*1997年11月24日:「千人の兵隊の足音」
*1997年11月25日:玩具と幻視
*1997年11月26日:雲と「郷愁」
*1997年11月27日:コンビニを廻る夜想曲
*1997年11月28日:「鉄人28号」「らせん」
*1997年11月29日:風邪と嵐
*1997年11月30日:風邪と晴天
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*1997年11月24日:「千人の兵隊の足音」


 先日、「鏡に映る顔」という表題で、幼なき日々の恐怖体験を書いたが、今夜は、もうひとつの恐怖体験を想い出しつつ書き記すことにする。「恐怖体験」というと、ややニュアンスが異なるが..敢えて言えば、「緩慢な恐怖」ということにでもなろうか。

 それは、「鼓動の音」である。

 その音は、毎晩、確実に襲って来た。布団の中で、顔を横に向けて枕に耳を押し付けると、耳の奥で、「ザンッ..ザンッ..ザンッ..ザンッ..」という“深い”音が、底知れぬ残響を伴って、鳴り響くのである。

 私は、この音を、「千人の兵隊の足音」として、認識した。(確か別件で)病院に行った時に、医者に、「毎晩毎晩、千人の兵隊の足音が聴こえる」と、訴えた記憶がある。医者が何と答えたかは、憶えていない。

 無論、奇現象でもなんでもない。今、試しに枕に耳を押し付けてみても、遠く微かに、「ドックン..ドックン..」と聴こえるだけで、それは、あの、禍禍しい“足音”とは似ても似付かぬ音なのだが、そもそも、小さい子どもの方が、鼓動を聴きやすい、という、生理学的な理由があったはずである。

 あの“恐怖”を失ってしまったのは、ひとつには、大人になって“物理的に、聴こえにくくなった”こと。そして、あの異様な“音響”の“原因”を知ってしまったからである。

 幼年期の恐怖と言えば、忘れられないのが「シャイニング」(スティーブン・キング)である。これを読んだのは、もちろん、成人してからであるが、主人公の少年が感じる“恐怖”の、あまりのリアリティに愕然とした。大人になってから、なお、これほどのものが書ける(すなわち、幼年期の恐怖を憶えていた)キングの凄さに、心底、感服した。

 この作品中の、特に有名な恐怖シーンと言えば、バスルームの溺死体、そして、迫り来る動物の植え込みであろうし、確かにこれらも素晴らしいのだが、読んでいて文字どおり総毛立ったのは..主人公が、ある廊下を歩いているシーン。そこに、消火器がある。その消火器が“恐く”、彼はその横を歩きぬけることが出来ない..

 大人になると共に、幼き日々の“恐怖”は(しばしば、何故あんなものが恐かったのだろうという笑いと共に)忘れら去られ、そして、“恐怖”が失われると同時に、“幻想”も失われてゆく..

*目次へ戻る


*1997年11月25日:玩具と幻視


 なかなか素敵な玩具を、同僚が会社に持ってきた。幼稚園児から小学生向けの、ボールペン形簡易打楽器で、これで何かを叩くと、さまざまな打楽器の音が、リズミカルに鳴り響くというものである。

 超低コストで作られているにしては、打楽器玩具として実に良く出来ており、そのことだけでも十分楽しめたが(勤務先は電子楽器メーカーであるので、職業的興味も、無論、大いにそそられたわけだ)、私の関心を惹きつけたのは、そのフォルムである。宇宙船型ボールペン形状であり、そのボディは半透明のプラスチック。中のプリント基板と電子部品が透けてみえる。

 つまり、まんま宇宙船、あるいは未来宇宙都市なのである。思い込むことによって、そう見えるのだ。

 こういう“見立て”は、子どもが大いに得意とする能力であるが、自慢ではないが、私は今でも得意である。実に楽しい。さまざまな角度から眺めているだけで、終日遊べる。

 見たことはないのだが、子どもの“視覚”の、こういう特質をコンセプトとする画集が、10年か20年位前に、米国で出版されたと聞く。各頁には、見開きで、ボールペン、消しゴム、筆箱、その他の(子どもに馴染みの深い)文房具が大きく描かれているが、実は良く見ると、それらが全て(文房具の形状をした)宇宙船なのである。つまり、子どもの“幻視”を定着させたわけで、その意味で(それらの幻視を日常見慣れている)子どもには無用の書物。幻視能力を失った大人たちのための画集なのである。

