*1999年08月30日:トリッキーなプログラム
*1999年08月31日:アイコラの謎
*1999年09月01日:戦線を伸ばしてはいけない
*1999年09月02日:改訂回数
*1999年09月03日:タラディ(夢日記から)
*1999年09月04日:誕生日
*1999年09月05日:デジカメを買う
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*1999年08月30日:トリッキーなプログラム


 私がプログラミングを「習った」のは、1978年に大学に入ってからである。初年度にFORTRAN、翌年度にアセンブラ。

 アセンブラの実習では、「FORTRANなどの高級言語では手の届かない、きめ細かい制御」を習った。「巧妙でトリッキーなアルゴリズム」もである。

 教官が教えてくれた例題のひとつ。詳細はともかく、その本質的な部分は今でもよく憶えている。ループを回っている最中に、ループしている箇所のプログラムコード自体を書き換えるのである。プログラムコードの一部をANDだかXORだかして、ビットパターンを変更すると、その箇所の命令コードが変わる。つまり、ループする度に、違う命令を実行するのであり、最終的にはそれは制御コード(ジャンプ命令)に変化して、ループから脱出してしまう!

 「なんと巧妙で、うまいトリックだ!」、と、私は素直に感動したものだ。

 こんなテクニックは禁じ手だ、ということは、今ではもちろん、良く理解している。商用プログラムで、こんなことをするべきではない。後輩のプログラマたちにも、「するなよ」、と指導している。

 しかし..「メンテ困難」と「メンテ不可能」とは、違うはずだ。世間ではこれらを(意図的に?)混同している傾向があるように思う。

 また、こういうテクニックを「知っていて使わない」ことと、「そもそも知らない」ことも、違う。最初から教えない、というのは、どうかと思う。なぜなら、これはまさに「コンピューターならでは」の、知的なパズルだからだ。

 「仕事」では「禁じ手」だとしても、「趣味」「芸事」としては、今後とも、広く伝えて行きたいと思うし、けっして、廃れることはあるまい。

*目次へ戻る


*1999年08月31日:アイコラの謎


 一体、アイコラのどこが面白いのか。なぜ、こんなものに興奮できるのか。

 その類の雑誌やウェブページを覗いてみたが、さっぱり理解できない。

 当人を脱がせたわけでは無いのである。その裸は、あなたが妄想する、その女優の裸ではないのである。

 結局は、想像力の枯渇、なのだろう。偽物の写真に頼らなければ、妄想の中で脱がせることもできないのだ。

*目次へ戻る


*1999年09月01日:戦線を伸ばしてはいけない


 論争をするとき、特に、その論争が長引いた時に、非常な長文を書き込む(投稿する)人が、しばしばいる。これは危険な行為である。

 戦線を伸ばしきることに等しい。

 人間である以上、完璧な論理にもとづく完璧な文章を書くことは、出来ない。どんなに注意深く推敲しても、必ず、どこかにつけいる隙が出来る。

 長い文章であればあるほど、その「隙」が発生する確率が高くなるのは当然だが、それだけでは無い。ことはそれほど単純ではないのだ。

 長い文章というのは、要するに一度に複数の主題を論ずるから、長くなるのだ。そして、その複数の主題の「組み合わせ」それ自体にも、「隙」が生じうる。例えば、「Aの件とBの件を同時に扱うのは、妥当なことでしょうか? 裏の意図があるのではありませんか?」、という攻撃を呼び込むことにもなる。主題が5つも6つもある論争文というのは珍しくないが、そんなことをすると、組み合わせの数が爆発してしまう。

 この「組み合わせ問題」を避けるために、主題ごとに別の文章として、立て続けに書き込む(投稿する)人も多い。しかしこれは実質的には、単一の長文と変わるところは無いのだ。読者と論敵は、「一連の発言」として、まとめて処理(認識)するからである。だから、論ずべき「主題」が多数あるとしても、ひとつ(あるいは、高々2〜3)を除いて、全て「捨てる」べきなのだ。その他の主題で敵を倒すことは、今回のセッションでは、諦める。あるいはそれらの主題では、敵に“「勝ち」を譲る”。

 一番、楽な議論の仕方は、「書かない」「喋らない」ことである。敵を挑発して、とことん「書かせる」「喋らせる」。頭に血が上った状態で敵が書きまくった長文は、矛盾だらけ、穴だらけ。その中から、一番美味しいところを選んで、一撃離脱。喧嘩は、手数、口数が少ないものが勝つのである。

 但し、双方がこれをやると、喧嘩の動きが止まり、ギャラリーからブーイングを浴びることになる。ここが難しい。というのは、ギャラリーに飽きられてしまっては、喧嘩に勝つ意味が無い。相手を倒すところを見せて、喝采を浴びなければならないからである..

