*1998年06月15日:なぜ、掲示板を作らないのか
*1998年06月16日:分別収集について
*1998年06月17日:「深紅の帆」
*1998年06月18日:パソコン雑誌の危機 その一
*1998年06月19日:パソコン雑誌の危機 その二
*1998年06月20日:手塚治虫探偵クイズ/ひょうたん駒子/お山の三五郎/宇宙旅行/ジェットキング/光/スリル博士/旋風Z/ハリケーンZ、調査
*1998年06月21日:Tさん宅を訪問する
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*1998年06月15日:なぜ、掲示板を作らないのか


 先日は、よそのWebページにおける「掲示板」システムについて批評したが、それではなぜ、私のWebページには掲示板がないのか。

 にぎやかなのは好きだし、私のページは私の文章で固めよう、などという純血思想の持ち主でもないのだ。掲示板を設置しようと考えていたこともある。しかし、ふたつの理由でやめたのだった。

 まず、恐らくは、私のWebページの掲示板は、書き込み者同士の交流の場ではなく、(私に対する)質疑応答の場になるであろう、と予想されることだ。とてもじゃないが、フォローしきれない。

 もうひとつは、(実は、こちらが本当の理由なのだが、)もしも、掲示板に閑古鳥が鳴いてしまったら..だ、誰も書き込んでくれなかったら..私の、ガラスのプライドが、木っ端微塵に..[;^J^]

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*1998年06月16日:分別収集について


 職場では、分別収集の旗振り役を仰せつかっているが、その関係上、ここ数ヶ月で急展開している、全国的な「分別収集熱」には、無関心ではいられない。勤務先の属する地方自治体では、一般家庭のゴミは、来月から「19種類」に分別しなければならなくなる。ちょっと待て、と言いたくもなる。しかも奇妙なことだが、これは「事業所」には、「直接」は適用されない。当然、ここまで分別することが期待されているのだが、工場などの事業所は、回収業者にゴミ・資源を出すのであって、回収業者の分別能力がボトルネックになる。せっかく工場内でガラス瓶を色別に分別しても、回収業者が混ぜて粉砕する、ということも、ありうるわけだ。

 19種類の分別というのは、伊達や酔狂ではない。100円ライターを、そのまま捨ててはいけないのである。ガス抜きした上で、金属部とプラスチック部に分けなければならない。それならボールペンも、分解して捨てろというのか。

 正義は彼らにある。細かく分別するほうが、いいに決まっている。しかし現実問題として、缶飲料のスチール缶とアルミ缶も区別できない人が、多数派なのだ。アルミ缶には、「アルミ缶としてリサイクルせよ」、と、はっきりと明記されている。これでも、スチール缶と混ぜられてしまうのである。一般大衆の「分別意識」というのは、まだ、この程度のものでしかないのだ。

 法律や条例や規則を、「破っている」のでも「無視している」のでもない。その存在や意味に「気がついていない」のだ。

 「風土」が出来るまでは、機が熟すまでは、どれほど素晴らしい規則を作っても、全く無意味なのである。極端な例だが、戦国時代の日本人に、日本国憲法が理解できるだろうか?

 技術革新は、「半歩前進」でなければ、決して成功しない。どうように、あらたな規制や法律も、「半歩前進」でなければ、守られもせず、根づくことも無いのではないか。

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*1998年06月17日:「深紅の帆」


 アレクサンドル・グリーンの「深紅の帆」が、フレア文庫に再録(というか、初完訳)されたので、数十年ぶりに再読。小学生時代に河出書房の「少年少女世界の文学」シリーズで読んだのである。翻訳者も同じで「加筆・修正版」である。

 いつか王子さまが、深紅の帆の船で迎えに来る、という予言を信じる少女..という粗筋の紹介だけでは、なんとも他愛のない、少女趣味の物語としか思えないだろうが..これは読んでいただかないと、魅力を伝えきれない。ごく短い(ロシアの尺度なら、中編としても短い方ではないかと思われる)作品なので、一読をお薦めする。(ついでに、よほど大きな書店でなければ、まず、在庫は無いと思われるので、探し回る手間をかけずに、さっさと、紀伊國屋や八重洲ブックセンターなどの通販を利用することも、お勧めする。)

 「少年少女世界の文学」の、この巻は、ロシア文学のセットで、ベリャーエフの「金星探検」とカップリングされていた..今、調べてみたら、解説:星新一、挿絵:金子国義である! 思い出してみれば、確かに異様に個性的で魅力的な挿絵だった。この版で再読したい。実家に残っているかなぁ..

