*1998年10月12日:リプライメールが届かない
*1998年10月13日:私の貧乏性
*1998年10月14日:交通安全講習会/バドガール鑑賞オフ
*1998年10月15日:私のオペラ初体験
*1998年10月16日:憧れについて
*1998年10月17日:ザ・テレビジョン/蟻人境/ボンバ!、等調査
*1998年10月18日:Tさん宅で、手塚治虫の単行本調査
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*1998年10月12日:リプライメールが届かない


 私は、しばしば質問メールをいただくことがある。多くの場合、ホームページを見て、この人なら答えられるだろう、と、見込まれてのことなので、まことに光栄ではあるのだが..当然、全ての質問に答えられるわけではないのである。[;^J^]

 単純に、全く答えがわからない(答えの探し方もわからない)こともあるが、調べている時間が無い、という場合の方が多い。そういう時は、すぐにその旨リプライすればいいのだが、そういう余裕すら無く、結局返事も書かずに埋もれてしまったメール、というのも少なくはない。面目ない [;_ _]。私にメールを出したのに返事が来ない、というのは、ほとんどの場合、このケースなので、返事がもらえずにプンプンされている方は、事情を斟酌して下さい [_ _]。

 しかし、これとは別に、せっかく返事を書いたのに届かないケース、というのが、1〜2ヶ月に1回位、ある。差出人アドレスが間違っているのである。

 しかも、某法則を裏書きするかのように、たまに気合を入れて1時間以上文献をひっくり返して調査して返事を書いた時に限って、こうなるのである [;_ _]。これは疲れる [;_ _][;^J^]。

 返事を書く前に、まず、差出人アドレスが有効かどうか調べてからにしないとなぁ。UNIXでMHを使っている時には、whomコマンドで、少なくともそのホストに届くかどうかは、事前に調べられるのだが、Becky!で、こういうことできたかなぁ。

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*1998年10月13日:私の貧乏性


 とにかく、ポストイットを使い捨てられない。「貼って剥がしてまた貼って」というコンセプトのアイテムなのだから、当然ではあるのだが、完全に粘着力が無くなるまで、何度でも回収して再利用する。この節約(倹約)による金銭効果は、恐らく銭単位だろうと思うのだが..

 「裏紙」も、しつこく再利用する。白い面が残っている紙を捨てることが、体質的に出来ないのである。高校時代には「計算用紙」を、最低でも4回は使い回した。まず、黒鉛筆で全面を計算の下書きに使い、次に、その上から赤ボールペン(または赤鉛筆)で。3回目は青ボールペン。仕上げは(当時気に入って使っていた)緑インクの万年筆。

 全く見上げた倹約精神であるが..この文章を書いているのは自宅ではなく、居酒屋T八。書き上げたら、代行運転で帰るのである。

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*1998年10月14日:交通安全講習会/バドガール鑑賞オフ


 終業後に、会社で交通安全講習会。講話とビデオが30分ずつ。

 それにしても、警察の作る交通安全啓蒙ビデオというのは、どうしてこうも、絶望的につまらないのだろう? これが面白いと、あるいは教育効果があると、本気で考えているのだろうか?

 21時30分に、浜松駅で待ち合わせ。ニフのFCLAのG氏が浜松に立ち寄る、ということで、突発オフが企画されたのである。6人揃ったところでバドワイザー・カーニバルへ。現在、格安で飲み放題・食い放題をやっているのだが、時間制限(2時間)以降は延長できないので、これは採用しない。0時40分ごろまで、バドガールの曲線と量感を愛でつつ、たっぷりと飲み、かつ食う。それでも4千円かからない。料理もうまいし、いうことなしである。(最終的には、8人になった。)

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*1998年10月15日:私のオペラ初体験


 ..といっても、FM放送での話。

 確か小学校の上級か中学校に入ったばかりで、FM放送が始まって間もない頃。まだクラシックの観賞歴は、「運命」「未完成」「アルルの女」「新世界」といった水準で、オペラなど聴いた事もない、そんな年末のこと。

 なんとかいうオペラの音楽祭の実況録音放送があるらしい、と、新聞で知り、大掃除の暇を盗んで昼過ぎにスイッチを入れたのだが..重苦しい、いつ果てるとも知れない音楽に、10分程で辟易してしまい、そのまま部屋を出て大掃除を続けた。

