*1998年02月23日:「バンパイヤ 第二部」データ精細化
*1998年02月24日:「侵略円盤キノコンガ」
*1998年02月25日:普及率とマナー
*1998年02月26日:アイコンを作る
*1998年02月27日:“本物”について
*1998年02月28日:書架とルータとバックアップと
*1998年03月01日:「S&Mスナイパー」
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*1998年02月23日:「バンパイヤ 第二部」データ精細化


 3軒茶屋の2階のマンガ屋から、「少年ブック」1968年11月号付録(「バンパイヤ 第二部」(手塚治虫)掲載)、「とりのいち」(とり・みき)が送られてきた。これで、「バンパイヤ 第二部」の初出誌データが、“ほとんど”明らかになった。「少年ブック」の連載中、68年11月号と12月号が、連続して別冊付録のみの掲載で、これらは国会図書館にも現代マンガ図書館にも収蔵されていないので、11月号掲載分と12月号掲載分を、これまで分離できていなかったのだ。

 「第3章 奇獣ウェコとロックとのめぐり会い」の後半と、「第4章 ヤモリ沢の怪物」の“ほぼ”全部が、この付録に掲載されていた。これで、「第5章 犠牲」の全部と、「第6章 武州怪異記」前半の69年1月号には掲載されていない箇所は、68年12月号付録に掲載されたものと、確定した。

 僅かに問題を残したのは、「第4章 ヤモリ沢の怪物」のラスト、ウェコの変身の秘密の図解から始まる4頁が、この付録には掲載されていなかったことである。普通に考えれば、これは、続く12月号付録に掲載されたか、または、単行本収録時の描き下ろしである。物語の進行上、前者の可能性は極めて低い。(12月号付録は、舞台が大きく変わる「第5章 犠牲」冒頭からスタートしたと考えるべきである。)とすると後者だが..私は、この4頁を、どこかで(全集、及びその他の単行本以外で)読んだような気がするのである。「少年ブック」の別の号(の、あるいは特集記事)用に描かれたものが、ここに嵌め込まれた可能性を、捨て切れない。再調査だ。

 いずれにせよ、12月号付録の一部である可能性は、まずない、と判断して、「第4章 ヤモリ沢の怪物」の初出データは「少年ブック:68/11」としておく。

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*1998年02月24日:「侵略円盤キノコンガ」


 「侵略円盤キノコンガ」(白川まり奈、QJマンガ選書、太田出版)を購入、一読する。

 この作品も作者も、全く知らなかった。知る人ぞ知るカルト漫画家だった由。ストーリー自体は、いかにも平凡な、UFOの運んできた宇宙からの病原体(ここでは、小惑星帯からの宇宙胞子)パターンで、作品発表当時(1976)においての新規性については何ともいえないが、今となっては新味は感じられない。

 ただ、人類にとっての救いが一切無く、静かに滅亡してしまうこと。それを“良いこと”であるとする諦観。植物に埋め尽くされるイメージ..これらは確かに異色な要素であり、今でも読まれる価値があると思う。

 凄いのは、茸と化した少年が、ブランコをこぎながら月を見つめているシーンで、この見開きには、頁を繰る手が止まった。解説で称揚されているような「漫画史に残る名シーン」とまで言えるかどうかはともかく、ひとめ見たら、まず、忘れられない。QJマンガ選書は全巻買うことにしており、中には、(そういう事情でなければ)買う必要も読む必要も(私にとっては)無かったような作品も含まれているのだが、この巻は、ヒットであった。

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*1998年02月25日:普及率とマナー


 携帯やPHSのマナーの悪さは、常々問題になっている。一部のユーザーのことなのではあろうが、絶対少数とまで言い切れるかどうか。

 かつて、まだオートマ車が少数派だった時代、左腕を助手席のシートの背にかけて、運転していた馬鹿がいたと記憶している。「俺はオートマ車に乗っているぜ」と、誇示していたつもりらしいのである。

 今ではオートマ車のシェアは、90%を遥かに越えているのだろうと思う。こうなると、オートマ車であることを見せびらかすなどという恥ずかしいことは、出来ない。

 携帯やPHSについても、同じことが言えるのではなかろうか? いかに普及したとはいえ、道行く人の90%が所持しているわけではないのだ。雑踏の中で、必要以上にやかましく電話している連中には、どこか“誇示”の臭いを感じることがある。

 誰もが持ち歩く時代になれば、人ごみの中でわざわざ電話するなどという“恥ずかしい”ことは、しなくなるのではなかろうか?

