*1997年03月03日:フランクフルト第九日:撤収作業
*1997年03月04日:フランクフルト第十日:ビジネスクラス
*1997年03月05日:帰国
*1997年03月06日:惰レム睡眠
*1997年03月07日:「ジェラシック・パーク」に想うこと
*1997年03月08日:ヘール・ボップ彗星
*1997年03月09日:馬鹿の相手をしてしまう
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*1997年03月03日:フランクフルト第九日:撤収作業


 会期は終わり、今日は撤収作業である。大量の展示品を梱包し、それらをデスティネーション別に仕分ける。多くは、日本に持ち帰るか現地法人の元に帰るかなのだが、さらに別の国のショーへ送られるもの、別の国の現地法人に送られるもの、個人に送られるものなど、実にややこしい。この分類作業は、営業の担当者が仕切ったから間違いは無いと思うが、梱包は大丈夫だったろうか?(私が梱包した、ある製品について、ちょっと気がかりな点があるのだが、忘れよう。[;^J^])

 最後の力仕事であった(と、この時は思った)。午後も早いうちに終わったのだが、ホテルに帰ると、どこかに遊びに行こうかと考える暇もなくバタンキュー。

 目覚めると夕方。他の連中と食事に行く約束である。Lebensmittel(例の雑貨屋)の、すぐ近くのイタリアレストラン。ホテルから徒歩5分もない至便なところだが、ここが(例によって)なかなか美味かった。

 メニューはイタリア語で、ドイツ語の解説がついている。ありがたいことである。全然判らん。[;^J^] サラダ、ピザ、パスタ、デザート。パスタは、もはやスペルを憶えていないが、SALMONE がつく名称で、つまり、鮭のパスタである。無茶うまい。他の連中が注文したパスタも、それぞれに個性的で美味しく(適当に皿を回して、取り分けあったのだ。無作法かも知れないが、まぁこの位は大目に見ていただきたい)、ピザも美味。皆、慎重にメニューから(読めないのを、衆智を集めて [;^J^])選んだお陰かも知れない。

 ホテルのさまざまな不合理な点についての話題に花が咲く。立派なホテルであり、ほとんど文句は無いのだが、やはり日本人の感覚とは、ずれているのである。

 誰もが不満に(不思議に)感じていたのは、ルームキーパーである。妙な時刻に来たり、一日に何度も来たりする。(さすがに、来ない日があった、という人はいなかったが。)どういうタイムスケジュールで巡回しているのであろうか? そして、作業の範囲が、統一されていないのである。タオルを替えたり替えなかったり、ビールの空缶などのゴミを片づけたり片づけなかったり。

 それと、冷蔵庫。中味に手をつけていないのに、「現在までの利用明細」に計上された人がいる。フロントにねじ込んだら明細から消してもらえたそうだが、どうもいい加減。間違えて計上してしまう、ということが頻繁に起こるのだろうか?(この現象を説明できる、説得力のある仮説を、私は持っているのだが、証拠もないことだから書かないでおこう。)私は逆に、いくらか飲んでいるのだが、今日に至るまで明細に出て来ない。

 私がもっとも驚愕したのは、シャワーである。なんと、湯温を一定に保てないのだ。熱湯と冷水が交互に出てくる。[;^J^] これはなんとしたことだ。ここはドイツである。他のことはともかく、こと“(工芸的)技術”に関しては、日本(や米国)と共に、世界で一番“ちゃんとした”国であるはずではないか。古い施設なら不問に処すが、ここは最新鋭のホテルなのである..