 ..なんの話だったっけ? [;^J^]

*目次へ戻る


*1999年09月02日:改訂回数


 デスクワークというのは、要するに文書処理である。社内規定に従って、定められた書式の文書を起こし、回して行く。

 実にさまざまな規定があり、書式があるのだが、中には立ち腐れている、まともに運用されていない規定や書式もある。時代から取り残されて形骸化してしまった..というのなら、まだ救いもあるのだが、最初っから、相手にされていないようなものもあるのだ。

 それを見分ける方法は、簡単である。

 その規定なり書式なりが、「何回、改訂されているか」を、見ればいい。

 「改訂回数:0」は、駄目である。使えない。

 どんなに優秀な個人やワーキンググループが作った規定や書式でも、最初から完璧に仕上がっていることは、“絶対に”無い。何度も何度も手直しをして、ようやくこなれてくる。仕事に使えるようになる。改訂回数が多いのは、(その規定にとっても、作者たちにとっても、)決して恥ずかしいことではない。

 では、「改訂回数:0」とは、どういうことか。誰も、その規定なり書式なりを、まともに相手にしていないことの顕れなのである。それを「よりよくする」ことが、自分(及び自分の仕事)にプラスになる、とは、誰も考えていないことの証拠なのだ。では、そもそも、その規定や書式の存在意義は..? ということになる。

 この、「叩かれた回数」をポジティブにカウントする、という手法は、非常に適用範囲が広いのである。

*目次へ戻る


*1999年09月03日:タラディ(夢日記から)


 昔のドキュメントをひっくり返していたら、7年前の夢日記が出てきた。(今日は)ネタも無いし手も抜きたい、ということで、この中から一編、紹介することにしよう。(私は、いまでは「夢日記」は書いていない。これは、ものすごく疲れるのである。)


 医師(医局員?)である私は、ある日病院の研究室で仕事をしている時、大きな鉢植えの土の上に、奇妙な虫が数匹いるのに気がついた。形態はどことなくカメムシに似ているのだが、2本の後脚の代わりに刺のあるローラーがついている。脚×4、ローラー×1、である。このローラーで上半身を持ち上げて移動するので、4本の脚は宙をユラユラしている。これが数匹。何故かとても可愛く思えた。私はこれに「タラディ」と名付けた。まるで機械仕掛けであるかのごとく、見ていても何も食べないのであった。

 やがてタラディはペットとしてブームになった。どこの家庭でも、数匹のタラディを放し飼いにしていた。院内でもそうだった。(「タラディは本当に何も食べないのだろうか? 例え機械であったとしても、エネルギーの補給は必要な筈ではないか?」)ある夜、私は、研究室の床の上のタラディが「多過ぎる」ことに気がついた。(「殖えている!」)しかも、ひと回りからふた回り、サイズが大きくなっている。一部のタラディは変形している。即ち、2本の前脚がカマキリかエビの様な形態で、しかもバランスを逸して大型化していた。それが攻撃、捕食に用いられることは明らかだった。驚いて見ているうちに、それは別のタラディに背後から近づくと、鎌を打ち込んで破壊し、その上にのしかかって食べ始めた。(「共食いしている!」)共食いだけで繁殖できる訳がない。慌てて室内を見回すと、植木等の植物が、いつの間にか食いちらかされている。鳥籠の中の鳥がいない。(「小型のタラディなら、隙間から侵入出来るに違いない!」)それどころか、金属性の食器までかじられている。タラディは雑食性なのだ! 私はパニックに陥った。研究室を飛び出して、AやBをつかまえてこのことを訴えても、笑って相手にしない。実証しなければならないのだ。私は彼らの立ち会いの元、物置として使われていた狭い空部屋に大量の空缶を積み上げ、タラディを10匹程放り込むと、密閉した。