 夕方、掃除を終えて、部屋に戻ってきて愕然とした。「音楽が、まだ続いている!」 そして重苦しさは相変わらずだが、なにやらチェロとコントラバスが、異様にクレッシェンドしてきたかと思うと、金管が、容赦のない途切れ途切れのリズムを、フォルテで刻み始めた。思わず気押され、居住いを正す。そして、遥かな憧れを秘めた、悲哀に満ちた寥々たる音楽から、低弦がうねるように下降した果てに、輝かしいファンファーレが、トランペットに朗々と吹きならされたとき、完全に、魂をえぐりとられてしまった..そしてひとしきり、輝かしい音楽が続いたのち、また、音楽は、暗く重たく沈んで行くが..(もはや、座を外すことなど出来ない..)その数十分後、異様に盛り上がって、ソプラノが延々と歌い続けたあと、大破壊と思しき音楽となり..そして、形容を絶するほど美しいコーダ..

 そう、私は、「ジークフリートの葬送行進曲」から「ブリュンフルデの自己犠牲」までを聴いたのだ。これがヴァーグナーの「ニーベルンゲンの指環」の最終夜、「神々の黄昏」のエンディングだったのである。

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*1998年10月16日:憧れについて


 それにしても、ティーンエイジャーの頃は、貧乏だった。中学生の身分では、例えばラフマニノフの「死の島」という、なんともロマンティックな題名を持つ曲の存在を知っても、そうそうレコードを買える訳がない。(大体、この曲のレコードなんか、ほとんど無かった。)

 で、こういう未知の曲を聴きたい時にどうしていたかというと、まず、

1.図書室にいって「名曲解説全集」のその曲の項目を(譜例も含めて)筆写する。(当時は、コピーなどなかった。)

 次に、

2.譜例を、暗譜するまでピアノで繰り返し弾く。ノートに書き写した解説を、暗記するまで繰り返し読む。
3.どんな曲だか、ひたすら想像する。

 ..書いていて思わず感動してしまった。[;.;](「指環」でも、これをやったのだ。誰か褒めて。[;^J^])

 この方法の欠点は、(必死になって想像力を働かせる結果、)大概、実際の曲の方が、想像上の曲に負けてしまうことである。[;^J^]

 高校生になると、

4.横浜のヤマハに通い、輸入スコアを立ち読みし、1フレーズ暗譜してはトイレに入り、隠し持ったノートに書き写す(時効)。

ということもやった。大学生になって、

5.上野の「音楽資料室」に通う。

という(まっとうな)手段を覚えた。

 今は、必要なCDは、買う。単に、容赦なく、買ってしまう。上記のような途中経過が無いのだ。そんな無駄な手間暇も時間も必要ないのだ。

 豊かな時代になったことには、いくら感謝してもし足りないが、(お定まりの言い草で恐縮だが)失ったものも多い。貧乏だった頃、手の届かない世界にある「美しい存在」に対して抱いた、あの、胸を締めつけられる様な「憧れ」は、もう感じなくなってしまった。

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*1998年10月17日:ザ・テレビジョン/蟻人境/ボンバ!、等調査


 先月は多忙のため上京できなかったので、ほぼ2ヶ月ぶりの国会図書館である。

 「手塚治虫のTVマンガ」の調べ残しを、残り全部。ついで、珍しい小説、「蟻人境」。

 さらに、従来見つけられていなかった新聞掲載のエッセイを、5つ発掘する。東京版ではなく大阪版をチェックしたのである。これが新聞の恐ろしいところなのだ。

 国会図書館の職員も明言しているが、「あの日の紙面」に再会できる可能性は、ほとんど無い(とは言わないまでも、極めて小さい)。全国紙が、各地方ごとに紙面を作っているのはいうまでもないが、さらに各地で、同じ日に何度も何度も版を重ねて、記事を差し替えている。速報性が命の新聞なのだから、当然のことだ。国会図書館(に限らず、大概の図書館)に収められるのは、そのうちのひとつの版(最終版?)に過ぎない。

 調査中、とり・みき調査に来ていたHさんと、偶然お会いした。

 閉館後、Hさんは神保町へ。私は(雨も降っていることだし荷物もあるし)神保町か現代マンガ図書館か、どちらか一方だけにしようと考えたあげく、現代マンガ図書館を選ぶ。「ボンバ!」の調査である。

