*1999年12月27日:会社でフィギュア
*1999年12月28日:超巨大パソコン
*1999年12月29日:古書をあさりながら帰省する
*1999年12月30日:Y2K前夜
*1999年12月31日:紅白歌合戦 '99
*2000年01月01日:大事故無し。小事故(恐らく)無数。
*2000年01月02日:人生ゲーム
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*1999年12月27日:会社でフィギュア


 まんだらけに発注していた「ミャアちゃん(猫山美亜)」のフィギュアが、会社に届いた。(一人暮らしだと自宅では受け取りにくいので、大概のものは、会社に届けてもらっているのである。)なにしろミャアちゃんなので、不見転で(後先考えず)発注したが、実のところ、私にはフィギュアの趣味は無い。人からの貰い物とか、LD等のボックスセットに入っていた、などのケースを除くと、自分でフィギュアを買ったのは初めてであり、当然、客観的に見て、これがどの程度の品質の商品なのか、判断出来ない。

 そこで、直属上司(部長)がフィギュア系なので、彼に判定してもらった。(職場環境についての論評を禁ずる。)結果、これは「フィギュア」ではなく「ドール」であり、布製の衣服を着けているのは、芸術的には価値が低い(本来、フィギュアは、布などに頼らずに衣服まで作り込むものである)とのこと。まぁいいや。

 それはそれとして、いくら昼休みとはいえ、机の上で堂々と開梱するのはまずい、という判断は働いたので、ふたりして机の下で、こそこそと開梱して品定めしていたのだが、余計まずかったかも。

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*1999年12月28日:超巨大パソコン


 いや全く、きょうび珍しいほどの巨大パソコンとしか、言いようがない。iBOOKのことである。雑誌掲載の写真ではそうも思わなかったのだが、実物を見て(比喩ではなく)息を呑んだ。

 まぁ、可搬iMacと思えば。実際、昔はマニアどもは、クラシックMacを担いで歩いていたのである。それを思えば、小さなものか。

 しかし、日本製Winノートなら、表示面積最大&外形寸法最小を目指して、液晶の外枠は極限まで細くなっているものだが、iBOOKは、機能的には無意味なビラビラをつけて、わざわざ外形を巨大にしている。日本人には、なかなかこういうものは作れない。その意味で、実にバタ臭いパソコンである。

 それにしても..別にiBOOKに限ったことではないが、居酒屋のカウンターで使えない(大きすぎて広げられない)「モバイルPC」に、なんの意味があるのだろうか? アメリカの居酒屋のカウンターの面積は、とても広いのであろう、とは、想像できるが。

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*1999年12月29日:古書をあさりながら帰省する


 東京駅に8時半に着いても仕方がないので、一本遅らせて、浜松発8時6分のひかり。新宿伊勢丹には、10時の開店直後に到着。

 恒例の大古本市である。会期は25日からで明日が最終日。既にめぼしいものは漁られた後&開店直後というわけで、びっくりするほどすいている。(2時間もすると混んで来たが。)あらかじめ注文していた、万博(1970)のパンフセット、計2点(合計5万3千円)は、両方とも当選していた。私は伊勢丹では非常にくじ運が強い。

 週刊アンポは、やはり出ていなかった。誰かが発注してゲットしていたのだろう。確信犯で見送ったのだから、仕方がない。前述のくじ運を考えると、申し込んでいれば当選したかも知れない。他、獲物は銀背8冊など。

 中野に移動。中野サンモールの立ち食いそばやが、2000年歓迎セールとかで、かきあげうどん(そば)に生卵をつけて220円。(普段はこの組み合わせで350円。)Y2Kで、はじめて得した。[;^J^] まんだらけでは、収穫ほとんど無し。

 神保町に移動。三省堂、コミック高丘、中野書店、その他。例によって、別に東京でなくとも買える新刊書ばかり、(三省堂で)買ってしまう。

 渋谷に移動。まんだらけでは、収穫ほとんど無し。

 まだ日も高いうちに、横浜の実家へ。

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*1999年12月30日:Y2K前夜


 何かは必ず起こる。たくさんの不具合が、必ず発生する。しかし..大規模な事故が起こるとは考えにくい。ミサイルが飛ぶことは、恐らく無い。

 それよりむしろ、とても些細な(誰もそんなところに、“システム”や“コンピューター”が組み込まれているとは考えてもいなかったような)ところで、足をすくわれるであろう。これは別に私のオリジナルな見解などではなく、自明の結論だ。対策する時間資源も人的資源も有限だったのだから、もっとも危険で大規模な被害を起こすであろう箇所から順に、直していた筈であるから。

 私が心配しているのは、コンピューターの誤作動などではなく、“便乗テロ”である。これは必ず起こる。これによる(例えば)広域停電の可能性は、低くないはずである..