 私の不安をよそに、世間のタラディは確実に殖えていた。(「何故、誰も気にしないのだ?」)愛すべきタラディの発見者である私の、「タラディを駆逐せよ!」という懸命の訴えも、世間は好意的な微笑と共に聞き流すばかりであった。ある日、手近のタラディを腕の上に乗せてみた。激痛がした。タラディを引き剥がして床の上に捨てると、タラディのローラーが這った跡には、無数の切り傷がつき、血が吹き出し始めていた。消毒と止血をしながら、タラディは吸血性か肉食性かと考えていた。やがて人命が失われるのは間違い無い。恐らくは、幼児がやられるであろう。私はむしろ、その日が来るのを待ち望む様になっていた。その日が来れば、世間も私の警告を真剣に受け止めて、動きだすに違いない。タラディを発見し、必ずしも望んだ訳ではないとしても普及させた私の、社会的生命は失われるかも知れないが、それはもうどうでも良かった。

 一週間後、A、Bと連れ立って院内の廊下を歩いていた私は、大きな空缶用ゴミ箱に、清掃員が大量の空缶を押し込んでいるのを見て、ふと気になった。そのゴミ箱は大きいとは言え、明らかにそのキャパシティを越えて、どんどん詰め込まれている様に見えたのだ。A、Bも気がついた。私達は顔を見合わせると、清掃員が立ち去った後、そのゴミ箱を覗きこんだ。なんと、空缶はほとんど残っておらず、十数匹のタラディが、残った空缶をムシャムシャと食べていた。私達は一言も口を聞かずに、例の空部屋に走った。鍵が開いていた。そこには空缶も、元から置かれていたガラクタも無く、タラディすらいなかった。タラディの体の一部が散乱しているところを見ると、共食いしたらしい。恐ろしいことに、人骨が2体分あった。不用意に鍵を開けて入った者がいたのだ。生き残ったタラディは、鍵のかかっていないドアから出ていったに違いない。そして、共食いしたタラディは大型化するのだ! もう迷っている場合ではない。証拠も揃った。A、Bと手分けして、院内全体で緊急体勢をとるべく、走り回った。その途中で私は、一冊の古雑誌を拾った。『機械生命「タラディ」の恐怖』という短編が掲載されていた。熱にうかされた様に、私はそれを読んだ。ここに書かれている通りだ! その二流の短編は、砂漠と化した地球の光景で終わっていた。あの、人骨を残して何も無くなった部屋を思い出しながら、私は(「タラディは、地球を無に帰すために現れたのだ」)と確信した。

 そして二週間後、病院は脱出作戦決行のため、騒然としていた。今では、タラディはあらゆるサイズを取り得ること、その最少のものは1mmにも満たず、あらゆる荷物に忍び込み得ることが明らかになっていた。金属探知機をパスした書籍や衣類を搬出する職員達。しかし、全てのタラディを金属探知機で発見し得るのだろうか? 私は、カマキリの前脚を持ったタラディを見た日以来、タラディはあらゆる形態、あらゆる組成を取り得るのだと、直感していた。それに、地球上のどこに脱出しようというのか。玄関ホールの向こう側遠く、半ば廃墟と化した別棟の一階の廊下を、高さ3m近い、蛙の様な上半身と腐った戦車の様な下半身を持ったタラディが、ゆっくりと移動していた。(92/10/31 02:50)

*目次へ戻る


*1999年09月04日:誕生日


 休日出勤。床工事(フリーアクセスフロア敷設)の立ち会いである。

 今さら、めでたくもないが、誕生日でもある。

*目次へ戻る


*1999年09月05日:デジカメを買う


 来週後半に、ちょっとした小旅行をする。そのための準備として、ついに、デジカメを購入した。今まで、ずっと、欲しい欲しいと思ってはいたのだが、何かきっかけが無いと、なかなかアクションに結びつかない体質。大体、前回、生まれて初めてカメラを買ったのも、中国に旅立つ直前だった。(「シルクロード 恐竜紀行 '94」参照。)

 ニコンのCOOLPIX700というモデルである。実のところ、インターネットマガジンの記事だけを頼りに選んだのだ。(商品情報誌の類を読み始めると、キリが無いので。)「OAナガシマ 浜松西インター店」と、浜松駅近くに最近オープンした「CompMart」を車で2往復ほどして、カメラ本体と、コンパクトフラッシュ(48M)と、CFアダプタ(PCカード)と、充電式電池と、充電器を買いそろえた。

 あと、防寒系の装備も用意しなければならないのだが..この前スキーに行ったのは、何年前だったかな。腐ってるんじゃないかな。[;^J^]

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 8 1999 
Copyright (C) 1999 倉田わたる Mail [kurata@rinc.or.jp] Home [http://www.kurata-wataru.com/]