 これは、作者自身に特に嫌われている作品のひとつである。その、暗いトーンがやりきれないということらしく、そう言われれば確かにそうかも知れないが..と、なんとなく釈然としない思いを抱いていたのだが..初出誌である「別冊少年マガジン」を読んで、解ったような気がした。何しろ、「ボンバ!」連載時の看板劇画が、平井和正と池上遼一の、あの「スパイダーマン」なのである! 「ボンバ!」は、これと2枚看板だった。さらにこの手のトーンの劇画が、他に4〜5本も連載されている。ギャグ漫画もあるにはあるが、焼け石に水 [;^J^]。とにかく雑誌全体が、救いの無い、暗鬱なムードに沈んでいたのであった。手塚治虫が嫌ったのは、この雰囲気自体であって、「ボンバ!」そのものではなかったのではなかろうか?(絶筆のひとつである「ネオ・ファウスト」が、この時代を舞台にしているのは、興味深いことである..)

 この後、時間も少し余ったし、雨も小降りになったので、結局神保町へ。コミック高岡で「電脳なをさん 第2巻」(唐沢なをき、アスキー)の印刷チェック。先週、ここで買ったこの本の印刷が、微妙に色ずれしているように見えたからだが、山の中から5冊ほどサンプリングしてチェックしたところ、全て同じ程度だったので、バグではなくて仕様である、と、納得した。書泉グランデで文庫本を1冊買ってから、横浜の実家へ。

 先日亡くなった、飼い犬「ベガ」(享年17歳)の、素敵な写真と、お骨..

 例の保険金詐欺事件の話題。殺人(未遂)については、まだ容疑段階だから置くとして、保険金詐欺については、どうやら確実らしいのだが..情けないのは、保険会社。どう考えても怪しすぎるのに、トータルで何千万も何億も払い込んでしまう。なんとワキの甘いことよ、これでも商売人か、海外の同業他社との競争には、一瞬も耐えられまいに..と、罵っていて、気がついた。

 これらの(いい加減な調査、いい加減な仕事をしている)保険会社は、ちっとも損をしていないのである。保険金の支払いが嵩めば、単に料率を上げればいいだけだからだ。

 つまり被害を被っているのは、一般の加入者だけなのであった。ますます腹が立ってきた。

 (腹立ちついでに演繹すれば、保険金の支払いがいくら増えても保険会社自体は損をしない、という事実から、「保険会社もぐるである保険金詐欺」というのも、論理的には成立しうるわけだ。今回の事件がそうだとは、言わないが。)

 「トータルリコール」をTVで観る。これまで観たことはなかったのだが、P.K.ディックの原作(「追憶売ります」)は、読んでいる。二重三重のどんでん返しが心地よい、軽やかなユーモア短編だったと記憶しているが..この映画は、なんだかなぁ..[;^J^]

 ..とにかく、大味過ぎる。シュワちゃんなんだから当然だと言われれば、確かにそのとおりなのだが..誰かがひとくさり状況説明をしては、シュワちゃん、大暴れ! また別の誰かがひとくさり状況説明をしては、シュワちゃん、大暴れ! ..これの、単調な繰り返しである。

 エンディングもおかしい。未見の読者のために、詳しくは書けないが、この展開ならば(原作の結末はさておき)映画として、ありうる結末は「アレ」しかない。ところがそうはならなかった。これはTV放映故のカットのせいだろうか?

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*1998年10月18日:Tさん宅で、手塚治虫の単行本調査


 Tさん宅を訪れるのも、2ヶ月ぶり。既に、雑誌付録のコレクションについては、大体調査完了している。今日から本格的に取り掛かったのは、単行本。まえがき、あとがき、そしてとりわけ、カバーの折り返しの「作者の言葉」の類である。泥沼である。[;^J^]

 大体、こんな断簡零墨まで浚っていては、いつまでたっても終わらないではないか..

 ..そう。それが本質なのだ。「完了」する(「完了」した)コレクションは、コレクションとは言えない。私の「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」は、事物ではなく情報のコレクションであり、そして「真正な」コレクションである以上、決して、完了することは無いのである。「未完」のまま、私は死ぬ。そして誰かが引き継いで成長させて行くか..あるいは凍りついたまま博物館入りするか..さもなくば埋もれ、忘れ去られることであろう..(「情報」のコレクションが「事物」のコレクションと大きく異なるのは、「散逸」しにくいことである。)

 「トータルリコール」のエンディングの件、気になったので調べてみた。詳しくは書かないが、やはりそういうことであった。つまり、観ている間に容易に想像できた結末そのものだったわけで、まぁ、なんというか。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Oct 21 1998 
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