*2000年11月27日:冨田勲、再論
*2000年11月28日:凡百の「シンセ・ボレロ」
*2000年11月29日:オークションの罠
*2000年11月30日:小ネタを3題
*2000年12月01日:彼ならやりかねん。
*2000年12月02日:ある“ライフワーク”
*2000年12月03日:Nさん資料、第2便
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*2000年11月27日:冨田勲、再論


 先日、「クラシック音楽には“フェイドアウト”の例は無い」、と書いてしまったのだが、T氏から指摘メール。「“惑星”(ホルスト)の終曲の“海王星”が、フェイドアウトする」..ををを、コロッと忘れていた! 私としたことが!

 ..というわけで、「惑星」つながりで、再度、冨田勲の話を書く。

 「他のシンセサイザー・ミュージシャンとは、完全にステージが違う」、と書いたが、それはもちろん、「冨田勲の“傑作”は、それほどの高みに到達している」、という意味である。冨田勲にも、駄作はある。それはもう、“耳を覆いたくなる”程の駄作が、いくつもあるのだ。

 まず、「“耳を覆いたくなる”程の駄作」とまでは言えない「凡作」を、ひとつ取りあげよう。「ダフニスとクロエ」所収の「ボレロ」である。

 私は学生時代、当時秋葉原にあった「ローランド・シンセサイザー・スタジオ」の、常連オタクであった。そこで開講された「ローランド・シンセサイザー・スクール(という名前だったと思うが)」の、確か第1期卒業生であり、卒業証書も持っている。そのコネで、このスタジオで(やや私的な)「冨田勲を囲む会」が開催された時、呼んでもらえたのである。この時、冨田勲が持参した、出来たばかり(たったかな?)の「ダフニスとクロエ」のマスターテープを聴くことが出来たのだが、当然、「ボレロ」も上演されたのである。そして冨田勲自身が打ち明けた“製作秘話”というのが..「マスターテープをレコード会社に提出してから、かなりたって、(もう、リリースも間際になって、)突然、プロデューサーから電話があって..作品の時間が足りない(レコードの“面”が余ってしまう)ので、とにかくもう一曲、作ってくれっ!てことになって..慌ててでっちあげたんですよ..」

 不本意なのであろう。「8トラックテープのサブマスターを持ってきました。1トラック開けてありますから、これを差し上げますから、どなたかトライしませんか」。冨田勲によるリズム隊に、自分のシンセサウンドをミックス出来るという、この栄誉ある機会に手を挙げた人は、確か、いなかったと思う。私も含めて、こんじょ無しばっかりじゃ [;^J^]。ま、それはともかく..

 確かに、でっちあげの凡作なのであるが..しかし、腐っても冨田勲というか、そんじょそこらの凡作とは、やはり一線を画していたのである。具体的には、ストーリーがある。周囲で、どのようなプレーヤーがどのような音色でどのようなプレイをしようとも、「我関せず」、とばかりに、機械的に無機的な定常リズムを刻むリズム隊に対して、メロディー楽器群が、終わり頃には愛想を尽かして、「やっとれんわ!」、とばかりに、どこかに(上空?に)去ってしまう。しかし「我関せず」のリズム隊は、そのことにすら気が付かずに、定常リズムを刻み続ける..(このプラン自体は、凄く面白そうでしょ?)ちまたの凡百の「シンセサイザー・ボレロ」のくだらなさに比べれば、天と地の違いがあると言える。これを「凡作」と呼ばざるを得ないのは、「冨田勲に要求される水準」が高すぎるからだ、とは言えよう。

 先述したように、「ボレロ」は、せいぜい「凡作」であって、「“耳を覆いたくなる”程の駄作」ではない。 では、「“耳を覆いたくなる”程の駄作」の例をあげよう。

 まず、「火の鳥」所収の「はげ山の一夜」。これは、今回聴き返して、全く困惑してしまった。“無意味”なのである。世界には、こんな作品の“居場所”は無いのだ。単に「原曲とは異なる」音を、各パートに“当てた”だけ。

 次に、比較的後期の「ライブ・アルバム」である、「マインド・オブ・ユニバース」と「BACK TO THE EARTH」(特に、前者)。前者はリンツ、後者はニューヨークの、それぞれ屋外で上演されたもの。

