*1998年06月22日:メタなレム
*1998年06月23日:いしいひさいちのミステリ漫画
*1998年06月24日:書式について
*1998年06月25日:漫画・劇画・実写映画
*1998年06月26日:明るい頽廃
*1998年06月27日:いかにして画集を救うか その一
*1998年06月28日:いかにして画集を救うか その二
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*1998年06月22日:メタなレム


 私は、疲れれば疲れるほど、夜更かしすれば夜更かしするほど、早く(早朝どころか深夜のうちに)目が覚めてしまう体質なのだが、今夜は3時頃に目が覚めた。もっともこれは体質のせいというよりは、雨戸も砕けよと叩きつける、嵐の轟音のせいであろうが..

 理由はともかく、この時刻に起きてしまったら、あとはもう、どろどろと夢に溺れつつ浅い眠りを繰り返すのみ。暇な時にはレム睡眠貪りモードなのだが、これをやると、疲れが少しも取れないどころか、逆にぐったりしてしまうのだ。明日は(今日は)仕事なんだがな。

 しまいには、「7時に目を醒ましたが、どんよりと暗く、朝の7時だか晩の7時だか判然としない、という夢」すら観た。もう何がなんだか。[;^.^]

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*1998年06月23日:いしいひさいちのミステリ漫画


 創元推理文庫にラインナップを持っている唯一の漫画家(だったと思う)、いしいひさいち。私は、「ミステリギャグ漫画家」として広く一般に認知されるようになる以前から、彼のミステリ漫画に注目してきたつもりである。

 いしいひさいちのミステリ4コマ中、屈指の傑作を、紹介しよう。(ドーナツブックス所収だったと思う。)

 町医者にかかったものの、門から出た所で、力尽きて倒れた患者。あまりにも世間体が悪いので困った医者とその女房は、その死体の(以下、結末 → MASK

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*1998年06月24日:書式について


 私自身の、最近のネットニュースへの投稿から、引用する。内容はどうでもよろしい。注目していただきたいのは、字配りである。


        普通、そうですよね。というか、中学生のくせに、そのくらいの背伸びも
    できないやつは、情けない、と、言いたくなります。[^J^] 私も、当時の日記
    は、難しそうなかっこよさそうな(しかもオリジナルではない)フレーズのオ
    ンパレードです。

        「ツァラトゥストラ」は、高校に入ってからだったと思うけど、ソクラテ
    スやダンテやミルトンは、中学生時分の愛読書ですよ。あったりまえじゃん。

 ..この引用文は、(以下、ブラウザによる振る舞いの違いを避けるために、タグは全角で書く)<BLOCKQUOTE>されたものではない。<PRE></PRE>なのだ。つまり、最初から、各行の左にスペースを入れているのである。パラグラフの最初の行は、半角スペース8個、その他の行は、同4個。

 このスタイルは、非常に珍しい。お陰で、大量のログを高速スクロールで流し読み(というか流し眺め)していても、私の発言が引用されていれば(引用文が中空に浮いているので)逃さず認識できるのだが、これは予期せぬ副作用。

 なぜ、行頭に無駄なスペースを入れるのか。

 それは、1984年から85年にかけて、私が会社で使っていたドットインパクトプリンタに、左マージンを設定する機能が無かったからである。

 プリントアウトをファイルに閉じるためには、左マージンが必要なのだ。プリンタにその機能が無いのだから、自力で開けるしかなかったのである。

 時は流れて、そんなものを自分で設定する必要が無くなってからも..身についたスタイルを、今更捨てるつもりには、全然なれなくなってしまっていたのだった。

 それにしても、1989年にインターネット、1990年にパソコン通信を始めたのだが、1992年の時点でも、このような不要なスペースが各行につくスタイルは、(当時は、私以外にも、かなり大勢いた。同じ理由だったかどうかは不明である、)「転送バイト数が無意味に増える」「通信費の無駄」として、嫌がる向きが少なくなかった。今や、この程度の“無駄”は誤差範囲であり、現在、もっとも嫌われているのは、数十キロ乃至数百キロバイト(ときにはそれ以上)の、無意味な添付ファイルである。良い時代になった(のだと思う。多分 [;^J^])。

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*1998年06月25日:漫画・劇画・実写映画


 今日は、腹のたった2本の映画について書く。いずれも、多分10年以上前に、テレビで観たものである。

 まず、「火の鳥 黎明編(実写版)」(原作:手塚治虫、市川崑監督)である。まぁ、この豪華な俳優陣を見ていただきたい。

 大原麗子、由美かおる、尾美としのり、風吹ジュン、草刈正雄、ピーター、カルーセル麻紀、若宮富三郎、高峰美枝子、江守徹、草笛光子、林隆三、田中健、大滝秀治、沖雅也、仲代達矢..

