*1996年12月16日:ある強迫観念について
*1996年12月17日:ある強迫観念について(つづき)
*1996年12月18日:暗がりに輝くTFT
*1996年12月19日:「鉄鼠の檻」
*1996年12月20日:筒井康隆断筆解除
*1996年12月21日:関東望年会
*1996年12月22日:関西望年会
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*1996年12月16日:ある強迫観念について


 私は“足”を左右対称に扱わないと、非常に落ち着かない。物心ついて以来だから、もう30年、あるいはそれ以上も昔から。

 私の心の中では、それに“ダメージ”という概念をあてている。

 一番判りやすい例が、階段である。階段のステップを足の裏で踏む。当然、普通の平面を踏んだ時よりは、(接触面積が少ないので)余計に荷重がかかり、少し“痛い感じ”がする。これが“ダメージ”である。この“ダメージ”の量を、左右均等にしないといけないのである。

 ステップ数が偶数ならば、問題はない。奇数の時は、どうするか。右足で踏み始めると、右足で踏みおわる。これは右足に対して“不公平なこと”であるので、次の階段は“罰として”左足から踏みはじめる。こうして“バランスを取る”。次の階段のステップ数も奇数だった場合には、これで1サイクル終了であり、左右のダメージはバランスが取れている状態にある。仮に偶数だったとしても、問題は大きくならない。例えば最初の階段を右足から踏み出して右足で踏み終え(この時点で、右足のダメージが“+1”)、次の階段を左足から踏み出して右足で踏み終えた。この時点でも、やはり右足のダメージが“+1”。つまり、階段のステップ数は、一般に偶数、奇数が混ざっているはずで、(それが未知の階段であれば)登り終えるまでは偶数だか奇数だかは判らないものなのだが、この例のように、正しい足から踏み出すことを守る限り、左右の“ダメージ差”は、1以内に押さえられる。

 問題は「踊り場」なのである。ほとんどの踊り場は、ちょうど1歩で踏み越えられる。

 つまり、最初の階段のステップ数が奇数だった場合、右足で踏み始めたとすると右足で踏み終えることになるが(この時点で、右足のダメージが“+1”)。次の踊り場で左足の1歩を“消化”してしまい、次の階段を、また右足で踏み始めることになる。次の階段のステップ数が偶数だった場合は、左右のダメージ差は“+1”を維持したままだが、奇数だった場合には、また右足で踏み終えてしまい、左右のダメージ差は“+2”となってしまう。これは到底、看過出来ない数字である。

 一連の階段を登り終えた段階でダメージ差が“+1”の時は、ダメージが少ない方の足を、“一回、強く踏む”。ステップの角で体重を支えたダメージとは、全く質が異なるのだが、“+1”程度の小さな誤差であれば、これでなんとかごまかせる。しかし“+2”ともなると、上記の例で言えば、右足の足の裏が、そうとう余計に仕事をしてしまったわけであり、これは左足を少々痛めつけてもバランスを回復できない。この“いやあな感じ”は、どうかすると終日まとわりつく。

 「踊り場」を1歩(奇数)で踏み越えたりするので、このような窮地に追い込まれるのだ。「踊り場問題」は、実は極めて簡単に解決できる。

“「踊り場」では歩幅を小さくして、ちょこまかと2歩で通過するか、または、「踊り場」を0歩で通過する(すなわち、足を置かずに飛び越える)”。

 (人ごみの中だと、後の歩行者に追突されるか、または前の歩行者に衝突する危険があるので、注意しなければならない。)

 (この項、つづく)

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*1996年12月17日:ある強迫観念について(つづき)


 (承前)

 “ダメージ均衡規則”について、もっとも判りやすい「階段」の例で説明したが、これは一般に、あらゆる“足の裏の感覚”について適用される。

 和室における、畳の縁。和室を歩き回る時は、畳の縁を、どちらの足で、どういう順番で踏むか、綿密なスケジューリングが必要である。さらに(これほど細いものを踏む場合は)、足の裏の“どの部分で踏むか”も、スケジューリングしなくてはならない。

 横断歩道のペンキ。これはかなり難しい。一般に、1歩で消化するには幅が広すぎ、2歩には狭すぎるのである。普通は、平行線群ではなく、道路に直角に塗られた、横断歩道の縁のペンキの上か、あるいは横断歩道の外側を歩く。