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*1998年06月18日:パソコン雑誌の危機 その一


 アスキーの経営危機は、既に旧聞。西和彦の道楽としか思えない諸事業については、特に論評する必要も感じないが(半導体事業を、まだやっていたとは思わなかった)、やはり本質的には、本業の出版事業の不振だろう。

 アスキーに限らず、どこの会社でもどこの業界でも同じことだが、事業の不振を不況のせいにしているうちは、論外である。こんなものは、言い訳にもならない。不況なんぞは、単なる外的条件のひとつなのであって、「好況だから儲かりました、不況だから儲かりませんでした」では、ほとんど自然法則(経済原則)を述べているに過ぎず、自分の仕事(あるいは関与)を、自ら「無きに等しい」と表明にしているも同然。不況でも儲け、好況なら、もっと儲けるのが、「仕事」であろうが。

 閑話休題。

 アスキーの雑誌事業が低迷しているというのは、実感として理解できる。なぜなら私は、10年位前までは、「ASCII」誌を定期購読していたのだが、ここ10年間は、同誌はもちろん、アスキー社のいかなる雑誌も買っていないからである。

 なぜ、購読をやめたのか。

 ターゲットを細分化しすぎたからである。

 昔は、「ASCII」誌だけ読んでいれば、ひととおりの(信頼のおける)パースペクティブを得ることができたのだ。ところが、ある時点で「DOS/V」や「Windows」や「インターネット」を、分家しはじめた。(しかも、各ジャンルごとに複数誌である。)それら全てに興味ある人間は、購読しなければならない雑誌が、一気に数倍に増えた。どれか一誌だけでは、情報が、ひどく偏るようになった。

 しかし、雑誌購買に回せる予算が、数倍に増えたわけではないのだ。サブセットしか買えず、しかもサブセットでは意味が無い(偏っている)となれば、サブセットどころか、一誌も買わない、というのが、普通の発想であろう。

 しかも、雑誌など読まなくても十分な情報収集が出来る環境が、急速に整備されてきた。言うまでもなく、パソコン通信とインターネットである。

 結局、アスキーの経営危機は、(西和彦の道楽とは無関係に)避けられなかったのであろう。(アスキーに限らず、ターゲットのセグメントを細分化している、全ての出版社について、同じことが言える。)雑誌の数を増やせば増やすほど、事態が悪化する、という構造なのである。

 個人的には、アスキーが潰れても、直接の打撃は無い。しかし、アスキーは、ある種の「象徴」なのであって、これが潰れることは望ましくはない。がんばって欲しい。

 それにしても、西和彦の首を切るのは、いかにも遅すぎたのではないか。これは、親会社CSKの経営者の責任である。

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*1998年06月19日:パソコン雑誌の危機 その二


 昨日に続いて、パソコン(及びインターネット)関係雑誌に関する話題である。

 どうして、これほど良く似た誌名の雑誌ばかりなのだろう。「ホカホカ弁当」と「ホッカホカ弁当」ほどにも違わない。先月、自分が買った(あるいは立ち読みした)雑誌の連載コラムが気に入っていたとしても、それの続きが掲載されている雑誌を探しきれない、というのが、現状なのである。次から次へと雑誌が潰れていかないのが、むしろ不思議である。

 ついでに。誌名に「Win」が含まれれば、まず間違いなくAV系である。まぁ大概は、表紙も中身も開いただけで“それ”とわかるのだが、中には、表紙は技術誌風、中のページにも、その類の写真は(ほとんど)掲載されていないものがある。コンテンツの本体(写真や動画)は、CD−ROMにあるわけだ。聞くところによると、この形式だと、家族に気づかれずに買える(家族は、CD−ROMの再生の仕方など知らない)ので、とても好評なのだそうである。[;^J^]

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*1998年06月20日:手塚治虫探偵クイズ/ひょうたん駒子/お山の三五郎/宇宙旅行/ジェットキング/光/スリル博士/旋風Z/ハリケーンZ、調査


