*1999年03月01日:「七夕の国」
*1999年03月02日:署名しない人々
*1999年03月03日:“へんなブタみたいなキャラ”
*1999年03月04日:ある被害者
*1999年03月05日:特に美人では無かったが
*1999年03月06日:「ガメラ3 邪神覚醒」
*1999年03月07日:K君の送別会
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*1999年03月01日:「七夕の国」


 「七夕の国」(岩明均)の第4巻が出ている。以前から気になっていたこの作品、連載も単行本も追いかけずに、完結するのを待っていたのだ。4冊まとめてレジへ持っていく。

 なるほど。「ジャストサイズ」のSFだ。

 あらゆる意味で“節度(コントロール)”の行き届いている、極めて上質な作品なのである。「全4巻」という長さも、まさに“ちょうど良い”。

 ネタバラシを避けるために、詳しくは書かないが、超能力(が引き起こす大災害)のエスカレーションが、作者によって完全に制御されている。決して暴走しない。ほとんどお約束と言ってもいい、国家警察との戦いについても、そうである。(その分、SFマンガにありがちな、支離滅裂な凄みや迫力には欠けるとも言えるのだが..)

 超越者たちを形容する「言葉」が、実に詩的(民話的)で素晴らしい。終盤ギリギリまで、いち地方都市(というか町)での、ドメスティックな事件の積み重ねで引っ張って行き、最後に一瞬、何かが垣間見える..そして..という、この構成法。これは6〜70年代の日本SFの黄金パターンであった。私は、半村良よりも、むしろ小松左京を思い出した。

 日本SFは、冬の時代(氷河期?)に入って久しいらしいが、SF小説はいざしらず、SFマンガの分野では、今でもこういう上質の新作が(平積みの山の高さから推測するに)良く読まれているらしいので、さほど悲観しなくても良いのではないか。

*目次へ戻る


*1999年03月02日:署名しない人々


 ネットニュースやメールでうとましいもの。それは、本文中に自分の署名も、名乗りもない記事である。

 神経を疑う。

 ヘッダの From 行には名前が書かれているのだから、いいではないか、と、彼らは主張するのかも知れない。しかしそれは、署名とは言えないのだ。

 郵政省メールを考えてみれば良い。確かに「封筒」には、差出人の住所氏名が書かれている。(書かない馬鹿もいる。)しかしだからと言って、封筒の中身の本文の署名を省略する人間が、いるであろうか? 表書きは表書きとして、本文の最初か最後に記名するのが、当たり前の作法である。読み手の便宜を考えれば、教わらなくてもそうするはずだ。

 ネットニュースで無署名記事を書く人は、大体2種類に分けられる。「パソコン通信出身者」か、「ここ数年以内にインターネットデビューした人」である。この2カテゴリに分類される人すべてが、署名しないと言っているのではないので、誤解無きよう。逆に、このどちらにも当てはまらない人(古くからのネットニュースユーザーであって、しかも、パソコン通信出身者ではない人)が署名しないことは、滅多にない。

 特にfjの古いユーザーが「必ず署名する」ことについては、元々、fjが「組織間のネットワークであった」という経緯もある。こういう歴史的事情を知らない(パソコン通信と同類のものだと思っている)新しいネットニュースユーザーが、「どうしてfjでは、みんな所属大学名や会社名を書くんだ! そんなに自分の肩書きが誇らしいのか! この学歴主義の社畜ども!(大意)」などという無知無明のタワゴトをほざいて嘲笑のまとになった、という、心和む愉快な事件もあったことである。[^.^]

 それはともかく。[;^J^]

 パソコン通信出身者が「署名しない」ことが多いのは、ある程度理解できなくはない。といっても、私が知っているパソコン通信はニフティサーブだけなのだが、ニフの通信ログでは、ネットニュースの「ヘッダ」に相当するものが、極めて短く、かつ、本文に物理的に“近い”場所にあるので、“本文が短い”場合、これ(ヘッダ)が「署名」として機能している、と見なせないことはないのだ。(そして事実、パソコン通信のメッセージには、極めて短いものが、少なくないのである。)

