*2004年02月16日:ミニヴィネット・アンソロジー
*2004年02月17日:谷島屋本店と駐車場
*2004年02月18日:ワインを発注する
*2004年02月19日:「万博とストリップ」
*2004年02月20日:忘却論
*2004年02月21日:{国会|現代マンガ|国際子ども}図書館
*2004年02月22日:東山魁夷展
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*2004年02月16日:ミニヴィネット・アンソロジー


 Y君からミニヴィネット・アンソロジー(手塚治虫モデル)3種をもらう。(何故か、会社で。[;^J^])「大人買い」してダブったらしい。(だから、大人げない買い方をするなと言うのに。← お約束。[;^J^])

 帰路、久しぶりに(何年ぶりだ)T歯科医院へ。歯石取りなど。

 帰宅してから、ミニヴィネット・アンソロジーを組み立ててみる。「リボンの騎士」と「ユニコ」と「バンパイヤ」である。

 私はもともと、フィギュアのコレクションはしていない。それは、フィギュアが嫌いだからでも興味が無いからでもなく、単に、フィギュアは書籍等より場所を食うという、ただそれだけの理由からである。だから、積極的に集めることはしていないのではあるが、良いフィギュアが(なんらかの事情で)手に入った場合は、もちろん嬉しいし、なんとかしてディスプレイするスペースを捻出したりもする。

 さて、この「ミニヴィネット・アンソロジー」というものの存在は、随分以前から知っていた。とにかく、ヤフオクでキーワード「手塚治虫」でアラートかけておくと、毎日やたらとひっかかる(つまり、毎日毎日出品され続けている)ので、いい加減、目障り [;^J^] ではあったのだ。なにせこれがフィギュアだということは知っていたし、私の蒐集対象ではないからね..しかし、この「ミニヴィネット・アンソロジー」の実物を観たことは、実はこれまで、無かったのである。

 ほっほーーー...これは素晴らしい! 特に、「バンパイヤ」! トッペイが変身した姿であるが、トッペイだけではなく、部屋の中(落ちている書物、揺れるカーテン、窓の外の満月、等など)まで作り込まれている。まさに舞台の一場面といった風情であり、空気感まで再現している! これは確かに、漫画ともアニメとも実写映画とも異なる、独自の存在価値を有する芸術の一分野であるということを、改めて認識した。

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*2004年02月17日:谷島屋本店と駐車場


 知り合いが、連雀町の谷島屋本店の場所(及び至近の駐車場)を知りたいということなので、車で先導して案内する。

 ここに車で来るのは久しぶり。例によって、本店の裏側(北側)の連雀町の駐車場(正式名称失念)に入れる。料金は、浜松駅近辺の中心街の標準相場で、最初の30分が300円、以降、30分ごとに150円。もう少し中心街から離れれば、最初の30分が200円、以降、30分ごとに100円、と、相場が下がるのは知っているのだが、ま、数十円乃至数百円と、余計に歩く手間(疲れ)とのトレードオフではある。

 但し、この「連雀町の駐車場」には、谷島屋本店で一定金額以上書籍を購入すると駐車券がもらえる、という特典がある。(しばらく利用していないので、いくら買うといくら分の駐車券がもらえるのかは、忘れた。)..という理由から、谷島屋本店を利用するのなら、この駐車場がベストだろう、と思っていたのだが..

 ..数日後に判明したところでは、実は、すぐ近くの「100円パーク」(152号線沿い)の方が、廉いのであった [;^J^]。ここの存在には、気がついていなかった。つい最近、出来た..というわけでは無さそうだ。「谷島屋で買い物する場合は「連雀町の駐車場」」、という思いこみがあったため、新たな駐車場を開拓しようという意識がなく、だから、目に入っても気がついていなかったのだろう。午前8時から午後8時までは、30分100円。午後8時から午前8時までは、45分100円。谷島屋本店で買い物をしても、駐車券は(多分)出ないと思うが、ほとんどの場合、こちらの方が廉くつくはずである。

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*2004年02月18日:ワインを発注する


 久々に、ワインの訪問試飲販売業者であるPから、セールスマンが来る。(無論、事前にアポの電話を受けていたのである。)

 大体、年に4〜5回くらい、伺いたいという電話が来るのだが..その時の多忙さと財布の中味 [;^J^] を勘案して、3回に2回はお断りしている。買うときは、1銘柄半ダース単位だと、割安になる。

