*1997年09月29日:「最新版」について
*1997年09月30日:書架を追加する
*1997年10月01日:就職活動の追憶
*1997年10月02日:広島カープ
*1997年10月03日:「役不足」
*1997年10月04日:屍臭について
*1997年10月05日:「エヴァンゲリオンクラシックス」
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*1997年09月29日:「最新版」について


 書店では、新刊には大概「今月の新刊!」という腰巻きが巻かれ、「新し物」好きの客の気を惹いている。メンテの行き届かない書店であると、何ヶ月も前の(下手すると1年以上も前の)新刊に、この腰巻きがつけられたまま、色褪せていたりする。

 この、褪色した「今月の新刊!」を見る度に思い出すのが、私の以前の上司である。

 大体、月に一度くらい、社内の内線番号表が変更され、配布される。そのつど旧番号表を破棄するのだが、実際には、諸般の事情で、すぐには破棄できないことも、ままある。つまり、新旧の内線番号表が、同時に存在することになる。これをどうやって区別するか。

 彼は、新しい物に「最新版」と書くのである。それはそれで良い。では、この新旧両バージョンがある状況で、さらに次の版が届いた時には、どうするか。

 彼は、新しい物に「最新版」と書くのである [;^J^]。

 ここで既に破綻していることは、お判りであろう。「超」の次にはなんと書くのだ、という問題もさることながら、この手法では、ある内線番号表を見て、それが最新版であるかどうかを判定することが、論理的に不可能なのである。全ての内線番号表をかき集めて、それらを照合して最新版を決定しなくてはならない。誰かが定位置から持ち出している可能性を考えると、最新版を決定する手段は、事実上存在しない。(「まぁこの辺だろう」という、勘に頼るしかない。)

 正しい解は、いうまでもなく、新版が届く度に、その直前の版に「旧」と書くことだ。これで完璧である。「旧」と書かれていない版が、ただひとつだけ存在する筈であり、それが最新版である。定位置には「旧」と書かれている版しか存在しないのであれば、誰かが最新版を持ち出している。一点の曇りも無く、判定できる。

 しかし、世の中には、案外「超最新版」型アルゴリズムが多いように思う。書店で、先月の新刊から腰巻きを外す位のことは、たいした手間でもあるまいが、最新版ではない版に「旧」とマーキングするのが憚られる、という状況は、しばしばあるのであろう。

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*1997年09月30日:書架を追加する


 東急ハンズから、組み立て式書棚の追加、2点が届く。ひとつは、先週組み立てた物と同じスライド式で、これは鉋(カンナ)作業が必要。もうひとつは、スライド式ではない奴である。

 まず、軽い模様替え(というほどのものでもなく、今回の書棚を置く予定の場所にあった家具を、玄関脇にずらすだけ)をしつつ、ゴミをじゃんじゃん捨てる。

 組み立て方の勘所は、もう判っている(まだ憶えている)し、鉋をかける段取りも、万全である。前回は、組みあがってから、鉋作業が必要であることが判明したので、組みあがったまま鉋をかける、という、非常に能率の悪いことをするはめになったのだが、今回は、組み立て前のパーツの段階で、鉋をかけることができた。それなりの重労働であることには、かわりないが。

 2点の組み立て・設置・掃除が終わったのが、14時過ぎ。いい汗かいたついでに、鉋屑が下着の内側にまで入り込んで、汗で肌に貼りついていたので、シャワー。

 シャワーとくれば、当然ビール。

 なかなか充実した、心地よく疲れた休日であった。

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*1997年10月01日:就職活動の追憶


 ネタが無い日は、思い出ばなし。今を去る事14年前の、就職を決める前後の事情である。

 昨今の就職事情は全く知らないのだが、当時は学部4年生は、6月には会社訪問を始め、7月には内定を決めてしまうのが、常識であった。

 今も当時から全然成長していないのだが、ノホホンとして(自分を取り巻く)社会の現実に興味を持っていなかった私は、7月も半ばになってから、そう言えば同級生たちは、リクルートスーツなんぞを着て慌ただしくしているなー、そっかー、就職かー、そう言えば、俺も就職しなきゃいかんはずだなー、というノリで、大学の就職課に出向いたのである。確か、夕方17時頃だったと思う。

