*2006年10月09日:サイバラに堕ちる
*2006年10月10日:久々の病欠
*2006年10月11日:オーバーラン
*2006年10月12日:制約について
*2006年10月13日:Kさん、逝去
*2006年10月14日:O内科/Hy’s
*2006年10月15日:「幻の湖」挫折
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*2006年10月09日:サイバラに堕ちる


 朝っぱらからイオンへ。3Fの谷島屋書店に直行し、西原理恵子の単行本のうち、一昨日は手加減して見逃しておいたぶんのうち10冊ほどを掴んで、レジへ。悪夢である。これでこの3連休(今日が最終日だが)の読書計画は、最終的に崩壊した。俺のせいじゃないぞ(← 誰のせいだ [;^J^])。

 イオンから出て、ついでに西に少々車を走らせ、「本の王国」へ。ここは書店としては中途半端で、わざわざ10キロほども車を走らせて出向くような店ではないのだが、貸しビデオの品揃えはまぁまぁかな。借りる必要のあるタイトルを見つけたので、会員になって借り出す。夕方までに視聴して返却。あとは深夜までサイバラ処理。

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*2006年10月10日:久々の病欠


 サイバラのせいではないと思うが [;^J^] 起床したら喉の具合が、少し変である。非常に微妙な具合ではあったが、念のため休む。医者にかかるほどとも思えないので、外出せずに静養する。(とはいえ、日中から眠ったりすると夜に眠れず、翌日の仕事のための無理な寝酒などの結果、喉などを痛め、振り出しに戻ってしまうのである。)

 お客様相談センターに居たときは、所属チーム(メール応対チーム)の人員数がギリギリだったので、このように突然休むと大迷惑をかけることになった。今は、1〜2週間後の納期に向けてツールやアプリを(ひとりで)作成するという仕事をしており、納期までに辻褄が合えば良いので、比較的気楽に突発的な休暇を取れる。ある意味健康的ではあるが、簡単には休めないという意識(緊張感)が生活を律することも確かであり、良し悪しと言える。

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*2006年10月11日:オーバーラン


 30年位前の追憶である。高校何年生だったか忘れたが、体育の授業でソフトボールをやっていた。ヒットを放ったH君は、一塁ベースを回り、二塁に走る! センターからセカンドへの返球は大きくそれた..

 ..H君は、ちょうど身長分、二塁をオーバーランして滑り込んでいた [;^J^]。セカンドがこの事態に気付く一瞬前に、右足のつま先を後方に伸ばして、なんとか二塁にタッチ。セーフである。

 私がこんにち、交差点で停止線を遙かにオーバーして停まっている車を見るたびに思い出すのは、上記の情景なのであった [;^.^]。決定的に異なるのは、H君のオーバーランが予期せぬ失敗だったのに対して、停止線オーバーのドライバーどもは、確信犯であるということである。(「オーバー」どころか、車体の最後尾が停止線より数メートルも飛び出していることなど、ザラである。)一体、教習所で何を習ってきたのかね。完全な違反行為なのだが。

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*2006年10月12日:制約について


 前にも(何度か?)書いていることであるが、大事なことだと思うので、もう一度書く。

 私は、書籍にせよ音楽にせよ映画にせよ、「データ購入」というのが嫌いである。どうしても「モノ」へのこだわりがあるのだ。「形がない」という意味では、毎日せっせと行っているBS/CS/地上波からの録画も全く同様なのだが..まぁ姿勢に一貫性がないのはご愛敬として。[;^J^]

 なぜ、「モノを買う」ことにこだわるのか。それは「必然的に制約が伴う」からである。もちろん「買い物」である以上、第一義的な「制約」は「金銭的制約」であるべきだが、残念ながらこんにちの日本においては「場所の制約」の方が支配的であろう。

 制約があるということは、欲しいものを全て買うことはできない、ということである。選ばなくてはならない。これが本質的なのだ。つまり、その「コレクション」には「その人の“知性”(別に“痴性”でも構わないが)」というフィルターがかかる。唯一無二のものとなる。ここに価値がある、と、私は思うのである。その意味では、蔵書何万冊、などというコレクションよりも、数千、数百、あるいは数十冊というささやかな「コレクション」こそ、この世に掛け替えのない宝石と言えよう。

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*2006年10月13日:Kさん、逝去


 聖隷の予防検診センターで再々検査。結果悪し [;_ _]。自業自得。[;_ _]

 はましん(浜松信用金庫)でカード再発行手続き。(いつの頃からか、ヒビが入っていたのである。)BOOK OFF で数冊売る。もちろん、二束三文である。昼食は、佐鳴台のホワイトストリート沿いの華琳でランチ。主菜は「鯛の唐揚げ金の砂仕立て」。なかなか美味しい。

 S氏からメール。FCLAで長年に渡ってお世話になったKさんが、9/24に亡くなっていたとのこと。驚いた。諸事情により一般には告知されておらず、mixiのFCLAのコミュニティでのみ情報が流れていた。で、私は(何度か勧誘されていたにも関わらず、面倒がって)mixiに入会していなかったので、そのことを知らなかったというわけだ。詳しい事情を知るためにも、もうこれ以上引き延ばさずにmixiに入会しなくては。

 それにしても、まだそんな歳ではなかったはずなのに..最後にお会いしたのは、いつだったろう? 私は近年はFCLAのオフと言えば夏オフとお気楽オフと新春秋葉オフだけである。Kさんはもう何年も前から夏オフに顔を出さなくなっていたし、新春秋葉オフに来られたのは大昔のこと。お気楽オフだって、ここ最近は参加されていなかったような..つまり、このまえ顔を見たのは、相当昔のことになるはずである。にも関わらず、つい最近も会っているように思えてしまう。FCLAの(演奏)オフがあるとき、いつでもそこにいたような気がしてしまう..

