*2007年06月25日:重い..
*2007年06月26日:咽喉もと過ぎて..
*2007年06月27日:傾斜について
*2007年06月28日:佯狂について
*2007年06月29日:粘菌の本と映像
*2007年06月30日:鶏ダシを凍らせる
*2007年07月01日:「パイレーツ・オブ・カリビアン」第3作
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*2007年06月25日:重い..


 いや、マジで重いよ、mixiが。昨年、私がmixiを始めた頃には、もっとサクサク動いていたはず。ユーザーが1000万人を越えたとかで、インフラの整備が追いついていないのだろうが、とにかくもはや「気楽に日記を書く/気楽に日記を読む」ということがしんどい水準になりつつある。これが根本的な大問題であるということが、運営側にわかっているのだろうか。天下を取っても驕れば凋落は一瞬だよ。ニフティサーブがいい例だ。

 「文学賞メッタ斬り! 受賞作はありません編」(大森望、豊崎由美、パルコ)に、ようやく目を通した。例によって有用な読書ガイドなのだが、残念ながら特に今年は、小説を読んでいる時間をほとんど取れない。

*目次へ戻る


*2007年06月26日:咽喉もと過ぎて..


 左肩が五十肩現象を起こして、それの治療と回復に結構な時間がかかったのは、もはや懐かしい想い出であるが [;^J^]、最近は右側がいささか不調である。ただし、肩ではない。右上腕部外側であり、完全に動くので五十肩ではない。動かす方向によって「グキッ」とするのであり、要するに運動不足である。まぁ日常生活には(ほとんど)支障はないし、特に気にもしていないのだが、しかし放置しておいては治らない(あるいは症状が消えるまでに年単位の時間がかかったりする)のであろうなぁ..

*目次へ戻る


*2007年06月27日:傾斜について


 日常生活を営んでいく上で、本当にささいなことが気になるものである。私が(もしかすると)10年以上も悩んでいるのは..通勤途上、舘山寺街道の富塚町の松菱マートの直近のタクシー乗り場の待合室。この地に棲みついて20数年間、一度も利用したことのないこの待合室は信号のすぐそばにあることもあり、信号待ちの間に(あるいは通過がてら)室内をチラ見することも年に50回以上はあるかと思うが、この室内に掲示されている額縁が、ほんの僅かに傾いているのである。かれこれ10年以上も。これがもう、気になって気になってさぁ..[/_;][/_;][/_;][;^.^] なにしろ自宅から徒歩1キロほどの距離にあるこのタクシー乗り場を利用する機会など皆無なので、室内のちょっとした整備不良を指摘したり正したりするチャンスもないのである。

 「絵の傾きを正す」といえば、すぐに想い出すのが、映画「渚にて」である。核戦争の汚染の到来による破滅を静かに待ち続けている街で、とあるクラブの執事は、日々、会員のグラスに酒を注ぎながら、時々、壁に掛かっている絵の傾きを直している。そしてついに最後の日がやってきて、会員がひとりもいなくなったクラブの中、その執事は初めて、自分のためにグラスに酒を注ぎ、自分でそれを飲んだのである。そしてもはや、傾いている絵を直すことはしない..(DVDを押入れの奥の方にしまいこんでしまっているのですぐには確認できないのだが、多分、記憶は間違っていないと思う。)

*目次へ戻る


*2007年06月28日:佯狂について


 (今夜の日記ではいわゆる「差別用語」を用いますが、差別の意図はありません。)

 あなたは「佯狂」という熟語を読めますか?

 「佯狂(ようきょう)」とは、要するに「にせきちがい」。狂人のふりをすることである。人が狂人のふりをする理由はいろいろあろうが、もっとも普遍的でわかりやすい理由は「罪を逃れるため」であろう。

 一例を挙げよう。1970年前後だったと思うが、当時の人権意識は今とはかなり様相が異なり、少年漫画雑誌に、そのものずばり「キチガイ」というタイトルの漫画が掲載されていた。ストーリーの細部は憶えていないのだが..はずみで人を殺してしまった少年に対して、彼の母親が、「キチガイの! キチガイのふりをするのよ! はやく!」、と、叫ぶ。そしてそれ以来、罪をまぬがれるためにずっとキチガイのふりをして育った少年は、いつしか本当のキチガイになってしまい、母親を殺してしまう..という、こんにちでは少年漫画雑誌に掲載されることなどありえない物語であった。