 そして、ファイリングされていた求人書類をパラパラめくっていたら、シンセサイザーメーカーのR社が。シンセサイザーは趣味でいじっていたし、専攻は情報科学であって、つまりは電算機屋である。趣味と専門を共に満たせる職場ではないか..?

 ..と考えて、電話番号を控えて、大学前の公衆電話からR社の人事部へ、会社訪問したいんですが..と電話をしたら、「明日、秋葉原で会社説明会があります」。

 (ここで説明しておくと、当時私が在学していた、T理科大学理工学部は、上野から(当時)国鉄で30分の柏から、さらに私鉄で15分の「運河」という、田舎町の駅のすぐ近くにあった。私の下宿は、校舎から徒歩3分である。つまり、秋葉原まで1時間圏内なのであった。)

 その足で駅に向かい、私鉄で15分。柏のデパートで、既製品の背広を買う。裾を上げて貰う15分の間に、ネクタイも買う。そして運河に戻り、駅前の書店で百科事典を立ち読みして、ネクタイの結び方を手帳に書き写す。[;^J^]

 下宿に帰ると、既に夜。鏡を見ながら、ネクタイの結び方の練習。

 翌日、買ったばかりの背広を着、なんとかかんとかネクタイを締めて、秋葉原へ。会社説明会では、いきなりペーパー試験と面接。数日後に「(大阪の)本社に来て下さい」という連絡。

 このあと、一ヶ月ほどの間に、二次三次と、数回大阪に出かけることになったが、実質的には、私の就職活動は、就職課に出かけてから翌日午後までの、約22時間だけであったのである。

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*1997年10月02日:広島カープ


 ネタが無い日は、思い出ばなし。今を去る事20数年前の、カープファンになった事情である。

 実はもう、10年位前から、プロ野球ファンから“卒業”してしまっているのだが、それはそれとして。

 さて、20数年前、高校生だった私には、ひとつの悩みがあった。

 野球のルールを、全く知らないことである。

 吹奏楽部に在籍していたので、高校野球の応援に行く機会は多々あったのだが、何しろ、タッチアップのルールも知らない。外野フライが打ち上げられたのに、三塁走者がなぜホームに走らずに、捕球されるのを(わざわざ)待っているのか、理解できなかったのだ。こういう質問を友人にすると、ま、友情を無くすことはないにしても、一定の距離を置かれることが、しばしばであった。[;^J^]

 これではいかん。野球の最低限のルール位、健全な高校男子の常識として憶えなければ。それにはどうするのが、一番早いか。

 どこかのプロ野球チームのファンになるのが、一番早い。

 野球のルールを知らない位だから、私はプロ野球のチーム名も知らなかったのである。ま、巨人、阪神くらいは知っていた。だから、巨人ファンになっても、別に構わなかったのだ。しかし、周囲のプロ野球ファンは、半数以上が、巨人ファンである。いまさら私が、この集団に入ったところで、希少価値はゼロである。自分の存在をアピール出来ない。

 ヒントを得るために、朝日新聞のスポーツ欄を開いてみたら..


