*2015年03月30日:「桃神祭」二日目のミラクル
*2015年03月31日:この類はスキップする
*2015年04月01日:NHKを視ないと称する人々
*2015年04月02日:“サーチャー”
*2015年04月03日:2月の呪い [;_ _]
*2015年04月04日:ヤマザキマリと「はみだしっ子」
*2015年04月05日:黒田記念館/ボッティチェリ展/「神々のたそがれ」
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*2015年03月30日:「桃神祭」二日目のミラクル


 ももクロ夏のバカ騒ぎ二〇一四 日産スタジアム大会 桃神祭」(KIXM-90191)の一日目にようやく着手したのが、昨日 [;_ _]。なにしろBD、4枚組なのですからね [;^J^]。で、今日は、二日目を片付けた。(一日目が2014年7月26日、二日目が7月27日のライブ映像。)

 ..いきなり、本降りじゃん..[;^.^]。開会前、客席(くどいようだが、屋外の日産スタジアムである [;^J^])で土砂降りの雨を浴びるコート姿の客を、延々と写す。普通なら「中止」でもおかしくはないコンディションである。(ステージの上に水たまりが広がっており、ここで踊るのはどう見ても危険である..)しかし、天気予報的に「いける」という判断をしたのであろう。コンサート、GO!である。

 ..なんと、1曲目の途中で晴れた! [^.^](..で、せっかく雨から解放された観客の上に、改めて、ももクロの屋外大規模ライブ名物のウォーターキャノンで、水をまくわけだ。[;^.^])そのあと、改めて1回降り始めたが、すぐに上がった。いやぁ、もってるなぁ..[;^.^][;^.^][;^.^][^.^]

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*2015年03月31日:この類はスキップする


 ネタが無いので、徒然と..[;^J^]

 「アンチ」(対「政治(家)」でも対「アイドル」でもなんでもいいが)の言辞は、結論が最初からわかっているので(つまり私にとって情報量がないので)、読む必要がない。これは、ある種の「社説」と同じである。普通、最初の2行で、途中の論旨展開から結論まで、全部わかるでしょう?

 暇な(残り時間のたくさんある)人ならともかく、私にはそんなことに無駄遣いしている時間が潤沢にあるわけではない。悪いが、その類の文章は、ネットだろうが紙だろうが、(最初の2行で判断つくので)基本的に全てスルーさせていただいている。(これは、私がその「アンチ」の言辞に賛成か反対かとは無関係である。単に「その先に書かれていることはあらかじめ全て“知っている”ので読む必要が無い」と言っているだけである。誤解無きよう。)

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*2015年04月01日:NHKを視ないと称する人々


 朝から雨っぽい。これから1週間ぐらいは、こんな感じらしい。週末の上京も雨模様か。仕方がない。

 「NHKは視ない、だから受信料も払わない!」、と標榜している人は、数多くいる。まぁ、他人の主義主張に関わり合っているほど暇ではないので、それはそれでどうでもいい。(払ってもらえるはずの金を払ってもらえない側にとっては、大問題だろうが。)本当にNHKを視ていないのならば、それなりに筋は通っているような気もする。(法律論は専門家たちにお任せする。)

 ..本当に、視ていないのだろうか? 「紅白歌合戦」はともかくとして(これなんか、国民の僅か半数しか視ていないのである)、数々の優れた美術番組や音楽番組も、美術や音楽に興味の無いひとには関係ないだろうからもちろん視ていないのだろうが..ニュースも視ていないのだろうか?

 まぁ、平時のニュースはNHKでも民放でもたいして変わらないのかも知れないが..たとえば、東日本大震災。あのときほど、NHKと民放の実力の「次元の違い」を思い知らされたことは、ない。(あのとき、NHKを視なかった人は知らないだろうが)どこに行けば何があるのか、どこで何が起こっているのか、繰り返し繰り返し、必要な情報、「命を守るための情報」を、発信し続けたのである。(これはのちに、海外でも絶賛された、まさに、大災害時の報道の鑑と言うべきものであった。)対して民放は..(今さらこんなことを書くのも思い出すのも嫌だが)扇情的な映像を繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し..[;-_-]

 しかし「NHKは視ない」と標榜している人々は、あのときも、この民放の愚劣な「ニュース」(?)しか視ていなかったわけだ。命懸けでNHKを忌避するというのなら、そこまでの覚悟があるというのなら、もはや何も言うことはないが..