 ここから読み取れるのは、「キチガイのふりをすれば罪に問われない」という「常識」が、当時から広く(子どもにも)知れ渡っていたということである。同時期に放映されていた「怪奇大作戦」中の最高傑作クラスの(そしてこんにちでは封印されている)エピソード、「狂鬼人間」は、このテーマに真正面から取り組んだものである。このエピソードでは、他人を殺したい人間は、「佯狂(キチガイのふり)」ではなく、「狂わせ屋」によって「一時的にキチガイにしてもらう」のであるが、物語の前半、狂わせ屋に断られた女が、やむを得ず(自力で)キチガイのふりをして人を殺すシーンがある。これが「佯狂」である。

 そもそも私が「佯狂」という言葉を知ったのは、P.K.ディックの「あなたを合成します」(サンリオSF文庫)という長編の解説においてであった。この作品の中で、主人公がどういう経緯で「佯狂」となったのかは、実はよく憶えていないのだが、彼が物語の終盤で「佯狂」と見抜かれるくだりの「白っ茶けた惨めさ」は、はっきりと印象に残っている。いや全く、「キチガイのふり」を見抜かれることほど惨めで哀れな体験は、またとあるまい。前記の「狂鬼人間」の「佯狂女」にしても、刑事に「おまえは正常だよっ」と吐き捨てられるシーンは、実に悲惨なものであった。

 しかし「佯狂」となる理由は「罪を逃れるため」ばかりではあるまい。フィクションから数例、引いてみよう。

 文学史上、もっとも有名な「佯狂」は、恐らくハムレットであろうか。彼が狂気を装った理由は、敵(クローディアス)を欺くためであった。

 「人間交差点」(原作:矢島正雄、作画:弘兼憲史)の中の(タイトルは失念したが)とあるエピソード。戦時中、幼い息子が(敵に利用されて)結果的にスパイ行為を働いていたことを終戦後に知った、ある男。息子自身はそのことを知らなかったとはいえ、このことが明らかになれば息子は破滅する。そこで彼は彼自身に対する取調べを不可能にし、真相を明らかにできなくするために、痴呆となったふりをする。彼は息子を守るために、残り数十年の人生を捨てたのである..

 同様のパターンだが、「魔法の猫」(アンソロジー、扶桑社ミステリー)所収の「猫の子」(ヘンリー・スレッサー)という作品。人語を解するどころか、文学にも造詣の深い賢人(賢猫)が主人公なのだが、(仔細は略すが)自分がそのような「賢い猫」であっては、息子が幸せな結婚をすることができない、と悟った彼は、知性をもたない「食べて眠るだけ」の猫としての人生(猫生)を選ぶ..これを読んだときの感動は、まさに筆舌に尽くしがたいものであった。ちょっと考えてみて欲しい。あなたにこのようなことが可能であろうか? 死ぬまで、いっさいの知的生活を捨てる、ということが..

 さて、フィクションから現実に戻ろう。「佯狂」かそうでないかはいまだに結論が出ていないとはいえ、前世紀から今世紀にかけて世をもっとも騒がせた「佯狂」は、麻原彰晃であろう。もしも彼が真実佯狂であったとしたら..私がいくつか例示したフィクションの中の、痛ましくも誇り高き佯狂たちに比べて、なんと惨めで、なんと哀れな佯狂であろうか..

*目次へ戻る


*2007年06月29日:粘菌の本と映像


 「粘菌 〜驚くべき生命力の謎〜」(松本淳、伊沢正名、誠文道新光社)という本を書店で発見して購入したのは2週間前。あっという間に部屋の中のどこか埋まってしまったのを(何度も)救出発掘して、ようやく読み終えた。(発行日は今年の4/30である。)

 カラー写真が山盛りで3500円は納得であるが、DVDが付いていないのが不満。参考文献にも書籍しか挙げられていないのが不満である。

 粘菌が動いているシーンの映像は、数年前に(偶然発見して)録画したNHKHV番組(のごく一部、数分間)しか持っていないのだ。放送(地デジ/地アナ/CS/BS)、市販ソフト(DVD/LD/VHS)問わず探しているんだけど、なかなか見つからない。情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご教示下さい。m[_ _]m

*目次へ戻る


*2007年06月30日:鶏ダシを凍らせる


 久々の休日出勤。数人で手分けして数十台のPCの無線LANの設定変更である。午前中に終わる予定だったが、結局13:30までかかった。ランチは帰路にあるマンガ食堂Mで3時間コース。

