*1996年07月15日:生き物を生きたまま喰らうことについて
*1996年07月16日:CP/Mの追憶
*1996年07月17日:かゆみについて
*1996年07月18日:“仕事中毒”
*1996年07月19日:TAKE 6
*1996年07月20日:風雨をついてバーベキュー
*1996年07月21日:「ブッダ」調査完了
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*1996年07月15日:生き物を生きたまま喰らうことについて


 今週末は、浜名湖辺で部署のバーベキュー。となると思い出すのは、丁度3年前の、やはり同じ部署のバーベキューで味わった、珍味のこと。

 昼過ぎから4〜5時間以上も、牡蠣のレモン醤油や、さざえなどを貪り喰い続けたのだが、最大のヒットは、午前中に先輩社員が生け捕りにした、小さな蛸。これを“踊り喰い”したのである。

 異口同音に、生まれてこのかた、こんな面白い物を食ったのは初めてだ、と。皮も剥がずに、いきなり脚をまな板の上でブツ切りにしたのだが(正確には、バケツの中の蛸から脚を一本ずつ切り取って来ては、まな板代わりの平面で捌いた)、各・脚素片が、個別に伸縮して、まな板の上からの逃走を計る。これが半端なSF/怪奇映画よりも、風情のある眺めであり、また、まな板に吸盤で張り付いたこいつらを引き剥がすのが一苦労。剥がしたと思ったら、既に箸に、何重にも巻き付いている。これに噛付いて、箸から無理矢理ひっぺがして口に入れたら、舌と上顎に吸い付いて、蠢くうごめく。この感触がトリップするのだ。口がしばし開きにくくなる位はいいとしても、喉や食道でこれをされたら危険なので、必死でかみ砕く。基本的に口内を弾き口から飛び出す方向の白魚や海老の踊り喰いとは、全く異なるジャンルの、猟奇なメニューであった。高橋葉介風スプラッタではなく、吾妻ひでお風ぐねぐねの世界なのである。挙げ句の果てに、私は、生きて蠢く肉片の舌触りに病みつきになって「この牛肉は死んでいる」「餃子の素材が死んでいる」。このあと数ヶ月間にわたって、スーパーでも肉屋でも“動かない”素材に食指がわかずに、困ってしまったことであった。

 決して真似しないこと。

 水の中を泳ぎまわっている魚ならばともかく、海底を這いまわっている蛸の吸盤の中は、文字どおり雑菌の巣である。そうでなくとも、O157が荒れ狂っているのだ。こんな食い方をして発病しても、誰も同情してくれないであろう。

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*1996年07月16日:CP/Mの追憶


 今の若い人たちは、CP/MというOSを知っているだろうか? 8ビットマイコンの時代に一世を風靡し、16ビットパソコンの時代になっても、CP/M−86として、しばらくはMS−DOSver1.25と覇を争い、MS−DOSが2.0になった頃から、静かに退場して行った(とは言っても、8ビットの世界では、その後も長く使われ続けた)OSである。OSと言っても、現在のGUIベースの大規模なOSから見ると、本当に小さなスペックのものであって、今の感覚(あるいは分類)から言えば、DOS(ディスク・オペレーティング・システム)と呼ぶ方が、正しい。

 これは大変良く出来たシステムであった。なにしろ仕様が小さいので、誰でも簡単に移植や改造が出来たのである。今では到底考えられないことだ。なんと言っても印象的だったのは、リブートの速さである。私の知る限り、フロッピーベースのCP/Mで最もリブートが速かったのは、某氏がNECのPC−8801用にチューニングしたシステムであったが、これなどは、リセットボタンを押し込んで、戻した時には、コマンドプロンプトが出ているのである。ウィンドウズやMacOSやUNIXには、逆立ちしてもこんな真似は出来ない。

 CP/Mのリブートの速さを良く表現している、象徴的なエピソードがある。当時のCP/Mのテキストファイル処理コマンドは、コンパイラであれ、アセンブラであれ、“256バイトの整数倍”のサイズを持つファイルを食わせると、ハングアップすることが多かった。これは、CP/Mのファイルシステムの性質に起因する。