 冨田勲は、もともと「音場指向」である。恐竜のごとく滅びた「4チャンネルシステム」で、最後までアルバムを作り続けたのが、冨田勲である。「ダフニスとクロエ」にしても、あの冒頭の夜明けのシーンの鳥の声が、“回りじゅうから”聴こえてくるのが、本来の姿なのである。「バミューダ・トライアングル」では、4チャンネルに加えて、頭上(天井)にスピーカーを設置した、5チャンネルの「ピラミッドサウンド」を試みていた。「マインド・オブ・ユニバース」と「BACK TO THE EARTH」は、屋外において、この巨大な音場プランを追求したものである。

 従って、これを、屋内の、しかも2チャンネルの再生システムで聴いても、全然、その実体(実態)に触れたことにはならない、ということを、まず、確認しておこう。これはもう、どうしようもない。仕方がない。当日の数万人の聴衆の耳にどう響いたかは、推測するしか無いのであるが..

 しかしやはり呆然とせざるを得なかったのは、「マインド・オブ・ユニバース」所収の「春の祭典(抜粋)」である。

 冨田勲は、かなり早い時点から、「春の祭典」の編曲を製作したい、という意向を持っていたらしく、前述の「冨田勲を囲む会」でも、その希望を述べられていた。「西洋音楽の打楽器は、いまひとつつまらないので、ナマの和太鼓を使おう、と思っているんですよ」..その場にいた私たちが、どれほど興奮したか、想像できるだろうか? 和太鼓の乱打の上に鳴り響く、冨田勲のシンセサイザー!

 しかしこの企画は、ついに日の目を見なかった。その代わりに、われわれの目の前に提供されたのが、「マインド・オブ・ユニバース」所収の「春の祭典(抜粋)」だったのである。

 聴きたくなかった。こんなものは、聴きたくなかった..

 時間が無かったのだ、と、信じたい。冨田勲がその胸にプランを暖めていた「春の祭典」は、ここに聴かれる愚劣な音響とは、なんの関係も無いものなのである、と、信じたい..

 冨田勲がやっているのは、「原曲とは異なる」音色を、各パートにあてていることだけなのである。これは、シンセサイザーによるクラシックの編曲では、一番、やってはいけないことなのである。(冨田勲以外の、ほとんど全ての「クラシック編曲系」シンセ・ミュージシャンが陶太され、冨田勲だけが生き残ったのは、冨田勲を除く(ほぼ)全員が、この、安易な編曲手法をとることしか知らなかったからである。)

 同じく「マインド・オブ・ユニバース」に収録された「第九」(第4楽章の一部をカットしたもの)。これもまた、何と言えばいいのか..

 テンポ変化のおかしさとか、バランスの悪さとか、指摘しなければならないことは山ほどあるのだが..肝心要の「音色」について、一個所だけ、指摘しておこう。最後のプレスティッシモに突入する直前、ヴァイオリンと低弦が呼応するクレッシェンド..この、密やかでデリケートな個所に、冨田勲は、なんと、パイプオルガンのフォルテの音色を当てたのである。耳を疑うとは、このことである。

 しかし..しかし、これは、数万人が聴いている屋外のライヴで、しかも、上空のスピーカーから音を振りまいているのである。現場の音場に身を置かないと、本当のところは判らない。「密やかでデリケート」な音楽が伝わるような環境では無い、ということは、私にも想像がつく。

 ま、とにかく..これらのライブ・アルバムを聴いて以来、冨田勲に対する興味は、しばらく失せていたわけだ。(というか、今回の“虫干し”プロジェクトで聴き直すまで、この2枚のことは、全く忘れていた。記憶を封印していたらしい [;^J^]。)その後に続くアルバムも、(「学校」のサントラを除いて)買うだけは買ってあったので、引き続き聴き直すのが怖かったのだが..

 「蒼き狼の伝説」は、結構いい。「バッハ・ファンタジー」は、かなりいい。「新日本紀行・冨田勲の音楽」は、テレビ番組の主題曲(オーケストラ作品)のアンソロジーであるが、これは非常にいい。(「ジャングル大帝」「リボンの騎士」も、収録されています。)

 ベートーヴェンだって、「ウェリントンの勝利(戦争交響曲)」を書いたのである。求めすぎないこと。忙しければ、変なものも出てくるさ。駄作の数よりも傑作の数の方が多い音楽家なんて、例外中の例外である..