 無論、この場合でも、本文の少なくとも末尾には署名するのが、人間として当たり前の親切心ではある。一画面(高々十数行)以内のメッセージならばともかく、画面をスクロールして読んだあげく、末尾に署名がないと、このメッセージを書いたのは誰だったのか、確認するために、巻き戻さなければならない。

 私はいくつかのML(メーリングリスト)に参加しているが、その中のとあるML中に、ひとりだけ、こういう(署名しない)人がいる。数人が、何度かやんわりと指摘したのだが、頑固なのか(信念があるのか)馬鹿なのか(指摘に気がつかないのか)、全く改める気配が無い。

 もっとも、そのML内には、こういう人はひとりしかおらず、末尾まで読んで署名がなければ、「ああ、あの人か」と(ヘッダを確認しなくても)判るので、実のところ、現時点では実害はないのだ。いつの日にか「ふたり目」が現れた時に、問題になるであろう。

*目次へ戻る


*1999年03月03日:“へんなブタみたいなキャラ”


 財布の底から、期限切れ寸前の新幹線回数券(複数)が出てきた。今月15日までである。昨年12月に買ったものらしい。多分、帰省用に買った後で、年末年始のその時期には使えないことに気がついた、という、間抜けな状況だったのであろう。良くあることである [;^J^]。今月は上京する予定が多いので、なんとか消化できそうだ。危ないところだった。

 fj.rec.animation.oldies を読んでいたら、「火の鳥」のアニメ(鳳凰編)(私は未見)の中に“へんなブタみたいなキャラ”が出てくるが、アレは一体、なんなんでしょね、という記事があった。

 なんのことやら全然判らなかったのだが、フォロー記事を読んで、それが「ヒョウタンツギ」のことらしい、と気がついた。

 「ヒョウタンツギ」を知らない日本人がいるのか。そりゃいるんだろうね。そんな可能性を考えたこともなかったが [;^J^]。目から鱗が1ダース。

*目次へ戻る


*1999年03月04日:ある被害者


 見るも無惨とは、このことだ。

 ブームに火をつけたのは、多分、「本当は恐いグリム童話」なのだろう。新聞広告を見ると、100万部以上、売れている。パラパラと立ち読みしてみたが、なんだか当たり前のことばかり書かれていてつまらないので、買わなかった。まぁ、こんなのは常識だと思っている人ばかりではないのは、当然である。

 それはいいのだが、このベストセラーの山の周囲に、平積みされているのが..

 「本当は恐い日本むかし話」、「大人もぞっとする初版『グリム童話』」、「童話ってホントは残酷」、「グリム童話のなかの呪われた話」、「グリム童話のなかの怖い話」..

 可哀想なのは倉橋由美子で、「大人のための残酷童話」が、これらハイエナ同然の便乗本のコーナーに(巻き添えで)平積みされてしまっているのだった。

*目次へ戻る


*1999年03月05日:特に美人では無かったが


 キヤノンから電話。IX−4025(スキャナー)の修理の件の中間報告である。

 私が(PDの代わりに)送り直したCD−Rは、もちろん読めて、それに収められたスキャン画像によって、私が指摘した不良(横縞)は認識できたようである。これで問題を共有できたわけだ。実にめでたい。いや実際、「CD−Rを見ましたが、やはり症状は確認できませんでした..」という回答がきたら、なんと言い返してやろうか、どういう報復措置を取ろうか [;^.^]、と、悶々としていたのだ。

 キヤノン的には、この不良に手こずっており、(症状は確認できたが、原因が判らない、)難航しているのだが、私的には、問題は半分以上解決したも同然である。時間がかかっているから、と、中間報告をしてくれたのも、気に入った。

 T八にて。

 カウンタで隣りに座った、ボーイッシュな女性(おそらく女子大生)ふたりの雰囲気が、妖し過ぎる。明らかにタチとネコ..というか、両方タチに見える。この場合、ふたりの関係は、レズかホモか。

