*1997年03月10日:ある復讐者
*1997年03月11日:ある自販機
*1997年03月12日:「鉄人28号 DELUXE」
*1997年03月13日:書き直さないことが、正義か
*1997年03月14日:「捨てる」勇気
*1997年03月15日:ビッグX/フライングベン/リボンの騎士(少女クラブ版)/オズマ隊長/どついたれ、調査
*1997年03月16日:地震、リブ不調
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*1997年03月10日:ある復讐者


 ある劇画の結末について語ろう。当然ねたばらしになるので、作品名は伏せる。「CIAを敵とする、ある復讐者の物語」というヒントだけからは、特定できまい。

 主人公の若者は、自分が戦ってきた敵がCIAであることを、作品の結末の直前になって、初めて知る。ついにその正体が明らかになった時、彼はひとたび絶望する。CIAである。個人が戦う敵としては、あまりにも強大過ぎる..しかし、彼は諦めない。たとえどれほどの年月がかかろうとも、いつの日にか必ず、CIAに復讐するのだ!と叫び..

 そして場面は変わる。合衆国大統領から全幅の信頼を寄せられているCIA長官が振り向いた時..その精悍な初老の男は、あの復讐者の、数十年後の姿だったのである..

 まことに忘れがたい、感動的な結末である。

 これでは客観的には「復讐」になっていない。CIAの全権を握った彼は、別にCIAの解体をもくろんでいる訳ではなく(そのような心理は全く読み取れず)、自分が敵対していた当時の関係者(担当者)を処分した訳でもない(そのような経緯は全く匂わされていない)。この長官が、かつてはCIAの(CIAから見れば、小さな小さな)敵であったことを知っている職員など、恐らくひとりもいないだろう。

 にも関わらず(だからこそ)、これは完璧な「復讐」なのだ。彼は「CIA問題」を、自分の心の中で「解決」したのであるから..

 jpeg、gifなどの形式の、多数のグラフィックファイルを手早く閲覧するツールがなくて、不自由していたのだが、インターネットマガジンの付録のCD−ROMに「ACDsee95」なるシェアウェアが収録されており、これを試用してみたら実に快適。とにかく速い。サクサク手軽にサーベイできる。早速レジストする。

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*1997年03月11日:ある自販機


 町にはさまざまな自販機があり、大人向きの(いかがわしい)物品を売っているものも、少なからずある。

 例えば5千円以上もの価格の小箱を買ってみたとする。(たとえばの話である。)手にとって見ると本当に軽く、それもそのはず、たった一枚の紙切れが入っているだけで、それには電話番号がひとつ記されているだけだったとする。(繰り返すが、たとえばの話である。)あなたはここに電話するべきだろうか?

 考えるまでもなく、破り捨てるのが正しい。なぜなら、この商品を考えついた業者は、この時点で「元が取れている」からである。彼は、これ以上の設備投資をする必要は無い。アルバイトの女性が応答する必要も、テープの音声が応答する必要も、恐いお兄さんが応答する必要すら、無いのである。まず間違いなく、ただいまこの電話番号は..というテープの声を聞かされることになろう。

 この電話番号の「販売価格」が、もっと廉ければ別だ。例えば千円ならば..これを買う顧客には「リピーター」になってもらわないと、元が取れない。運転資金が不足する。リピーターになってもらうためには、千円に見合ったサービスを提供しなければならない。これに対して、5千円ならばリピーターになってもらう必要はない。1回売れば、勝ちなのである。

 一応、念押ししておくが、上記の5千円の紙屑を売りつけた業者を、悪徳業者呼ばわりするのは当たらない。彼の発想と商行為は、資本主義の経済原則を、一歩も踏み外していないのだ。同時に、一般論として、「異様に高価なものを購入すべきではない」と言うこともできよう。

 くどいようだが、その手の自販機を目にして、「恐らくそのようなことであろうよ」と想像した話である。

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*1997年03月12日:「鉄人28号 DELUXE」


 「鉄人28号 DELUXE」という、ちょっと豪華な書籍を購入。初出誌「少年」と同サイズの復刻本であり、「鉄人28号」シリーズ中のマイナーな短編が、いくつか再録されている。

 その中の一編、「なぞの飛行機事故」に、大きな描き直しが入っている。(このことは、目次で著者が明記している。)アフリカの奥地を舞台とする物語なのだが、無知で野蛮な「土人」たちが、「マスクマン」(KKKのような白いマスクを全身にすっぽりと被っている)に描き換えられているのだ。無論、不自然極まりない。(アフリカの奥地で、こんな暑苦しい格好をするなんて。)

