時と場合によるよなぁ。ハウスダストは自分の健康を害するだけだが、タイヤの不良は、(自分と他人の)命に関わるんだぞ。

 「マーチのホイールは、外側から填め込んであるだけなので、タイヤ交換したあとは、どうしてもいくらか外れやすくなる傾向があります。注意して乗って下さい」、とは、面白いことを抜かすじゃねーか。押さえながら走れとでも? [;^J^]凸

 実は発煙筒も、有効期限が3年前なので、ついでに買おうと思ったのだが..なんと、この店では取り扱っていないのである。なんで? 自動車の必需品じゃないの?(期限切れの発煙筒を3年間も備え付けていた奴が、偉そうなことを抜かすな。[;^J^])仕方がない。また、ハニーコーエイか、オートバックスにでも行くか..

 帰途、ローソンで、今月26日の、とあるシンポジウムのチケットを購入する。コンビニの端末を操作するのは、初めてであった。へぇぇ、これは便利になったもんだ、と、昭和時代的な感想を述べておく。(オヤジはオヤジらしく。)

 いったん帰宅して、古い発煙筒を、まず始末しておこう、どうやって捨てればいいんだ?と、本体の説明を読んでみたら、期限切れの発煙筒は練習用にお使い下さい、と、実に合理的なことが書かれている。そこで早速、着火練習。3年も前に期限切れなので、火は点かないか、点いてもすぐに消えてしまうだろう、と、特に何も考えずに、アパートの前の駐車場で点火してみたら..

 おいおい!と焦るほどの、明るい発火と煙である。こんなに明るいものだとは知らなかった。確かに、日中、100メートル先からでも視認できる。白い煙も盛大である。そしてこれが、なかなか消えない。(すぐに消えると思っていたので)腕時計もなく、時間は計れなかったが、製品仕様の「5分間」は保たなかったかも知れないが、確実に3分以上、もしかすると5分近く、火と煙を吹き出し続けていた。もんの凄く目立つ、火と煙を。

 アパートの前の通りで、信号待ちをしている運転手。あるいは、通りすがりの通行者と目が合うたびに、「あ、別にこれはなんでもないんですよ [;^.^]」「たいしたことじゃありませんから、ほらほら、見ないで見ないで [;^.^]」というニュアンスを込めた、引きつった作り笑いを返しつつ、早く燃え尽きろよ、と、発煙筒を(いくらかでも目立たないように、腰の下あたりで)保持し続けていたのであった。

 ようやく燃え終わってから、ハニーコーエイに、新品の発煙筒を購入しに行く。帰宅してから、「魔人ドラキュラ」を観る。

 非常に抑制された演出である。少なくとも、後世のいわゆる「残酷シーン」「ショックシーン」は、皆無と言って良い。なにしろ、ドラキュラが犠牲者に噛みつく瞬間のショットが無い。喉元に口(牙)を接近させたところで、溶暗してしまうのだ。最後にドラキュラが退治されるところも、同様。胸に杭を打ち込まれるシーンが、映されていないのである。

 前半(というか、序盤)の、ドラキュラ城の描写が、特に素晴らしい。それに比べると、舞台がロンドンに移ってからは、相対的には見劣りする。やはり、ベラ・ルゴシの千両役者ぶりが、見所か。

 (「幻想文学大事典」(国書刊行会)で「魔人ドラキュラ」を調べると、「ドラキュラ映画」「ベラ・ルゴシ」「トッド・ブラウニング」「ブラム・ストーカー」「デイヴィッド・マナーズ」「エドワード・ヴァン・スローン」「吸血鬼」等など、関連項目がどんどん引ける。なんて便利な本なんだ!)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 16 2000 
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