*2015年12月14日:「折り紙衛星の伝説」
*2015年12月15日:灯台守への憧れ
*2015年12月16日:マスターは手元に置こう
*2015年12月17日:危険極まりない交通整理
*2015年12月18日:左耳も不調..
*2015年12月19日:暖めれば治る(はず [;^.^])
*2015年12月20日:SWはスルーする
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*2015年12月14日:「折り紙衛星の伝説」


 風邪(気味)は、むしろ悪化。といっても、咳とやや鼻水、のみ。喉が痛いわけではない。いつまでも休んではいられないので今日は出社するが、午後は半休として、O内科医院で診察と薬。「さわやか」のハンバーグランチで滋養を付け、夕方からは(3ヶ月前からアポしていた)K歯科医院で、定期検査。

 ..これだけでは内容が無いので [;^J^]、1週間ほど前に読了したアンソロジーのインプレを。折り紙衛星の伝説(大森望、日下三蔵編、創元SF文庫)である。年刊日本SF傑作選の2015年版。

 既読作多し。例年と異なり、(未知の/未読の)驚愕作は少ない。「10万人のテリー」(長谷敏司)−シェアード・ワールド作品であるためかも知れないが、もうひとつ乗れない。「猿が出る」(下永聖高)−幻想小説仕立て(類例あり)だが、ちゃんとSFに着地する。「雷鳴」(星野之宣)−ある意味、SFの初心を想わせるワン・アイデア・ストーリー。「折り紙衛星の伝説」(理山貞二)−心地よい宇宙SF。「スピアボーイ」(草上仁)−伝統芸だな。「Φ」(円城塔)−初読時は呆れただけだが [;^.^]、そのときよりは印象が良い。「宇宙空間」の「文章空間」へのマッピング。

 「再生」(堀晃)−素敵なエッセイではあるが、SFではないよなぁ [;^J^]。「ホーム列車」(田丸雅智)−出落ちに近いが、悪くない幻想。「薄ければ薄いほど」(宮内悠介)−SFではないが、終末医療を取り扱う力作。「教室」(矢部嵩)−悪いが、乗れない。「一蓮托掌(R・×・ラ×ァ×ィ)」(伴名練)−多分、元ネタを読んでいないのが残念。それとは無関係に語り口を楽しむことはできるが。「緊急自爆装置」(三崎亜記)−これも、古き良き一発ネタ。「加奈の首」(諸星大二郎)−この作品の収録は無理目ではないか [;^J^]。「実験作=SF」と定義を拡張するのならば話は別だが。(編者(たち)が「星野之宣」と「諸星大二郎」を目次で並べたかっただけではないかと、邪推する。)案の定、ネット上の読者レビューでは(この作品の罪ではないのに)バッシングも散見される。作者(諸星)がまたSF(ファン)嫌いにならなければ良いのだが。[;^J^]

 「「恐怖の谷」から「恍惚の峰」へ〜その政策的応用」(遠藤慎一)−架空論文形式だが、センス・オブ・ワンダーはいまいち。「わたしを数える」(高島雄哉)−思いがけぬ(失礼)哲学的な傑作。「イージー・エスケープ」(オキシタケヒコ)−古き良き心地よき宇宙SF。「環刑錮」(酉島伝法)−この作者の作品としては、リーダビリティが極めて高い [;^J^]。読んでいるあいだは面白いし文句は無いのだが、たとえば手塚治虫の「ザムザ復活」で、同じ種類の感興を遥かに短時間で得られるとも思う。この作品ならではの独自性はあるのだが。「神々の歩法」(宮澤伊織)−これが特選級。超能力戦の、理屈抜きのド迫力。

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*2015年12月15日:灯台守への憧れ


 残業せずに、今日もK歯科医院で、定期検査。(2日連続である。3ヶ月ごとに定期検診を受診しているのだが、定期検診1回ごとに、1日で完了、2日連続、1日で完了、2日連続..というパターンなのである。)

 ..これだけでは内容が無いので [;^J^]、昔話で 水増しする お茶を濁す。[;^J^]

 小学生時分には、「灯台守」に憧れていた。「絵本百科」の「灯台」のページに魅入られたのだと記憶する。そのページに描かれていた絵は、(離島の)灯台守一家が、月に一度やってくる連絡船に手を振っているところであり、買い物も、本土との人の行き来もままならない生活の不便さが説明されていたのだが..そこに私は惹かれたのである。

 ..つまり、来客などに煩わされず、読書に没頭できる(辺境での)生活に憧れていたのである [;^J^]。小学生の分際で。[;^.^]

