*2008年04月28日:秋刀魚と鯵を焼く/お母さん喫茶
*2008年04月29日:ダ・ヴィンチの壁画
*2008年04月30日:鯵を焼く(リトライ)
*2008年05月01日:石持を焼く
*2008年05月02日:鯵を焼く(リリトライ)
*2008年05月03日:残す客が悪い
*2008年05月04日:「血だるま剣法」
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*2008年04月28日:秋刀魚と鯵を焼く/お母さん喫茶


 昼食には、先週木曜日に続いて秋刀魚(サンマ)の塩焼き。木曜日には頭とワタがない調理済みのパックを焼いたのだったが、これはあくまで練習用。今日は、ちゃんとフルセットの(包丁が入っていない、調理前の)秋刀魚を買ってきた。


1. 塩水で洗って長さ半分に切り、
2. 塩をまぶして20分放置して血抜きをし、
3. 20分経ってもまだ流血が止まらないので [;^.^] さらに10分放置し、
4. それでも流血が止まらないので諦めて切り口を下にするなどして絞り出し、
5. 血を洗い流して、クッキングペーパーで水を拭き取り、
6. 念のため、胸ビレと尾ヒレに塩を追加でまぶし、
7. あとは前述の手順で焼く。

 ..うむ。やはりほとんど焦げないし、パリっと感がいまいちなのだが、その点を除けば、問題ない。

 夕食には、鯵(アジ)を買ってきて塩焼きを作ってみた。生魚のエラを抉り取ったりワタをほじくり出したりするのは、初めてである。残念ながら皮が貼りついて、綺麗に仕上がらなかったが、原因として考えられるのは、


1. 火加減強すぎ?
2. 加熱時間長すぎ?
3. 塩をなじませて水気を取るのだが、これが不十分?
4. 裏返すときに、あら熱を十分に取らなかった?

 ..あたりだが、3.が怪しい。魚を置く直前に、濡れた感触がまだ残っていたような気もするし。

 「オジサンズ11」というクイズ番組の中で、「大阪・心斎橋にオープンしたある喫茶店では、メイドに代わって意外な人が接客してくれます。一体、どんな人でしょうか?」、という問題が出た。これが「お母さん」だということは(最近は、くだらん雑学 [;^J^] も結構インプットされているので)すぐにわかったのだが、実物の映像を見たのは、初めてであった。

 ..これは、違う。絶対に、違う [;^.^][;^.^][;^.^]。紹介された「看板娘」ならぬ「看板お母さん」は、36歳、43歳、28歳で、まぁそれはいいのだが、それぞれの名前(源氏名)が、ステラ/デイジー/ジャスミン [;^.^]。地味なメイド服とも派手な割烹着ともつかないコスチュームで、5000円以上のメニューを頼むと、ステージで歌のプレゼント..ベクトルがわからん。[;^.^][;^.^][;^.^]

 そもそも、「お母さん喫茶」や「お母さん飲み屋」などは、既に存在するのである。「行きつけの居酒屋のきっぷのいいおかみさん」や「行きつけのクラブの馴染みのママ」に、そういう役割を果たされている読者もいるだろう。ぶっちゃけ、「メイド喫茶」の「メイド」を「お母さん」に置き換えただけの粗雑な企画であろうが、「メイド喫茶」の虚構性に屋上屋を架す過剰な虚構性自体は、面白いと思う。私が行くことは決して無いにせよ、こういう異様な空間が存在する街は、悪くない。

 P.S.1

 それはそれとして、メイド喫茶には、一度行ってみたいものである。[;_ _][;^J^]

 P.S.2

 「メイド喫茶」→「執事喫茶」の流れから、「お母さん喫茶」→「お父さん喫茶」を導出(想起/予期)してしまう、己のロジカルな頭脳が恨めしい。[;_ _][/_;]

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*2008年04月29日:ダ・ヴィンチの壁画


 「天才ダ・ヴィンチ 伝説の巨大壁画発見」という番組を観た。ヴァザーリの絵の下に封印されてしまった「アンギアリの戦い」を復元(発掘)する、という進行中のプロジェクトのドキュメンタリーであるが、事前に想像していたよりも(かなり)まともな内容で、全体としては、大変、楽しめた。

 序盤(前半)で、先行き不安を覚えた個所はある。「「最後の晩餐」にメロディーが隠されている!」という 例の戯言 が、取りあげられていたからであるが、結局、本筋の(壁画復元の)話とはなんの関係もない(尺合わせの?)小ネタだったし、なによりも、この「復元されたメロディ」の演奏を聴いたゲストの志田未来の、「あんまり..何がどうって..」、という素直な感想に、私のとげとげしく乾いていた心は癒され、このトンデモ説も広い心で許せる、優しい気持ちになれたのであった。[;^.^][;^.^][;^.^]

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*2008年04月30日:鯵を焼く(リトライ)


 浜松では、先日まで「ガソリン・パニック」という印象はなかった(とくに長蛇の列はできていなかった)のだが、さすがに「廉いのは今日まで」となると、いきなり長蛇の列ができていた。とにかく、道に溢れていて迷惑迷惑 [;^.^]。スタンドのある(狭い)片側一車線路は走らない/片側二車線路の場合はスタンドが近づいてきたら予め追い越し車線に逃げておく、という対処が必要でしてね。

 スーパーに寄ってアジを買って帰り、一昨日失敗した(裏返すときに皮が剥がれてしまった)塩焼きにリトライする。

 リベンジ、成功! [^.^] 皮の貼り付きは、一切、無し! 予め魚の水気を丁寧に拭き取っておくのが決め手だったようだ。ただし、相変わらずパリパリ感は無い。最後に蓋を開けて1分間加熱しているとはいえ、それまで6分間、蓋を閉めて(狭い空間で)加熱しているわけで、この間、水分が十分に抜けていない(というか、蒸し焼きにしている)ということはありそうだ。使いこなしでどうとかなる問題ではないかも知れないが..もう少し工夫してみるかな..

