*1997年10月06日:再び、血に酔う [;^.^]
*1997年10月07日:町内の秘密結社
*1997年10月08日:何故、冬に夏服を着ているのか
*1997年10月09日:脆弱な通信環境
*1997年10月10日:手塚治虫MLオフ
*1997年10月11日:雑誌の積読
*1997年10月12日:「古代エジプト展」
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*1997年10月06日:再び、血に酔う [;^.^]


 それは確かに、右上の親不知を抜いた傷痕が落ち着いたら、左上のも抜きましょうとは、言われていた。覚悟は、していた。しかしそれが今日だとは聞いていなかったぞ。[;^.^]

 ということで、歯石を取りにいったはずなのだが、またしても手早く麻酔を打たれてしまった。今回は、前回よりもさらにあっけなく、片側にグイッと押し、反対側にグイッと押したと思ったら、あとは助手がピンセットでつまみ上げて、おしまい。これで今夜は飲酒厳禁。その代わりに、心行くまで血を舐められる。[;^.^]

 右上の傷痕だが、実は、すっかり落ち着いてはいない。まだ少々、血が滲むのだ。これは私のケアのミスで、抜いた痕をいじってはいけなかったのだ。いやそんなことは、注意されるまでもなく自明のことなのだが、抜いたあとの穴に、食べ滓がつまるのである。気色悪いこともさることながら、こんなものが詰まっていたら、毒ではないかと案じて、ついついそれを“抜いて”いたのだ。まさか爪楊枝を突っ込むほど無神経ではなかったが、歯ブラシで上辺を撫ぜて、食べ滓を掻き出していた。この過程で、傷痕を刺激してしまっていたわけだ。「触るぐらいなら、食べ滓を入れっぱなしにしておく方が、まだまし」だとのこと。最初からそういってくれればいいのにぃ。

 まぁ、いずれはふさがる穴である。しばらくは、舌先でいじることも控えて、水で口を漱いで、滓が出てくればラッキー、位のスタンスで行くか。

 同じ部署の同僚によると、彼が親不知を抜いた時には、穴が鼻にまで貫通してしまい、咀嚼中の食物が鼻から出てくる、という、哀しい日々を送ったそうである。

 下には下がある。元気をだせ。

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*1997年10月07日:町内の秘密結社


 私のアパートから歩いて5分ほどのところに、不思議な家がある。みたところ、安普請の(いわゆる「波板」の)築30〜40年位の民家なのだが、不相応に大きな「屋外炊事場(の様なもの)」が付属している。また、家の大きさとしては、一世帯、5〜6人家族程度の容量なのだが、1階には(1階の大部分を占めている)不相応に大きな畳敷きの居間(16畳位?)がある。玄関が開け放たれている時に、チラリと覗き込んでみたら、小さな受付が設置されている。

 そして、常時、何かの集会(の様なもの)が開かれているのである。その家の門の中はもとより、周囲の路上に車が停められ、大人たちは屋内に。そして子どもたちは庭や「屋外炊事場」や周囲の路上で遊んでいる。

 そう、なにより不思議なのは、大人たちが“子ども連れで”寄り合いを開いていることなのである。時には平日の昼間から。(さすがに学校の時刻には、子どもたちは、いないが。)そこに集まる人々は、まさに老若男女を問わぬ、ほぼ“一家総出”状態で集まってきているのだ。

 まず考えられるのが、町内会。しかしそこは公民館でもなんでもない、ただの民家である。町内の有力者の家屋かも知れないが、それにしても、こうも度々集まる理由がない。書道などの稽古事をしているわけではなく、何かの勉強会を開催しているという気配もないのである。

 次に考えられるのが、政治結社。しかしそれなら、「XX先生後援会事務所」などの看板と、その先生の顔写真が、必ず張り出されているはずだ。そんなものは何ひとつない。(そもそも、表札すら、ない。)

 となると、宗教である。これなら、親が子どもを連れて集まってくる理由が説明できる。しかし、宗教団体だとすると、これほど活発に集まりを繰り返している割には、町内に、その“影”がさしていないのが、妙である。たまさか、休日に、婦人二人連れの「物見の塔」の勧誘員が巡回してくるが、詳しく話を聞いたこともないので判らないが、どうも、同じ町内からやってきたという気配がない。もっと遠くの拠点から来ているようなのである。それに、その「家」に集まってくるメンバーは、「家長」タイプの壮年男性が中心なのである。これは私の偏見かも知れないが、宗教関係の勧誘は、婦人が活動の中心なのではあるまいか?