 さらに、想い出す..これはもう、20年以上前に死んだ、名前も憶えていない、ある老画家(それも、中央画壇で名を成した大家ではなく、地方で朽ち果てた画家だったと記憶する)は、生前、「石ころひとつで三年遊べる」と言っていたという。

 この境地を、幸せと見るか哀れと感ずるかは、あなた次第。私の答えは、言うまでもない。

*目次へ戻る


*1997年11月26日:雲と「郷愁」


 私は、少なくとも9歳の頃までは、毎朝、夏ならば4時前後、冬ならば..はっきりとは憶えていないが、つまり、空が白み始める時刻に起きていた。それから、家族が起きて朝食の準備が出来るまでの3時間程のあいだ、何をしていたのかと言うと..

 ..窓際に座り、東の空を、ずっと見つめ続けていたのである..

 千変万化の形状にメタモルフォーゼしつつ流れる、雲の群像。それは、多くの場合、怪獣軍団だった。とてつもなく巨大な怪獣だ! 全長100メートルなんてものではない、数キロ、数十キロのスケールで測られる、緩慢な動作の大怪獣たち! あるいは、巨大な浮遊大陸。(遥か後年になって、松本零士版「宇宙戦艦ヤマト」の中に、全く同じイメージがあるのに気が付き、驚いた。)鉄腕アトムの「人工太陽球」のような、触手をもった怪獣の王。そして、異様な遠近法で宇宙の彼方まで延び行くかと思われる“森”。(これもまた、遥かな時を経て、サルバドール・ダリの名画「クリストファー・コロンブスのアメリカ大陸発見」を見出して、驚愕することになる。もはや“未来の追憶”としか、呼びようがない。)

 “幻視能力”に秀でた少年は、かくのごとく、無機物である“雲”の単なる物理現象に、物語を照射し、読み取り、そしてそれらをフィードバックして、自らの“幻視能力”を磨き上げていったのである。

 ヘルマン・ヘッセの「郷愁」を読んだのは、27歳になってから。この小説のプロローグとエピローグでは、かつての私と同様に、主人公が雲に映像と物語を読み取るシーンが、素晴らしい筆致で描き出されている。普通の人が、このビルドゥング・ロマンを読むであろう年齢より、およそ10歳遅れて読んだことになるが、遅かったとは、思わない。

 なぜなら、これは私のための小説。私に読まれることを待っていた物語だからだ。そう、確信できたからである。

*目次へ戻る


*1997年11月27日:コンビニを廻る夜想曲


 今の若い人たちは、(街中に住んでいる場合)コンビニの無い生活、あるいは、コンビニの無い街の風景というのを、想像できるだろうか?

 私が大学に入るまでは、コンビニというものは、存在しなかった。下宿して何年めに「セブンイレブン」が出現したのか、記憶が定かでは無いが..(このあたり、実家のある横浜のベッドタウンと、下宿していた千葉県野田市下三ヶ尾(← 知っている人は知っているだろうが、千葉パイレーツの地元である)付近しか見ていない、ごくごく狭い範囲の見聞であるが。)

 いやはや、驚いたものだ。食料品から下着から日用雑貨から雑誌から文房具まで、大抵のものは揃っている上に、コーヒーサーバー(不味い)まであるのである。当時のセブンイレブンは、本当に7時開店23時閉店だったのだが、(今考えてみると、サラリーマンはともかく学生にとっては、24時間開いていないと本当には便利ではないのだが、)それでも十分、驚異的に便利な存在であった。