 最高水準の原作に、(ミーハー的なラインナップではあるが)最高水準の俳優陣、そして(多分)一流の監督。これだけ揃えて、スカしか出来ないのだから、映画というのは面白いものである。

 もっとも、“戦犯”は自明だ。監督と制作(あるいは企画)である。何よりも呆れたことには、漫画の台本、アクション、ギャグを、そのまま実写でやっているのである。

 猿田彦が、張り詰めた緊張の糸をたって、思わず一息つくシーン。そこで彼は、軽く飛び上がると同時に、両足を伸ばしたまま直角に前に放り出し出し、そのままドスンと(尻と脚全体で)着地する..漫画の文脈でなければありえない、動作である。

 他にも、猿田彦とナギが山犬に襲われるシーンで、突然山犬がピンクレディになって、UFOを踊りながら歌ったり、空に向かって蹴飛ばされた人物がアトムに変身したり(アトムの主題歌付き)..

 これらのギャグは、漫画の文脈であってこそ意味を持ち、光り輝く。アニメ映画でも通用するだろう。しかし、シリアスな表情の登場人物たちが演じる実写映画で..(さらに呆れたのは、ヒナクを演ずる大原麗子が、ラストシーン、数十年を火口の底に閉じ込められて暮らし、老婆になっているはずだのに、全くメイクを変えずに、若々しい姿で(しかし“フリ”だけは老婆で)演じていたことであるが、これはまた別の問題。)

 なめているんじゃないか?

 もうひとつは、「ゴルゴ13」の、これも実写版。確か主演は千葉真一だったと思うが、タイトルも監督も、憶えていない。

 問題点は、上記「火の鳥 黎明編」と同じなのだが、中でも印象深かったシーンは..(多少の記憶違いは、勘弁していただくとして..)

 ..G13を追跡していながら、振り切られた刑事たち。チーフのデスクを6〜7人が、神妙な顔をして、無言で身じろぎもせず、取り囲んでいる。チーフが、何か一言二言しゃべる。すると、ひとりが“左足を大きく一歩踏み出して、左半身を乗り出すと同時に、左腕を、肩から肘までは下向き45度、肘から手首までは水平の角度で、左手は自然に開いたまま、前方に突き出し”、チーフに向かって「申し訳ありません、見失ってしまいまして」。この間、チーフを含めて残り全員、無言かつピクリとも動かず。(..10年以上前、テレビで観た情景の記憶なので、まるで違う可能性もある。左手ではなく右手だったかも知れない。また、伸ばした手は、チーフの机の上に置かれたかも知れない。しかし、確かにこのようなイメージで、記憶に焼き付いているのだ。)

 劇画であればこそ、意味のあるアクションである。それをそのまま実写でやって、どうする気だ? もしかして、劇画の構図・コマ割りを、そのまま絵コンテに流用したのか?

 なめているんじゃないか?

 「漫画」や「劇画」をなめているのではなく、「実写映画」をなめているんじゃないか?

 「漫画」や「劇画」の文法と、「実写映画」の文法は、違うのだ。徹底的にトランスレートしなければならないことが、判らぬスタッフでもあるまいに。やはり、「翻訳」にかける金と時間が無かった、ということなのだろうか?

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*1998年06月26日:明るい頽廃


 これも昔、ある雑誌をガソリンスタンドで拾い読みした思い出話だが、まぁ、今でも状況は同じなのだろう。

 確か、バイク系の雑誌で、ヤングなんとかという誌名だったかも知れないが、とにかく、ビキニのお姉さんが、意味も無くバイクに跨っている表紙である。内容をパラパラしたところ、「“族”仕様」とは言わないが、まぁそのへんの客層が喜びそうな誌面作り。連載漫画も暴走族が主人公で、十分に美化されている。