 とかなんとか、さんざん悪口を言い合って楽しんでいられるのも、それなりに満足しているからである。日本は日本、ここはここ。

 食後のデザートとコーヒーの時間に、陽気なシェフの芸に驚嘆。立っているシェフが耳元(というより、ほとんど頭上)で砂糖の容器をひと振りする度に、ひと匙分の砂糖が宙を飛び、コーヒーカップに次々に吸い込まれて行くのである!(もちろん、ただの一粒もこぼさずに。)早速練習しようとした私を取り押さえる、周囲の無粋な奴等であった。[^J^]

 明日の帰国スケジュールについて、打ち合わせる。結果、事実上、ここで流れ解散ということに。[;^J^] 各自、勝手にチェックアウトして、勝手に空港に行って、勝手に帰国便に乗って帰ること。

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*1997年03月04日:フランクフルト第十日:ビジネスクラス


 チェックアウト。明細をみると、結局、私が飲んだ冷蔵庫の中のビールとウィスキーの小瓶は、カウントされていなかった。くっそー、ただ酒だと判っていれば、全部飲み干してくるんだった。[;^J^]

 そもそも、システムがおかしいとも思う。チェックイン時にもらったルームキー(の容器)には、「クイックチェックアウト不可」と書いてあった。私はこれを、チェックアウトする客をフロントで待たせて、その間に冷蔵庫の中の消費状態を調べなければならないからだろう、と理解していたのだが、実際には、調べている様子はない。チェックアウトすると、カタカタと端末を叩いて、たちまち明細がプリントアウトされたのである。

 これでは、チェックアウト前夜の消費分をカウント出来ないではないか。最終夜は無料なのか?

 まぁ、冷蔵庫は電磁ロックされているから、最終夜(正確には、前回のチェック以降)に冷蔵庫が開けられたか否かを(フロントで)チェックすることは、原理的には恐らく不可能ではない。(で、開けられた形跡がなければ「クイックチェックアウト」、開けられていれば、ちょっと待たせて、どれだけ消費されたかチェックに行く、という訳だ。)しかし、私はチェックアウト直前、部屋を出る間際に冷蔵庫の開閉をしているので、この(好意的な)仮説は、あたらないのである。

 冷蔵庫の電磁ロックと言えば、さらに謎な仕様が..いやまぁ、やめておこう。説明するのも面倒で不思議な仕掛けなのだが、こんなことを書いていると、きりが無い。[;^J^]

 同僚3人と連れ立って、路面電車と地下鉄を乗り継いで、空港に向かう。これが最後の力仕事。自分で増やした荷物分については自業自得としても、日本に直帰しない人から預かった(正確には、タライ回しにされたものを押し付けられた [;^J^])増量分が、半端ではない。よろめくほどの大荷物である。なのに(少しでもドイツの旅を楽しもうと)タクシーを使わない。物好きというより、ほとんど馬鹿である。[;^J^]

 空港のチェックインカウンターで、やけに係員が手間取っていると思ったら..シートナンバーが確定しなかった。発券はされたが、シートナンバーはゲートで聞けという指示である。旅慣れている同僚は、良くあることさと落ち着いているが、こういう事態に遭遇したことの無い私は、(まさか乗れないことはあるまいが、と思いつつも)少しだけ不安になる。ゲートに急ぎ..何の問題も無く座席番号確定。どうも10人内外、例外処理に回された気配である..

 13:45発のLH736への搭乗時刻になって、初めて気が付いたのだが、この座席番号は、ビジネスクラスのものでははないか! 無論、係長ふぜいにビジネスクラスを奢るような会社では無い。当然エコノミーである。先ほど手間取っていたのは、どうやらエコノミークラスの禁煙席が溢れてしまい、一部をビジネスクラスに回していたためのようだ。

 それにしても、こんなことは日常茶飯事中の日常茶飯事であるはずであり、その度にこんな手作業で発券処理をしているようでは、話にならないと思うのだが、ま、いいでしょ。生まれて始めてビジネスクラスに乗れるのだから、全て許す。[^J^]

 我々一行4人は、全員、禁煙席を希望したのだが、一番最初に発券された一名のみ、(予定どおり)エコノミークラス、残り3人が(間一髪の差で)ビジネスクラス。これも時の運だ。教訓的な物語である。