 無論、批判的な意見は、当時から沢山あった。守備範囲が広いだけに、個々のジャンルを見ると品数が少なく、質も良くない。値段も高い。しかしそれは、やむを得ない物理的制約だ。それよりも、他の店が全て閉まっている正月三が日にも開店していることの、便利さと“暖かさ”。アニメ映画「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」(1984)の後半は、突如廃虚と化した友引町を舞台としており、そこで唯一生き残った施設は、主人公である諸星あたるの家と、「無限に商品が供給され続ける、無人のコンビニ」であり、主人公たちは「衣食住を保証されたサバイバル」を生き抜くのであるが、まさに、コンビニの特質を120%生かした、卓抜な発想であった。(これはもちろん、「“手の届く所(すなわち、波打ち際の難破船)に、なんでも揃っている”ロビンソン・クルーソー型遭難」の、極めて現代的なバリエーションでもある。)

 コンビニの、この容赦の無い、圧倒的な便利さは、インターネットにも通ずるところがある。今年の2月にフランクフルトに出張した折り、ホテルの部屋から、あっさりと日本のサーバーにつながり、日本にいるのとなんの変わりもなく、メールのやりとりやネットサーフィンをしていたのである。便利は便利だが、しかし“旅情”は、大幅に目減りしてしまった。自分が今、どこにいるのかすら、怪しくなった(というか、物理的にどこにいようが、それは第一義的な問題ではなくなった)。

 正月も開いているコンビニの便利さを、手放すつもりは毛頭ないが、昔々の、正月にはどこもかしこも閉まっており、習字の墨も半紙も買うに買えない、という、不便さ、寂しさ、清々しさが、懐かしい。

*目次へ戻る


*1997年11月28日:「鉄人28号」「らせん」


 光文社文庫版「続・鉄人28号」のラスト3巻(第11〜13巻)と、「らせん」(鈴木光司、角川ホラー文庫)を買う。鉄人28号文庫版は、これで全25巻完結。やはり、「少年」誌の増刊号(等?)に掲載された短編は、全く収録されなかった。これらの短編群の一部は、同じ光文社から出ている「鉄人28号 DELUXE」で読める。

 「らせん」は、文庫に落ちるのを待っていたのだ。前作の「リング」を文庫版で買ってしまったので、ハードカバーの続編は、買うに買えなかった。「リング」をハードカバーで買っていれば、とっくの昔に購入していたはずである。それと、私の友人のあいだでは、「らせん」の評価が(「リング」に比べて)低い、というのも、購入意欲にブレーキをかけていたのは、確かである。週末にでも読むことにするか..

 ..喉が暖かい。[;>_<] 急激な気温の変化に、ついに風邪をひいたか?

*目次へ戻る


*1997年11月29日:風邪と嵐


 駄目である。喉が痛い。明日の(都内での)法事のために、今日は朝から東名バスで横浜の実家に帰省する予定だったが、これは、人ごみの中に出られる状態ではない。実家に連絡して相談し、法事は欠席と決めた。

 かかりつけの薮医者、T医院へ行き、注射と薬。昼過ぎに帰宅して、うつらうつらと静養していたら、午後から、強風を伴う大雨となった。

 アパートの前の道は、瞬く間に川と化し、大きな葉っぱや木の枝が、素晴らしい速さで流れてゆく。嵐を好む性質なので、窓ガラスの内側の安全地帯から濁流を見物していたが、窓ガラスが心配になるほどの雨の吹き付けかたなので、風向きが変わる隙を狙って、雨戸を閉める。

 雨戸の暴れる音を聴きながら、うとうとと眠る..

 ..午前3時。風は収まったようだが、雨はまだ、盛大に降り続いている。喉は小康状態で、特に熱も頭痛もないので、少し起きて、ネットにつなぐ。とり・みき等を、紀伊國屋BOOKWEBとまんが王に、まとめて大量発注し、また、どろどろと眠りにつく。

*目次へ戻る


*1997年11月30日:風邪と晴天


 さすがに天の貯水量も尽きたか。嵐が去って、素晴らしい晴天となった。

 といっても、風邪はまだ直らず、喉はゲホゲホ。出かけられないほどでもないので、休日出勤をして、遅れがち滞りがちの事務処理&文書整理を、まとめて片づける。

 早めに帰って、早めに就寝。ここ数日、風邪を治すために、必要以上に長時間眠っており、それがために頭がやや重い。

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 4 1997 
Copyright (C) 1997 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]