 突発事故として、例えば石を踏んだ場合、同等の石を探して、反対側の足で踏む。

 これら“足の裏系”のダメージ均衡の応用として、“ガードレール消化規則”がある。

 これは簡単なルールであり、ガードレール区間に対する歩数の比を一定に保つ、というものである。ガードレール3本に対して10歩、4本に対して13歩、位ならば簡単なのだが、もっとややこしい比率の場合(7本に対して25歩、など)、ある種のモアレ模様を意識しながら歩くことになる。

 また、この規則は、極めてしばしば横断歩道に適用される。これによって、白いペンキが左右の足の裏に与える比率の差を、一定範囲内に押さえこむのである。

 まだ他にもいろいろあるのだが..誰だって、こういうことを無意識のうちにやっているはずだと思うのだ。ただ、説明がややこしくなるので、黙っているだけである(と、私は信じている)。

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*1996年12月18日:暗がりに輝くTFT


 ふと思い立って、いかがわしい店に入る。(そういう気分になる日もあるのだ。)やってきた女の子が(なんの脈絡もなく)「わたし、インターネットに興味あるわぁ、はまりそうやわぁ」。

 取りい出したるリブ30。

 私は時間一杯、ネットスケープで、私のホームページのローカルマスターをブラウジングしつつ、インターネットと私のページのデモと宣伝をしていたのだ。前代未聞の客である。

 そして私はブラウザを操作しながら、「これでは高い料金がもったいない」とは全然思わなかった。「これは(日記の)ネタになる」と考えていたのである。

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*1996年12月19日:「鉄鼠の檻」


 京極夏彦の4冊目「鉄鼠の檻」を、ようやく読了。(残るは最新巻「絡新婦の理」である。)

 世間よりもかなり遅れて追いかけている状況なので、当然、作者と作品に関する評論の類は全く読んでおらず(ネタバラシされているかも知れないではないか)、従って、以下に書くことは、とっくの昔に誰かが指摘しているだろうとは思うのだが..

 これは「うる星やつら」だ。

 いや、「鉄鼠の檻」に限らず、ここまで4冊通読してきた印象である。

 設定やキャラクターの類似点は、かなり乏しい。うる星やつらには、お祓いのプロ「サクラ」がいるが、これを京極堂にあてはめるのは、いくらなんでも無茶である。キャラクターの見立て遊びでは、どこで読んだのか忘れたが“ドラエモン説”の方が、遥かに面白い。(京極堂=ドラエモン、関口=ノビ太、木場修=ジャイアン、榎木津=スネオ、敦子=シズカ(だったっけ?ノビ太の彼女)、という見立てである。)

 (「鉄鼠の檻」は、やや異なるが)いずれもかなり陰惨な猟奇殺人である京極作品と、明るい「うる星やつら」とは、物語の性格も、かなり違う。

 ただ、この胡乱な「化け物空間」のガジャガジャとした雰囲気が、(悲劇/喜劇の区別を乗り越えて)類縁関係を思わせるのだ。

 そして「鉄鼠の檻」を読むに至り、ほとんど確信した。作者には「うる星やつら」が“染み込んでいる”。明らかに「うる星やつら」に由来する台詞が、2回にわたって出て来るのである。


“いずれの屋根も、巨木も、雪だらけである。

 「威風堂堂と云うか古色蒼然と云うか、旧態依然と云うか瓦解寸前と云うか−−」”(54頁)

“錯乱している。こう云う場合先に錯乱した方が勝ちである。残りの者は大概醒めてしまうものだ。”(177頁)


 「うる星やつら」の読者ならば、いずれの台詞もすぐに、あぁあのエピソードのあれか、と、思い出せるであろう。(その位判らなきゃ、一人前のオタクとは呼べないよ。)

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*1996年12月20日:筒井康隆断筆解除


 なんにせよ、めでたい。彼のストライキに対しては賛否両論あったが、私は(十分かどうかはともかく)“結果を出して”“終わらせた”ことを、高く評価する。大体、この類のことは、うやむやなぁなぁでどこかに行ってしまうことが多いのだ。

 などと、偉そうなことを書いているが、この私自身、仕事でもプライベートでも、結果を出さずに曖昧なまま“無かったことにしてしまった”宿題が、無数にある。これでも自戒を込めて書いているのだ。

 その一方で、こういう(提出のチャンスを失った)宿題の堆積=澱、が、人生の、あるいは人間にとっての“時間”の、本体ではないかとも考えていたりするが、なに、例によって自戒などとは程遠い妄言である。

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*1996年12月21日:関東望年会


 今日から3日連続で、ニフティのFCLAの年末恒例のパーティ、「望年会」の梯子である。「忘年会」の変換ミスではない。東京のあるプロオーケストラが,旗揚げの年の暮れの忘年会を希望をこめてこう呼んだことにちなみ、FCLAでは忘年会をこう呼んでいる。