 こんなに待遇が違ったのか.. シートがゆったりしているのは当然として、(私は観ないから関係ないが)液晶テレビも当然として、何よりも食事が違う。エコノミークラスの食事が、新幹線グルメに“足し算”した水準であるとすれば、ビジネスクラスのそれは、ホテルの食事から“引き算”した水準である。この差は大きい。用意されている酒の種類も多い。何よりも、(テーブルじか置きではなく)テーブルクロスを敷いて、その上に食器が並べられるだけで、あっさり高級感に浸れてしまう、安上がりで幸せな庶民一行であった。[;^J^]

 8時間未来の日本を目指して、13時間の旅が始まる。薄暮のまま8時間、時が静止した往路とは逆に、ぐんぐんと時間は進み、すみやかに夜になる。エコノミークラスから客を回す位だから、ビジネスクラスは空いている。適当な座席に移り、隣の空きシートのテーブルを引き出してサイドテーブルとして、文庫本やビールなどを置き、ゆったりとしたシートに身を沈めて、大容量サブバッテリとの組み合わせで、楽々5時間以上は保つリブ30で旅日記を書きつつ、夜の空を行く..

 なんと安上がりな幸福感。[;^J^]

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*1997年03月05日:帰国


 エコノミークラスの旅は長く、ビジネスクラスの旅は短い。ほどなく夜は明け、朝食が出る。これがまた素敵な食事。ドイツではあまり食べる機会の無かった、私の大好きな卵料理(ほうれん草のオムレツ)である。

 日本時間8:50、関西国際空港に到着。(しかしいつも思うのだが、航空機の到着時刻とは(業界での定義はともかく、旅日記の観点から)どの時点を指せば良いのであろうか。車輪が着地した時刻か、完全に止まった時刻か、降り始めた時刻か。非常に幅があるのである。これは出発時刻についても言える。)往路ではここまで陸路で来てから飛び立ったのだが、帰路は、さらに名古屋空港までLH736で行く。

 ひと休みしてから関空を飛び立ち、名古屋空港へ。田舎者の私には大空港に見える、関西国際空港やフランクフルト空港とは違って、田舎者の私にも田舎の施設に見える、親しみの持てる空港である。(ホワイトボードに手書きの行先指示盤が、なんとも。[;^J^])

 税関を抜けると、ほぼ11時。そろそろ昼だが、フランクフルトでは草木も眠る時刻である。穏やかな陽射しの下、浜松までのチャーターバスの運転手の柔らかな遠州弁を聞きながら、我々一行は惰眠に沈んで行くのであった..

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*1997年03月06日:惰レム睡眠


 予想以上に、時差ボケがきつい。ここは無理せず会社を休み、午前中からどろどろと、惰眠ならぬ惰レム睡眠。極楽である。

 うぅむ、今朝の半覚醒夢は、食いつき系だ。両足に噛み付く噛み付く。噛み付いて上に引っ張る引っ張る。脇腹を槍の様なもので突つかれてくすぐったいやら痛いやらなので、強引に寝返りを打って、この夢を打ち切り、次の夢に沈降して行く..(しかしこの夢、どうも某宗教系だな。[;^J^] うっかり天啓を受けたりしないように、気を付けないと。[;^J^])

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*1997年03月07日:「ジェラシック・パーク」に想うこと


 フランクフルト出張中、インターネットメールは、やり取りしていたが、ネットニュースは読んでいなかった。また、ニフにアクセスして会議室を読むこともしなかった。これらの未読処理が、半端ではない。(後者の未読ログだけで、3メガバイト近い。)

 インターネットやパソコン通信で「ジュラシック・パーク」が語られる時、いまだに、10回中7回まで「ジェラシック・パーク」と書かれている。これは確信犯で(間違えて)憶えているのである。オアシスキーボードのことは知らないが、JISキーボードやASCIIキーボードでは、カナキー打ちでもローマ字打ちでも、「ジュ」と「ジェ」は遠い。

 ま、昔は不快感をあらわにしたこともあったが..最近はむしろ(有用かどうかはともかく)ひとつの“情報源”として楽しむようになった。

 「ジュラシック」という言葉から、ただちに「ジュラ紀」を連想出来ない人は、決して「恐竜少年」ではなかったのだ。彼なりに幸せで実り多い少年時代ではあったろうが..その精神世界は、例えば私の少年期の精神世界とは、全く異なるものであったのだ。

 「ジュラ紀」という言葉を知っている人は、金輪際「ジェラシック」とは書かない..いや、「ジュラ紀」はもはや“言葉”ですらない。それは、熱い想いを伴って魂の中に蘇る、“世界”なのだ..