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*2015年04月02日:“サーチャー”


 記憶だけで書く。インターネット初期というか、1990年頃には、確か「サーチャー」という職種があった。インターネットから情報を探してくる仕事である。もともと図書館などには昔からあった職種かも知れないが(というか、司書の仕事の一部かも知れないが)、それのインターネット特化版というか?

 まだGoogleのない時代。Gooの時代。様々な検索エンジンを使い分けた時代である。今ではGoogleだけで用が足りる、というか、Googleで探し出せない情報は金輪際(でもないが、特別な手段を使わないと)「ネットから」探し出すのが手間なわけであるが(だから面倒なので、Googleでざっと探し出せたら、そこでやめてしまうわけであるが)、昔は、検索エンジンごとに検索結果が違った(得手不得手や特徴があった)。そこに、これらを使いこなし、使い分けて(あるいは検索エンジンを使わずに)情報を探すという職種が成立する余地があった。

 今でもこの職種はあるのかな? 当時よりも桁外れにネットの情報が増え、誰もが厖大な量(必要以上、期待以上)の検索結果をすぐに手に入れることができる時代だからこそ、逆に必要な職種だと思う。(Googleだけに頼ることの危険性は、今さら言うまでもない。)

 ..ま、こんなことは、ぐぐればすぐに「わかる」のだが、それではまるでウロボロス的な。[;^.^](← 「ウロボロス」がわからん人は、ぐぐれ。[;^.^](← それではまるで(← ここで打ち切る。[;^J^])))

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*2015年04月03日:2月の呪い [;_ _]


 「まんがグリム童話」の4月号を買い忘れていたことに、今ごろになって気が付いた [;_ _]。何故気が付いたかというと、5月号を購入したら、購読している連載マンガの「話」数が飛んでいたからである。5月号は、3月29日発売であった..聡明な読者の皆さんは、何故、4月号を買い逃がしたのか、おわかりですね? [;_ _][;_ _][;_ _](ヒント:オリンピックの年には、買い逃がしません。[;^.^])

 それもこれも、Google Calendarの仕様の制約なんだよなぁ..もしかして、繰り返しスケジュールを設定するとき、「その日が存在しない月は前日に表示する」とかいうオプションがあるのかしら?

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*2015年04月04日:ヤマザキマリと「はみだしっ子」


 雨こそ降ってはいないが、霧が濃い。いつもの仕込み傘(ワインのボトル風のケースに収められた折り畳み傘)をリュックに入れて、6:05に発つ。浜松駅北口のバス停から、7:00発の渋谷新宿ライナー浜松2号で上京。10分ほど遅れて11:05、渋谷マークシティ着。例によってBiKiNi TAPAでランチ。

 今日は渋谷で待ち合わせをしている。まずは待ち合わせ場所(セルリアンタワー)の所在地を確認..どえらくわかりやすいランドマークだったが [;^.^]、ここに来たことがありませんでしたのでね。引き続き、明日、映画を観る予定の「ユーロスペース」の場所を確認..ここ、来たことあるやん [;^J^]。何年前だったかな、「アトムの足音が聞こえる」を、ここで観たはずだ。Bunkamuraから徒歩2分 [;^J^]。引き続きまんだらけ。4冊売ってから、さらにタワレコへ..あぁぁ、5F(ロック売場)のプログレの島が、半分(片面)になっていた..[/_;][/_;][/_;] 残り片面を奪ったのは、「J−CLUB MUSIC」..正直、あまり縁のないジャンルだが(仕事的にはそういう態度はどうかと思うが [;^J^])、多分、プログレに床面積を割くよりは未来志向のフロア作りというべきなのだろう。[;^.^]

 13:00、セルリアンタワー内の「坐忘」でSさんと密会。14:40まで、某打ち合わせ。内容は秘密である。[^.^]

