*1997年09月08日:手塚マニアの無用の蘊蓄 [;^J^]
*1997年09月09日:馬鹿げたニュース、2題
*1997年09月10日:書籍、2題
*1997年09月11日:「酒と薔薇の日々」
*1997年09月12日:「まんだらけ 18号」
*1997年09月13日:秋刀魚のはらわた
*1997年09月14日:暗鬱な石像
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*1997年09月08日:手塚マニアの無用の蘊蓄 [;^J^]


 昨日入手した、「ネムタくん」(吾妻ひでお、講談社コミックス)をチェックしていて、面白い誤植に気が付いた。(従来、サンコミックス版しか持っておらず、早々と絶版になった講談社コミックス版を、久しく探していたのである。閲覧自体は、現代マンガ図書館で済ませていたが。)

 「SFチャンチャカチャン」(サンコミックス版では「大ボケSF」)というエピソード。SF映画の14本立てを観て、頭の中がSFになってしまった主人公のネムタが、「夢! 0マン! ファンタジー」と叫ぶ。

 考えるまでもなく、「0マン」は「ロマン」の誤り。(事実、サンコミックス版では「ロマン」と直されている。)しかしこれは編集者が、(汚い筆跡の)「ロ」を「0」と読み誤った、という、単純な事件 [;^J^] ではない。わざわざ「0」に「ゼロ」とルビを振っていることから見ても、確信犯なのである。手塚治虫の作品名である「0マン」が、「夢」という単語と「ファンタジー」という単語にはさまれているのは、誤りではない、と確信して、写植を打ったのである。

 確かに「0マン」は、「夢」と「ファンタジー」に満ち溢れた名作だが..この「ネムタくん」のエピソード中では、全く関係が無い。主人公が観た14本のSF映画の中に「0マン」は含まれていない。つまり、出る幕ではないのだ。

 では編集者は、どうしてこんな“複雑な”間違いをしでかしたのか。「0マン」を「ロマン」と読み誤ったのであれば、いわば情報量の少ない側に(エネルギー準位の低い側に)“倒した”わけで、これは“自然なミス”と言えるが、「ロマン」を「0マン」と読み誤るのは、普通名詞を固有名詞に、情報量の多い側に“倒した”わけであって、これはかなり不自然なことである。

 ヒントは、14本の映画のタイトルにあった。そしてここから、この編集者が手塚治虫マニアだということが、(瞬時にして)判ってしまったのである。(思わず「0マン」というタイトルが出てきてしまったから、ではない。「0マン」という作品名くらい、マンガ雑誌の編集者なら、誰でも知っている。そうではなくて、もっとディープな事情だったのである。)

 「スターウェルズ」「未知とのそっくりー」「断腸の惑星」「宇宙先生」「博士の異常な一物」「38度線の決死圏」「バーバレラ対バーバ・パパ」「アンドドメ」「コチラ」「オレの血はオレの血じゃ」「狼の盲腸」「地球ぼーちょー軍」「小松左京だけ沈没」「ゴジラ・エビラ・モスラ・ラドン・ガメラ・バルゴン・ドゴラ・マタンゴ・キングギドラ・超人ロック 南海の大決闘」。この14本のSF映画のタイトルの元ネタの大部分は、あなたにもお判りであろう。いちいち解説はしない。では「38度線の決死圏」の元ネタもお判りだろうか?

 もちろん、「ミクロの決死圏」なのである。ここまでは誰にでも判る。ではなぜ「38度線」なのか、お判りか?

 実は、映画「ミクロの決死圏」は、米国で放映されたTVアニメ「アストロボ−イ」(邦題:「鉄腕アトム」)の、とあるエピソードのパクリなのである。

 「細菌部隊」(あるいは「細菌を探せ」か?)と題された、このエピソードは、アトムとヒゲオヤジが小さくなって体内に入る話であるが、原作(「少年」版)には存在しない、TVオリジナルのエピソードである。

 オリジナルとは言っても、手塚治虫の旧作の焼き直しであり、そもそもの原作は東光堂から1948年に描き下ろしで出版された「吸血魔団」。これは1953年にリメイクされ、「少年画報」誌の付録として、「38度線上の怪物」というタイトルで発表された。

 だから、「ミクロの決死圏」のパロディが「38度線の決死圏」になるのである。ここまで屈折した(「ミクロの決死圏」→「細菌部隊」→「吸血魔団」→「38度線上の怪物」という、三段構えの)パロディを、マニア誌ならぬ、一般向けの少年マンガ誌でしてしまう、吾妻ひでおも吾妻ひでおだが、これが手塚治虫の“ディープな”パロディであることを読み取って、発想が“手塚マニアシフト”してしまい、その瞳を曇らせて [;^J^]「ロマン」を「0マン」と誤認識してしまった、編集者も編集者である。