 そこを訪れて話を聞けば、たちどころに解決する疑問である。しかし、あなたにその度胸があるか? 私には無い。[;^J^] 「興味を示した」というレベルで関わりを持ってしまったが最後、それが政治であろうが宗教であろうが、なにかそれ以外のものであろうが、私が「ターゲット」になってしまうことは、間違いないからである。

 この類の、日常生活の裏に潜む謎は、解かずに放置しておくに限る。真相は、ごく散文的でつまらないものと、相場が決まっているからだ。しかしそれが“謎”であり続ける限り、彼らが、例えば「旧支配者」を蘇らせる可能性が無い、とは、論理的には言い切れないのである。

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*1997年10月08日:何故、冬に夏服を着ているのか


 さ、寒い。いきなり寒くなった。何しろ、10月の上旬も終わろうかという今日に至るまで、ランニングの上に半袖ワイシャツを着ているだけなのだ。

 浜松がそれほど暖かいという訳ではない。既にだいぶ以前から、朝晩、しっかりと冷えているのである。しかし、自動車通勤をしている身であれば、朝にせよ晩にせよ、外気に身をさらすのは、アパートの玄関から駐車場の車までと、会社の駐車場から社屋までと、あとは、各種店舗(書店、レストラン等)の駐車場と入り口の間、位のものなのである。工場勤務であるから、背広着用の必要も無い。

 別に寒さに強いわけではない。逆に夏には、梅雨明けまで冬服を着ていることが珍しくない。

 単に、不精なのである。

 つまり、今の時点では、冬服(あるいは、長袖のワイシャツ)が、スタンバイしていないのだ。前回、これらを着なくなったのは、6月末か7月初め。そのままクリーニングにも出していないから、埃は被っているは、下手すると虫が食っているは。

 そのような状態のものを着るほど無神経ではないので、着ない。で、即刻クリーニングに出すかと言うと(ここが問題なのだが)「今日、クリーニングに出しても、明日着ることは出来ない。明日の寒さを凌ぐ役には立たない。だから、今日、クリーニングに出すことは、無駄である」、と、考えてしまうのである。

 論理的には、これでは永久にクリーニングに出すことは出来ない。

 無論、ものごとは必ずしもロジックどおりには進行しないのであって、ある時点で我慢できずにクリーニングに出すか、あるいは(実は、このケースの方が多いのだが)即効性の無い「クリーニング出し」を諦めて、新たに冬服を買うかするわけだ。

 こんな逡巡をしているものだから、衣更えのタイミングが、世間から2〜3ヶ月遅れてしまう。そして3〜4ヶ月後には、今度は夏服への切り替えについて、同じ逡巡が始まるのだ。

 以上のループを、20年弱繰り返しているのである。

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*1997年10月09日:脆弱な通信環境


 秀term のマクロ(オート巡回ではなく、あらかじめ用意した発言ファイルを、自動的に書き込むもの)が、突然、動かなくなったと思ったら..


ようこそNIFTY-Serveへ

というオープニングメッセージが、


ようこそNIFTY SERVEへ

と、変更されていたのであった。

 しょうも無い変更をするんじゃない!と、罵れば罵れるのだが、この程度の変更もしてはいかんのか、と問われたら、変えるな!と答えられる人は、いないであろう。

 一方、マクロ側の都合を言えば、オープニングメッセージを確認しなければ、不安で動けないのも確かであって、(正当な理由で)変更されたら、それに合わせて書き換えなければ、仕方がない。

 やりばの無い怒りとは、このことである。[;^J^]

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*1997年10月10日:手塚治虫MLオフ


 今日は、東京で、手塚治虫MLのオフである。4部構成で、第1部は朝11時に集合して、手塚治虫系の同人誌即売会襲撃と手塚治虫ゆかりの地の訪問。第2部は15時から、歌舞伎町の喫茶店で、手塚治虫の(全集未収録作品等)書店では入手困難な作品を持ちよっての読書会。第3部は19時から、その近所の居酒屋での飲み会。第4部は21時から、ホテルの一室で、徹夜でダベリング。私は、第2部と第3部に参加予定である。

 つまり、午前中に東京に到着するつもりは無いのだ。12時半頃に現代マンガ図書館に入って、軽く調べ物をしてから、神保町経由で新宿に向かう予定である。こういう場合は、必ず東名バスを使う..

 ..のだが、今日、初めてこれに失敗した。つまり、始発の浜松で、満員で乗れなかったのである。補足説明をすると、このバスには前売券で乗ることも、その場で現金払いで乗ることも出来るのだが、当然、その便の前売券を買った人が優先で、彼らが全員乗ってから、現金客を乗せる。今日は、なんと、前売券分で席が全部埋まってしまったのだ。(常に不精な私が、前売券など買っているはずもなかったのであった。)

 まぁ、これが目の前で締切られたら、やり場の無い怒り、ということにもなろうが、現金客、約30人が全員乗れなかったのだから(私は、その末尾についていた ← 寝坊したからね)、腹も立たない。さばさば諦めて、倍額払って、必要以上に速いこだまで上京..