 散会してから、御茶ノ水に移動。15:25、明治大学駿河台キャンパス リバティタワー。「ヤマザキマリトークイベント「アンジーは私の理想の男性だった! 〜ヤマザキマリ「はみだしっ子」を語る〜」」である。16:00〜17:30の予定のところ、なにやら酷く混み合いそうな予感がしたので早めに着いたのだが、大正解 [;^J^]。大盛況であるが、そ、それにしても、オバサン 女子率高し [;^.^]。いや、想像していたよりも(熟年)男子(← 私だ、私 [;^J^])も若い女子もいましたが。[;^.^]

 例によって、メモ起こしをしておきましょうか。全ての発言(話題)を拾っているわけではないし、しばしば脈絡が途切れている「断章」であるということは、お忘れなく。(まぁ、もともとのスピーチ自体、しばしば脈絡が(略)[;^.^])

* 最初に深くハマったのが、三原順作品。
* (司会のヤマダトモコ氏)様々なマンガ家の展示会を開催してきた。ツイッターで告知すると、いつも、これなくて残念、というツイートがつくが、三原順の場合は、それが「海外から」くるケースが、他のマンガ家の展示会に比較して(明らかに)多い。
* 海外への憧れをかきたてるマンガ家。
* (司会のヤマダトモコ氏)萩尾ファン、池田ファンよりも、三原ファンの海外移住率が高いような気がする。
* 三原順の世界は、現実、リアル。だから感情移入できる。ベルバラでは無理(笑)。過去だし(笑)。今のリアル(な海外)ではない。
* 4人いるし、誰かには感情移入できる。
* (三原順の世界は)憧れの外国ではなく、リアルな外国。悩みもリアル。(フランス革命について悩んでいるわけではない(笑)。)
* アンジーが、一番、回りを見ている。現実と立ち向かい、折り合えている。自分に酔いしれていない。他の3人は、自分の悩み(やトラウマや過去)で精一杯。
* (アンジーは)男と女の両方の魅力(能力)を持っている。(女性的なマルチタスク能力。)しかもそれをひけらかしていない。
* 「アハン…」が多すぎでしょ!(笑)これは「タメ」ているとき(余裕があるとき)に出る。
* 一番客観的にみんなを見て、分析しているのはアンジー。(作者が自己投影している? 作者に置き換えられるのは、4人の中ではアンジーのみ。)(外敵と)戦ってくれるのは、アンジー。
* だから、たまにアンジーが弱さを見せて泣いたりするシーンでは、ヤラれて号泣してしまう。
* なぜ「はみだしっ子」にはまったのか。(活字少女だったので)文章/小説を読んでいる感覚。1ページの滞留時間が長い。読み飛ばせない。活字が見えてくるマンガ。(「はみだしっ子語録」が出版されている。)
* それと、音楽。音も聴こえてくる。
* アンジーは、音楽だけができない(笑)。ひとつぐらい欠点が必要。
* (アンジーみたいな)理想の男子と出会ってしまった同世代の友人は、独身が多い(笑)。(今でいう二次元コンプレックスか。(笑))
* 旦那は、アンジー似ではないが、疑ってかかる人ではある。(その部分は似ている。)
* 息子は、手塚治虫のファン。細胞が手塚治虫で出来ている。この4人の中に似ているのは..いない。
* 「大人図鑑」(笑)。「“大人になったらこんな目に合うよ”図鑑」(笑)。
* 心理学の本。
* 金の出所(グレアムの親)(と、それについてのアンジーの皮肉)も描かれているのは、えらい。(結局、大人の庇護下にいることが、悔しくて仕方がない。)
* アンジーの親が、一番、人間としてまっとう。(グレアムの父親は、支配しようとする。)
* グレアムは、キャプテンである(させられている)ことで自分のアイデンティティーを保っていたから(いわば父親役)、それを取りあげられて鬱々となるのは、無理もない。(大人になるとわかる。)
* 雪山事件のシーンでは、こんなに酷いことを(小学生も読むマンガだというのに)まだ描くか..と(作者に対して憤りを..)(笑)
* 絵柄が重厚。(男性マンガ的な、線の太さと描き込み。丸ペン。)
* (壊れた)女性の描写に、容赦がない。
* 精神病の大人を、これほど描いたマンガがあるか(笑)。子どもにこんなものを読ませるなよー、と(笑)。
* 雪の描写が凄い。(作者は北海道出身。)雪のタイプを描き分けられる。針葉樹林だし。
* 実は、どこの国か描かれていない。でも、どう考えても、イギリスでしょ。アメリカじゃない。(三原順の描くアメリカは、一発でわかる。)出てくる音楽も、イギリスっぽい。
* 北海道では、人間至上主義になれない。(圧倒的に自然の力が強い。)
* サーニンは(現実に)いるかもしれない。アンジーは、現実にはあり得ない。
* 空想のマンガじゃない。現実のマンガ。
* 男性は読まないマンガかと思っていけど..(今日のオーディエンスには)男性が多いですね(笑)。男性はどういう読み方をしているんだろう? グレアムファンが多かったりして?(笑)
* (ここで、ヤマザキマリが描いたアンジーが写され、会場、オオ〜〜〜ッ)こんな男がいたら、胡散臭い(笑)。
* 海外の人に説明しにくいマンガ。(そりゃ、つげ義春も、伝わらんけど。)やはり海外では「マンガ」「Comic」に対して、厚いフィルター(偏見)がある。
* 「小説のようなマンガ」は、海外には存在しない。
* フランスのバンドデシネにも、ここまで突き詰めたものは、ない。
* 「日本のマンガの多様性」は、かなり浸透しているんだけど..
* アメリカでは、それでもまだマンガ(Comic)は受け入れられている。フランスも、まずまず。イタリアでは、まだまだ受け入れられていない..