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*2015年12月16日:マスターは手元に置こう


 「倉田わたるのミクロコスモス」に含まれている、この「廃墟通信」は、「広義のブログ」ではあるが、いわゆるブログの標準的な形式(縦3ペイン構成)をとっておらず、コメント欄などの双方向コミュニケーションツールも用意しておらず、ブログ作成ツールによって作られてもいないところから、「狭義のブログ」とはいえない、と、考えている..が、まぁ、こんな定義論はどうでもよろしい。

 「ソースコード」を、(「ホームページビルダー」(← 古い? [;^.^])などを使わず、)全て「テキストエディタ」で「手書き」しているということも、本質的ではない。本質的ではないが、いちおう、どういうソースコードであるか、例示しておこう。こんな感じである↓ (適当なブラウザで右クリックだか「表示メニュー」だかで「ページのソースを表示」を選べば、一目瞭然ではあるが。[;^J^])

Picture

 (本質的ではないが、テキストエディタはもちろん、「VZ Editor DOS/V Version 1.57a'」である。[^.^])

 もっとも本質的なことは、「倉田わたるのミクロコスモス」のソースコード(のマスター)が手元のPCの中にあり、ローカルにブラウジングできるということである。私は手元で組み上げて、さくらインターネットのページに(手元で更新・追加されたファイルを)差分アップロードしているだけであり、さくらインターネット内のデータというかコンテンツ(みなさんがアクセスしているこのファイル)は、あくまでも、公開用のテンポラリに過ぎないということである。(概念的には。)

 なぜ、こんなことを書いているのかというと、FBでもMixiでもその他のSNSでも、あるいは星の数ほどもあるブログ業者の提供する個人用のエリア(と言う言い方でいいのかな、使っていないので全然自信が無いのだが [;^J^])でも、どこでもいいが、「自分の手の届かない、向こう側」に、「自分のデータを預けている」人が、あまりにも多いからである。

 それが、いわば「作り捨て」に近い、一時的なページ(サイト)ならば、どうでもよい。しかし中には、数年間、時には10年以上も、延々と書き溜めてきた記事や日記、写真類(それはいわば「ライフログ」とも言うべき、掛け替えのない人生の記録・財産であるはずだ)を全て「預けて」あり、そしてそれが、その業者のサーバーの事故、あるいは、業者の消滅などの理由により、一瞬にして失われる、あるいは復元が不能になる、という「悲劇」を、何度も聞いているからである。

 もちろん、業者(あるいは、元業者)を責めることはたやすい。しかし、無い袖は振れない。失われたデータは戻らない。申し訳ないが、このケースでは、業者にデータを預け、バックアップも取っていなかったユーザー側に落ち度がある、と言わざるを得ない。

 私のように、「手元にマスターを置き(随時、ローカルメディアにバックアップを取り)、公開用のページにはその「コピー」を転送する」のも、「ブログサイトがマスターであり、随時、そのコピー(バックアップ)をローカルにダウンロードしておく」のも、方向(というか考え方)が異なるだけではある。いずれにせよ、自分にとって大切なデータは、手元に確保しておきなさい。ITリテラシーの基本中の基本である。

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*2015年12月17日:危険極まりない交通整理


 21時まで残業。咳は少し収まってきたかな。

 ..これだけでは内容が無いので [;^J^]、(← これ、今週3回目 [;_ _][;^.^])車を運転しながら常々思っていることを、軽く書き流しておく。

 道路工事や清掃等の現場で、赤と白のサイリウム..じゃねーや [;^J^]、表示スティックやフラグをもって、交通整理をしている人。講習を受けているのだろうか? 受けているに決まっている(そうあるべきだ)が..まさか、自己流じゃないよね? あまりに曖昧、あるいは適当な指示(というより動作)が多すぎて、危険極まりない。判断に迷う。こちらとしては、「そういう人がいれば、危険地帯」と判断して、まずはブレーキ。それから、自分で安全か危険かを推量しつつ、交通整理の人の判断/指示を「推測」しなければならないのである。なんとかして欲しい。[;_ _][;^.^]

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*2015年12月18日:左耳も不調..


 今夜はどちらかと言えば、右耳ではなく、左耳の(浅い箇所での?)パタパタが気になる..(..今夜は、これだけ。[_ _])..ま、少しだけ情報を足しておくと、PCにビルトインされているスピーカーで、特に気になる現象である。f特に依存しているのか? やはり?

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*2015年12月19日:暖めれば治る(はず [;^.^])


 快晴。8:45に車で出て、9:00、浜松西郵便局。通帳記帳、年賀状購入、その他。9:20、浜松市中央図書館で、雑誌のチェック。その後、スーパーでクリーニング出ししてから、9:50から13:30まで、湯風景しおり。

 もちろん、日光浴ではない。もっぱら、複数あるサウナのハシゴである。私は昭和の人間なので、風邪は暖めれば治る、という信念を持っているのである。(他の昭和な方々は、「一緒にするな!」と仰るかも知れないが。[;^.^])13:50、帰宅。

 今日もやはり、左耳のパタパタが気になる。PCのスピーカー音で、特に..