「カープ、破竹の5連勝!」

 そこで私は、カープファンになることに決めた。

 そしてその年、広島カープは、球団創設以来の、初優勝をした。

 私が見た、あの見出しは、ルーツ監督から古葉監督にバトンタッチされた直後の、5月の5連勝の日のものだったのだ。

 その後10年近く広島ファンを続けたあと、プロ野球に少し飽きて目を離し、今ではどの球団の選手の名前も判らなくなってしまったが、(私が知っていた頃には、まだひよっ子だった選手が、ほとんど引退してしまった、)あの初優勝の年の、私の“勘”の良さを想い出す時、私の“気まぐれ”が、広島に初優勝をもたらしたのである、と、勝手に悦に入ることにしている。

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*1997年10月03日:「役不足」


 誤用されている言葉は、数限りなくあるが、もっとも目立つのは、「役不足」であろう。

 これは「割り当てられた役目が軽すぎて、腕前を十分にあらわせないこと」を意味しているのだが、完全に逆の意味、すなわち、「割り当てられた役目が重過ぎて、自分の力は、それに不足している」という意味で使われる場合の方が、多い。

 実際、「私はそれには役不足で」と謙遜されると、つい納得してしまうのだ。その位、この“誤用”は“自然”なのである。

 “誤用”の歴史も古い。今すぐ引用できないのだが、少なくとも、手塚治虫の極めて初期の作品に、この“誤用”がある。戦前の文学作品で読んだ記憶もあるが、作品名失念。

 ごく近い将来、この“誤用”は、正しい意味として公認されることになるであろう。言葉とは、そういうものだ。

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*1997年10月04日:屍臭について


 幸か不幸か、屍臭を嗅いだことが無い。後学のために、一度は嗅いでみたいと思うのだが、やっぱり、気が進まない。たまらなく“嫌な”臭いに違いないからだ。

 などと思っているうちに、“屍臭”は“くさやのひもの”の臭いと、そっくりである、という雑学を仕入れてしまった。私は“くさやのひもの”の臭いも知らない。

 余計な情報は、仕入れないに限る。お陰で、恐くて、くさやのひものの臭いを嗅ぐことが出来なくなってしまった。

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*1997年10月05日:「エヴァンゲリオンクラシックス」


 「レコード芸術」誌をパラパラ見ていたら、「エヴァンゲリオンクラシックス」というシリーズの広告が、目にとまった。

 説明するまでもあるまい。エヴァにBGMとして使われたクラシック音楽の、元ネタCD集である。あの番組の特に終盤では、クラシック音楽のスタンダードナンバーが、それなりに効果的に使われていた。

 このシリーズが、従来の類似企画と異なるのは、各元ネタの「全曲」を収めていることである。即ち全4点セットで、「交響曲第9番」(ベートーヴェン)1枚、「メサイア」(ヘンデル)2枚組、「レクイエム」(ヴェルディ)1枚、「(G線上のアリアを含む)小品集」(バッハ)1枚。普通は、実際にオンエアされた箇所だけ集めて、1枚にまとめてしまう。英断と言えば英断であるし、エヴァの名を利用して1枚でも多く売ろう、という、営業意欲の現れでもある。

 しかし..「G線上のアリア」は、劇場版「Air まごころを君に」の前半パートの戦闘シーンで用いられたのであるが..もうひとつ、ミスマッチであった。「ハレルヤコーラス」や「第九」が、それなりの必然性を持って鳴り響いたのと異なり、なんの理由も見出せない、つまりは雰囲気づくりのBGMだったからである。それでもちろん構わないのだが、意味が異なるということだ。

 アニメにおいて、勇壮で活力に満ちた音楽が相応しいような戦闘シーンで、敢えてスローテンポの、穏やかなクラシック音楽を用いて、言わば“広がり”を表現する、という手法は、いつ頃から採られるようになったのであろうか? 観ていないので恐縮であるが、確か「銀河英雄伝説」で、ラヴェルの「ボレロ」を使ったと聞く。このあたりが嚆矢であろうか?

 しかし、戦闘シーンと音楽の組み合わせと言えば、その究極は「超時空要塞マクロス」であろう。何しろ、ヒロインの歌う歌謡曲で、敵艦隊を撃破してしまうのである。さしものエヴァも、これを越えることは出来なかった。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Nov 7 1997 
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