 ..午前中に着く予定はなかったのである。[;^J^] 今からなら、オフの第1部にも間に合いそうだが、そのつもりが無かったので、気持ちが盛り上がらない。(心の準備が..という奴だ。)そこで、予定の順序を入れ替えて、まず神保町へ。

 休日の(しかも午前中の)神保町なんぞ、ろくなもんではないのだが、それでも中野書店は開いていたので、チェック。とり・みき等買ってから、現代マンガ図書館へ。ここでは、高橋葉介チェックの続き。「ウィングス」誌に連載された「Uボート・レディ」等。

 さらに、諸般の事情で未読だった「帝都物語」の「高橋葉介作品集」版を、読む。これが意外な拾い物。荒俣宏の有名な原作の、単なるコミカライズかと思っていたのだが、手持ちのキャラ(もちろん“彼”のことである)を大胆に組み込んだ、ファンサービスが嬉しい。

 神保町に戻って、コミック高岡で(またしても)とり・みきを買ってから、新宿・歌舞伎町へ。(いつ来てみても、素敵な環境の街だ。)喫茶店Rの貸し会議室で、読書会。私は、国会図書館等で入手した、全集未収録作品のコピーを、5点ほど持参した。他の参加者が持参した未読の作品を読み進むうちに、「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」を補完するデータが、いくつも拾えた。(国会図書館にも現代マンガ図書館にも蔵書の無い、古い月刊誌の付録や、単行本。あるいは、同人誌に引用されていた、全く未知の作品など。)これは実に有意義であった。(ついでに、吾妻ひでおの未読作品まで見つけてしまった。[^J^])。しくじったのは、「妖怪探偵團」と「シルクハット物語」を(せっかく持ってきていただいたのに)読みそこなってしまったこと。この読書会は非常に好評だったので、また開催されるだろうから、その機会におねだりしなくては。[;^J^]

 居酒屋に席を移しての第3部では、まず、各自の持ちよったプレゼントの交換会(争奪戦)である。私は、グッズ関係をほとんどコレクションしていないので、こういう場では、提供せずに貰う一方になってしまうので、申し訳ない。提供予定だった、カッパコミクス版「鉄腕アトム」の、だぶった3冊(の、汚い方 [;^J^])は、持ってくるのを忘れてしまったし。これも次の機会だ。

 21時30分過ぎの、(浜松まで届く)最終こだまに乗るために、21時前に、辞す。

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*1997年10月11日:雑誌の積読


 現在、定期購読している雑誌は、「SFマガジン」「レコード芸術」「インターネットマガジン」「日経サイエンス」。あとは、吾妻ひでお、高橋葉介らの連載をチェックするために、若干のマンガ雑誌。

 作品リストをリアルタイムで更新するために、マンガ雑誌は、発売日に“処理”してしまうが、その他の(分厚い)雑誌は、ちょっと油断していると、すぐに数ヶ月分たまってしまう。(「サイエンス」誌などは、ほとんど読むのを諦めているに近い状態である。)

 それでも、SFマガジンは、半年分を(過去には、1年以上積んでしまったこともあるが)一気に読むことに、それほどの抵抗は感じないが、インターネットマガジンなどは、半年も前の情報など、ゴミである。枕がわりに6冊積んであるのだが、これをどうしたものか..

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*1997年10月12日:「古代エジプト展」


 浜松市美術館の「古代エジプト展」を観にでかける。9時半開場だというのに、30分も早くついてしまったので、併設されている日本庭園を散策する。(美術館ともども、浜松城公園の一角にあるのだ。)ここを訪れるのは、実は初めて。これといって特別な見所はないが、やはり日本庭園は、いいものである。

 などと時間を潰して開館時刻に戻ってみたら、あらびっくり、長蛇の列である。

 なかなか結構な展示であった。パピルスの実物を見るのは(記憶が確かなら)これが初めて。装飾品等の小物が、なかなか良い。よくもまぁ、2000年以上も残っていたものである。

 ミイラの実物を見た記憶も..ないな。無いはずは無いのだが、恐らくは小学生時分であったのであろう。あまり気持ちのいいものではないなぁ。布にすっかりくるまれてはいるのだが、要は死骸なんだし。

 私としては非常に珍しいことであるが、出口の売店で、(いずれもエジプト直輸入の)グッズを買う。(普段は、買うとしても図録だけで、絵葉書すら買わないのだが。)パピルス(レー=ハラクティ像)を1枚。栞を2枚(アルファベット=ヒエログリフ対照表と、トト神)。そしてスカラベの置物。最後のものは、文鎮として買ったのである。従来、適当な文鎮が無く、文庫本等から抜書きする時に、結構苦労していたのだ。

 この置物の周囲には、ヒエログリフらしき絵文字?が刻まれているが、なんて書かれているのかな。まさか、アッカンベーとか書かれているんじゃあるまいなぁ。[;^J^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Oct 14 1997 
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