 今日は東京、明日は大阪、明後日は中部の半田。これに全部参加するのである。馬鹿である。

 例によって東名バスで上京。さすがに年末だからか、車内も満席、道路(首都高)も混み気味だったが、さほど遅れず霞ヶ関着。(しかし、富士山もこれほど美しいと、“霊峰”というより、ほとんど“魔の山”である。)

 丸の内線で池袋、東武東上線で成増。この駅前のアクトホールが会場である。会場のすぐ下のフロアにデパート(巨大なスーパー?)があり、忘れ物の購入や買い出しに、大変便利である。開会から30分ほど遅れて会場着。

 「豹頭の仮面」を被って受け付けへ。受けた。[^J^](しかし、“タイガーマスク”だとか“グインサーガ”だとか呼ばれたが、それを言うなら“豹マン”くらい言ってほしいものである。−−古すぎるか。)そして今年は、これしかすることがない。[;^J^]

 同じ「望年会」といっても、各地で明確に性格が異なるのは、面白いことである。関東のそれの性格は、「ただひたすらダラダラとした宴会」である。[;^J^] 200人は収容できるただっぴろいフラットスペースの会場で、5〜60人が、持ち込んだ酒やケーキやケータリングを飲み食いしつつ歓談している背後(というか舞台)で、(事前に用意はされている)突発アンサンブルが、適当なタイミングで演奏される。BGMというほど“聴き流される”ものでもなければ、拝聴する演奏会でもない。このニュアンスを伝えるのは難しい。

 だらだらした進行と言えば、今年はついに印刷されたプログラムすらない。[;^J^] このいい加減さが、関東望年会の真骨頂なのである。しかしおかげで(例によって)一部居眠りをして聴きそこなった出し物がなんだったのかが判らない。[;^J^] まぁ去年よりは長時間起きていたようなので、よしとするか。[;^J^] 原則として何もせず、仮面を被って酒を飲んでうだうだするだけ、というコンセプトで参加したのだが、ハレルヤ・コーラスなどは歌う。

 二次会は(確か)池袋の店。2〜30人ほどもいただろうか。G氏、R氏、M氏らと、池袋Rホテルに泊まる。明日は大阪である。

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*1996年12月22日:関西望年会


 7時過ぎにホテルを発ち、8時過ぎのひかりで大阪へ。昼過ぎに、会場の桜ノ宮アートホールに着。(なぜか、全然メモが残っていないので、時刻の記述はいい加減である。[;^J^])

 ここでも、この年末の唯一の芸である「豹頭の仮面」を被って入場。関東同様受けたのだが、計算ミスも。というのは、この仮面を脱ぐタイミングが遅すぎ(つまり仮面で引っ張りすぎ)、そうでなくても演奏中だったので、大方のギャラリーの目線が外れるまで、素顔を見せなかったのである。つまり、多くの人は仮面の下の私の顔を見なかったわけだ。実は、こういうことをやりかねない男がもうひとりいるのであり、“彼”の到着と誤解された節がある。(もっとも、しばらくたってから“彼”本人が到着した時点で、先述のように誤解した人たちは混乱し、ようやく、この手のことをしでかしかねない、もうひとり(=私)の名前に思い至ったと言う。)

 関西望年会のカラーは、関東とはかなり違う。関東ほどは広くない会場に、関東以上の人数が入り、関東よりも遥かに多い演奏エントリをオンタイムでてきぱきと進行させていく。そして、もうどうしようもなく関西系のノリなのである。[^J^]

 無論、お笑いだけでなく、しっかりした演奏、あるいは技術的には未熟でも真摯な演奏、そして実にさまざまな種類の芸を堪能する。先述の“彼”が連れてきた猫(kuku)とも、たっぷりと遊ぶ。(“豹頭の仮面”対“子猫”の戦いである。)

 オンタイムで閉会・撤収。梅田で60人弱で二次会。蟹鍋だが、味付けが異様に辛かったので、皿の上のレモン片を、ありったけ放り込む。(なんの解決にもなっていないような気がするが、酔っ払いに意見しないで欲しい。)

 三次会はカラオケ。当然、アニソンである。座を外すなどの手違いで、持ち歌の「エイトマン」を歌いそこなったのは、残念であった。

 1時をはるかに回ってから、M氏とビジネスホテルKに向かう。明日は半田である。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 27 1996 
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