 第三土曜日は、原則として国会図書館。

 「ひとみ」誌の「リンリンちゃん」の、前回調べ残した後半3ヶ月分。「少年マガジン」誌の「手塚治虫探偵クイズ」。これは創刊記念企画だった。「平凡」誌の「ひょうたん駒子」は1年連載なのだが、ラスト2回分を除き欠号。

 「小学三年生」誌の「お山の三五郎」。「四年の学習」誌の「宇宙旅行」は、ものの見事に「つづく」のまま中断。学年誌でこういうことは、しないほうがいいなぁ。子どもの夢を壊す。

 「漫画王」誌の「ジェットキング」と「」。「少年サンデー」誌の「スリル博士」。これは、エピソードの順番が大幅に組みかえられた上に、最終エピソードが全集版ではカットされている。

 「少年クラブ」誌の「旋風Z」と「ハリケーンZ」。後者は8月号のみ、付録回しで読めなかったが、おかげで謎が残った。「ハリケーンZ」は、貸本誌「炎」に一部が再録されたものを読んでいるのだが、今日読んだ分は、これと一致しない。非常に良く似ているのだが、ディテールが異なりすぎる。「炎」再録分は、(今日読めなかった)8月号の付録に全部収録されていた..にしては、量がありすぎるように思うし。いずれにせよ、作者があまり好んでいなかった作品らしい。全集未収録なのは、それも原因のひとつだろう。また、奇形に関するきわどいネタ(“ふためと見られぬ”顔を人造皮膚で隠している)も、こんにちでは問題とされるかも知れない。

 「国立国会図書館開館50周年記念 貴重書展」の最終日であった。全然知らなかった。ラッキー。実に興味深い歴史的書物が、多数展示されている。荒俣宏の著作で名のみ知っていた「スリナム産昆虫変態図譜」(メーリアン)の実物などを、たっぷりと鑑賞する。

 神保町。中野書店と翠光堂では収穫は無かったが、目録送付の申し込みをしておく。渋谷まんだらけ。唐沢なをきの「鉄鋼無敵科學大魔号」のキャプテン・コミックス版。どの店でも、島本和彦の在庫は極めて乏しい。

 都会では下着ルックがはやっているとかいうので、渋谷では期待していたのだが、もしかして、この、透けててフリルのついているタンクトップのことか? なぁんだ(って何が [;^J^])。

 横浜の実家へ。

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*1998年06月21日:Tさん宅を訪問する


 昨日(いつものように)浜松に日帰りしなかったのは、横浜のTさんのお宅を訪問するアポを取っていたからである。手塚治虫の雑誌付録を大量にコレクションされているということを、手塚治虫MLで知り、これは閲覧させていただなくては、と、連絡を取ったのであった。

 実家から徒歩5分のバス停。そこからバスで30分弱の中山駅(横浜線)。そこに車で迎えに来ていただいて、10数分。

 パピヨン種の室内犬、レオに、大歓迎される。

 黙々とチェック。「少年」誌の付録の「鉄腕アトム」、「少年ブック」誌の付録の「ビッグX」を、一通り走査した時点で、到底一日では調べきれない量であることが明確になったので、重点作品を先にチェックすることに作戦変更。「フライングベン」「魔神ガロン」「ナンバー7」など、初出データに不明な点が無いと(一応)考えられる作品は、後回し。

 とにもかくにも「バンパイヤ 第二部」である。「少年ブック」誌68年12月号の付録をチェック。「第4章 ヤモリ沢の怪物」のラスト4頁は、これまでの予想 を覆して、この付録に掲載されていた。大収穫である。また、「高1コース」誌の「ユフラテの樹」の前半の切り抜きが閲覧できたのも、大きかった。

 「ハリケーンZ」8月号の付録があったが、やはり「炎」掲載分とは違う(ような気がする)。きちんと照合するために、後日、国会図書館収蔵分のコピーを取って再調査することにする。

 本日調査した雑誌の付録は131冊。付録だけならば、(その他の切り抜きや文献を勘定に入れなければ)もう1日お邪魔すれば、ひととおり、目は通せそうだ。

 中山駅まで送っていただき、新横浜から、こだまで浜松へ。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 25 1998 
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