 今回は、フルーティーで比較的廉価な(3千円くらいの)白ワイン(銘柄失念 [;^J^])を半ダースと、コニャック系の、面白い味をしている奴(5千円)を1本、発注した。前者は、いわば水代わり/ビール代わりに、ゴクゴク飲む酒。後者は、「飲む」というよりは「舐める」酒である。

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*2004年02月19日:「万博とストリップ」


 午前半休。聖隷三方原病院でちょっと検診。午後から出社。

 ネタが無いので、(例によって)少し前に読んだ本の話でお茶を濁す。

 「万博とストリップ」(荒俣宏、集英社新書)- 古書店のカタログで見つけて、タイトルが面白いので発注していたもの。わりと最近の(2000年初版の)本でした。

 いささか奇矯なタイトルである。発注した時点では、私もまたてっきり、「“万博”と“ストリップ”が同居した、希有な事例(面白いエピソード)があった」..と、面白おかしく紹介してくれる内容かと思っていたのだが..全然違う。そもそも「万国博覧会」というのは、その黎明期から、「“必然的に、宿命的に”ストリップショーと結びついていた」、というのだから、驚くではありませんか!

 「ともあれ、この万博(ニューヨーク万博、1939)で明確になった事実は、ストリップが未来のアートだということである」(61頁)。「万博とセクシーダンス、あるいは万博とセクシーガールとのかかわりは、古い。新車ショーやカーレースに、水着姿のクイーンたちが登場する光景に、「時代はヌードか」などと驚いていてはいけない。ヌード願望あるいはヌード志向は、あらゆる国際産業イベントの元祖である万博が、1851年にスタートしたときから、すでに明らかだったからである」(81頁)。「20世紀は老いを悪とし、若さを善とした、人類史上でも目新しい世紀となった。若さとは若い肉体を意味し、機械的能力のまさった最新鋭機種のことである。労働力としてもすぐれていた」(224頁)..しかしながら現在では、もはや..「ストリップそのものが、ごくありきたりの見世物へと降下してしまったのである。いい替えれば、ストリップは「未来」ではなく「過去」になった」(234頁)..ということなのであった。

 私の世代にとっては、「万博」といえば1970年の「日本万国博覧会」(大阪万博)であるが..そんな結構な催し物は無かったと思うぞ [;^J^]。つまりこの時代には、もはやストリップは未来アートでは無くなっていた、ということなのであろうなぁ..ちぇっ [;^J^]

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*2004年02月20日:忘却論


 ちくま文庫の「内田百けん集成」も、第17巻まで読み終えた。彼の数多くの文章のうち、やや特徴的なもののひとつに、いくつかの「忘却論」がある。

 彼は、大学でドイツ語を教えていたのであるが..

「覚えることが大事なのであって、忘れる事は一向差支えない。一旦覚えたことは忘れまい。覚えた以上は決して忘れない様にすると云うのは随分けちな話である。覚える事は覚える事に意味があり、忘れる事は忘れることに意味がある。覚える事に劣らない意味がある。忘れると云う事を心配する必要はないと云う事をお話ししているのです」
「忘却」(「内田百けん集成 7 百鬼園先生言行録」所収)

 ..これを読んで、なるほど、忘れても無駄ではないのだな、と、単純に「力づけられる」のは、間違いである。私などは、漫然と本を読んでは、あとになって、さっぱり頭にのこってないよ覚えてないよぉ(ジタバタ)..とかほざいているわけだが [;^J^]、なるほどそれでも構わないわけなのだな..と、単純に喜んではいけない。百けん先生は、そんな甘い話をしているのではない。

「気の弱いのが、先生そんなに詰め込まれても、じきに忘れてしまいますと訴える。
 構わない。覚えていられなかったら忘れなさい。試験の答案に書くまで覚えていればいいので、書いてしまったら忘れてもいい。しかし覚えていない事を忘れるわけには行かない。知らない事が忘れられるか。忘れる前には先ず覚えなければならない。だから忘れる為に覚えなさい。忘れた後に大切な判断が生じる。語学だけの話ではない。もとから丸で知らなかったのと、知っていたけれど忘れた場合と、その大変な違いがいろいろ忘れて行く内にわかって来るだろう」
「忘却論」(「内田百けん集成 6 間抜けの実在に関する文献」所収)

 ..単なる逆説でも言葉遊びでもない。ポイントは「忘れた後に大切な判断が生じる」にあると思う。つまり、詰め込んだ「知識」だけでは、役に立たないのだ。まず、覚えきれないほどの知識を「詰め込む」。語学に限らず、「記憶」は「学問」の基本である。とにかく何が何でも「詰め込む」。そして、それを(なかば必然的に)忘れてしまった時に、初めて、「詰め込んだだけの知識ではない、知恵や判断」が生まれ、使いこなせるようになるのである。

