*1996年12月23日:中部望年会
*1996年12月24日:「鉄人28号」
*1996年12月25日:NEXT の帰還
*1996年12月26日:ユートピアについて
*1996年12月27日:あるホラー漫画について
*1996年12月28日:帰省する
*1996年12月29日:年賀ハガキを買う
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*1996年12月23日:中部望年会


 9時過ぎ起床。同宿・同行のM氏と、半田に向かう。JRを東上して、大府から武豊線。半田着は14時過ぎ。

 実にすっきりと物寂しい駅前。そこそこビルはあるのだが、休日には仕事をしない金融機関だったりする。大きな道路もあるのだが、ほとんど車が走っていない。半田市街地図を見たわけでもない、いい加減な感想だが、市街の発展の中心から、この(古い)駅が外れてしまった、ということなのではあるまいか。

 こういう、どこか“うち捨てられた”街の情景、というのが、また私は大好きなのである。絵画作品でいえば、その筆頭はポール・デルヴォー。そして言うまでもなく、クノップフの「死都ブリュージュ」だ。閑話休題。

 5分少々歩いて、会場(半田勤労福祉会館)着。開会直前であった。

 無論、仮面で入場である。同じことを3回やっても仕方がないので、ここでは(去年、関東望年会で使った)ビッグバードの黄色い鳥仮面。(目次ページにおいてある、あれである。)中部では初披露だったのだ。

 あとは、例によって、時間いっぱいぐだぐだぐだと、とぐろを巻く。

 人数が(関東、関西に比べて)少なかったこと、会場も、やや小振りだったこと、理由は判らないがプログラムの段取りが大幅に狂って、事実上段取り無し・演奏準備できたチームから演奏、という状態になったこと、などなどから、もっともインティメートな雰囲気が濃厚な望年会であった。

 当初は後泊するつもりだったのだが、明日、午前半休を取っていられる状態でもなくなってきたので、二次会には出ずに、素直にJRで帰路につく。接続待ちの大府の居酒屋で腹ごしらえして、浜松着は23時過ぎ。

 時間を贅沢に浪費した、有意義な3連休であった。[^J^]

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*1996年12月24日:「鉄人28号」


 関西望年会の三次会で、アニソンカラオケを歌いまくったわけだが、改めて不気味さを感じたのが、「鉄人28号」である。

 なに、別に新発見でもなんでもない。「いいも悪いもリモコンしだい」という、あのあまりにも有名な一節なのだが..歌いながら、ふと、ヒンヤリとするほどのリアリティを覚えてしまったのだ。

 「鉄人28号」は、同時期の「鉄腕アトム」に比べて、「未来の話ではなく現代の話」であることから、子ども心には“翔び方”が少ないように思えたものだが、その先見性は、改めて見直してみる必要がありそうだ。

 「絡新婦の理」、読了。この望年会ツアーには、こいつを持って行ったために、せっかくリブ30も持ち歩いていたのに、日記その他の執筆が、さっぱり進まなかったのである。

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*1996年12月25日:NEXT の帰還


 「まんがガウディ」誌が休刊に。15ヶ月しか続かなかった。「まんがシャレダ!」の後継誌だったが、「まんがシャレダ!」と同じカラーで、しかも「まんがシャレダ!」よりもつまらなかったのだから、ここまでもったのをよしとするか。これでまた、吾妻ひでおの掲載誌が減ってしまった。

 アップルがネクストを買収した。一部のマックファンは興奮している。確かにこれが刺激になることは、間違いあるまい。というより、ここ数年間、マックには何の動きもなかったに等しいのである。

 しかし、いまさら..というのが、正直な感想ではある。ネクストの、国内における存在感の薄さは、日本特有の事情なのであろうか? 優れた技術力を持ちながらも、その技術力に傲って孤立化した二社の、合体..

 なんにせよ、MSのプロダクツを、もう少し使いやすくする方向のトリガーには、なるだろう。歓迎すべきことである。

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*1996年12月26日:ユートピアについて


 私は、三つのユートピアを知っている。それらはいずれも学生時代、下宿生活の一場面であった。

 まず、麻雀。

 誰かの(四畳半の)部屋に、6〜7人、あるいはそれ以上がすし詰めになり、ひがな一日、徹夜明けから次の徹夜明けまで、そしてさらに翌日の徹夜明けまで、メンバーが入れ替わりながら、果てしなく麻雀を続ける。眠る人間は、その部屋の隅で眠ることもあるし、別の(自分の、あるいは他人の)部屋で眠ってくることもある。麻雀台である炬燵の周辺は、床というよりゴミ箱をぶちまけたに等しい。中身があったりなかったりする缶ビール。中身があったりなかったりするカップラーメン。みかん、つまみ、麻雀劇画の雑誌の山。ゲームに参加していない連中は、手牌を覗き込んであれやこれやと口を出し、あるいはこれらの雑誌を読んだり、テレビをつけたり。そして果てしなく流れ続ける無駄話..