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*2006年10月14日:O内科/Hy’s


 散髪。吉野家で特朝定食。

 O内科へ。(聖隷の予防検診センターからの紹介である。)私の場合、コレステロールにせよ血圧にせよ、それ単体で見る限りは「そろそろ注意しなくては」程度の数字なのだが、何しろ「血筋」が悪い。親族の多くが高血圧系の病で斃れている。「あなたも必ずこの病気で死ぬ」と宣告された。[;^J^]

 死因が確定したところで、あとはそれをどこまで先送りできるかである。まずは塩分摂取を減らすこと。う〜む..

 夕飯は大平台のHy’s。前から気になっていたフランス料理店であるが、入るのは今日が初めて。なかなかロケーションが良い。佐鳴湖のすぐ近くであり、(少なくとも今日私が案内された席からは)別に窓から湖が見えるというわけでもないのだが、確かにそういう(ちょっとお洒落で爽やかな)雰囲気が漂っている。

 失敗したのは、車で訪れてしまったこと。ワイン抜きというのはきつかった [;_ _]。代行運転を呼ぶのもためらわれる微妙な距離。佐鳴湖畔を歩けば、自宅から30分ぐらいである。次回は徒歩で来ようか。いやちょっと待て。夜の佐鳴湖畔は暗くて足元が危うい。徒歩で行くなら、ランチどきか。

 録画したまま未視聴のDVD−R/DVD−RAMを数えてみた。両面メディアを2枚として勘定すると、330枚である [;^J^]。平均1.5時間として、500時間。ちょっと吐きそうになりました。[;_ _][;^.^]

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*2006年10月15日:「幻の湖」挫折


 録画したまま、DVDに落とさずHDDに残ったままだった「幻の湖」に取りかかる。なぜDVDに落としていなかったかと言うと、2時間を(遙かに)越える長さだからである。どこかで切らなくてはならない。そのためには一度観る必要があり、そんな時間は..というデッドロックだったという次第。この週末に片付けてしまおう、というつもりだったのだが..

 ..30分で挫折した。これはダメだ。観ていられない。[;_ _]

 「幻の湖」という映画をご存知無い方のほうが多いだろう。これは1982年に公開された「東宝創立50周年記念作品」。原作・監督・脚本・製作は「橋本忍」である。橋本忍をご存知無い方は、ググりなさい。どんなに凄い人か、すぐにわかる。その橋本忍が何を血迷ったのか..

 この映画の構成要素は、「ランニング」「ソープランド」「犬」「芸能界」「アメリカの諜報組織」「戦国時代に琵琶湖に沈んだ女の悲話」「スペースシャトル」である。(私は最初の30分しか観ていないので、資料を見ながら書いております。)言うまでもなく支離滅裂であり、普通ここまで手がつけられないと、しっちゃかめっちゃかな楽しいトンデモ映画になるのだが..トンデモ映画はトンデモ映画だが、ちっとも楽しくないのである。テンポ計算がなっていなくてダルいのである。私は30分しか観ていないので、その先で盛り返している可能性もあり得るが..洋泉社などから出ている資料で内容を確認する限り、逆転劇はないのである。というか、この先はもっとつまらなくなるらしいのである。

 しかし実は一番参ったのは、それらの資料では指弾されていない「音楽」である。冒頭のクレジットで「音楽監督:芥川也寸志」と出たので、その点に関してだけは安心して観始めたのであるが..なんと、リストの「交響詩 前奏曲」を「ほんのちょっとアレンジしただけ」。まさかと思って、視聴を止めた30分目以降も飛ばし飛ばし確認しても、全部「前奏曲」。とどめはエンドクレジットで、「交響詩 前奏曲」を使用と明記されていた。つまり、これ以外の素材は無いらしい。

 もちろん、既存の曲を使うのは、一向に構わないのだが..問題は、「全然、映画の内容と合っていない!」ことなのである。この曲をご存知の方は、第三部「田園」を想起していただきたい。冒頭いきなり、あのゆったりとしたメロディーに乗って、「ジョギング」なのである。私は物理的にずっこけた。

 さらに気に障るのが、「少し、アレンジしている」ことなのである。いっそ、既存のレコードをまるまる再利用してくれた方が、まだ救いがあったのだが..「尺合わせ」にもなっていない、全く無意味な変更。「レコードをかけているだけじゃありませんよ、少しは仕事をしているんですよ」、というアリバイ工作としか思えない。

 これは絶対に、超一流の作曲家/音楽家である芥川也寸志の意志では、あり得ない。名前を貸しただけかどうかまではわからないが、選曲したのは橋本忍だ。間違いない。「この荘重な感じの曲でよろしく」、とね。そしてこの名曲中の名曲に適当に手を入れたのが芥川也寸志かどうかはさておき、「音楽監督」に支払われたギャラは、おそらく10万円。(最大限多めに見積もって、20万円。)「プロ」がこの程度の仕事しかできなかったという点から、かけられた(かけることが出来た)であろう時間を逆算していくと、この金額にしかならない。

 「東宝創立50周年記念作品」の「音楽監督」に支払われたギャラが、この始末である。これが1982年の実状であるが、四半世紀後の今は、果たしてどうなのであろうか。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Oct 19 2006
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