 ここまでで、定刻の17:30。以下、質疑応答。

* (質問:対等な「4人」という集団は珍しいと思う。「4(人)」に対する寓意性はあると思うか?)4つの個性があって面白いね、というマンガではなく、「4つでひとつ」と思って読んでました。(とはいえ確かに、「4人」は珍しいかも。)
* (質問:終盤、グレアムが「左手」にこだわっている意味は?)..謎です(笑)。私にもわかりません(笑)。

 20分ぐらいは押したかな? 横浜・鶴ヶ峰の実家へ向かう。駅前のすき家で晩飯をかっこんで、19:40、実家着。今日は結局、雨は降らなかった。

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*2015年04月05日:黒田記念館/ボッティチェリ展/「神々のたそがれ」


 朝から雨。実家前のバス停から、7:35のバスで出発するつもりだったのだが、実はダイヤ改定があり、正しくは7:31発 [;^J^]。目の前で出ていってしまいました [;^.^]。小雨そぼ降る中を鶴ヶ峰駅まで(傘を差して)徒歩。結果的に、乗りたかった7:58の横浜行きには間に合ったし、道中、シーズン終わり間際の桜も楽しめたので、結果オーライ、全てオーライ [^J^]。とはいえ、この「仕込み傘」、いよいよ限界だな。骨が2個所折れている。単に留め具が外れただけなら針金で補修できるのだが、経年疲労で折れている。これは修復不能。後継機というか後継傘を探す必要があるな。[;^J^]

 9:20、雨の中、上野の東京国立博物館着。開館10分前。今日のお目当ては「黒田記念館 特別公開」である。これまでタイミングが合わず、一度も訪問したことがなかったのだ。今年の1月2日にリニューアル・オープンしてからは、原則として週6日公開。但し、代表作のみを展示している(新設された)「特別室」は、年3回、新年、春、秋に各2週間のみの公開。今回、この「特別公開」に、ちょうどタイミングが間に合った(今日までだった)という次第でしてね。

 黒田清輝の顕彰施設であることは、言うまでもない。建物自体の価値(風情)もよろしい。展示作品はごく少ないのだが..ごく少ないのだが..特別室に入室して、思わず笑ってしまいましたよ、私は [;^J^]。僅か4作品しか展示されていないのだが、ここは美術の教科書か、と。[;^J^]