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*2008年05月01日:石持を焼く


 ツインパンで魚を焼く実験(調理じゃないの? [;^.^])を続けているのだが、実験である以上、当然ながら、一度に複数のパラメータを操作すべきではない。加熱の仕方を変えてみるのならば、素材(魚)を変えるべきではない。従って、秋刀魚か鰺の塩焼きで試し焼き続けるべきなのであるが、今日はどちらも売り切れていた。そこで(知らない名前の魚であるが [;_ _])石持(イシモチ)を買ってきた。

 取りあえず、(素材が変わったので、その他のパラメータは同一にすることにして)昨日の鰺と同じ焼き方(火加減、加熱時間、蓋の開け方)をしてみた。昨日の鰺よりは、多少パリッとしているようである。なるほど、魚の種類にも依るのかも知れない。それと、この魚、名前は知らなかったが、味にはどこか記憶がある。知らないうちに食べていたのかも知れないな。

 旧友のT君からメールでアドバイスをもらう。ツインパンでパリッとしないのは、やはり蒸し焼きにしているからで、最後に蓋を開けて強火にするしかないだろう、と。なるほど。ツインパンを使う以上、もとより脂が火に落ちることはなく、この原因で煙が発生するおそれもないので、逆転の発想で、最初から蓋をしない(単なる、畝付き小型フライパンとして使う)というのも、アリかも知れない。いろいろ試してみよう。

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*2008年05月02日:鯵を焼く(リリトライ)


 ということで、今夜は一昨夜同様アジを一尾買ってきて、塩焼きにリリトライ。エラとワタを取って血を洗い流して、塩して20分。クッキングペーパーでしっかり水気をとってから、熱したツインパンへ。

 まず片面を、蓋して強めの中火で1分。そのまま蓋を開けて追加で2分。火を止めて30秒待ち、裏返して、蓋を閉めて強めの中火で2分。そのまま蓋を開けて追加で2分。

 ..結構、うまく行った。少なくとも皿に移した時点で、表側は湿気ておらず、それなりのパリパリ感がある。裏側は多少湿気ている感じがあるが、これは、ツインパンの上で既にこの状態だったのか、皿に移してからのことなのかは、未確認。いずれにせよ、使いこなしでもう少しなんとかなりそうだ。

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*2008年05月03日:残す客が悪い


 9:09のひかりで上京。神保町で何冊か購入してから、渋谷タワレコ。そのまま14:40に横浜の実家へ。

 船場吉兆の、余り物使い回し事件だが..そりゃもちろん、店が悪い。私もそんな店に食べに行くのはイヤだ..しかし実は、全面的にこの料亭を非難する気には、なれないのである。

 高級料亭で、高価な料理に箸もつけずに残す客とは、一体、どこのどいつらだ。もしも「もったいない」と思わなかったとしたら、それは、自分の金ではないからだ。そんな奴らに(箸もつけられずに)残された料理(ひいてはその食材となって結果的に無駄死にさせられた生き物たち)こそ哀れであり、その料理を「再利用しよう」という店側の発想は、エコロジカルにも生命倫理としても、正しい。そりゃもちろん、店員の賄いに回すべきだったのであり、客用にリユースするのは商売人としては失格かも知れないが、「人としては、その発想の根本は間違っていない」..と、思う。

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*2008年05月04日:「血だるま剣法」


 昼食は横浜まで出て、駅ビル内のレストランで、家族・親戚と4人で食べる。

 帰宅してから、昨日神保町で購入してきた「血だるま剣法・おのれらに告ぐ」(平田弘史、青林工藝舎、2004)を読む。「血だるま剣法」とは、1962年に日の丸文庫から刊行されてから数ヶ月以内に回収・廃棄・絶版処分となった、知る人ぞ知る作品。「おのれらに告ぐ」は、1968年に発表されたリメイク版。本書は、「血だるま剣法」を実に42年ぶりに復刊したものである。

 「血だるま剣法」が封印されたのは、被差別部落問題に抵触したからである。監修者・呉智英による解説と読み合わせることにより、当時の部落解放同盟による糾弾には、妥当な部分もあれば見当外れな部分もあることが判る。これが傑作かどうかは、人によって判断がわかれるところかと思うが、一読、忘れがたい強烈な作品であることは、確かである。

 呉智英による、こんにちでは「権威」さえあれば、すなわち、司馬遼太郎や篠田鉱造や高村光雲の(追加すれば横溝正史や江戸川乱歩の)作品であれば、どのような「差別的表現」が含まれていても、「本文中に身体障害や人種に関する不適切なことばがあるが、原文の歴史性を考慮して、そのままとした」というひとことで、全部「とおし」になってしまうという状況に対する問題提起は、重い。原文にふれる機会が理不尽に奪われるよりはマシだろうが、これはこれで出版側の責任放棄・思考停止にほかならない。この件については、10年以上前に、「書き直さないことが、正義か」というタイトルで、私も指摘している。(指摘しているだけで、全くなんの役にもたっていないが。[_ _])

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 7 2008
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