 ブックオフとスーパーに寄って帰宅。買ってきた食材(鶏の挽肉)で、鶏ダシを作る。これは以前の日記でも紹介したレシピ(「チューボーですよ!」で憶えた)で、材料は、水【750cc】昆布【15g】酒【100cc】卵白【1個】鶏挽肉【250g】玉ねぎ【1/4】。まず昆布で普通にダシを取ったら、挽肉、玉ねぎ、卵白をボールで粘りが出るまで捏ねて、酒と共にダシに入れ、中火で20分煮詰めて、漉すだけ。

 手早く簡単に作れていいのだが、鶏ダシを使う料理をまだあまり憶えていないので、前回作った分は使い切れず(冷蔵庫の中で傷みはじめ)半分ぐらい捨ててしまった。これでは勿体ない。やはり冷凍でしょ、というわけで、今回は上記の材料の分量の丁度半分で作った。これだと出来上がりが200cc強で、製氷皿(氷12個仕様)が容量200ccなので、まるで測ったようではあ〜りませんか [^.^]。冷ましてから製氷皿に入れて冷凍庫へ。これで朝には、使いやすい1片17ccの鶏ダシ氷が12個出来ているという寸法である。

*目次へ戻る


*2007年07月01日:「パイレーツ・オブ・カリビアン」第3作


 5:40に起きて、6:23に車で発つ。これが結果的に早すぎて、宮竹町のゆう遊空間(マンガ喫茶)に6:37に着いてしまった。予定より10分以上早いが仕方がない。3時間コース。改めて念入りに在庫をチェックしてから6冊読む。9:37に退出。高林のブックオフの開店時刻は10:00で、それより10分以上早く着いてしまうのは確実なので、途中のコンビニで時間調整をする。ブックオフで1時間半過ごし、11:45頃に近所のスーパーでクリーニング出しをして昼前に帰宅する。

 ここで誤算が発生した。ザザシティのトーホーシネマで、「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」の13:35からの回を観る予定だったのだが、トーホーシネマのページでチケットを購入できない。「残数僅か」と表示されているのだが、どの座席エリアを選んでも既に購入不可である。売り切れなら売り切れと表示せんかい、余計な時間を使ってしまった [-_-]凸。まぁ、直前に買おうとする私が間違ってはいる。[;_ _](朝、出発する前に買っておくのを忘れていたのだった。)というわけでやむを得ず17:10からの回を購入。

 徒歩5分少々の富塚町のブックオフで1時間半ほどすごしてから、バスで街中に出動して「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」を観る。(以下、ネタバレなし。)..ま、「期待していたレンジの下限すれすれ」といったところか。「要求水準を無難にクリアしている」という感じ。私はもっと上を期待していたんだけどね。もっとも気に入らないのが、序盤、ジャック・スパロウがあまりにもあっさりと救出されるくだりである。前作のラストでは、それはそれはエラい状況で「死んだ」のだから、彼の救出劇にはもっと手間をかけてしかるべきではなかったか。そうでなくとも「ワールド・エンド」である。わたしゃてっきり、世界の果てまでジャック・スパロウを探しに行く海洋冒険映画だとばかり思っていたぞぃ、こらっ! [;^.^]凸

 そう、この映画に欠如しているのは「世界の果て」という「スケール感」「遥けき感覚」である。もしかすると西洋人には「ワールド・エンド」に見えるのかも知れないが、所詮は東南アジアの海のどこかにある海賊組合の本拠地(のちょっと外側)での、海賊と東インド会社の戦い(それも、艦隊決戦ではなく、旗艦どうしの一騎打ち)である。完全にタイトル負けだ。もっと小ぶりなタイトルを付けてくれれば、少なくともこの点については別に文句は無かったのだが。

 主役3人の三角関係のケリのつけ方は、なかなかいい。こう来ましたか。乱戦(白兵戦)を戦いながらの結婚式って、なんか記憶にあるんだよなぁ。昔の西部劇にあったかも知れないなぁ。いずれにせよDVDは買わない。1〜2年もすれば放映されると思うので、録画して1〜2回観て、終わりかな。

 バスで帰宅したのが20:50頃。さすがに今から外出する気にもなれず、簡単な夜食を作って、くだらないバラエティ番組の録画を観ながら酒飲んで寝た。[;^.^]

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 4 2007
Copyright (C) 2007 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]