 まぁ、「土人」を描き直す(抹殺する)ことの是非はおくとして。

 文学者は、こういう書き直しを強制されることはないのだ。手を伸ばせば届く範囲にある書籍から例を引けば、乱歩や鏡花。故人であること、大作家の作品であること、時代背景からそういう表現は自然であること。この3条件さえ満たせば、全く問題なく、こんにちでは差別的とされている表現でも修正されることなく、再版されるのである。

 同様に、故人であり、大作家であり、時代背景として差別的表現(差別的精神)が自然であった作品であっても、例えば手塚治虫の作品は、駄目なのだ。絶版にこそされないが(正確には、一度は絶版にされたのを再版にこぎつけたが)、台詞は「勝手に」書き直されるのである。素性も素養も(そして「権威」も)明らかでない、無名の編集者の手によって。

 この場で議論や糾弾をするつもりは、ない。いずれにせよ、これが文学作品とマンガ作品の違いなのだ。マンガは(例え手塚治虫の作品であろうとも)文学作品とは比較にならないほど、軽く扱われているのである。

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*1997年03月13日:書き直さないことが、正義か


 昨日の問題提起とは、一見、矛盾しているように見えるかも知れないが..

 たとえば乱歩の作品中には、こんにちの新作であれば(あるいは、書き直しを依頼しうる作者(乱歩)が存命であれば)到底とおらないような表現が、無数にある。しかしこれらは昨日述べたような条件のもとでは、「何の問題もなく」修正されずに、原型のまま再版され続けている。

 その結論(「修正しない」)には、無論、同意する。しかしこれはこれで、思考停止ではないのか。「直すべきかも → いやいや、やはり直してはならぬ」という思考過程を、一瞬でも通過しているのか。

 これがマンガならば、いかなる大作家の作品であろうとも(例え手塚治虫の作品であろうとも)容赦なく書き直してしまう。むしろ、この暴力的で論外な措置の方が、編集者の「知力」を使っている、という意味では(その限りにおいては)、まだ“まし”かもしれない。無論、その結論には反対するし、「必ず(常に)その結論に到達している」以上、これはこれで思考停止のワンパターン処理かとも思うが。

 fj.books にて、先日の私の投稿に対する、読解力のない愚かなフォローがつく。これ以上、馬鹿の相手をする必要はないので、誤読を正すことはしない。この件、終わり。

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*1997年03月14日:「捨てる」勇気


 私も一応、「ハイテク業界」の人間であり、いやおうなしに技術革新の嵐の中で生きている。まことにスリリングな日々であり、幸せな人生だと感謝している。

 この世界(業界)で重要なことは..それは無数にあるが、今日は、ひとつだけ挙げよう。それは、「捨てる」勇気である。

 つらいことだ。自分(あるいは自部署、自分の部下)が、何年間も心血を注いで開発してきた技術が、ある日突然(たったひとつの新情報で)無意味になる。納得がいかない。しかしそれが現実なのだ。

 恐らく、マネージャーの最も重要な業務が、この瞬間に発生する。いままでやってきたことを、「全部捨てる」という決断。これは(相対的に)高い給料を得ている人間の、しなければならない仕事なのだ。

 迷っている暇は無いのだ。ここで瞬間的に正しい判断が出来るかどうかで、会社の命運が左右されることすら、珍しくない。「せめてこれまで開発してきた“蓄積”が生きる方向で、方針転換を」。その気持ちは良く判る。それが出来るに越したことは、あるまい。しかしその“情緒”が、会社を潰すこともあるのである。

 ..と、ここまで、とある居酒屋で、「蟹の塩焼き」(700円)を食いながら書いていたのだが..

 不味い。しかも(蟹であるから)食うのに手間がかかる。こんなものを食っている間に、他の美味しい料理が、どんどん冷めてしまう。捨てるべきだ。しかし700円..

 これを捨てる(食べない)というのは、つらい決断である。しかし食べても、たいして良い結果は得られず(美味しくなく)、しかもこれを食べている間に、他の料理はどんどんその価値を下げてしまう(冷めてしまう)。蟹に執着しているのは、ただただ、それに投資した700円が惜しいからなのだ..