 次に、ビデオ。

 当時はレーザーディスクの出始めで、パイオニアのLD−1000という型番だったか、とにかく馬鹿でかくて非常に熱くなるプレーヤーを、友人のひとりが購入した。定価は忘れた。そしてこれが重要なことだが、彼はLDソフトを数十枚(50枚以上?)購入したのである。当時のソフトの値段を考えると、これは大変なお大尽であった。

 かくして、寮の彼の部屋は(時効だから言うが)昼夜を分かたぬダビング工場となったのだった。常時4台以上のベータ、VHSのデッキが持ち込まれてフル稼動し、「未知との遭遇」「ザッツエンタテインメント」等をコピーし続けたのである。(当時の悪友たちの合言葉は、「持つべきものは金持ちの友人だ」であった。)私は、その部屋に居続けたことこそなかったが(そもそもビデオデッキを持っておらず、このダビング大会には参加していなかったのである..と、往生際悪く良い子ぶっているが [;^J^])、そこを訪れれば、いつでも古今東西の名画が流れている、機材と配線で足の踏み場もない、この乱雑を極めた部屋も、また夢の部屋であった。

 三つ目は、マイコン。

 まだパソコンと呼ばれる前の時代。PC−8001のライバルが、MZ−80BではなくMZ−80K/Cであった時代。FM−8が現れていなかった時代である。炬燵の上にはMZ。箪笥の上にはPCのディスプレイ。(キーボードと一体、というよりキーボード自体である本体は、やはり炬燵の上だったか。)2台のマイコンの電源は落とされることなく、昼夜を通じて、ゲームの打ち込みとプレイ。そしてそれよりも多くの時間をかけて、計算機実習のレポート課題のプログラムのデバッグ。本来は、計算機センターのバッチ処理の大型機で解くべき課題なのだが、バッチ処理であるから、マークカード、あるいはパンチカードでプログラムを提出して、結果のプリントアウトを受け取るのが夕方。バグなど出している余裕はないわけで、この友人のようにマイコンを持っている連中は、まず、BASICでプログラムを組んで、それをFORTRANに書き直すのが常であった。

 ここも実に汚い部屋であった。炬燵の上には何を乗せる余地もなく、それでもコーヒーメーカーには金と手間をかけていた。

 いずれも、学生時代のユートピアであった。どの部屋でとぐろを巻いているのも、夢のように楽しかった。

 そして、この三つの部屋に共通していたのが..炬燵なのだ。

 そう、ユートピアとは、炬燵のことであったのだ。これが真理である。

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*1996年12月27日:あるホラー漫画について


 いつの頃からか、数え切れぬほどの少女向け恐怖マンガ雑誌が、巷に溢れている。これほど膨大な量があれば、その大多数は屑であろう、と、これは実績のある経験則。そうは言っても、少しは読んでおかなくっちゃね、と、「恐怖の館」(リイド社)という雑誌を手にとってみた。

 いきなり目に飛び込んできたのが、「戦慄!!タコ少女」(山咲トオル)という作品である。その絵柄は、明らかに楳図かずおのパロディ。内容は..タイトルから予想されるとおりであるが、惹句が強烈である。


「ズンドコスプラッター巨編!!」

 ず、ズンドコスプラッター..[;^O^](号によっては「ズンドコホラー」とも)。

 蛸の下半身の上に、直接「楳図顔」の少女の頭部が乗った、この悲劇の主人公たちの繰り広げるドタバタ(時には、タコ少女の登場しない、ウェットな話もある)には、まさに“ズンドコスプラッター”の呼称がふさわしい。驚くべき日本語感覚である。よくもまぁこんな語感を思い付いたものだ。

 私は、こういうのを“日本語の乱れ”だとは、思わない。今なお日本語に造語能力が豊かに残っている=活力がある証拠だと考える。とにかく、「チョベリバ」や「MM」などとは格が違う。「ズンドコホラー」の不気味なリズム感とイメージ喚起力は、ただの圧縮・省略語である「チョベリバ」の実体のなさとは、比較にならない。これは嬉しい発見であった。

 以上の考察はともかくとして、私は「戦慄!!タコ少女」を一読することを薦めてはいないことに、注意。それはそれ、これはこれである。全くなんなんだ、これは。[;^J^]

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*1996年12月28日:帰省する


 東名バスで帰省する。さすがに車内は始発の浜松駅から満席に近いが、なぜか途中から乗ってくる人も少なく、なんとかオーバーフローはせず。首都高の混みかたもまぁ並みで、結局時刻表より早く霞ヶ関着。

 現代マンガ図書館に直行。大きな連載のチェックはほぼ終わっているので(「少年ブック」「少年クラブ」や「少年サンデー」「漫画サンデー」の古い号は、ここには無いのだ)、細々としたカットの初出誌チェック、全集未収録作品の閲読などを行う。

 想像していたとおり、カット、イラスト等の小さな仕事ほど、従来資料に誤りが多い。(記載されている初出誌に、掲載されていないケースが少なくない。)やむを得ない。これらは単行本に収録されることがなく、従って、その段階でチェックを受ける機会がないのだ。最初の誤植が、いつまでも訂正されないのである。

 さて、どうやって、これら行方不明の作品を探し出しましょうかね。[;^J^]

 3軒茶屋の2階のマンガ屋による予定だったが、帰宅が遅くなるので、パス。年明けの4日に都内に出る予定があるので、その時に。

 ということで、横浜の実家に、素直に帰る。

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*1996年12月29日:年賀ハガキを買う


 ガラス拭きをしてから、お年玉付き年賀ハガキを買いに行く。今ごろになって。

 当然、廉い無地のものなど、とっくに売り切れである。5枚組み570円とかの、印刷済みの高価なものしかない。結局コンビニで(いくらかでも廉価な)5枚組み410円のものを、45枚買う。

 去年も、同じことをやった様な気がする.. 大体、職場で、廉い(というか、普通の価格の)年賀ハガキのまとめ買いの斡旋が回ってきていたのだから、それを申し込めば何の問題もなく、今日、このようにして探し回る手間もかからなかったのだ。それが判っていながら、斡旋の回覧が回ってきた時には、何枚必要なのか確かめるのが面倒くさくて、パスしてしまっていたのである。確実に災厄を招くことが判っていながら、ほんの僅かの手間を惜しむ。われながら自業自得。同情の余地、皆無である。

 まぁ、日記一回分のネタにはなったから、よしとするか。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 310 1996 
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