 ..どうやら、腑に落ちた。解決した。「はげ山の一夜」も、笑って許せそうだ。

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*2000年11月28日:凡百の「シンセ・ボレロ」


 昨日、書き忘れていたのだが、この機会に、「ちまたの凡百の「シンセサイザー・ボレロ」」について書いておこう。実際、シンセサイザー・ミュージックの初期(1960年代後半から70年代前半)には、「ボレロ」の編曲が、いくつも発表されて(売られて)いたのであり..そして、ひとつ残らず、駄作であった。

 「ボレロ」を編曲する、という企画自体が、駄作を約束していたとすら、言える。なぜなら、これは物凄く、安易な発想だからである。

 ラヴェルの「ボレロ」は、オーケストラによる「音色の展示会」である。「「どんな音でも合成できる」シンセサイザーのデモンストレーションとして、これほど適した素材があろうか!?」..音楽が判っていれば(少なくとも、ラヴェルの「ボレロ」を聴く耳があれば)こんな発想は出来ないはずである。これは、音楽を知らない技術屋の発想だ。

 ラヴェルの「ボレロ」は、“魔術師(あるいは、魔法使い、魔道士、悪魔、悪霊、どのような呼び方をしてもいいが)”ラヴェルが紡ぎあげた、奇跡の音楽である。「オーケストラ」という、それなりに限定されたパレットから、究極の音色変化(と、その配列)を導出したのである。いまさら、ラヴェル以下の(魔術師、魔法使い、魔道士、悪魔、悪霊以下の)才能しか持ち合わせていないミュージシャンが、「どんな音でも合成できる」シンセサイザーを担いでノコノコやってきても、出る幕じゃ無いのである。

 もうひとつ、この企画(シンセ・ボレロ)が“安易である”、という、状況証拠がある。つまり、シンセサイザーとシーケンサー(自動演奏装置)を使うと、手際が良ければ「半日」で出来てしまうのである。

 定常リズムが延々と続く上に、ただ2種類のメロディーが、交互に繰り返されるだけ。リズム隊を加えて、合計3品。現在のデジタル・シーケンサーを使えば、あっという間に打ち込み完了であるし、アナログ・シーケンサーしかなかった当時であっても、この2種類のメロディーは、“誰でも弾ける”ほど易しいものである。全部手弾きでも、さしたる問題は無い。

 そしてこの定常リズムなのだが..「タンタタタ、タンタタタ、タンタン、タンタタタ、タンタタタ、タタタタタタ」..「タ」の数を数えていただきたい。「24個」である。当時のアナログ・シーケンサーは、「24ステップ」のものが、もっとも普及していたのである。私は確信しているが、これに気が付いた人が、欣喜雀躍して「ボレロをやろう!」、と、飛びついたのである。

 冨田版「ボレロ」は、決して「音色の展覧会」ではなく、むしろ、音色変化は(ラヴェルと無駄に張り合うことをせずに)地味に押さえ、昨日述べた「ストーリー」をメインテーマとした、という点が、やっつけ仕事らしからぬ、見事なポイントだったのである。

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*2000年11月29日:オークションの罠


 目覚まし鳴動。5:30起床。ヤフー・オークションの該ページをリロード。

 聖レイの「こんなに快感」。締め切り5分前。既に3500円である。

 3600円入札。敵は直ちに(自動入札で)3700円。3800円入札。敵は(同様に)3900円。

 ダメだ、ここまでだ。これ以上は支払えない。寝直す。

 もともと、これ(「こんなに快感」)は(ネット古書店を)地道に探せば、2000円で買えるはずの本である。それをヤフオクで(その時点では1000円以下だったのを)見つけた時は、5割り増しの3000円を、上限とすることにした。「適正価格は2000円だが、次に見つかるのが、いつになるのか判らないので、50%位の割増代金なら、納得できる」、という理屈である。

 これはこれで、どこにもおかしなところはない、正しい判断であるが..おかしなのは、締め切り直前の、私の行動であった。

 3000円を上限としていたのに、なぜ、3600円、3800円、と、競り上げたのか? たまたま(偶然)相手がさらに競り上げてくれたので、その値段を支払わずにすんだのだが、そうでなければ、自分の予算よりも600円(あるいは800円)も高く、購入する羽目になっていたではないか。

