*1999年12月20日:O舎の古書目録
*1999年12月21日:信頼感について
*1999年12月22日:hello, world
*1999年12月23日:親からもらった肉体を..
*1999年12月24日:ハーモニューム
*1999年12月25日:お気楽千人オフ
*1999年12月26日:平穏な日常
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*1999年12月20日:O舎の古書目録


 O舎からも、古書目録が届く。例によって、高いものは思い切って高いので、とても手が出ないのだが、それでも、以前掲載されていた「ドグラ・マグラ」初版本800万円、などは姿を消し、高々数十万くらい。また、昭和40年代以降の文庫本などは、気のせいか、以前よりも手頃な価格に降りてきているような気がするので、これはちょっと、財布の紐を緩めざるを得ないかな。(数十万の本を買う、と言っているのではないぞ。)

 いつもながら、ここの目録は、リストそれ自体が読み物として面白い。しっかりした古書店の目録であれば、得意ジャンルに偏向しているものであるが、その例にもれず、探偵小説と、怪奇・幻想系に軸足を置いている。

 例えば、リストに収録されている著書・翻訳書・研究書等の冊数が一番多いのは、(案の定)澁澤龍彦なのだが、二番手グループに倍以上の差をつけて、300冊以上並んでいる。壮観である。

 面白いのは「外国文学」で、二部に分かれており、第一部の「国別」分類は、まぁ普通だが、第二部が「出版社別・叢書全集」。この第二部の前半の「出版社別」のラインナップが..先頭から順に、牧神社、出帆社、桃源社、薔薇十字社、森開社、南柯書局、創土社、現代思潮社、月刊ペン社、なのである。この邪悪な配列 [;^.^]。こんな並びが「便利で使いやすい」と思うような輩が、ターゲットユーザーなのである、この目録は。(なんで、僕んところに、送ってくるかな〜 [;^.^])国書刊行会はどうした、と、あなたがおろおろしているのはわかっているが、これは後半の「叢書全集」のコーナーに集められているので、心配するには及ばない。

 さて、何を注文しましょうかね。

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*1999年12月21日:信頼感について


 PC DOSを触ってみて、つくづく感じたことは..私は、キャラクタグラフィックス(のメニュー)が好きだ、ということである。最近、久しぶりに業務で使用したDOS起動のユーティリティ(CD−Rのベリファイを取るソフト)が、そういう顔をしていたので、改めて、そう思ったことである。

 年寄り趣味だと笑わば笑え。とにかく安定感がある。ウィンドウズの(メニュー)画面の方が、遙かに美しいのだが、このキャラクタグラフィックス画面には、OSが(我々には制御できない)自分の都合で勝手に落ちることはしない、という安心感を、与えてくれるのである。

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*1999年12月22日:hello, world


 午前半休。浜松中央図書館へ。「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」の、解説執筆のための調査である。

 先日、「awkやsedを使いこなしているので、perlに移行する必要がない(勉強するモチベーションというか、きっかけが掴めない)」というような意味のことを書いたが、そうも言っていられなくなってきた。業務上、perlで書かれたスクリプトをメンテしなくてはならなくなってきたからである。

 仕方がない。


「最初に書くべきプログラムは,どんな言語でも同じで,例えば次のものである。

 hello, world

という単語を印字せよ。」

 (出典は自明なので、略。)とりあえずここまでは、マニュアルを読まずに出来た。さて、ラクダ本でも読むか..

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*1999年12月23日:親からもらった肉体を..