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*1998年02月26日:アイコンを作る


 多分、15年位前に雑誌で読んだ話なのだが、今でも通用すると思うので、紹介する。

 ある大規模なアプリケーションを作った、アメリカの学者だかSEだかの学会発表である。

 そのシステムはGUIベースなのだが、なにしろ巨大なので、膨大な種類のアイコン(1000種類以上?)を作るはめになったそうだ。(この時点で、何か根本的に間違っていることに気が付くべきだと、私は思うが、それはさておき。)いきあたりばったりにデザインしていては、煮詰まってしまう。そもそもユーザーが、こんなに膨大な種類のアイコンの意味を、憶えきれる訳がない。

 そこで彼は、アイコンのデザインに関する、“独創的”なシステムを発明した。つまり、そのアイコンの“意味”を、主語、述語、目的語等の要素に分解して、それぞれをさらにパーツとして分類し、その組み合わせでアイコンをデザインすることを思い付いたのである。例えば、ユーザーを示すパーツ(A)、システムを示すパーツ(B)、掲示板を示すパーツ(C)、書くことを意味するパーツ(D)があったとして、AとCとDを組み合わせると、「掲示板へ書き込む」というアイコン、BとCとDを組み合わせると、「システムからのお知らせ」というアイコンが出来る。ユーザーは、これらの複合的な意味を持つアイコンをいちいち憶える必要はなく、パーツの意味だけ憶えておけばいいのである..

 ..と、得意満面の発表者を見ながら、日本人の傍聴者がぼそっとひとこと。「そのシステムは、数千年前に中国で発明済みである。」

 そう、彼は今頃になって、「漢字」をいちから開発していたのである。

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*1998年02月27日:“本物”について


 今日の話は、オールドSFファンでないと、意味がわからないと思う。学生時代、下宿の隣の部屋に住んでいた後輩が、聞かせてくれた話である。

 彼は、ティーンエイジの半ば位までは、SFなんぞは子ども騙しだ、と、軽んじていたそうだ。無理も無い。活字SFをほとんど全く知らず、SFとはロボットアニメのことだ、と思い込んでいたのだから。

 そんなある日、とある文庫版のジュヴナイルSFを、暇潰しに読んで..唖然とした。あまりの面白さに。これが本物のSFか! SFって、こんなに面白かったのか!

 その本の作者は、A.E.ヴァン・ヴォクト..

 ..いい話でしょ?

 このエピソードからは、ふたつの結論を引き出せる。まず、「腐っても、ヴァン・ヴォクト!」ということ。この後輩は、書名も内容も、(面白かった!という記憶の他は)憶えていなかったので、何を読んで感激したのか、私にもわからないのだが、恐らく、三流スペオペではないかと思うのだ。しかし、ヴァン・ヴォクトの作品は、駄作といえども、そんじょそこらのロボットアニメとは、全く格が違い、SFとしての匂いの濃厚さが桁外れであること。そしてそれは、SFの素人である少年にもわかるほどの違いであったということ。

 もうひとつは、この後輩は、「本物のSFファン」になるだろう、ということだ。小松左京やクラークやアジモフを読んで感動する。おおいに結構。実際、彼らの重量級の巨編は、SFに無縁のサラリーマンの読者をうならせることもある。しかし、彼らの著作を読んで感動した人が、はたして「SFの部分」に感動したかどうか、これは、ヒアリングしてみないとわからない。SFを離れた、論文あるいはロジックの部分(要素)だけでも、十分、面白く読めるからだ。

 それに比べて、ヴァン・ヴォクト。彼の作品ときたら、そこから「SF」を抜いたら、カスも残らない。全くもって“単なるSF”以外の何物でもないのだ。その作品に感動したということは、“SFそれ自体”に感動した、ということに他ならない。