 「でも、買い逃すよりはマシでしょ」、もちろん、(ある意味では)その通り。

 これが、オークションの“罠”なのである。

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*2000年11月30日:小ネタを3題


 これといったイベントも話題も無かった日なので、手帳から3件ほど。

* 「ラストコンチネント」(山田章博)が、どこか“心地よい”理由が、判ってしまった。主たる舞台が“昭和31年”だからだ。つまり、「ゴジラ」(昭和29年版)の時代、「ゴジラ」の世相なのである。
* 何故、ガソリン・スタンドでは、きりのいい(小数点以下第二位がゼロになる)数字になるよう、努力するのだろう? 検算しやすいから? 暗算で検算している客などいないし、電卓を使うのならば、小数点以下第一位で終わっている必要など無いぞ..と、つねづね不思議に思っていたのだが..今日は、いきつけのスタンドで、「37.68リットル」、入れられた。前代未聞の大事件である。
* 売り言葉に買い言葉の不毛な論争(以前)の絶えないネット・ワールドであるが..大昔、まだ“junet”が存在したころ、当時S社にいた(今は沖縄にいらっしゃる)Kさんが吐いた、名セリフ。
「優雅に無視する。建設的なフォローをする。これでなくっちゃね」
至言である。「建設的なフォロー」は、誰でも出来るが、「優雅に無視する」のが、難しいんだ。

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*2000年12月01日:彼ならやりかねん。


 「レコード芸術」誌の記事を、ちょっと読み間違い。


「(フルトヴェングラーの、)死の二ヶ月の、最後の録音」

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*2000年12月02日:ある“ライフワーク”


 久しぶりにフトンを干す。終日、読書。

 現在、775冊まで減っている「積読リスト」だが、この中で、非常に“重い”のが、小学館の「世界美術大全集」(全28巻)と「世界美術大全集 東洋編」(全17巻)である。(東洋編は、あと1巻で完結する。)まだ3冊しか読んでいないのだ。

 「画集なんか、サクサク片づくさ!」、と、当初(数年前)は楽観視していたのだが..もんのすごっく! 時間がかかる! まるで百科事典を読んでいるかのごとくである。

 基本的に、このシリーズは、分厚い。画集とはいいながら、文章の量が非常に多く、もちろん、図版の量も非常に多い。文章から図版への参照(リンク)が豊富であって、読み飛ばせない。つまり、とんでもなく情報量が多いのだ。そしてまた私には「絵の中に“入ってしまう”」という“業病”があるのを、すっかり忘れていた。[;^J^]

 この大全集の読破計画は、ここまでのペースから逆算すると、マジでライフワークになる。(1冊/年なのである。[;^J^])冗談じゃない。(アタマから片づけていかないと気が済まない、という、もうひとつの“業病”により)ようやく「先史美術と中南米美術」「エジプト美術」「エーゲ海とギリシア・アルカイック」に目を通したのだ。20世紀に辿り着くまで、あと25年も待ってられるか![;^.^]

 ..ということで、取りあえず文章は読まずに(文章は、いつか将来読むことにして)、図版とそのタイトルだけを眺めていくことにした、という次第。“極力、絵に入らずに”、である [;^J^]。その甲斐あって、一日がかりで、第4巻「ギリシア・クラシックとヘレニズム」だけは片づいた。[;^.^]

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*2000年12月03日:Nさん資料、第2便


 11/17に届いていた、Nさん資料(第2便)の整理を、ようやく(いったん)終わらせた。「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」の作品リスト(全集未収録分)に、50項目追加することになる。

 “いったん”というのは、初出誌情報が不明のものが、多数、含まれているからである。典型的には、新聞記事の切り抜きであって、新聞名も掲載年月日も記入されていないもの。こういう場合、ほとんど調査不能なので、“初出情報不明”のまま、リストに掲載するしか仕方が無いし、これはこれで、“一件落着”なのであるが..そうでもない(初出データは一切欠落しているが、調べて調べられないことはない)ものが、非常に多いのだ。

* 映画の広告に寄せているコメント。これは、この映画の公開年月日を調べて、その前後の新聞各紙を横断してスキャンすれば、見つかる可能性が高い。
* その他の物件の広告も、同様。それが、いつ(新)発売されたのかを、調べる。
* 活字のフォントやレイアウトから、初出誌(初出紙)の見当がつくことがある。
* 手塚治虫のコメント中に、「もう30年間も(漫画家を)やってきて」などとあれば、そこから、年代の見当がつく。
* 作品名に言及していれば、そこから追い込める。(「来年公開予定の火の鳥の新作云々」など。)世相(事件など)に言及している場合も、同様。

 ..とまあ、いろいろと“頑張り”が効く状況なので、“ひと揉み”(“ひと暴れ”と書きそうになった [;^J^])してから、リストに記載することにする。ファイッ ファイッ!

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 6 2000 
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