 CP/Mのファイルシステムは、物理的には256バイト単位でファイルを管理しているのである。しかし、ソースファイルなどのテキストファイルは、一般には256バイトの整数倍のサイズを持たない。そこで、256バイトのブロック内でテキストが終る時は(ほとんどの場合はそうなのだが)、残りのフィールドを、コントロールZで埋めるのである。つまり、コントロールZを検出した時点で、テキストファイルの末尾という訳だ。では、256バイトの整数倍のサイズを持つファイルの場合は? コントロールZが付加されないのである。この時は、ディレクトリエントリに書かれている(256バイト単位の)ブロック数から、ファイルの末尾を知る訳だ。

 もうお判りであろう。CP/Mでは、テキストファイルの末尾は、ディレクトリエントリに書かれているブロック数の256倍か、あるいは、ブロック内でコントロールZに遭遇したところまで。このオア条件で検出しなければならないのである。ところが、この前者の条件を忘れている処理系が、実に多かった。この場合、平均して256回に1回、(コントロールZを検出出来ずに)ハングアップする。

 という、実にバギーで不安定な状況を、CP/Mユーザーは、さほど問題視していなかった。なぜなら、ハングアップしたらリブートして、そのファイルにエディタでコメントを1バイト追加すれば、しまいだったからである。

 それほどまでに、リブートが速かったのだ。

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*1996年07月17日:かゆみについて


 私は、皮膚が弱い。特に脚。悪い虫に噛まれやすいのか、猛烈な水脹れに至る虫刺されが、ひと夏に少なくとも5箇所。また、痕が残りやすい体質なのである。男なので一向に気にしていないが、女性だったら、えらいことである。

 虫とは別に、継続的な刺激に弱いというかなんというか。上記の水脹れの手当のために包帯などしていると、今度は、その包帯に締め付けられたところに沿って、水脹れが。バンドエイドにも弱い。全くもう。

 今回は、靴下にやられた。おろしたての、ちょっときつめの靴下を脱いだら、真っ赤に腫れ上がっている。脛側は固く、ふくらはぎ側は柔らかく腫れ上がり、ゴムの痕に沿って小さな水脹れが並んで、そして猛烈にかゆい。ほとんど仕事にならない。しかし引っ掻いて掻き壊したら、また後始末が長引いてしまう。

 弱った私は、氷水をコップに入れて、患部に当ててみた。なんと気持ちの好いこと! 別に治る訳でもないのだろうが、しばらくはかゆみが引き、熱っぽいのも緩和されるようだ。氷水を取り替え取り替え、終日、仕事の傍ら患部を冷やし続ける。帰り際に、ふと思い立って薬局に寄り、冷湿布を買い、それを貼って眠る。ここまでが昨日のことであり、今朝になると、明らかに腫れが引いている。まだまだかゆいのだが、確かに回復へ向かいはじめたようだ。なるほど、冷やすと良かったのか。

 私はもしかして、とても当たり前のことに感心しているのだろうか?

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*1996年07月18日:“仕事中毒”


 あなたが学生であれば、以下に述べることは、理解出来ないだろう。あなたが社会人ならば、半数の人は、理解してくれるだろう。

 社会人になって、一番“楽”な状態は、“仕事中毒”になってしまうことなのである。

 学生時代の私は、自分は死ぬまで“仕事中毒”とは無縁の存在であり続けるだろう、と信じていた。しかし就職してから、むしろ“仕事中毒”にならない状態の方が、エネルギーを要することが、理解できた。

 仕事中毒=寝ても覚めても寮に帰っても休日でも仕事のことを考え続けている状態、これが何故、楽かというと、モードを切り替えなくてもいいからである。少なくとも1日に8時間は、仕事モードにならなくてはならないのだ。(まともな職業人であろうとする意志が、あるのであれば。)それを余暇モードに切り替えることの方が、仕事モードから抜けないよりも、エネルギーを要するのだ。(例えどんなに軽い本であろうが)本を読むよりも、CDを聴くよりも、映画を観にいくよりも、目下抱え込んでいるプログラムのアルゴリズムを考え続ける方が、楽なのである。

 残業手当など関係ない。仕事をし続けることに対する、上司の評価も関係ない。(ちなみに、こんにちでは、余暇も取らずに仕事をし続けることは、査定上マイナス要因になることが多いはずである。理由は省略。)“自分が楽をするために仕事モードから抜けない”のである。

