*2000年10月09日:「お気楽スタバト・マーテル」オフ
*2000年10月10日:宇宙の中心
*2000年10月11日:「人間昆虫記」のデータ、一応確定
*2000年10月12日:人にものを訊く前に..
*2000年10月13日:「二日酔いダンディー」、コンプリート!
*2000年10月14日:耐震工事など
*2000年10月15日:「失楽園」元ネタリスト
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*2000年10月09日:「お気楽スタバト・マーテル」オフ


 というわけで、「お気楽スタバト・マーテル」オフ。ロッシーニの「スタバト・マーテル」、モーツァルトの「ハ短調ミサ」、ヴェルディの「スタバト・マーテル」の、三本立てである。

 朝から結構な降り方の雨。シンセをかついでいくのはしんどいが、仕方がない。横浜の実家の自宅前のバス停から8:41の便に乗り、幡ヶ谷の会場に着いたのが、定刻の10:30少し過ぎ。

 午前中は(午後の本会の会場とは別室で)合唱の練習。今回、初めての試みとして(私が関わる、ここ数年のFCLAの演奏オフの全てで使われてきた)C氏の管理するPAではなく、J氏の私物のPAを使うので、合唱の合わせが終わったあとの昼休みに取説を読む。(本会の会場は午後しか借りていないので、午前中はセッティング&音だしが出来ないのであった。)

 午後いちから設営&セッティング&音だし。問題無し。重低音のパワーに余裕が無いので、今回、「出来れば..」と依頼されていた「ヴェルディのスタバト」の大太鼓パートでは、十分な音量が出せそうもないが、これはそもそも、従来使っていたC氏管理のPAでも無理な相談。(大太鼓の音圧は、そんじょそこらのスピーカーで再現できるようなシロモノでは無いのである。)(結局、大太鼓の音は出さなかった。後述のハープパートと、出番がかぶっていることが判明したからである。)

 ロッシーニのスタバトではシンセの出番が無いので、久しぶりに合唱に専念する。(ポジティブオルガン系などの定番音色であっても、曲中でのこまめな音量調整のためにシンセに貼り付かざるを得ず、従って、歌っている余裕も無い、というのが、これまでの実態なのであった。適切な音量調整をする能力が鍵盤奏者に無い、というわけではなく、要するに、モニター環境が不備なのである。この問題は、いまだに解決していない。機材の問題というよりは、私の仕込み時間(仕込み能力)の問題である。)

 クラシックファンであっても、「スタバト・マーテル」と言えば、ペルゴレージかプーランクの作品しか知らないのが、むしろ普通であろう。しかし、ロッシーニとヴェルディの「スタバト」は、それぞれ、実に個性的で素晴らしい作品なのである。前者は、その、あまりといえばあまりなほどのメロディーの美しさによって。後者は、その、劇的な雰囲気によって。

 モーツァルトのハ短調ミサでも、合唱。鍵盤奏者のKさんがシンセでオルガンパートを担当。上述のように、音量調整が心配で仕方が無かったのだが、ここは心を鬼にして [;^J^] 合唱席に。悪いバランスでは無かったと思う。歌の方も、まぁ歌えた(というか、音は拾えた [;^J^])。お気楽オフでは、何度か取りあげている曲なのである。

 ヴェルディのスタバトでは、(Kさんが帰ったこともあって、)合唱ではなく、シンセでハープパートを担当した。このハープパートについては(何しろ事前にスコアを入手出来なかったので)心配でしかたがなかったのだが、直前に配布されたパート譜を見ると、意外に平易。なんとかこなせた。(とはいえ、左手パートは、適当に音を間引きしましたが [;^J^]。楽譜どおりに弾くことにこだわって落ちるよりは、近似値であっても(正しい和声で)音を鳴らせる方がマシじゃ [;^.^]。それに、ほとんど全員、私がズルしたことに気が付かなかった(譜面にそういう風に書かれているのだろうと思った)はずである。)

 幡ヶ谷駅前(というか駅の上)の、いつもの店で反省会(宴会)。久しぶりに美味い酒。(毎晩のように天狗で飲んでいる廉ワインや、深夜に自宅で飲んでいるジャックダニエルのジンジャーエール割りが、美味くない、と言っているのでは無い。これらは“日常の酒”なので、改めて“美味い/不味い”が問題になるような対象では無い、ということなのだ。)

 (備忘:幡ヶ谷駅発新宿行きは、22:43、22:53、23:06。今夜は22:53発に乗ったが、これだと新宿駅で東京行き各停にギリギリ飛び乗ることになり、東京駅着が23:23。「ムーンライトながら」は東京駅23:43発。つまり、幡ヶ谷駅22:53発が、事実上のラストチャンスである。23:06発に乗った場合、新宿で飛び乗り(に準ずるロスタイム極小接続)が出来ないと、ながらに乗り遅れる可能性が有る。)

