*1997年09月22日:地球に優しいパワーウィンドウ
*1997年09月23日:書き込みが多いのが、そんなに嬉しいのか
*1997年09月24日:放火について
*1997年09月25日:謎の泣き声
*1997年09月26日:IEEE1394
*1997年09月27日:「お気楽カルミナ」第3回練習会
*1997年09月28日:“有色人種は人間ではない”
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*1997年09月22日:地球に優しいパワーウィンドウ


 めっきり涼しくなり、車の運転中にエアコンを入れることも珍しくなったが、実は、今年は盛夏のさなかにも、私はあまりエアコンを使っていなかったのである。もっぱら、窓を全開にして、風を(外気を)浴びていたのだ。

 以前は、エアコンをガンガンに使っていた。今の車で3台目だが、この車に代えてから、積極的に窓を開けるようになった。

 それは、この車が(私にとっては初めての)パワーウィンドウ装備車だからである。

 以前は、パワーウィンドウなんぞ、全く不要な過剰装備だと思っていたのだが、これは使って初めて値打ちがわかった。一人で乗っている場合、マニュアルウィンドウだと、助手席側の窓を開閉するのは非常に面倒である。停車中はともかく、走行中に開閉することは絶対に出来ない。ということは、例えば空模様が怪しい時は、走行中に突然雨が降り始めても対処出来ないので、最初から閉めておかざるを得ないのである。(そしてエアコンを入れることになる。)

 全く不要で(些少なりとはいえ)電力の無駄使いだと看做していたパワーウィンドウが、実は遥かにエネルギーの無駄使いであるエアコンの、使用を抑制していたわけだ。ハイテクがローテクよりも地球に優しい、という、ひとつの好例である。

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*1997年09月23日:書き込みが多いのが、そんなに嬉しいのか


 ニフの、とあるフォーラムに、「壁」と呼ばれる雑談会議室がある。そこへの書き込み数はとんでもなく多く、一日で2000を越えることもあるらしい。(これよりもっと多いところも、当然、あるのだろうが。)

 ここに集うのは、何故か、そのフォーラムの“古株連”と、その古株連とお友達になりたい新顔たちである。別の会議室で、話が雑談に流れ始めると、その古株たちが「あとは壁で(笑)」などと、誘導したりするわけである。

 別に罪も無い、他愛の無い話であり、何ひとつ文句は無いのだが、滑稽なのは、その「壁」の常連たちが、「壁」への書き込みの多さを誇っていることである。「一日に4回は巡回しないと(笑)」「動体視力が鍛えられる(笑)」などと、和気あいあい。他にすることは、無いのかね。

 読むのが追いつかないだけでなく、仮に一日1000発言とし、常時書き込むのが20人とすると、毎日休み無く50発言。当然、質が維持できる筈がないので、全部ゴミである。ま、女の子が長電話の時間数を誇るのと、同じレベルの意識であるか。

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*1997年09月24日:放火について


 まだ小学生、酒の味を知らなかった時分。元旦に、舐める程度のお屠蘇と、夏休みに、薄〜く割った梅酒しか、アルコールを許されなかった頃。ほのかに憧れつつも、親父のウィスキーのグラスの匂いを盗み嗅いで、その強烈さに目を回した時代。私は、大人になれば酒を飲めるのだ、と、楽しみにしながらも、一方で、恐れてもいた。それは、酒を飲むと、意識か、あるいは理性をなくす。そしてその間の記憶は残らない。そのように、小説や漫画で教えられていたからだ。

 私は、気を失って倒れるのならまだしも、あとに記憶が残らない“夢遊病状態”で行動することが、心底、恐ろしかった。なぜならば..

 ..私は、物を燃やすことが、大好きだったからである。

 家事の手伝いで、何よりも好きだったのが、ゴミを燃やすことだった。ゴミが多ければ多いほど、バラエティに富んでいればいるほど、嬉しかった。多ければ、それだけ長時間、燃やし続けていられるし、バラエティに富んでいれば、それだけ様々な色彩の炎を、観ることができるからである。(当時は、環境問題に関する意識が現在とは比較にならず、プラスチックだろうが洗剤の容器だろうが、アパートの焼却炉で燃やしていたのだった。)

 例えば電話帳。こんなに分厚い紙の束を、そのまま炎に放り込んでも、芯まで火は通りはしない。そこで私は、一枚ずつ破りとっては、ゆっくりと火にくべていたのである。

 やや常軌を逸している、という自覚はあった。だからこそ、怖かったのだ。夢遊病状態になるのが。

 “絶対に!”放火するに決まっているからだ..

 ...

 それから数十年たち、今では立派な(?)大人になった私は、その後何度も、夢遊病状態になったが [;^J^]、幸いにして、少年の日の恐れは杞憂であったようだ。記憶を失っている間に放火をした憶えはないからである。(← ロジックの矛盾を指摘せよ。制限時間3秒。)

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*1997年09月25日:謎の泣き声


 かれこれ一週間ほど前から、悩まされていた。業務中に“赤ん坊の泣き声”が聞こえてくるからである。

 大部屋の南側エリアで仕事をしているのだが、その、むずかるような“泣き声”は、時折、北側エリアから聞こえてくる。

 最初に聞こえてきた時には、「誰かが子どもを連れてきているな」と思ったのだが、すぐに間違いに気が付いた。休日出勤ならともかく、平日に子どもを会社に連れてくることなど、有り得ない。

 その後、聞こえてくる度に、北側に視線を走らせたが、もちろん、赤ん坊などいない。それより何より解せないのは、そのあたりで仕事をしている同僚たちが、誰も気にしていない。いや、そもそも、そのような声が聞こえていないらしいのだ。

 この時点で、一応びびった。私にしか聞こえない、泣き声..?