 卒業と同時につきあいの途絶えた、あの美少年。今はどこで、何をしているのだろう?(私には、そういう趣味はないので、念の為。)

 付記:

 Van Vogt は、1960年代には「ヴァン・ヴォクト」と呼ばれていたのだが、のちに、正しくは「ヴァン・ヴォート」と発音することが知られるようになって、今ではおおむね、そのように表記され、呼ばれているが、一部の人は、まだ“g”を発音している。私は、基本的に「ヴァン・ヴォークト」、話題の内容に応じて「ヴァン・ヴォクト」または「ヴァン・ヴォート」と、表記しわけることにしている。

 付記2:

 私の選ぶ4大SF作家は..ベスター、クラーク、レム、ヴァン・ヴォークトである。

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*1998年02月28日:書架とルータとバックアップと


 東急ハンズに、代金引換で組み立て式書架の配達を注文しており、これが午前中に届いた..が、釣り銭の細かいのが足りず、いったん持ち帰って(というか、他所への配達の後に回して)午後に再び配達してもらうことになった。ということで、小銭を作りに、買い物に出かけようと思ったら..

 おお、大家さんの駐車場から出る小径すら、工事車両で封鎖されている。[;^J^] 1時間も待てば開きそうだし、今すぐでも、言えばどいてくれるとは思うが、それも面倒なので、徒歩で近所のスーパーへ。

 おやおや、改装を進めている(すぐ隣の空き地に、多分今月末位にオープンしそうな新店舗を建設している)ことは知っていたが、改装半額売り尽くしセール。ほとんど何も無い。[;^J^] 生鮮食品全滅。乾物、洗剤、お菓子、などが少々あるだけ。94年に中国奥地に旅行した時の情景を思い出してしまった。[;^J^]

 3時頃に、再び配達。支払いと組み立てをすませ、セッティング。この「リブロ」というシリーズは、ほどほどの大きさ(W861×D304×H900)で、取り回しやすく、使いやすいのだ。

 ルータ(MN128SOHO)の振る舞いを、調べる。ままならない点は、唯ひとつだけ。たまに(1日に1回位)、DNS(Domain Name System)サーバーを見失うのである。どういう条件の組み合わせで、こういう事態に至るのか、「リブート」、「PnPでLANカード挿入」、「PnPでモデムカードを挿入してニフに接続」、「ネットスケープ起動」、等の様々なアクションの順列を作り、17通りの条件でテストしてみる。全てパス。正常に動く。「時間」要因(長時間放置しておく等)が効いているのかも知れない。さらに言えば、接続先のインターネットクラブの環境も、常時万全とは言えない。しばらく放置して、臨床事例をコレクトするフェーズに移ることにする。仮にDNSサーバーが見えなくなっても、LANカードを挿し直せば回復するのだし。

 サブ機(T2150、A4ノート)は、日常的には全く使っていないが(PDをまとめ買いした時などは、半日以上、scandiskマシンになり果てているが [;^J^])、メイン機のリブを修理に出した時には、これが頼りなので、常に最新の環境で作業を続行出来るように、整備してある。となると、バックアップが肝要。ワーキングデータはMOに落としてあるが、いったんクラッシュしたら、Win95の再インストールから始まって、インターネット、パソコン通信、エディタ、その他もろもろをインストールし直してから、ワーキングデータを戻すことになる。これに丸一日かかる。

 ということで、メイン機同様、サブ機もvfatbakでまるごとバックアップしておくことにした。これによって、環境復活が1時間とは言わないまでも、半日のさらに半分で終えられる。

 問題は、完全なバックアップを取るためには、DOSで作業しなければならないことである。つまり、DOSからSCSI機器にアクセス出来なければならないのだ。(vfatbak自身は、フロッピーにでも分割バックアップを取れるのだが、現実的でない。)

 東芝純正のSCSIカード、SCSC200Aを認識するためには、確かCorelSCSIのドライバが..あぁ、これだけではだめだ、確か東芝カードサービスのドライバ群が..