 「夢! 0マン! ファンタジー」と「38度線の決死圏」から、上記の結論に3秒以内に到達できないようでは、手塚マニアとしては半人前である、と言わせていただこう。

 ..以上、全くなんの役にも立たない、オタクの蘊蓄であった。[;^J^]

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*1997年09月09日:馬鹿げたニュース、2題


 昨日から、右下の奥歯の奥、顎の付け根のあたりに、違和感が..どうも腫れている..もしかして、これが噂の親知らずか? 今はまだ痛くはないが、食事をしたり喋ったりする時に、明らかに邪魔なレベルである。いよいよ抜かざるを得ないか..(しかしどうにも、踏ん切りがつかない..)

 ..などとブルーになっていると、特大の馬鹿げたニュースがふたつ、飛び込んできた。どちらも人の死に関することであるから、やりきれない。

 まず、ダイアナ(元)妃が事故死をした、クシャクシャに潰れたベンツの残骸に、買い手が殺到している、という件。ほぼ全員、アラブの富豪。既に相場は3億まで釣り上がっているとか。無論、最終的には展示目的であるが、その過程で転売財テクも織り込まれているそうな。

 死体を見世物にして銭儲けするも同然の行為である。

 警察の捜査が終わったら、とっととスクラップにしてリサイクルしちまえ、そんなもの!

 もうひとつは、落雷で3人死亡した事件。落雷を避けるために、大木の下に逃げ込んだんだと。

 死者を鞭打つのは本意ではないが..これはもう、馬鹿者としか言いようがない。

 豪雨を避けて(雷のことを忘れて)木の下に走り込み、そこで雷撃を食らう、というのならば、ポカとは言え同情の余地はあるし、現に、今も全国各地で繰り返し起っている事故だとは思うが..今回は、明示的に“雷から逃げるために”大木の下に身を置いたのである。“雨のように空から振ってくる雷が枝葉で遮断される”とでも考えたのだろうか?

 無学な者だったのならば、同情する他はないが..ひとりは、現役の小学校校長だったのである。

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*1997年09月10日:書籍、2題


 右下奥歯の奥の違和感が消失した。腫れが引いたのか、腫れに慣れてしまったのか。

 行き付けの書店に、「MacからWindowsに乗り換える本」という本が平積みされていた。マックファンの神経を逆撫でするであろう書名だが、私の神経を逆撫でしたのは、その腰巻きである。

 「これであなたも転びウィンドウズ」..逆だろ!

 “転びバテレン”の原義を知らんのか! ったく..

 レジには、菅野美穂の写真集(「NUDITY」)が平積みされていた。再版である。ま、既に日本全国どこでも入手可能な状況であろうから、(これを探していた)知人のために購入する必要は、もはやない。ということで、私個人の用途に購入しようかと思ったが、もうひとつ気が乗らないので、見送る。

 東急ハンズに書棚を電話注文する。W861×H900×D315のスライド式。2つ重ねることも出来るし、価格も手頃(14,200)なので、具合がよければ追加発注する。届くのは20日の土曜日。

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*1997年09月11日:「酒と薔薇の日々」


 とある、コンサートだかコンクールだかの選曲で、「酒と薔薇の日々」が落ちたそうな。理由は、字面が悪いから。

 もちろん「酒鬼薔薇」事件の余波である。アホか。

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*1997年09月12日:「まんだらけ 18号」


 「まんだらけ 18号」を、立ち読みする。この号には、吾妻ひでおの新作(「犬の公園」)が載っているので、普通は迷わず購入するのだが、この雑誌は2400円もするし、値段はともかくとしても、非常に分厚いのだ。置く場所に難儀する。(しかも、それだけの内容があるとは思えない。)従って、AJIMALST 用のデータを立ち読みで採取して、マンガ本体は、後日、上京した折りに国会図書館あたりでコピーする、というのが、普通の発想である。

 しかし、パラパラとめくっていて、少年ブック付録の「バンパイヤ 第二部」が売りに出されているのを見つけてしまった。これは国会図書館にも現代マンガ図書館にもなく、手塚治虫リストの中で、初出データを確定できずに困っていた(非常に多数の)箇所のうちの、ひとつである。これは発注しないわけにはいかない。つまり、この2400円のカタログを、自動的に買うはめになってしまったわけだ。