 相手の背中に腕を回して、接吻する位ならともかく..胸や内股の触りっこは、やめた方がいいなぁ。ここはそういう店ではない。

 目のやり場に困って、読書もままならないではないか。(← 叙述トリック初級編)

*目次へ戻る


*1999年03月06日:「ガメラ3 邪神覚醒」


 「ガメラ3 邪神覚醒」。結局、初日に駆けつけた。

 これは傑作である。必ず観なさい。

 「前作は観ておく方がいい」という情報は、ガセネタ。確かに、G1の画像が流れたりG2に言及されたりするが、ネタバラシされるわけでもないし、G1、G2の経緯を知らないと感興をそぐわけでもない。未見の人も、安心して良い。

 もっとも、三部作を通じて登場する(すなわち、シリーズレギュラーの)ふたりのうちのひとりである、雨男ならぬ「怪獣男」、大迫・元警部補の転落ぶりを楽しむためには、順番に観る方がいいかも知れない。[;^J^]

 もうひとりのレギュラー、ガメラと交感する少女・浅黄を演ずる藤谷文子の、棒立ち&セリフ棒読みの大根ぶりにも一層の磨きがかかっていて、息を呑む。もはやこの世のものとも思えぬ [;^.^]。いやホント。

 脚本には、問題が多い。どうもセリフがこなれていないとか、SFから離れて伝奇路線にしたわりには、オドロオドロのオカルティックな雰囲気が乏しいとか、思わせぶりに出てきた奴らは、単に思わせぶりなだけだったとか。[;^J^]

 しかし、それら全てを問題外の些事として吹き飛ばしてしまうのが、SFXと「ガメラ」の素晴らしさである。私は、これほど恐ろしくて巨大な「大怪獣」と「大破壊」を、久しく観た記憶が無い。(あるいは、いまだかつて観たことが無いのかも知れない。)

 「レギオン」同様、スチール写真を見ると「なんだこれは」と言いたくなる造型の「イリス」だが、彼の月下の(雲海の上の)飛翔シーンの幻想的な美しさは、日本の(世界の)怪獣映画の到達点と言えるのではないか。

 このイリスの美しさといい、渋谷の大破壊シーンといい、火の海に沈んだ京都で空を見上げて咆哮するガメラといい、マンハッタンで陽気なヤンキーどもと追いかけっこしていた大イグアナとは、全く比較にもならない。大人と子ども。横綱と幕下。

 そして、イリスと交感する少女・比良坂綾波^H^H綾奈を演ずる、前田愛である。[^.^]

 問題の、「熱いよ..」のシーンについては、「このシチュエーションなら、普通は脱ぐはずではないか」、という不満の声も上がっているが [;^J^]、この抑制されたエロティシズムがいいのだ。(いや全く、このシーンに限らず、徹底して肌を見せないのである。)私にはロ○の気は(ほとんど)無いが、その世界の人の気持ちも、判るような気がしたことである。

 これを書いていて気がついたのだが、ガメラがイリスをどうやって倒したのか、全く記憶に無い。つまり、その「あと」の展開で、印象が吹っ飛んでしまったのである。それほどのパワーがあるエンディングなのである。世論は賛否両論に(まさに)まっぷたつに割れている感があるが、私は、この幕切れを熱烈に支持する。

 繰り返す。

 「ガメラ3 邪神覚醒」は、日本が生んだ怪獣映画の到達点である。

 (それにしても、「あの三角関係は実は『死国』かも」という、大森望の卓見には、大笑い。)

*目次へ戻る


*1999年03月07日:K君の送別会


 今日は、横浜で16時から、(中学校時代以来の友人である)K君の送別会がある。色々考えたが、結局東名バスで上京する。(先日発見した新幹線の回数券は、帰りに使うことにする。)

