*2017年04月03日:「宇宙探偵 マグナス・リドルフ」
*2017年04月04日:幻想美術選「魔女の旅立ち」ルイス・リカルド・ファレロ
*2017年04月05日:古き良き時代? [;^J^]
*2017年04月06日:諸悪の根元 [;^.^]
*2017年04月07日:わかりやす過ぎる..
*2017年04月08日:「ゆうれい日和」
*2017年04月09日:浜響定期とオイスター
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*2017年04月03日:「宇宙探偵 マグナス・リドルフ」


 書き忘れていたが、先日、宇宙探偵 マグナス・リドルフ」(ジャック・ヴァンス、浅倉久志、酒井昭伸訳、国書刊行会)を読了したのだった。お薦め。

 初心者でも十分楽しめる、わかりやすい作品群であるが、ある程度SFにスレた読者の方が、楽しめるような気がする。とにかく、主人公のキャラが、最高である。「馨しき保養地」−秘境探検モノ@悪臭 [;^J^]。「ココドの戦士」−異文化を食い物にする貪欲な者どもを懲らしめる、痛快篇。「禁断のマッキンチ」−要はフーダニットのミステリなのだが、容疑者は全員(さまざまな形態の)エイリアン。ほとんど吾妻ひでおの世界である [;^J^]。「暗黒神降臨」−まぁ、スケール雄大と言うべきなのだろうなぁ [;^J^]。「盗人の王」−泥棒王国を舞台とする、やはり異文化モノ。「とどめの一撃」−これも、異文化系フーダニットミステリ。「ユダのサーディン」−「海洋冒険もの」と言い切るには、捻りというか装飾が。[;^.^]

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*2017年04月04日:幻想美術選「魔女の旅立ち」ルイス・リカルド・ファレロ


 第58回を迎えた「幻想美術選」。ここ最近、ダークな作品が続いたので、ここらで一発、特上のエロをお見せして、場の空気を柔らかくしておこう。[^J^](さもないと、客が逃げてしまう。[;^.^])

Picture

「魔女の旅立ち」(ルイス・リカルド・ファレロ、1878年)

 ..どーよ。エロいだろう [^.^]。Luis Ricardo Falero(1851〜1896、Wikipedia(英文))は、スペインの画家。その作風を特徴づけるのは、なんといっても、神話や物語やオリエンタルな舞台に配された、美しくも幻想的な裸婦たちである。

 ここではもちろん、歴史上の「魔女(概念)」のおさらいなど、しない。ファレロが描いたものは、そのようなものとは関係のない、「幻想の魔女(の夜宴への旅立ち)」だからである。このテーマの作品は数多(あまた)あるが、群を抜いた傑作といえるのは、ゴヤの諸作であろう。ゴヤ作品も含めて、このテーマの作品の多くでは、魔女は「醜く」描かれているのだが(というより、美女としても醜女としても描かれてはいる(多くの作品では混在している)が、醜女系の作品の方が概して見応えがあり、評価も高いのだが)、このファレロ作品では、ほとんど類を見ないほど、美しく、肉感的に、エロティックに描かれている。無論、お定まりの醜女(老婆)も、使い魔と思しき化け物も描かれているのだが、彼らの(図像上の)役割は、裸女たちのナイスバディを引き立てるための隠し味に近い。

 がたがた言わずに、ひとめを憚ることなくやましさを感じることなどなく、彼女らの美しいヌードを堪能(凝視)していただきたい [^.^]。だって、彼女らは、「恐ろしい魔女」なんだから。[^.^]

 管見の及ぶ範囲では、ファレロの画集は、存在しない。ほかにも紹介したい作品(幻想美術の傑作)はあるのだが、いずれもオムニバス的なムックの中で、他の多くの画家の作品に混ざって、大抵は小さなサイズで収録されているものであり、スキャンしても画質を保てない。別にソロの画集でなくてもいいから、十分なサイズの図版からスキャンしてご紹介したいのだが..

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*2017年04月05日:古き良き時代? [;^J^]


 多分、10年以上前に書いていると思うのだが、みんな忘れているだろうから、いいだろう。(← 爽やかな開き直り。[^.^][;^.^])

 今から数十年前、特に文科系の学者(大学教授)は、学術先進国の欧米との情報格差・時間差で商売していた(メシを食っていた)という。誰も(少なくとも学生は)欧米の研究成果など知らないので、それを「個人輸入」して蓄えておいて、数年間の時差を保って、少しずつ小出しにしていく..これで論文が書けたかどうかは知らないが、少なくとも大学の講義程度はできた..(すまないが、この件の情報ソースは、忘れた。[_ _])..もちろん、全ての学者がこうだったというわけではないが、しかし、こういうことは可能であっただろう、とは思う。今の若者たちには想像もできないことだろうが、それほど「欧米(世界)」は、遠かったのだ。今では、世界に「時差」などない。他国語を読むことを厭わなければ、世界中の研究成果を、リアルタイムで追跡できてしまうのだ。

 大岡信、呼吸不全で逝去。享年86歳。合掌..