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*1999年12月31日:紅白歌合戦 '99


 年賀状を書く。例年どおり、「謹賀新年」など裏面の印刷は妹に頼み、宛名は手書きである。せいぜい数十枚なので、この方が早いのだ。むろん、それなりのソフト&プリンタを使えば、全自動で宛名書きも終わるのだが、年に一度しか使わないソフト&ハードをメンテし続ける、というのは、並大抵のことではない。かつてはこれを行っていたのだが、結局、挫折した。数十枚のことならば、(不毛な)メンテをしているよりも、住所録(これ自体は、もちろんPCで管理されている)を読みながらサインペンで手書きする方が、「総経過時間」は、短いのである。

 エリツィン辞任。Y2K対策が間に合わなかったか? [;^J^] その瞬間、大統領でいたくはなかったか? [;^.^]

 紅白歌合戦。例年通り、前半は、これは一体どうなることかと頭(と耳)を抱え、後半、まぁ日本にも「歌手(というか、歌を歌える人)」はいる、ということに得心がいって、ほっとする、というパターン。それにしても..「音程」って、もしかして、死語?

 ベテラン勢の衰えが目立った。さだまさしも谷村新司も、声を失った。さだまさしの、あの透き通るような、青空深く伸びて行くかのごとき美声は、もはや二度と聴けないのか..

 小林幸子のコスプレは、もう駄目駄目。完全に壁にぶちあたっている。いまさらやめることも出来ないのだろう。年に一度の苦行と化したか。

 最高に素晴らしかったのが、郷ひろみ。これが中年の、40男の歌とアクションであるとは、誰にも信じられまい。いつまでも若く、かっこいい。まさにスター! まさに「歌謡曲」!

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*2000年01月01日:大事故無し。小事故(恐らく)無数。


 例年の正月どおり、素晴らしい晴天である。

 Y2K。現時点では、たいした問題は起こっていない由。4日(頃)に企業活動が本格的に再開するまでは、なんとも言えないが。

 それに..症状がすぐに出るような不具合は(ほとんど)無かった、というだけの話だ。既に内部的に日付が(例えば)1900/01/01にリセットされてしまったのに、それを直接表示する箇所が無いので気がつかれない、というシステムは、山ほどあるはずだ。そしてそういう(内部的には大間違いな)状況でも、大抵のシステムは(間違えながらも)動いてしまうのである。

 もっとも、ここまで一般化してしまうと、こんなことはY2Kに限った話ではない。多少のバグと誤動作を抱えつつも、大体動く(動いている)システム(製品)は、いくらでもある..というか、世の中のほとんど全てのシステム(製品)は、そうなのである。

 ま、Y2Kは、バグだしの役にはたったと言えそうだ。特需もあったようだし。(年末年始の徹夜待機組の皆様、ご苦労様です。m[_ _]m)

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*2000年01月02日:人生ゲーム


 3日前に「必ず起こる」と予言した「便乗テロ」であるが..どうやら、起こらなかったらしい。(小さな「悪戯」に類するものは、いくらかあったようだが。)意外である。

 「悪い予言なので、外れたのは結構なことです」、などという、世の似非予言者どもと同じ言い逃れはしたくない。ええ、しませんとも。

 予言が外れて、恥じいるばかりです。

 (数日前に、変電所への放火はあったんだ。あれのタイミングが合ってさえいればっ!(← 何かを見失っている。[;^J^]))

 妹夫婦が、姪と甥を連れて、遊びに来る。姪たちの「人生ゲーム」に、2回付き合わされる。

 私が記憶していたルールよりも、いくらか複雑になっているが..そりゃ、30年もたてば、ルールくらい変わるわな。驚くべき長寿ゲームであるし、実際、良くできている。年甲斐もなく燃えてしまった。

 これは困った変更だ、と思ったのは..最後に「人生最大の賭け」に破れた「敗残者」が落ち行く先が、「貧乏農場」ではなく、「開拓農場」になってしまっていたことである。

 別に、「農業(農民)」→「貧乏」、という、差別的認識を温存しよう、と言っているのではない。(そもそもこんにちの青少年に、「農業(農民)」→「貧乏」などという連想が出来るかどうか、疑問である。)「開拓農場」では「敗残者」にならないことを問題視しているのだ。(実に未来志向の、明るく前向きな結末ではないか。)ゲームとしての整合感(というかメリハリ)の問題だ。

 恐らくいまや、「農民」に限らず、「敗残者」という文脈で使って良い「職種」は、(「ホームレス」も含めて)存在しないのである。

 「風虎日記」の「1月4日」分を読んで、気になったので追記。

 新井素子が見出されたのは、奇想天外誌1978年の新人賞。同年2月号の選考座談会では、小松左京と筒井康隆がボロクソにけなすのに対して、星新一が激賞。紛糾の末、「あたしの中の……」が、入選無しの佳作5編中に選ばれた、という経緯があります。同誌79年4月号の読者コーナーでは、これを詠んだ矢野徹の秀句、「天つ星 小松筒井を吹き閉じよ 新井素子をひとり留めん」も。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jan 5 2000 
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