 苦手なもの。イヤリングのために開けた、耳の穴。反射的に、眉をひそめて目を逸らしてしまう。こりゃ、もてるわけ無いわ。[/_;]

 最近の若い男も、しばしば耳に穴を開けている。やはり同様に目を逸らしてしまうが..この場合は、もてたりしたら大変なので、これはこれでオッケーである。

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*1999年12月24日:ハーモニューム


 午後半休。明日の「お気楽千人オフ」(マーラーの交響曲第8番「一千人の交響曲」を演奏するオフ)のためのシンセの仕込みである。

 鍵盤楽器と特殊楽器が非常に多い編成であり、シンセ代奏が必要になるのは、パイプオルガン、タムタム、鐘、グロッケン、チェレスタ、クラビア、ハーモニューム、ハープ×2。しかもこのうち5〜6台が同時に鳴っている箇所が、少なくない。

 つまり、全部、音にしようと思ったら、鍵盤5〜6台と奏者5〜6人が必要になる。実は鍵盤は、協力を募ればこのくらいは集められそうだったのだが、奏者が足りない。現時点では高々2名、という状況である。

 逆に、仕込みはある意味でシンプルになった。いろいろ検討した結果、第一奏者によって、第一部ではパイプオルガン、第二部ではハープ(2パートのうち1パート)を確保し、第二奏者はフリーハンドとして、残りのパートのうちもっとも重要な(またはもっとも弾きやすい)パートを、アドオンする..

 ..パートのアサインの仕込みは、この程度。

 音色の仕込みだが、今回の初物は「ハーモニューム」である。

 音楽事典を読むと、「リードオルガン族」を参照せよ、と書かれている。そちらを読むと、こんにちではリードオルガン族のうち芸術音楽で使われているのは、ハーモニュームだけである、と書かれている。

 ハーモニュームのソロのCDなど、持っていない。「一千人の交響曲」のCD(ショルティ盤)の、該当部分を耳を澄まして繰り返し聴き込む。確かに、懐かしい「リードオルガン」の響きがする。もちろん、XP−50には「リードオルガン」サウンドなど用意されていないので、調合しなければならないのだが..しかしこの「リードオルガン」の音は、何かに似ている..

 ..アコーディオンだ。

 アコーディオンのウェーブは、かなりたくさん手持ちがある。この中から、ショルティ盤のハーモニュームに最もイメージが近いものを選び、その素材(波形)にほとんど手を加えず、(つまり、「アコーディオンの音色」を「アコーディオンの音色」たらしめている「うねり」を加えずに、)セッティングしてみた。なかなかいける。これでいいじゃん。(「うねり」が無くなっただけで、アコーディオンくささが、ほとんど無くなってしまった。)実際、さらに作り込もうにも、ハーモニュームの音に対する素養(情報)が無いので、(探せば、ハーモニュームが鳴っているCDは、他にもあるはずだが、)これ以上いじっても仕方がないのであった。

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*1999年12月25日:お気楽千人オフ


 7時14分のひかりで、錦糸町の「木のアトリウム」へ。「お気楽千人オフ」である。

 シンセは、私のXP−50と、MIDI鍵盤として、Mさんのコルグ。同じくMさんが持ち込んできた、ヤマハのミニ鍵とカシオのミニ鍵。このミニ鍵は、シンセで「鐘」や「グロッケン」の音を出す時、XPやコルグとは別の鍵盤が使える方が、弾きやすい(叩きやすい)だろう、という配慮であった。ヤマハ機もカシオ機も初めて触るしマニュアルは無い、という状況で、いずれも鍵盤のタッチセンスが付かないのが難点だが、とにかくMIDIチャンネルの切り替え方が判ったヤマハ機を使うことにする。

 Micro Express(MIDIマージャー)で、コルグ機とヤマハ機のMIDI OUTをマージし、これをXP−50のMIDI INに入れる。XPのオーディオアウトをアンプへ。今回、このMIDIマージャーも(動作チェックはしておいたとはいえ)初物だったので、全くヒヤヒヤした。私は、過去何年間も、FCLAのオフにシンセを持ち込んでいるが、音が出るまでは、いつもいつも不安で仕方が無い。実際問題、音が出ない(出なくなる)理由など、いくらでも考えられるのである。