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*2000年10月10日:宇宙の中心


 予定どおり、有休取得。「ながら」で(早朝)3:55に帰宅したからといって、出社不能と言うわけではない(なにしろ、「ながら」車中で、そこそこ寝ている)のだが、まぁ、無理するほどのことは無い。

 サルバドール・ダリの画業において、特に重要なロケーションが、ボルト・リガドである。この、スペインの片田舎の、ひとけのない小さな湾(というか入り江)は、ダリによれば、世界の中心(宇宙の中心)なのである。ここを描いた、彼の数々の名作を観ると、たしかにそうかも知れないな、と思う。

 (あるいは、ダリにとっての“宇宙の中心”は、「ペルピニヤン駅前広場」だったかも知れない。出典がどこだったかすぐには想い出せないのだが、そういう発言を読んだ記憶もある。彼の、「ペルピニヤン駅 自作《ポップ、オップ、イエス、イエス、ポンピエ》の真上で反引力状態にあるダリを眺めているガラ、−−そのダリ作品の中に、われわれは、隔世遺伝的冬眠状態にあるミレーの「晩鐘」の気がかりなふたりの人物を思いやることができ、そのふたりの背後の空は突如としてペルピニヤン駅の真中で巨大なマルタ(矢羽)十字に変形し、全世界がその一点に集中する」、というタイトルの作品を観ると、なるほど、そうかも知れないな、とも思う。)

 とはいえ、ダリにとっての“宇宙の中心”が「ボルト・リガド」であったか「ペルピニヤン駅前広場」であったかは、本質的では無い。今回の論旨にとっては、実はどちらでも構わないのだ。彼が、それ(“宇宙の中心”)を持っていた、ということこそが、本質的なのである。

 私は、“宇宙の中心”と呼べるロケーションを、持っていない。

 「ペルピニヤン駅前広場」になぞらえて言えば、「浜松駅前」か? 確かに、浜松駅(北口)の直近にある「天狗」「フォルテ」。さらに徒歩数分以内にある「アクトシティ」「有楽街」。この圏内にいる時間が、極めて長い。しかし..ここは、“宇宙の中心”では、無い。そこまで言える場所では無い..

 では、「自宅」か? 「自宅の書斎」が(というか「自宅全体が書斎」なのであるが)“宇宙の中心”か?

 そう断言できれば、どれほど幸せだろうか..残念ながら、私の「ミクロコスモス」たる「書斎」は、まだ、“宇宙の中心”とは言えないのだ。成長と凝縮が、まだまだ不完全なのである..

 ..そう言えば..

 ..学生時代の、下宿の雀卓。あの、いつ果てるとも知れない、無駄で無意味な遊戯の無限連鎖。あの時間、あの空間..

 ..あれこそ、確かに、“宇宙の中心”であった..

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*2000年10月11日:「人間昆虫記」のデータ、一応確定


 「3軒茶屋の2階のマンガ屋」から、(会社宛に)「プレイコミック」誌の70/12/12号、70/12/26号、71/02/13号が届いていた。これで、「人間昆虫記」の「天牛(かみきり)の章」の初出誌情報が、


天牛の章:102:プレイコミック:70/09/26,70/10/10,70/10/24,70/11/28,70/12/12

 ..と、確定した。また、最終章(「きりぎりすの章」)のデータも、


きりぎりすの章:76:プレイコミック:70/12/26,71/01/09,71/01/23,71/02/13

 ..と、事実上、確定した。

 今回入手したのは、両端の70/12/26号と71/02/13号であって、71/01/09号と71/01/23号は未読(未入手)なのだが、これらの号については、


1.数年前にチェックした某古書店のカタログにおいて、それぞれ「「人間昆虫記」の掲載有り」という記載があった。
2.全集版では、70/12/26号掲載分と71/02/13号掲載分の間に37頁有り、これは丁度連載2回分に相当する。
3.70/12/26号は(「プレイコミック」誌の)第3巻第24号、71/02/13号は第4巻第3号なので、この間には、ふたつの号しか存在し得ない。また、当時の「プレイコミック」誌は、毎月第2・第4土曜日発行なので、その日付は71/01/09号と71/01/23号である。

 ..という3つの証拠から、掲載されていたのは確実である。やれやれ、やっと(一応)片づいた。無論、確実を期すためには初出誌を閲覧するに越したことは無く、今後も探し続けることは、言うまでもない。(かつて某古書店のカタログで見つけた時は、抽選負けして入手出来なかったのである。)

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*2000年10月12日:人にものを訊く前に..


 数日前、ネットニュースの fj.rec.music.classical に、「『だったん人の踊り』の『だったん人』の語源について教えて下さい」、という投稿があったのだが、「だったん人はだったん人に決まってるじゃないか」、と、シカトしていた。

 親切(あるいは暇)な人たちが、フォローしているのだが、要するに、代わりに辞書を引いてあげているだけである。彼らの負担した工数を別にしても、質問者自身にとっても、自分で辞書を引く手間よりも、質問ニュースを書いている手間の方がかかっているのである。不思議なことをする人だ。

 ま、それはともかく..(フォローしてくれた人たちに対する返事(礼状)を未だに書いていない)質問者のかわりに、「そうだったんですか..」、と、返事をしてあげたくて、仕方がないのだが。[;^J^]

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*2000年10月13日:「二日酔いダンディー」、コンプリート!