 驚愕したのは、読者の投稿欄である。

 構成は、そこらの普通の雑誌と、まるで変わるところは無い。しかし投稿イラストは、いかにも陰惨で暴力的な、荒んだものである。それはいい。驚いたのは、あるお便りで..「このまえ、事故って死んだダチの葬式に行ってきたんだけどさぁ、あいつずいぶんクスリやってたからさぁ、焼きあがってきた骨が、ピンクや緑に光っているんだ。おどろいちゃった」..で、それに対する編集部のコメント(お返事)というのが..「うん、やっぱり、体は大事だよね。みんなも、自分のこと、体のことを考えていこうよ!」

 ..このやりとりの、あまりに軽いノリ。題材(素材)になった「事件(事実)」は、本当に悲惨で、ほとんど猟奇的なものですらあるのに、(日野日出志の「蔵六の奇病」等を想起した人は、あとで職員室まで来なさい、)それについて語られる言葉は、まるで明るい青春..

 こういう世界もあるのである。

 逆に、そういう世界から、「こちら側」あるいは「その他の世界」を見たときに、どのように見えるのであろうか? まるっきりくだらないのが、退屈なのか、馬鹿馬鹿しいのか、理解不能なのか、恐ろしいのか、おかしいのか..

 ..想像もつかない。

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*1998年06月27日:いかにして画集を救うか その一


 美術愛好家で画集愛好家である私は、今までに2度、画集の収集・保存に関して精神の危機に遭遇し、そして2度、それから立ち直った。今日は、その1回目の「危機」について話そう。

 それは、20年以上昔のことだった。

 「画集」に収録されている複製の「色」は、「本物」の色とは異なることに、気がついてしまったのだ。

 これには悩んだ。私は、何を見ているんだ? 「本物とは異なる色の複製」に、なんの意味があるんだ?

 文学作品ならば、原書を読めば、問題なく「本物の実物」それ自体を読んだと言えようし、翻訳であっても、(翻訳の巧拙は別問題として)翻訳者の解釈に全幅の信頼を置く、という前提に立てば、これはやはり「本物の実物」それ自体なのである。

 音楽ならば、別の意味で問題は生じない。どのみち、ベートーヴェンが、その同時代人が、鳴らした音、聴いた音は、消滅してしまったのだ。手がかりは、楽譜をはじめとする文献資料だけである。だから、少々プアな機材でレコードを聴いたとしても、それ故に「本物」を聴かなかったことには、ならないのである。1000万円の機材でも、条件は同じなのだ。

 しかし、美術は、話が違う。(版画とかは別として、)唯一無二の実物が、地球上に存在するのである。「本物」は、それしかない。だからと言って「複製」に意味が無いわけではなく、物理的に・金銭的に「本物」を見られない条件であるならば、もちろん、「複製」で代用すればいいのだ。「それが、本物と区別のつけられない複製であるならば」。

 酷い場合には、同じ絵画作品なのに、ある複製では全体が緑がかっており、別の複製では紫がかっていることもある。印象は、全く異なる。これで、「本物」の代用といえるのか? これらの複製だけを見て、本物は見ずに死んだ場合、私の人生において、その絵画作品と、関わりがあったと言えるのか?

 追い打ちをかけたのが、高校時代の美術の教師の言葉。「絵の複製。もちろん、見るなとは言わんけど、こんなのは本物とはなんの関係も無いね。サイズについては言わないことにしても、ほら、このツルツルの手触り! 表面の凹凸はどうなってしまったのかね? 絵というのは、見る角度によって違うものなんだよ」

 これには、参った。数年間にわたって立ち直れず、画集をいっさい、買うことが出来なくなってしまった..

 ふたつのきっかけで、立ち直れた..これらの“呪い”から、解放されたのである。

 ひとつは、誰だったか忘れたが、マグリット展の講評で、「しかし、絵筆のタッチの残るこれらの作品の『表面』を見て思うのは、マグリットの真価は、複製となって始めて現れるのではないか、ツルツルの紙に印刷されるためにこそ、これらの絵は描かれたのではないか、ということだ」と書かれていたのを読んだこと。もちろん、逆説混じりなのだが、おや、と思った。(そういえば、ダリも、テレビの取材を受けた時に、「つねに、複製の方が出来がよい」と、ジョークを飛ばしていた。)

 もうひとつは、ある日、手元の画集数冊に収められている、ブリューゲルの「反逆天使の墜落」を見比べていた時、もちろん、全て色が違っており、どれが本当の色かは知るよしもないのだが、少なくとも、これは本当の色ではない、と判断できる複製、即ち、画集全体が薄茶色に色褪せており、その複製も「画集の色」に染められている、その複製が、「(私の主観では)もっとも色が良い」ことに気が付いたこと。