 かくして私は、私の魂とは全く異なる魂のありようを、「ジェラシック」という言葉から知ったのだった。人間の幼児体験の、少年時代の世界の多様性を、知ったのである。

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*1997年03月08日:ヘール・ボップ彗星


 昨夜は、某新製品の打ち上げ宴会。そこそこ飲んだあと、1時過ぎまでニフのRTで遊んでから眠り、今朝は3時半起床。

 ヘール・ボップ彗星である。

 私はローランド・アストロクラブの、半幽霊会員なのだった。4時に社員寮の屋上に集合して、今世紀最後の大彗星の観望会。

 これは凄いものである。悪いことは言わないから、天文に興味の無いあなたも、観ておきなさい。

 あなたがこの文章をいつ頃読むかは知らないが..3月上旬の時点では、朝4時から5時頃に、適当に北東の空の低いところを見やれば、例え星座のことなど何も知らなくても、必ず判る。「明るいのに、妙に“にじんで”いる」星があるはずだ。良く見ると、上に向かって尾が伸びている。これがヘール・ボップ彗星である。

 その正確な位置は、彗星情報のページから判るはずだ。また、インターネットマガジンの今月(4月)号の400〜401ページには、この彗星の各種ホームページが列挙されている。

 肉眼でも、はっきりと尾が見える。空が白み始める5時以降、6時近くまで、北東の空に輝いて(にじんで)いたが、なんと、背景の空が紺色よりも水色に近くなっても、なお、尾が見え続けていたのである。紺碧の空に伸びる彗星の尾! これが肉眼で見えるのである!

 観望のあとは、いつもの通り、寒風に冷え切った体を暖める鍋。今朝は味噌煮込みうどんである。うまい味噌汁を何度もおかわりしてから帰宅。昨夜の不摂生以来、2時間も寝ていないところに持ってきて、十分に冷やしてから暖かい汁物をいただいたので、争う余地無く惰眠に堕ちる。かくして、2日かけて時差ボケを直したのが、チャラになる。

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*1997年03月09日:馬鹿の相手をしてしまう


 なんとなく無駄にすごした休日であった。

 昼頃まで寝坊をしてから、洗濯・散髪をして、ちょっと街中まで買い物に行ってくると、もう夕方である。

 ネットニュースを読むと、また馬鹿がひとり..

 fj.booksである。筒井康隆がフランスの「シュバリエ勲章」(日本の文化勲章に相当するらしい)を受賞した件で、どういう功績に対して与えられたのでしょうか?もしかしてフランス政府の利益になることをしていたのでしょうか?フランスのスパイだったのでしょうか?という、7歳の子どもでも(まさか本気で言っているとは)誤解しようのない、冗談を、ある人が書いた。これに噛み付く馬鹿がいるとは、想像も出来なかった。

 曰く「実にユニークな発想力だが、名誉毀損で云々」。

 アホか。

 反射的に、「馬鹿」の一言をフォローしそうになったが、やめた。馬鹿を殴ると馬鹿がうつる。こんなのと関わり合いになるべきではない。

 ..というつもりだったのだが..深夜になってから、そいつが発した次のメッセージ(別の人が彼をたしなめたものに対する、フォロー)を読んで、そのあまりの愚劣さに、たまらず「馬鹿」フォローをしてしまった。

 自己嫌悪。馬鹿には自分が馬鹿であることが認識できないので、「馬鹿」フォローは、本質的に無意味なのである。そんなことは判っていたのに。(しかし、キャンセルは、しない。私は、滅多なことでは記事をキャンセルしてはならぬと、自らを戒めているのだ。)

 気分直しに、リンクリストを、ぶちぶちと直してから、寝る。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 11 1997 
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