*2001年04月30日:ユーザー教育について
*2001年05月01日:国会図書館/児童図書調査終了
*2001年05月02日:国会図書館/3軒茶屋の2階のマンガ屋
*2001年05月03日:心理的トリックについて
*2001年05月04日:犯罪者の巣窟
*2001年05月05日:“中抜き”の時代
*2001年05月06日:図書館のハシゴ/「大マシン」復刻!
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*2001年04月30日:ユーザー教育について


 ときわホテルを早めに発って、10時前には、横浜の自宅に帰宅。さほど疲れが残っているわけではないが、せっかくの休日なので、終日ごろごろする。

 先日、メールの使い方の基本的な知識を持ち合わせていないユーザーが横行していることに呆れて、「一体全体、どうやってアカウントを取得できたんだ?」、と嘆じたのだが..意味が判らなかった読者がいる可能性を見落としていたので、ここでフォローしておく。

 インターネットの「古き良き時代」には、接続されているのは、一部の企業、一部の大学、一部の研究機関や官公庁だけだったのだ。ユーザーアカウントは、それらの組織の(一部の)メンバーに与えられていたのであって、当然、そこでは(アカウントの取得前後に)「ユーザー教育」がなされていたのである。その教育が、質的に量的に十分だったか、という議論はあり得るし、実際、まともな教育を受けなかったと思しき人間による筆禍事件やトラブルは、しばしばあった。しかし、それらのトラブルは、質的にも量的にも、現在とは比較にならないほどマシだったのである。建前だけだったかも知れないし形骸化していたのかも知れないが、とにかく名目上だけでも、“全員に”「ユーザー教育」がなされていたことの成果である。

 これらの「組織」に属さない、こんにちの「新規ユーザー」は、「ユーザー教育」を受けるチャンスが無い。PCなりMacなり携帯なりを買ってきただけで、すぐにインターネットに接続できる。接続できれば、発信したくなるのは当たり前。気がはやっている、ワクワクしている! うざったいreadmeファイルなんか、読んでられますかって!

 ..だから、全く無知な新人が、不適切なニュースグループに、「てすとてすと」、「やっほー、誰か読んでるーー!?」、「はじめてメールします。以後、お見知りおきを!」..などと書き散らしていても、怒鳴り飛ばす気にはなれないのだ。彼らは、それがどれほど愚かなことであるか、知る機会が無かったのだから。それを知らずに満天下に恥をさらしてしまったという意味では、被害者であるとすら言えるのだから。

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*2001年05月01日:国会図書館/児童図書調査終了


 7:32のバスで、国会図書館へ。さほどきついラッシュでもないのは、さすがに、ゴールデン・ウィークの中日だからか。

 「一億人の手塚治虫」(JICC出版局)に収録されている引用文献のリストの調査を、今日から本格的に始めたのだが、予想どおり、半分も終わらない。

 一方、並行して進めていた「児童図書」調査は、ひとまず完。国会図書館に収蔵されている、手塚治虫関連の「児童図書」は、(捜し洩れを除いて)読み尽くした筈である。ほぼ半年間かかった。やれやれ。

 ここでいう「児童図書」とは、主として「絵本」「アニメブック」であり、その大部分は、手塚治虫の著作とは見なせない(「手塚プロダクション」の作品である)ものであって、リストに収録することはしないのだが..ごく一部に、手塚治虫自身による「まえがき/あとがき」の類がある。これらを採取していたというわけ。まとまった収穫としては、「手塚治虫アニメ名作集」(講談社)全16巻の、一連の「あとがき」があった。

 帰路、神保町。例によって三省堂。ほほほ、ハヤカワ文庫のディクスン・カーが、さらに復刊されている。「魔女が笑う夜」「青ひげの花嫁」「雷鳴の中でも」である。さくさく確保。

 これらは、「EasySeek」に登録して網を張っていたもの。帰宅してから、ただちに、この3冊の登録を削除する。割高の物件を掴まずに済んで、幸いであった。まぁ、ハヤカワ文庫のディクスン・カーについては、「定価の半額以下」という、売り手にとっては厳しい条件で登録しているのだが..それでも、これまでに3件オファーがあり、取り引きが成立している。(6千円の物件の案内があった時には、丁重にお断り申し上げたけど..[;^J^])

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*2001年05月02日:国会図書館/3軒茶屋の2階のマンガ屋


 7:32のバスで、国会図書館へ。さほどきついラッシュでもないのは、さすがに、ゴールデン・ウィークの中日だからか。

 「一億人の手塚治虫」引用文献リストの調査の続き。やはり2日では終えられなかった。この連休中には、もう国会図書館に来るチャンスは無いのだが、6日に、都立中央図書館と現代マンガ図書館で調査する予定なので、残存分は、そこで大方拾えるであろう。(日比谷図書館は、新聞雑誌室も児童資料室も、休日は閉室なので、使えないのである。)