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*2015年12月20日:SWはスルーする


 快晴。9:00に車で出て、高丘のアマノ書店、杏林堂と回り、10:05に、いったん帰宅。すぐに出直して、10:15から13:50まで湯風景しおり。

 もちろん、日光浴ではない。もっぱら、複数あるサウナのハシゴである。私は昭和の人間なので(以下同文。[;^.^])14:20、帰宅。

 どうやら、スター・ウォーズの新作が公開されたらしい。(今日から? 昨日から?)世間は大騒ぎであるが(と推測するが)..私は、観ない。私はこのシリーズとは、昔から相性が悪いのだ。

 これは、私のSF人生史上の重要なポイントでもあるので、説明しておこう。

 今でもたいして状況は変わらないのではないかと思うが、1958年生まれのSF少年は、孤独であった。何しろ、クラスの中には、自分以外の「まともなSFファン」は、ひとりもいない。(← 「まともなSFファン」とは、いかにも上から目線であるが、子どものこと故、当然、と理解して欲しい。)いても、高々ひとり。幼少期より私が知っていた「まともな」SFファンとは、父と伯父(今ではともに故人)であり、彼らはいずれも尋常ではない読書家であり知識人であった。つまり、「SFファン=超知識人」と刷り込まれていたわけであるが、子どもの私とて、その知的水準を友人たちに求めるのは間違いだということぐらいは理解できていたので、もっと遥かに「低い」レベルで、せめて、SFについての「誤解」を解くぐらいのことはしたかったのである。

 ..これは、つらく、むなしく、やるせない物語である。SF少年だった人なら、多くは共感してくれるだろう。なにしろクラスの中の「私以外全員」は、そもそもSFを「誤解する」以前に「興味がない」のだから。

 マンガやアニメのことだと思っているのは、まだ、マシな方である。「UFO信者」「宇宙人信者」と誤解され切り捨てられ、片づけられていたのである。

 そんな逆境のなか、私は、小中高と奮闘してきたのである。レムは無理でも、せめてクラークや小松左京を読んでくれないか、と..(高校時代のクラスメートには、筒井康隆や星新一の読者は、少しはいた。しかし彼らが「SFファン」であったかどうかは、また、別問題である。)

 そんなさなか、1977年、私が19歳になる年に、「スター・ウォーズ エピソード4」と、「未知との遭遇」が、やってきてしまったのである! なんということだ、これまでの努力は、水泡に帰した! 「なんだ、SFって、やっぱり所詮は、宇宙戦争ごっこと、UFOじゃないか(笑)」..私に面と向かってこんなことを言う人はひとりもいなかったが、自意識過剰な私は、完全に幻聴した。そして、この2作を、とことん、憎んだのである。

 ..これだけなら、私の個人史においてタイミングが悪かった、というだけのことに過ぎないのだが..作品の内容にも、失望した。当時、おそらく映画館では観ていない。大学に入ってから、下宿の誰かの部屋でビデオで観たと思う。(エピソード4、5(帝国の逆襲)、6(ジェダイの復讐)までは。)エピソード4は、到底、評価に値しなかった。まず、物語がチャチ過ぎる。いちおう「スペースオペラ」ジャンルなのだが、私にとっては、スペースオペラの評価基準は「レンズマンシリーズ」より上か下か、である。まったく、比較にもならなかった。「レンズマン」どころか、バローズの「火星シリーズ」よりも、貧弱だと思った。

 無論、スター・ウォーズ(特に第1シリーズ)の存在意義は、物語の独自性ではなく、これまでもっぱら活字SFでしか楽しめなかった宇宙活劇を、ビジュアル化してくれたことにある..と、当時から理解はしていた。しかし、その「ビジュアル」が..酒場のシーンの宇宙人たちなど、単なるコスプレである。派手な宇宙空間ドンパチといっても、所詮はTVゲームである。そして、「帝国の逆襲」は比較的まともだったが、「ジェダイの復讐」で、絶望した。あの、テディベアの群れに..

 のちに、エピソード1(ファントム・メナス)を、映画館で観た。物語は、まったく記憶にない。憶えているのは、さらに派手になったTVゲーム画面だけである。(それと、フェイスペインティングした、強そうな敵キャラと。)そしてこの時点で、エピソード2と3を観るのは、やめた。このあとどれほど工夫を凝らそうと、「行き着く先は、「ジェダイの復讐」」だからである。

 だから、エピソード7も、観ない。偏屈親父と嗤われるだろうが、今さらこの信念を曲げるつもりは、ない。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 24 2015
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