 価値観はさまざまであろうが、私はやはり、これは不健全な状態だと思う。不健全と言って悪ければ、生活のダイナミックレンジを、とても狭くする生き方だ。この状態から脱するには、意志力が必要だ。楽な仕事モードから抜けて、余暇モードに切り替える、という意志力が。無論、私もそれを発揮した。多くの人は、意識的にであれ無意識的にであれ、意志力を発揮して、仕事中毒状態から脱するのだ。無論、脱することが出来ない、あるいは脱する意志のない人も、いる。

 強調したいのは、“仕事中毒”とは、努力した結果の状態ではなく、何も努力しなかった結果の状態であること、だ。

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*1996年07月19日:TAKE 6


 今日は、午後半休を取って、同僚5人と、名古屋の愛知県芸術劇場まで、TAKE 6 という米国のア・カペラグループ(黒人6人)の公演を聴きに行く。車2台に分乗して、高速を使う。私の車は小さいカルタスなので、こういう時に車を出すことはせず、いつも、乗せてもらっている。まぁ、気が咎めないことが、全くないという訳では、必ずしもない。(否定形を重ね過ぎ。[;^J^])

 ア・カペラのグループではあるが、バック・バンドも用意して、全体の半分はバンド付き、あと半分は、バンド無しの演奏。なるほど、たいした迫力である。ハーモニーの透明感は今ひとつと思ったが、個々の肉声の厚みが、凄い。

 はねてから、味仙という中国・台湾料理屋で、遅い晩飯。素晴らしく旨い。帰ったのは、1時を大分回ってから。

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*1996年07月20日:風雨をついてバーベキュー


 今日は、浜名湖岸の公園で、バーベキュー。但し、朝から、並みの降り方ではない大雨である。異動者の歓送迎会であるこのバーベキュー、既に一度雨天順延されているので、本日は、嵐決行の指示が出ている。よって、嵐の中を、車で現地へ向かう。

 現地に着く頃には、雨は小降りになっていた。参加者は全部で8人。今回は、生きている蛸のような猟奇なものは食わなかったが、ヒットだったのは、新鮮な海老や魚の天ぷらである。いつも楽しみにしている、サザエの網焼きも旨かった。

 魚介類の踊り食いと言えば、もう何年前になるのかな、全社をあげての社員旅行で、魚の踊り食いが出されたことがある。さっと火であぶって食べるという調理法だったのだが、このようなものを食べたことのない、一部の(といっても相当多数の)女子社員は、箸から逃げる魚に、もう大騒ぎである。あげくの果てに、ようやく捕まえても、火にあぶる段になって、「可哀そう〜〜 (;_;)」と、出来るだけ火から遠く高く離して、ゆっくりゆっくり赤く変色していくのを待っているのである。

 可哀想だから、さっさと焼き殺してやれってば! [;^J^]

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*1996年07月21日:「ブッダ」調査完了


 先週に引き続き、ハイウェイバスで、現代マンガ図書館へ。ブッダの後半の初出誌、「希望の友」「少年ワールド」「コミックトム」を閲覧し、全集版との照合を終える。この調子で手塚治虫の(調べが着く範囲の)初出誌を調査していたら、いったい何年かかるのだ。(でも、きっとやってしまうんだろうなぁ。)閉館時間の19時までに、時間が微妙に余ったので、少年チャンピオンに掲載されたまま、どの単行本にも収録されていない、ブラック・ジャックのエピソード7本を閲覧する。40分しかないので、大忙しで、ストーリーの要点を書き留めるのだが、「」については、最後の(6本目の指が決め手になるところの)ロジックを(頭が疲れていたのか)追いきれず、何度読み返しても釈然としないので、他のエピソードを読む時間も足りなくなることゆえ、ポイントになる2ページだけ、コピーする。

 お茶の水に出ると、19時半だが、目当てのディスクユニオン(クラシック館)は既に閉まっていた。今から秋葉原に移動しても、CD屋は軒並みしまっているであろう、と、お茶の水のメキシコ料理店、タコス・デル・アミーゴで酒と食事。ひかりで帰宅。先程コピーした2ページを車中で読み返すが、やはり得心がいかない。これは、テキーラの酔いのせいか。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 24 1996 
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