 接続OK。「一千人の交響曲」の第一部では、コルグ(の鍵盤)でパイプオルガン、ヤマハ(の鍵盤)で鐘、XP(の鍵盤)でパイプオルガンの足鍵盤パート。(音源はXP−50のみである。)同じく第二部ではコルグ(の鍵盤)でハープ、ヤマハ(の鍵盤)でグロッケン、そして、XP(の鍵盤)で、ハーモニューム、チェレスタ、パイプオルガンの足鍵盤パート。

 まずは、思い通りのことができた。初見の譜面に、なんとかついて行ってくれた鍵盤奏者たちのおかげである。私自身は、演奏中の音色とセッティングの切り替え、音量調整、及びスコアを読みながらの(今、どこを演奏しているかというキュー出しなどの)サポートを行った。(第二部では、XPの鍵盤の一部をアサインした、タムタムの演奏も。)

 「一千人の交響曲」を演奏するオフだが、おまけがふたつ。「グロリア」(ラター)と「第九」(ベートーヴェン)である。

 「グロリア」は、作曲者と曲名の印象から、疑いもせずに、ポジティブオルガン系の柔らかい音を用意していたのだが、リハが始まってから、想像とは全く異なる、リズミカルでダイナミックな、活力のある曲だということがわかり、慌てて、派手目のパイプオルガンに切り替えた。なかなか面白い曲である。

 「第九」は、鍵盤奏者のリクエストで、低弦の音を用意した。「チェロ+コントラバスで合わせて2〜3人」、くらいの感じの音である。妙に大編成の「低音・ストリングス・アンサンブル」みたいな音をセッティングしたりすると、絶対に浮くのだ。

 反省会(宴会)は、いつもの中華料理屋で。40人以上だったかな。帰りは東京駅から「ムーンライトながら」であるが、東京駅23時40分発であって、宴会が長引くようなら、23時前に辞去してタクシーに乗れば、丁度良いのだが、今夜は22時過ぎにお開きになったので、さすがにタクシーでは着くのが早すぎるし金の無駄。そこで電車で行くことにしたのだが..

 ..どう考えても、地下鉄で大手町経由が、もっとも合理的なのである。恐怖の大手町経由が。

 私は、大手町で降りて、無事に乗り換え(乗り継ぎ)が出来た記憶が、ほとんど無い。東京駅に移動して「大垣行き夜行人民列車」(今でいう「ながら」)に乗るはずが、何故か「代々木上原」の駅の外の駐車場で眠っていたという事件。同様に、人民列車に乗るはずが、何故か本人は新宿駅のホームの階段で(頭を下にして)ダイビングし、鞄は(後日)千葉県市川の警察署で発見された時も、いったん、大手町を経由していたのではなかったか?

 つまり、ワームホールなのである。ここに入り込むと、どこの時空に飛ばされるか、あらかじめ予想することはできない..

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*1999年12月26日:平穏な日常


 ..無論、昨夜は、無事に「ながら」に乗れた。大手町経由で東京駅までの同行者が、4人いたからである。(彼らの主観としては「護送」だったのかも知れないが。[;^.^])(備忘:東西線を降りたら、ホーム最後方の階段を上がり、改札を出る。そこに、東京駅地下までの通路がある。)

 しかし、油断はできない。昨夜は条件が異なっていたからだ。(「大手町の駅を知っている」という「主観」が4つも、同時に移動していたからである。)いつかまた、今度はひとりで降りたとき、上記の階段または通路はふさがっているか、あるいは、別のところに通じているであろう..

 ..それはともかく。[;^J^]

 今年の大きな行事は、昨日で終わり。特に休日出勤しなければならないほど溜まった仕事は無い。焼け石に水をかけても無駄だから、廃墟の大掃除はもちろんしないし [;^J^] 年賀状を書くのは毎年帰省してから(12/30頃)、と決めている。よって、久しぶりに、フリーな日曜日である。暖かい快晴。昨日買い損なった「百億万円」(唐沢なをき、アスペクト)を探すが、いきつけの複数の書店に、無し。どうも出版自体、遅れている気配である。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 29 1999 
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