 霞ヶ関で降りて、まず秋葉へ。リブレット100用の内蔵ハードディスクである。

 これまで2ギガで使ってきたが、これでは足りないのだ。携速を使って、仮想CD−ROMをHDに作るようになってから、一気に枯渇してしまった。いや全く、平凡社世界大百科と広辞苑と大辞泉とリーダーズプラス英和辞典を同時に持ち歩けないようでは、モバイルしているとは言えないではないか。(既に少し感覚が狂っているかも知れないが [;^J^]、少なくともこれだけは手元にスタンバイしていないと、出先での書き物に不自由することがあるのである。)

 あらかじめ、ニフのFTOSHIBAのログから、確かIBMの6.4Gがあったはずだ、という記憶をキーに検索して、型番(DBCA 206480)と(書き込まれた時点での)相場(46,800)をチェックしておいたのだ。

 まっすぐにTゾーンへ。38,400。即決。

 引き続き石丸でCDを10枚弱買ってから、これもいつもの癖で神保町に歩く道すがら、http://www.kakaku.com/ をチェックしていなかったことに気がつき、慌ててグレ電からダイアルアップ。どの店も38,400よりは高いことを確認して、ひと安心。[;^J^]

 ..日曜日に神保町に来ても、ほとんど休眠状態で仕方が無いことは判っているはずなのに、どうして何度でも(日曜日の神保町に)来てしまうのかね、俺は [;^J^]。「ホラーウェイブ 02」だけ購入し、横浜へ向かう。(道中、お茶の水駅の少し手前に、いかにも安かろう悪かろう早かろうな雰囲気の床屋があったので飛び込み、安く早く下手くそに刈ってもらった。私のメガネに狂いは無い。[;^J^])

 横浜駅から地下鉄でひと駅の三ッ沢下町の駅前の店で、K君の送別会。

 教職者である彼は、この4月から3年間、バングラデシュの日本人学校の教師として赴任するのである。

 単身赴任では無く、家族を引き連れてゆく。子どもの学校(及び幼稚園)のこととか、現地での生活のこととか、いろいろ大変であるようだ。

 前任者からの引継文書を見せてもらうが、大変興味深い。住居は、前任者が住んでいた家を“買う”のである。そして後任者に“売る”。減価償却しつつ。うらやましいほど綺麗で広い家のようだが、面白いのは、使用人「5人」も引き継いだことである。一家5人に使用人5人である。[;^J^]

 内訳は、コック、ベアラー(掃除&洗濯)、ドライバー、ナイトガード、ガードマン(門番兼庭師)。不要だと思えば、引き継がずに雇わなければいいのだが、慣れない国で慣れない生活が始まるのだから、何も言わずに前任者の薦めるとおりに雇うのが正解だろう。特に、ドライバーとガードマンふたりは「必須」だという。彼の住むあたりは、ダッカの中でも最も治安のいい地区らしいが、それでも日本ではないわけで、ガードマンは絶対必要。また、ダッカの道路は、日本人が運転出来るような状態ではない(走行中にバンパーをぶつけ合っているらしい。とするとO阪よりも酷いのか?)という。

 プロバイダはいくつもあり、日本人学校の教師は、皆、個人のPCをインターネットにつなぎ、asahi.comなどを購読しているらしい。K君も、IBMのPCを買った。海外での実績からIBMと東芝に絞り込み、最終的には、バングラデシュでのサービス体制が決め手になって、IBMに落ち着いたという。外で買って持ち込むと空港でトラブル可能性が無いとは言えないので現地で買う方がいい、という情報を、個人的には掴んでいたのだが、K君に伝え損なっていたのだった。ま、なんとかするでしょ。(← ひとごと。[;^J^])

 25年前の紅顔の美少年・美少女たちも、みなみな、40歳である。心地よく飲んでから、こだまで浜松へ..

 ..浜松どまりの便でラッキーだったと感じた、終点で車掌に起こされた私であった。[;^J^]

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 10 1999 
Copyright (C) 1999 倉田わたる Mail [kurata@rinc.or.jp] Home [http://www.kurata-wataru.com/]