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*1997年03月15日:ビッグX/フライングベン/リボンの騎士(少女クラブ版)/オズマ隊長/どついたれ、調査


 ちょうど一ヶ月ぶりになったが、国会図書館へ。生憎の雨模様である。

 「ビッグX」から。くどいようだが、国会図書館(及び、現代マンガ図書館、そして恐らく他のほとんど全ての図書館)には、月刊誌の「別冊付録」なるものは、全くと言っていいほど収蔵されていない。そして先月の調査の時点では、「ビッグX]は、ほとんど別冊付録に回されていなかったのであり、つまり、国会図書館に収蔵されいてる「本誌」で全て読める、と、油断していたら、来た来た来た来た来た〜〜! [;^O^] 3号連続で、122頁、116頁、122頁の豪華別冊付録! 無いものは仕方がない。確定データと不明データを冷静に分別しつつ、テキパキと片づければ良いのだ。が、これほどの欠落と原稿の入れ替えをダブルでかまされると、つらい。(とはいえ、「ビッグX」の場合、原稿の順序の入れ替えは、比較的少ない(と推定される)のだが。)

 次に、同じ雑誌(「少年ブック」)の「フライングベン」を、チェック。最初のうちは(同時期の(ほぼ)あらゆる月刊誌連載作品同様)やはり「付録問題」に悩まされたが、1966年5月以降、付録掲載率が(本誌を閲覧出来た範囲においては)ゼロになった。こっからあとは全部読めるぞ、と意気込んだら、今度は本誌の欠本の嵐である。あなどれんな〜。[;^J^]

 「リボンの騎士(少女クラブ版)」(これは時間切れで、チェック完了しなかった)。しかし(どの作品も同じだが)初出時の美しいカラーが、全集等の版で失われるのは、惜しい。手塚治虫は、カラー原稿をモノクロの単行本に収録する際、(例外はあるのだろうが)常に単色で描き直している。嘆賞すべき誠実さである。カラー原稿を単純にモノクロで刷ると、非常に見にくくなるからだ。しかし逆に、これによって、オリジナル原稿の描線のニュアンスは、多少なりとも失われることになる。

 これらと並行して、新聞閲覧室では例によって「オズマ隊長」。ついに、全集に収録された全エピソードの閲覧が終わり、全集未収録の最終エピソード、第15話のチェックに突入。

 この(恐らく88頁の)エピソードをどうするか、しばらく考えがまとまらなかった。何しろ、新聞のマイクロフィルムのコピーは、1頁あたり120円もする。88頁。10560円。これならコピーせずに、梗概の手書きメモで切り抜けようか、と、逡巡すべき金額である。しかし結局、時間をセーブする方が重要であるという、当初の結論に戻り、コピーに回す。但し全頁ではない。コピーを依頼するための書類書きにも、それなりの(かなりの)時間がかかるのであり、本日手配出来たのは、この幻のエピソードの前半のみ。残りは来月である。

 閉館後、現代マンガ図書館へ。ここは1月5日以来である。「どついたれ」を中心にチェック。

 「ビッグX」と「フライングベン」の初出誌(「少年ブック」)は、国会図書館で欠本に悩まされたが、それはここでも同じ。しかし、こちらにだけ蔵書されている号を4冊ほど発見したので、いくらかデータが緻密になった。やれやれ。

 今日は19:42のひかりで浜松に帰る。(浜松着は、21:17。)

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*1997年03月16日:地震、リブ不調


 休日出勤する予定だったのだが、起きることが全く出来ず、午後までドロドロ惰眠地獄。

 15時前に、地震で飛びおきる。フトンから飛び出すことはしなかったが、頭部をかばい、右腕でCDの落下に、左腕で書籍の落下に備える。ま、大事に至らず、結構でした。[;^J^]

 リブレットの画面が不調。白いところがピンク色になる。触ると戻ったりする。明らかに異物混入。コネクタが接触不良を起こしているのだ。これはもう修理にだすしかない。それにしても、サブ機(正確には、リブ導入前の主機、T2150)を、リブと(ほぼ)同一の環境に整備しておいたのは、無駄ではなかった。

 という訳で、ピンチヒッターのT2150。リブとの環境同期スクリプトが一部誤動作したので、チェックに手間取ったほかは、問題なし。唯一問題と言えば..従来、T2150専用モデムという扱いだった、マイクロコムのモデムの調子が悪い。少なくとも、これを使ってNIFにアクセスすると、ノイズが乗りまくって使い物にならない。リブに挿入しっぱなしだったXJACKに挿し換えると、この問題は起きない。モデム(及びケーブル)も、しばらく使わないと、拗ねるものなのであろうか? いずれにせよ、本体・モデムとも、正副揃えていたのは、正解だった。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 18 1997 
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