 最初から無精がって、何も覚える(知識を身につける努力をする)ことなく、一足飛びに「知恵」を獲得することはできないのである。

 北欧神話のヴォーダンは、「知識」を「知恵」に変えるために、ミーミルの泉に片目を捧げた。つまり、「知恵」を得るためには、あらかじめ(溢れんばかりの)「知識」を持っている必要があったのだ。そしてそれを犠牲にし、さらに「片目」まで失って、はじめて「知恵」を得ることができたのである。「知恵」を獲得するということは、それほどまでに厳しいことなのだ。

 しかしこうなると、現代のインターネット世代の若者たちは、圧倒的に不利である。なぜなら、なんの努力もせずに、知識(というか情報)を、いくらでも収集することができるからである。必要なのは、検索エンジンを使いこなすノウハウだけだ。そして言うまでもなく、それらの知識(情報)を受け入れるだけの土台もなしに、膨大な量の情報(検索結果)を集めたとしても、その取捨選択も整理もままならぬ。身に付くわけもなく、知恵になるはずもない..

 人ごとではない。自戒しているのである。

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*2004年02月21日:{国会|現代マンガ|国際子ども}図書館


 久々に、図書館3軒ハシゴする。

 7:20のひかりで上京。午前中は永田町の国会図書館。昼過ぎに終えて、江戸川橋の現代マンガ図書館。ここも1時間弱で切り上げて、池袋回りで上野に向かい、久しぶりに国際子ども図書館。

 手塚&アジマ調査である。主として、ここ数ヶ月の間にポツポツと集まってきた情報の裏付けを取るための調査であり、新発見はほとんど無い。「新発見」では無いまでも、「確定」させてリストに追加した情報としては、

手塚治虫先生のプラスチック製模型製作のおもい出(エッセイ):1:少年キング:68/08/25
わたしの一枚の写真(エッセイ):1:週刊文春:70/02/23
(談話)(79/06/29 日本テレビの記者会見場にて):1:アニメージュ:79/08

 ..など。

 上野から秋葉原に回り、石丸に寄る程度で歩き抜けて、神保町へ。久々に画集(展覧会の図録など)を3冊ほど購入。

 渋谷経由で横浜へ。相鉄線で鶴ヶ峰の実家へ。(渋谷から横浜まで、東急東横線のホームが様変わりしている。つい最近、工事が(部分的にでも)終わったようで、駅員が誘導していた。)

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*2004年02月22日:東山魁夷展


 快晴。実家前のバス停を10:01発のバスで、横浜美術館へ。(「展覧会案内」で見繕っておいた)「東山魁夷展」である。会期終了間際の最後の日曜日ということで結構な人出であり、入場制限。80分待ち。無論、リュックの中には書籍も雑誌も詰め込まれているので、この程度の時間を潰すのに不自由は無い。

 没後初の総合的な回顧展である。思ったよりもコンパクトな展覧会であったが、巨大すぎるよりもこのくらいの方がいい。1時間かそこらで見て回れるし。「道」「月篁」「白い朝」「樹」「山霊」などにも感心したが、やはりハイライトは、「唐招提寺の障壁画」であろう!(事前に下調べしていなかったので)まさかこれが来ているとは思わなかった。ごく一部を除いてほとんど全てを観ることができた。圧巻である。(「濤声」(うち寄せる浪の図)を観て、マイナスイオンがどーたらこーたらと感嘆しておられたおばさま方には、やや辟易しましたが。[;^J^])

 それにしても、この展覧会の正式名称は、「東山魁夷展。[ひとすじの道]」、というのだが..どうしてこんなところに句点(。)を入れるかなー。これではまるでモー(激略)

 今日は久しぶりに、常設展も観る。この美術館にはシュルレアリスムの画家たちの、小規模ながらなかなか趣味の良いコレクションがあるのである。

 当初の予定としては、このあと都内に出て、もうひとつふたつ展覧会を回るつもりだったのだが..ま、「80分待ち」は計算に入ってなかったし、さすがに少々疲れたので、素直に新横浜。14:15発のこだまで浜松へ。いったん帰宅してから、バスで街中へ。先日修理出ししたズボンをリフォーム屋で受け取ってから、こだわりやまへ。早めに切り上げて22時過ぎに帰宅して休んでいたら..あっという間に、大嵐 [;^J^]。さっさと帰宅したのは、正解であった。(ま、すぐに小降りになりましたけどね。)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 25 2004 
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