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*2017年04月06日:諸悪の根元 [;^.^]


 まだ開発系の部署にいた頃の、私の箴言。「世の中のバグの半分は、キャッシュの操作ミスである」。

 「キャッシュ」がわからなければ、ぐぐりなさい。「現金」という意味ではない [;^J^]。全く異なるスピード、あるいは動作タイミングで動く事象同士を協調させて動かすためには、キャッシュは絶対に必要なメカニズムなのだ。実際、われわれの周囲は、巨大なシステムから微小な部品まで、キャッシュ・メカニズムだらけである。しかしこの「キャッシュ」ほど、「バグりやすい」ものもない。ある製品(あるいはシステム)を構築する過程において、必ず一度は、ここでハマる。

 いや、別に今、業務でエラい目にあっていることの、恨み辛みを吐き出している訳ではない [;^J^]。単に、一般論を述べているだけである。述べているだけだってば!(何が起きたのか、知りたいでしょ〜。(仕事の話だから)教えてやらないよ。[^.^][;^.^])

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*2017年04月07日:わかりやす過ぎる..


 US(というか、トランプ大統領)、シリアを攻撃。

 わかりやす過ぎる..

 個々の政策(というかアクション)をミクロに見れば、わかりやすく、筋も通っているのだ。一定の支持率を保っていられるのは、これが理由だろう。深く考えなければ、瞬間瞬間においては、納得できる。しかしながら、長期的視野をもって、整合感をもった流れを作るという資質がないことは、今回の件で、ますます明らかになった。要は、「考える」ことが、苦手(嫌い)なんだろうな..(考えすぎて何もできなくなってしまった前大統領と、どっちもどっち、という側面は、ある。)

 しかし、都合が悪くなると(支持率が急落すると)すぐにミサイル攻撃をしていた大統領を、髣髴(ほうふつ)とさせることではあるよ。トランプのライバル候補の夫君のことだが。

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*2017年04月08日:「ゆうれい日和」


 小雨というか霧雨。降ったりやんだり。

 蜆塚の郵便局で振り込み1件。クリーニング出ししてから、9:50、湯風景しおり。14:00、帰宅。

 ゆうれい日和 吾妻ひでおベストワークス 2」(吾妻ひでお、復刊ドットコム)のデータ入力が、ようやく終わった。これである。チェックも込みで(既存単行本との読み合わせを含めて)、ほんの数時間仕事なのだが、これまで、なかなか時間を割けなかった。さまざまな心労で気分が乗らない、ということは、私にもあるのだ。こう見えても、常人ですのでね。[;_ _][;^J^]

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*2017年04月09日:浜響定期とオイスター


 いろいろ片づけてから、11:50、徒歩で出る。桜の写真を撮りながら、街中へ。有楽街のいつものつけ麺屋(店名、忘れた [;^J^])で昼食。13:40頃に、アクトシティ。浜松交響楽団 第82回定期演奏会である。14:00開演。

指揮:柴田 真郁
ソプラノ:別府 美沙子

オペラ「ファウスト」よりバレエ音楽(グノー)
オペラ「ラ・ボエーム」より“私が街を歩くと”(プッチーニ)
オペレッタ「こうもり」より“侯爵様、あなたのようなお方は”(ヨハン・シュトラウスII)
オペラ「マドンナの宝石」より間奏曲(ヴォルフ=フェラーリ)
オペラ「ハムレット」より“遊びの仲間に入れてください”(トマ)
交響曲第1番変ロ長調作品38「春」(シューマン)

 グノーが始まってすぐにあれっ? と思ったのは、アンサンブルの縦の線が、「キチッと」揃っていないことである。ただし、これがただちに「ディスり」につながらないところが、音楽の深い(面白い)ところ。そういう指揮だからかも知れないからだ。

 実際、よほど難易度の高い曲でもない限り(または、よほど技術的に難があるのでもない限り)、縦の線を「揃えるだけ」なら、そう難しいことではない。しかし、それでは、音楽(あるいは音色)が「死ぬ」ことがある。機械のように正確なタイミングに拘泥することは、常にベストとは限らないのだ。

 無論、完璧なタイミング(縦の精度)を保ちつつ、音楽も歌わせるということは、可能だ。「十分な」時間をかければ。おそらくこの指揮者は、現実的なトレードオフを行って、精度よりも音楽をとったのだろう。(こういう決断が、指揮者の一番重要な仕事なのだ。演奏中のメトロノームがわりなら、誰でもできる。)「ここのアンサンブル、惜しいな」、と思う瞬間が、いくつもあったことは、否定しない。しかし、音楽としては、十分、聴けるものであったと思う。

 手元のパンフに「Good」マークをつけたのは、グノー、ヨハン・シュトラウスII、トマである。シューマンに「Good」をつけなかったのは、演奏云々ではなく、私の問題。私自身、この曲を(あるいはシューマンを?)飲み込めていないのである。「あ、そういうことだったのか!」、という、目から鱗が落ちるような体験は出来なかった..という、これはハードルが高すぎる要求でした。[;_ _][;^J^]

 アンコールは、自慢じゃないけど、最初からわかっていましたよ [;^.^]。ソプラノがいて、ヨハン・シュトラウスを演って、メイン曲が「春」なら、これはもう、「春の声」(ヨハン・シュトラウスII)の一択でしょう [^.^]。なかなかよかった。

 終演後、前から気になっていた、有楽街の浜松かきセンターで夕食。美味かったけど、牡蠣ばかり食っていると、多少とも飽きるのは、事実 [;^J^]。サイドメニューもたくさんあるのだから、取り混ぜて注文すれば良かったのだが、それをすると、私の胃袋のキャパをオーバーしてしまうので、痛し痒し..[;^J^]

 バスで、18:30までに帰宅。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 13 2017
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