 詳細な説明は省くが、抽選に参加するためには、この正規のカタログに添付されている、純正の応募ハガキが必要なのである。つまり、この高価なカタログを、まず購入しなければならない。このことを不自然(あるいは、不当)と思われるかたも、大勢いらっしゃるかと思うが、これが、ユーザー(顧客)の“不正”を防ぐための、ベストでは無いにしても次善の最適解であることは、少し考えれば判るはずだ。子細は省く。(「3軒茶屋の2階のマンガ屋」も、同じ制約を課している。抽選方法は、まんだらけとは、大きく異なっているが。)

 ついでに、このカタログに、カッパコミクス版「鉄腕アトム」全34巻(別巻2冊を含むコンプリートセット)が6万円で出ているのを、発見する。程度は“並み”。同程度の品質のものを数ヶ月前に、名古屋圏のとある古書店から5万5千円で購入したのだが、この品質の相場は、目下こんなもんであるということか。

 しかし、このカタログを見て、これの抽選に応募しても、絶対に入手出来ないであろう。「3軒茶屋の2階のマンガ屋」で、同じコンプリートセットが“極美”40万円で出た時には、競争率42倍だったのである。今回は“並み”であるが、よりメジャーな(一般書店でも大量に販売している)カタログに掲載されているのである。しかも6万円。競争率は、軽く100倍。下手すると200倍をを突破するのではあるまいか?

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*1997年09月13日:秋刀魚のはらわた


 ..もちろん、スプラッタ映画のタイトルの、しょーもないパロディであるが、しかし、この美味を、スプラッタ映画なみに忌避している人も、少なくないのである。

 全く気が知れない、とは言わない。独特の苦味もさることながら、トロンとした舌触りと、それが内臓であって、その中の消化途中の食物(ま、言わば秋刀魚のゲロだわな)ごと調理されているのだ、という認識が、食欲を失わせるであろうことも、理解出来なくは無い。

 いい加減な居酒屋で秋刀魚の塩焼きを注文すると、ほとんどカチカチに焦げた奴が、恥ずかしげも無く出てくる。はらわたの風味も舌触りも、かけらも残っていない、味気ない黒い残骸。酒が不味くなること、うけあいだ。

 どんなに美味いといっても、こればかり食べていては、やはり駄目だ。たっぷり脂の乗った、背中や尾の白身と合わせて食うから、美味しいのである。

 以前、同様に大好物の蟹味噌の缶詰、800円也を買って、ほとんど一息に食ってしまい、猛烈に気分が悪くなったことがある。[;^J^] 過ぎたるは及ばざるがごとし。(← という、日本人ならどんな馬鹿でも知っている諺を、前科者の新任大臣が「昔のことだから仕方ないじゃないか」という意味で使っていた。所詮、犯罪者の知的水準は、こんなものである。馬鹿でなければ、そもそも犯罪者にならないし、あるいは仮になったとしても、捕まったりはしない。)

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*1997年09月14日:暗鬱な石像


 近所の、とある医院(確か内科医院)の玄関前に、少々不気味な石像が設置されている。いかにも辛そうな表情をして座り込んでいる、重苦しい雰囲気の人物像。夜間には足元から照らし上げられるライティングが、またなんとも。

 これは、一見、その医院を訪れる患者の心理に対して逆効果のように思えるが、(すなわち、いっそう気を滅入らせそうに見えるのだが)、実は、これで正解なのだ。苦しんでいる患者が、その石像に感情移入できるからである。

 いわゆる“音楽療法”でも、同じことが言えるらしい。落ち込んでいる人を元気づけるためには、まず悲しい音楽を聞かせて、想いを同化させつつ、徐々に明るい音楽にシフトして行くという。いきなり「水上の音楽」や「王宮の花火の音楽」のような、あっけらかんに明るく輝かしい音楽を聞かせても、駄目なのだ。

 旧友から電話。彼とは小学校以来、30年近い付き合いである。といっても、ここ10数年は、数年に一度会う位で、この前会ったのも、3年、いや、5年ほども前か..

 ..それにしても、結婚して消息の判らなくなってしまった同級生に関する情報交換をしていたはずなのに、なぜ、いつのまに、エヴァの話をしているのだろう? [;^J^](断っておくが、ネタを振ってきたのは、先方である。)

 彼は、中学生の娘や、その友人の女高生から、エヴァを薦められて観たらしい。以前から心理学周辺に興味があって勉強していたとかで、そのあたりの琴線に引っかかった由。娘やその友人には、エヴァに惹かれたのならば、ガンダムも観るよう、アドバイスしているとか。(そのあたりの古いアニメは、やはり、今の中高生は知らないようだ。)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 16 1997 
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