 S堂から、「別冊まんが王 1971冬季号」が届いた! これは“オークション発注”していたものである。即ち、この(S堂の)カタログから発注する際、一点だけ、オークション価格をつけることが出来る。競合発注者がいなければ、オークション価格に関わらず、カタログに記載されている価格で購入できる。もしもふたり以上競合した場合は、最高のオークション価格をつけた人が、その価格で購入できる。

 「別冊まんが王 1971冬季号」は、カタログ価格が4000円。オークション価格は、さんざん考えて、12500円とした。そしてオークション価格で落札したのである。トホホ、嬉しい [/_;][;^.^]。

 オークション価格が高すぎると思われるかも知れないが、これは外せなかった(絶対に確保したかった)のだ。実に10年近く探してきた物件。これでついに、吾妻ひでおの初期の大傑作「二日酔いダンディー」が、全エピソード、揃ったのである!(この作品のエピソード数は、私が把握している限り、全18本。マガジンハウス社の単行本に収録されたのは15本で、未収録作品が3本、残っていたのであった。)

 同時に発注していた「少年パンチ」誌2冊は、落選。まぁ、仕方がない。「少年パンチ」誌は意外とタマが出てくるので、まだまだチャンスはある。

 ネット古書店群に検索をかけて、聖レイを2店で計3冊発見。大漁である。(「みだら女(びと)」と「レイプ女子高3年B組」と「淫唇エアロビクス」..こういうタイトルを平然と書けないようでは、半人前である。)無論、片端から発注する。

 「デビルマンレディー」文庫版の第7巻と第8巻を購入し、単行本(新書版)と照合チェック。単行本の第12巻第5章から第16巻第4章までの分を、収録している。異同は(見落としがなければ)、文庫本第8巻の第191頁から194頁までの4頁と、第305頁から306頁までの2頁、以上2箇所の追加のみ。これらは、有意で本質的な描き足しとは言えない。はっきりいって、ページ合わせのフィルアップ程度のものである。

 文庫版の完結まで、あと1巻。大規模な加筆訂正を、期待しているからねっ ["^J^]凸

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*2000年10月14日:耐震工事など


 午前中だけ、休日出勤。W君とふたりで、部署内の(大型地震の際、転倒しかねない作業台や什器などの)耐震工事を行う。要は、床や壁への固定である。

 鳥取西部地震にケツを叩かれての泥縄作業では無いっ! 数週間前に済ませておかなければならなかったのにも関わらず(面倒諸般の事情で)後回しにしていた作業を、本日(ようやく)片づけたまでのこと。鳥取西部地震とは、なんの関係も無いっ!!(..って、いまいち胸を張り切れないのは、気のせいかしら。[;^J^])

 午後は、遠鉄デパートへ。年に一度の「北海道物産展」。ここで、「いくら丼」と「ソフトクリーム」を食べるのを、毎年、楽しみにしているのである。

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*2000年10月15日:「失楽園」元ネタリスト


 「失楽園」と聞いて、あなたが何を連想したかは知らないが、常識的には、ジョン・ミルトン。百歩譲って諸星大二郎だろう。その諸星版失楽園の、現在までに判明している限りの元ネタリストを、記しておく。(諸星系の掲示板に書き込んであるのだが、以前に述べたように、“掲示板のログ”というものは概して残りにくく、少なくとも“調査”が伴ったような書き込みは、別の“媒体”に保存しておくべきであるから。)

 (以下、「孔子暗黒伝 2」(ジャンプスーパーコミックス)所収の版に依る。)


*125頁、第1コマロダン「地獄の門」
*132頁、第8コマ青木繁「海の幸」
*144頁、第5コマボッシュ「十字架を担うキリスト」
*154頁、第8コマダリ「偏執狂的批判的街の情景」。以下、砂漠&荷車の後ろ姿の絵の元ネタは、基本的にこれ。また、ダリに同趣向の作例、多数あり。
*162頁、第1コマボッシュ「快楽の園」。以下、沼の情景と周囲の建物とオブジェは、基本的にこれ。
*167頁、第1コマラファエル「アテネの学堂」
*167頁、第5コマレオナルド・ダ・ビンチ「最後の晩餐」
*170頁、第2コマキリコ「不安なミューズ」(1917)
*170頁、第3コマ失念。
*177頁、第6コマレオナルド・ダ・ビンチ「モナリザ」
*180頁、第4コマゴヤ「着衣のマハ」
*180頁、第7コマ失念。確かルネサンス期の「最後の晩餐」ものだったと思う。
*188頁、第1コマ全体の構図に見覚えあるも、失念。細部には、ミレー「晩鐘」

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Oct 18 2000 
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