 ..そうだ。思い出した。私がWin95で何に感動したかと言うと、このSCSIカードを、挿すだけで認識できたことだったのである。Win3.1で、CONFIG.SYSを手作業で書き換えて、これを認識するまでに、私は 血の涙 を流したのではなかったかっ

 古い環境を発掘すれば、DOS起動フロッピーからPCカード経由でSCSI機器にアクセスする環境は、必ず作れるとは、思う。しかし、カードサービスのドライバ群が、DOS起動フロッピーに入りきる保証は無い..というか、何か重要なユーティリティープログラム(scandiskとか)を追い出さないと、1枚に入りきらないのは、確実である。

 どうにも元気が出ない。そこで、PCカードからSCSI機器にアクセスするのは諦めて、リブで実績のあるパラレルスカジー(XpressSCSI)を使うことにする。これのドライバは小さいので、起動フロッピーに無理なく収まる。(とはいえ、vfatbakも同居させたので、レジストリエディタがはじき出された。)

 えーと、端子がわからないな。わけのわからんアイコンが書かれている。この3列ならんでいるのはCRT。この隣がシリアルか..XpressSCSIのコネクタはアンフェノール25pinオス、T2150側は同じく9pinオスである。この位、手持ちの変換コネクタやケーブル類を組み合わせればつながるだろうと思ったら..ダメである。まぁ火急の問題ではないから、明日、OAナガシマで、変換コネクタでも買うか。

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*1998年03月01日:「S&Mスナイパー」


 OAナガシマでシリアル変換コネクタを買い、久しぶりにお好み焼屋Dで、好物の「ニンニクオムソバ」を食べる。少し味か落ちたかな? それでも十分うまいが。

 リブのフロッピードライブを持ち帰るために会社に寄る。(リブのFDを持ち歩くのは面倒なので、使用頻度の高い会社に置きっぱなしにしていたのであった。T2150のフルダンプをvfatbakで取るついでに、久しぶりに、リブの方も(DOS起動で)取っておこうというわけである。)

 帰路、比較的最近(といっても半年以上前に)オープンした、古本屋Oで、90年の「S&Mスナイパー」誌を、8冊確保する。高橋葉介の初出誌調査である。この類の雑誌は、2〜3年以内のものでなければ価値は無いので買い取りません、と明言している古書店は多く、実際、古いものはなかなか見かけないのだが、あるところにはある。加えて、「S&Mスナイパー」は、名門である。連載陣も、沼正三、中田耕治、佐川一政、等、錚々たる顔ぶれである。今日、確保出来なかった分も、浜松では無理でも、神保町で半年以内に入手できそうだ。

 帰宅してから、T2150のvfatbakによるフルダンプに取り掛かる。XpressSCSIをシリアルにつなぎ、その先にはPDをつないで、DOSフロッピーからブート..失敗。ドライバがインストール出来ない..? おっとひとつ足りなかった、ドライバを追加して、CONFIG.SYSを書きなおして、再度ブート..今度は違うエラーメッセージ。パラレルポートの先のXpressSCSIを認識できない..?

 ...

 ...あのな。


 パラレルスカジーを、シリアルポートにつないで、どうしようっちゅうんじゃ、このタコ!! [;^O^]


 どうも昨日から、何か奥歯に物が挟まったような違和感を感じていると思った。どこでパラレルとシリアルを間違えたんだ? トホホ..(あなたは、昨日の日記を読んで、気が付きましたか?>読者への挑戦)

 XpressSCSIをパラレルポートにつなぎなおして、再度ブート。はいはい、当たり前のように認識されましただ。偉いえらい。PDにフルダンプを取る。これでサブ機は安心だ。ついでに、メイン機のリブ30のフルダンプも取っておく。PDとMO(128Mなので3枚組み)の、2系統。

 「S&Mスナイパー」誌チェック。どうやら、単行本「怪談」(朝日ソノラマ)の初出誌情報は、(例によって)正しくないようだ。高橋葉介の作品が掲載されているのは、90年2月から12月までかと思っていたら、この範囲では完結していない。前か後にはみ出している気配がある。(「怪談」には、1月号から12月号と書かれているのだから、この時点で疑う理由は無いと思われるかも知れないが、実は、2月号から「新連載」なのである。)古書店Oを、もう一度精査する必要がある。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 4 1998 
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