 あらぬ妄想を振り払うために、その様な音を出す音源がないか、チェックして回った。私は電子楽器メーカーに勤務しており、この大部屋の中でも、いくつもの電子楽器の試作品が動いている。しかし、その様な“非音楽的な”音が仕込まれているものは、無い。電動ドライバーの音でもない。牛の鳴き声を出すマックが何台かあったが(どういう趣味だ [;^J^])、この“声”ではない..

 そして今日、ついに、その“声”の発生源を発見した! 例によって“泣き声”が聞こえた瞬間、間髪置かずにその方向を振り向いた! それは、その方向にある小部屋の扉が、閉まる瞬間だった..

 ..これだ。

 しばらくその方向を注視し続けた。その小部屋に入った男が扉を開けて出てきた..“泣き声”が響いた!

 これが“泣き声”の正体だったのである。扉の軋み音。“幽霊の、正体みたり枯れ尾花”。やれやれ..

 ..しかし実は、これは、全く問題の解決(解明)になっていなかったのだ。

 なぜなら、その“軋み音”が“赤ん坊の泣き声”に聞こえるのは、この大部屋で仕事をしている数十人のうち、“私だけ”なのだから..

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*1997年09月26日:IEEE1394


 IEEE1394という規格が盛り上がっている。大雑把にいって、これによって、パソコン(に限らないが)周辺機器の接続が、画期的にシンプルになる。

 ところで、西暦1394年と言えば、これが実に応永元年。

 OA元年。

 ...

 ...

(オヤジギャグで、すまん。m[;_ _]m 今日は本当に、ネタが無かったのだ。m[;_ _]m)

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*1997年09月27日:「お気楽カルミナ」第3回練習会


 第3回ではあるが、私が参加するのは、2回目である。

 今日も、現代マンガ図書館での高橋葉介調査を兼ねている。練習会は、15時に江古田。ここは池袋から西武池袋線で6分であり、現代マンガ図書館のある江戸川橋からは、有楽町線で池袋まで6分なのだから、まことに具合がよろしい。こだまで早目に上京し、現代マンガ図書館の目の前の喫茶店で30分弱時間をつぶして、12時の開館を待つ。

 14時過ぎまでかかって、初出誌を64冊チェック。これで、今月6日と7日に閲覧した245冊と合わせて、現代マンガ図書館でのチェックネタは、実はほとんど終了である。「スコラ」「ハロウィン」等は、ここには無いし、「眠れぬ夜の奇妙な話」等は、あるにはあるのだが、ポロポロ歯抜け状態なので、ここでチェックするのは効率が悪い。国会図書館で読む方がいい。(国会図書館に収蔵されていて、かつ、歯抜けでは無い、と仮定すればの話だが。)「SMスナイパー」に至っては、国会図書館の目録にもなかったはずだ。

 江古田は、こじんまりとした感じのいい街である。Fという、楽器店併設の練習会場も、やはりこじんまりとしている。今日もシンセを担いできたのだが、前回のように、単行本13冊をリュックに詰め込むなどという馬鹿なことをしなかったので、よほど楽であった。

 終了後は、すぐ近くの店で、鍋をつつきながら反省会(宴会)。久しぶりに「ながら」で浜松に帰る。

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*1997年09月28日:“有色人種は人間ではない”


 洋泉社の映画秘宝シリーズのファンである。これまで、「底抜け超大作」「セクシー・ダイナマイト猛爆撃」「怪獣(秘)大百科」を愛読してきたが、(当然、まんが秘宝シリーズのファンでもあって、「ぶっちぎりヒーロー道」「つっぱりアナーキー王」を読んでいる、)今日、シリーズ第一作の「エド・ウッドとサイテー映画の世界」を読了した。

 改めて確認したのは、「ボカシ」「モザイク」は、カラードには(一般に)適用されてこなかったのだ、ということ。セックス描写/暴力描写に対する(ビクトリア朝的)規制が、今よりも遥かに厳しかった時代には、乳房や性器を写すための便法として、有色人種を被写体として起用したのである。

 つまり、カラードは、人間ではないのである。動物の性器にモザイクをかけないのと同じことなのだ。なるほどねー。

 ここでどうしても思い出さざるを得ないのが、バートン版「千夜一夜物語」の、最初のエピソード「シャーリアル王とその弟の物語」への原注5。岩波文庫(大場正史訳)から引用する。


淫蕩な女たちが黒人を好むのは、彼らの陰茎が大きいからである。私はかつてソマリランドで、ある黒人のものを測ったが、平時に、ほぼ6インチあった。これは黒人種やアフリカ産動物、たとえば、馬の一特徴である。(後略)

 時代が時代だから(19世紀)、仕方がないことではあるが。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Oct 1 1997 
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