 久々に「3軒茶屋の2階のマンガ屋」に寄ってみるが、収穫無し..てゆーか、ここはもはや、ただの倉庫である。店頭売り上げは、ほとんどあるとは思えないのだが..それでも、店を開けておく理由はあるのであろうなぁ。いくらかでも日銭は入るのだろうし..店員さんは、ひたすら、(現在では「3軒茶屋の2階のマンガ屋」の主幹業務である)オークション出品やメールマガジンのリストの作業をしているようであった。つまり、店を開けておくことによる余分な人件費は、発生していないと思われる。

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*2001年05月03日:心理的トリックについて


 16:30になるまで、今日が木曜日だということに気が付かなかった [;^J^]。慌ててサーバにアクセスし、ruin.html に、「今週は遅れます」と書きこんだのだが..既にかなり大勢がアクセスしている。ひーん、ごめんよぅ [;^.^]。(風邪などで更新が不可能だったことは何度かあるが、「忘れていた」、つーのは、この5年間で初めてである [;^J^]。)

 潔く言い訳するが、3日前には終日実家で完全静養。一昨日と昨日は、平日の満員電車で国会図書館に出かけていたのだから、誰がどう考えても、「今日は水曜日」に決まっている。当然である。[;^J^]

 それにしても寒い。たまらずストーブ。なんということだ。これでも五月か。洒落にならん。

 ニュースによると、今日は「三月の陽気」だというが..これは日本語の構造的な欠陥。正しくは、「三月の陰気」である。

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*2001年05月04日:犯罪者の巣窟


 今日は、亡父の墓参り。

 帰途、とある寮の部屋の中に、等身大の「立て看板」が置かれているのが、窓から見えた。後ろ向きなのでわからないが..形態から察するところ、藤原某か浜崎某あたりの(恐らく)携帯系の物件である。

 これらが販売されているチャンネルの存在は、知っている。(どういうルートで仕入れられているのかは知らないが。)しかし、さまざまな理由から推測するに、この寮生が、金を出して買ったとは思えない。まぁ、深酒のついでに、どこぞの店頭からかっぱらってきた物なのであろう。

 ちなみに、警察学校の寮である。

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*2001年05月05日:“中抜き”の時代


 数日前の話題で恐縮だが、朝日新聞の5/1の朝刊の、「科学をよむ」というコラムが面白かった。「大学制度 揺さぶるネット」というタイトルで、黒崎政男氏が執筆しているものである。

 インターネット上の情報は、記述の原作者と引用者、ネットへの掲載者の区別が曖昧である、という指摘から始まる。このこと自体は、私自身、「困ったもんだ」と常々認識しているところであるし、そこらあたりがいい加減な文章をニフやネットで目にしたときは、しばしば厳しく“指導”したりしていることもあって、この文章も、そういう方向でまとめるのかと読んでみたら..微妙に違う。


文章の引用や改変がきわめて容易であるために、ここにある情報は、多くの人々によるコラボレーション(共同作業)の結果であり、オリジナルと引用などといった伝統的な区別が成り立たない。つまり、明確な<文責>が存在しないことが多いのである。

 つまり、現状追認に近く、むしろ文献の性格が変わってきたことを認識しよう、と言っているのである。

 私自身は、現在のインターネット上でも、文章のオリジナリティを守ること(つまり、勝手な改変を許さないこと)は、デジタル署名技術などの援用により可能なのであるし、それは推進しなくてはならないと考えているのだが、その一方で、さまざまな情報のカットアップが極めて容易であるというネットの特性は、今さら否定のしようもないことも、重々、承知している。これは、ネットの長所でも短所でもあるのだ。コラージュ/カットアップなどは、大昔からあるテクニックなのだが、インターネットを使うと、ソースを選び放題なのである。


もし学生が、あるテーマでキーワード検索して表示させた多くの情報から、自分に関心のあるいくつもの記述をつなぎ合わせ、新たな記述を作り上げてしまえば、ほとんど機械的にそれなりの文章ができてしまう。しかも、そこには教師も知らない最新情報が盛り込まれていることさえある。

 ..しかし黒崎氏の本論はここから先で、


このように、情報のメディア的大変革が進行している状況にあって、既存の大学制度における<教える>と<学ぶ>とはいったいなんなのだろうか。
従来、学者や教師など専門家の権威を形作ってきたのは、<情報の独占>と<情報のタイムラグ>であったと言える。(中略)日本の人文系学問ということで言えば、明治以降最近にいたるまで、大学教授は欧米の情報を独占的に仕入れ、少しずつ小出しにして、自らの権威を成立させてきた側面もある。

 情報にせよ、エネルギーにせよ、そこに<落差>があれば、そこからは必ずエネルギーを取り出すことができる。(つまり、商売になる。)水位が違えば、水車を挿入することによって、電力を取り出すことが出来るのだが..この<落差>が、インターネットの発達によって、チャラになりつつあるのだ。


こんな状況で大学とはいったいになにか。「情報の量や速さをいたずらに追い求めるのではなく、情報を見きわめる判断力や、断片的知識の寄せ集めから統一的な意味を見いだす洞察力を身につける」。まっとうではあるが、歯切れの悪いこのような言説しか、今日の大学人には残されていないのかもしれない。