 要するに、オーディオ道楽と同じ事だったのだ。「音の缶詰」には、生の音とは違う存在価値があり、それは、生の音と完全に同じである必要はないのだった。このことに気が付いてから、再び、画集を買うことが出来るようになった。画集による色の違いも、それなりに楽しんで鑑賞しわけられるように、なったのである。

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*1998年06月28日:いかにして画集を救うか その二


 第二の危機は、数年前に訪れた。それは、久しぶりに(ものによっては、10年ぶり位に)画集を開いて、愕然とした時に始まった。

 変色していたのである。醜く、おぞましく。昨日、「全体が薄茶色に(セピア色に)色褪せた画集の“色の良さ”」について述べたが、この時私が直面したのは、そんな“美的”な、時には“高貴な”変色などではない、醜いアバタやシミだったのだ。これが、多くの画集を蝕んでいた。

 経年変化なのだ。ということは..これは、単調に悪化する一方なのだ。10年間で、これほど醜くなった。では、10年後には、どうなるのだ? 気が狂いそうになった..と言えば、もちろん嘘になる。しかし、「気が狂ってしまえればよいのに」とは、本気で思った。

 無論、原因を調べた。元の状態に戻すことは不可能だとしても、これ以上の悪化を食い止める、あるいは、進行にブレーキをかけることができないかと。

 調査前、直感的には、以下の原因が推測できた。

 まず、日焼け。背表紙やケースの色褪せは、これだろう。しかしこれらの部位の変色などは、私は問題としていない。日に当たらない(開いたまま陽光の下に放置することなどしない)、内側のページの変色の原因では、ありえない。

 次に、湿気。例は少ないが、これは「黴」ではないか? と思える変色(というか、病変)が、いくつかあり、これは保存方法(防湿、風通し)によって予防できるものなのであろう。

 第三に、もっとも症例の多い、各頁の周辺(天・地・側面)から攻めてくる変色については、これは「埃焼け」ではないか? と疑った。根拠も何も無く、太陽光線でも湿気でもなければ埃だろう、くらいの、適当な推測であった。

 書籍とネットで調べたところ、上記以外の、いくつかの原因があった。(「埃焼け」というのは、私の想像の産物であるらしいことも、わかった。)

 まず、酸性紙の酸化。水分と反応して硫酸が発生し、これが紙をボロボロにするのである。この場合は、直接の原因は「水分」ということになるが、まさか完全防水室に保存するわけにもいかないし、大気中には必ず水分が存在するのだから、これは避けられない病変ということになる。しかし、崩壊に至る病だとすれば、「茶褐色に変色していくだけで、崩壊する形跡のない」症状は、これだけでは説明がつかないのではないか。(いやまぁ、硫酸といえども、変色させる程度の威力しかないかも知れないし、また、現在変色だけで崩れる兆候のない本も、あと10年、20年たてば、ボロボロと崩れ始めるのかも知れないが。)

 もうひとつ、知ったのは、「太陽光線などの電子の攻撃によって生じる、リグニンの色戻り」である。除去しきれなかったパルプ中のリグニンは、漂白によって白くするが、この際、リグニンを分解する方法(分解漂白)と、ベンゼン環の官能基を変化させて残したまま変色させる(保存漂白)の2つに大きく分けられ、後者の方法は、あまり白くならないが歩留率が高いので、さほど高級でない目的によく用いられるが、経年変化によって、色戻りを起こす、ということである。この場合は、直接の原因は電子の攻撃であるが、これを防御しつつ鑑賞することは、相当難しそうである。[;^J^]

 結局、普通に鑑賞しつつ保存しようとする限り、(醜い)変色を防ぐ方法は、無い。酸性紙でなければ、真空パック(あるいは窒素注入)して、湿度をコントロールされた無菌書庫に保存すれば、そうとういいとこいくだろう。しかし、それでは意味がないのだ。おりにふれて、全く気まぐれなタイミングで(何かの本に、あるいは音楽や映画に触発されて)ひらくことが出来る状態でなければ、画集を手元に置いておく意味は、ないのである。しかし、ただ単に置いておくだけで、醜く病変して行くのを、座視しているのも忍び難い..

 この問題を、いかにして解決しつつあるかは、来週、述べよう。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 2 1998 
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