 「湖畔」画像検索結果)、 「智・感・情」画像検索結果)、 「舞妓」画像検索結果)、 「読書」画像検索結果)。そうか、(考えてみれば当たり前だが)全部ここにあったのか。とてもじゃないが、順位などつけられない。「湖畔」は懐かしすぎて、冷静な評価が出来ないレベル。「読書」がいいかな、やっぱり。[^J^]

 10:05に発って渋谷へ。まずユーロスペースで、「神々のたそがれ」の15:30からの回のチケットを購入。(「神々のたそがれ」といっても、ヴァーグナーの楽劇でもヴィスコンティの映画でもない。ゲルマン監督の映画である。)

 角のラーメン屋で早めの昼食をとってから、11:35、Bunkamuraザ・ミュージアム着。「ボッティチェリとルネサンス − フィレンツェの富と美」である。

Picture Picture Picture

 この3図は、全てボッティチェリの作品、左図は、「聖母子と二人の天使」。同じタイトルの作品が複数あるのだが、これはワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵の作品。マリアの横顔が実に素晴らしい。中央は、「開廊の聖母」。これは「ウフィツィ美術館展」でも観ている。これも、マリアの表情がいいんだなぁ..(なんか、本質的に、グラビアアイドルの写真の見方と違わないような気がしてきたが、まさかそんな..[;^.^])右図は、「聖母子と二人の天使」(ストラスブール美術館蔵)。



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 わたくし的には、この作品が本展のハイライト。同じくボッティチェリの「受胎告知」である。フレスコ画ならではの落ち着いた色彩感覚と、天使に吹き付ける風(というか、風を切って飛来してきた天使)の表現、描き込みこそ少ないものの、遥かに抜ける遠景..



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 そして、ボッティチェリではないが、これがもう、好きでたまらない作品。マリヌス・ファン・レイメルスヴァーレに基づく模写「高利貸し」である。この展覧会は「フィレンツェの富と美」と題されているように、美術作品の展示だけでなく、メディチ家をはじめとする銀行家たちを中心とするフィレンツェの富がルネサンスを生み出したことにフォーカスしているのである。(いや、別にメディチ家の肖像ではありませんが、この作品。[;^.^][;^.^][;^.^])



 13:40に出て、1Fのカフェで時間調整(読書)。15:10頃に、ユーロスペースへ。15:30からの回で「神々のたそがれ」(監督:ロシアのゲルマン監督)(公式サイト)。

 ..これがもう、大変な映画でさぁ..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^] まず、原作は、(旧ソ連の)ストルガツキー兄弟の長編SF「神様はつらい」である。内容(というか設定)は知っているものの、結末の記憶がいっさい無い。これはよくあることで、30年か40年前に銀背か青背で読んだものの忘れているだけだろう、当然、既読だろう..と思っていたのだが、読書記録を調べても、読んだ形跡が無い。何故?

 ..未読なのであった。実はこの作品の邦訳は、早川書房の「世界SF全集」の第24巻に収録されたものがあるだけ。私はこの全集は読んでいない。内容を知っていたのは、自由国民社の「世界のSF文学・総解説」で読んでいたからなのであった。[;^J^]

 だから、原作との比較論は出来ないのだが..原作も、これほど凄まじい世界なのだろうか。中世世界の愚昧/蒙昧/不潔/残虐/狂気が、徹底的に、おぞましく描き出されている。まさに、ヒエロニムス・ボッシュの絵画世界(の暗黒面)に迷い込んだようなもので、その意味では(ボッシュ・フリークとしては)この「地獄巡り」を楽しめてしまったりもしたのだが、普通は、「目をそむけたくてもそむけられない」金縛りに、陥るであろう。この映画の体験としては、それが正しい。

 必見..とは、とても言えない [;_ _]。しかし、もしもあなたが、煌(きら)びやかなハリウッド映画に飽き飽きしているのなら、「毒」を飲んでみるのも、悪くない。まったく、悪い考えではない。[;^J^]

 ..ぐったりとしてユーロスペースを出る。終日降っていた雨は、あがっている。20:03、東京発のひかりで、21:32、浜松着。タクシーで、21:45、帰宅。実り多い週末であった。[;^J^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 11 2015
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