 私がこの記事に興味を持ったのは、これが「“知”の中抜き」現象を語っているからであり、それは、こんにちの流通業界の「中抜き」現象と、本質的に同根であるように思えるからである。インターネットだけが原因では無いが、高度な情報化は問屋業界を圧迫しており、業種によっては卸売業者が、絶滅に近い状況にまで追い込まれている。卸しどころか小売業者も「中抜き」されて、メーカーとエンドユーザーの直取り引きが伸びている業界すら、ある。

 こんな時代に、「中抜き」された業者が、いかにして生き残るか。

 大学も、生き残るために模索している。その道筋は、必ずしも見えていないが、(先に引用した記事でも明確にはなっていないが、)大学の苦闘は、流通業界にとってのヒントになるのではあるまいか。それはあるいは、生き残りにこだわらず、廃業・転身まで見据えた、厳しいものになるかも知れないが..

 ..ここまで書いて思いだしたので、追記しておく。先日読了した「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」(立花隆、文藝春秋)の、321頁からの引用である。


問題の背景に、ジェネレーションXが育った情報環境のちがいがあるという指摘は重要だ。多分、ポストIT革命世代には、古典的大学とはちがう高等教育システム、教育環境が必要なのだ。

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*2001年05月06日:図書館のハシゴ/「大マシン」復刻!


 連休は、今日まで。7:01のバスで、まずは広尾の都立中央図書館へ。「一億人の手塚治虫」引用文献リストの調査の続きである。

 欠号しているものを除いて、ほとんどチェック完。あと数冊を残したところで、時間切れ(正午を回った)となり、中野まんだらけに直行。

 手塚治虫メーリングリストのメンバーと、13:00に待ち合わせていたのだ。「まんだらけ ZENBU 10」の当選商品の受け取りオフである。私は、エロ劇画雑誌を2冊注文して、2冊とも当選した。「コミックVan 1974/11/07 号」(芸文社)と、「グルーピー 創刊2号 同性色情」(アリス出版)である..まぁ、そんな顔をしないでいただきたい [;^J^]。どちらも、吾妻ひでお調査の一環なのである [;^J^]。

 前者に収録されている「公衆便所で」という短編は、未知の作品であった!(内容は、タイトルどおりである [;^J^]。)雑誌が雑誌なので、これまで、誰の目にも止まらなかったのだ。「まんだらけ ZENBU 10」のリストの図版のキャプションに「吾妻ひでお」の文字がなければ、見つけることは、ほぼ不可能であったと言って良い。たったの800円で新発見をしたのだから、たまらない!(「グルーピー」の方は、「アニマル・カンパニー」の再録であり、これはまぁ、予想どおりであった。)

 オフ散会ののち、4Fのまんだらけマニア館(だっけ?)で、「大マシン 1」(泉ゆき雄)を発見! 思わず、「わっ!」、と、叫んでしまった!

 この作品については、数年前に書いたことがある。「少年」誌の最後の15ヶ月に連載された(すなわち、昭和42年1月に連載が始まった)いくつかの作品のうち、特に思い入れが深いもの。(同誌の同期の(同月号に連載が始まった)作品には、 「閃光マック」(一峰大二)、「ザ・シャドウマン」(さいとう・たかを)がある。)

 今でいう巨大ロボットものだが、いわゆる(狭義の)「合体メカ」ではない。但し、両腕両脚が分離するシーンはあるので、「(広義の)合体メカ」とは言えるかも知れない。両腕、両脚に兄弟が乗り込み、個別に制御(飛行)するのである。

 宇宙から来た敵が繰り出す、それぞれに個性的なロボットは、「M2号」「M3号」などと呼ばれる。確かに絵柄は古いかも知れないが、これらの敵メカの重量感と迫力は、今でも立派に通用するはずである。特に凄いのが、M8号で..

 知る人ぞ知る「アップルBOXクリエート」の復刻シリーズで、本日、私が見つけた「大マシン 1」の復刻刊行日は、2001/04/15。この巻には前半が収められているので、全2巻になる。まだ「2」は出ていないと思うが、楽しみなことである。この時期の「少年」誌は買い揃えてあるのだが、やはり単行本にまとまっていると便利である。

 問題は価格だが..このシリーズは、本体に価格が表示されていない。この店では、1800円の値札がついていた。2冊買うと、3600円。決して、廉くはないが..それだけの価値はある! と、断言してしまおう! M8号の驚くべき正体は、第2巻で明らかになる..

 広尾に戻って、都立中央図書館で、調べ残し分をチェック。17:00の閉館時刻ぎりぎりに調べ終わって退館してから、江戸川橋の現代マンガ図書館へ。都立中央図書館に無かった「ぱふ」「OUT」「手塚治虫アニメ選集 全6巻」(少年キング増刊)などをチェックして、「一億人の手塚治虫」引用文献リストの調査、ひとまず完。

 なかなか実り多い一日であった。ひかりで浜松へ。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 9 2001 
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