*1996年12月02日:「火の鳥・羽衣編」そして幻の「望郷編」
*1996年12月03日:ファッションについて
*1996年12月04日:くだらないことを尋ねる能力
*1996年12月05日:守護霊について
*1996年12月06日:再び、夢について
*1996年12月07日:地獄から天国へ
*1996年12月08日:リブレット30をセットアップする
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*1996年12月02日:「火の鳥・羽衣編」そして幻の「望郷編」


 昨日調べた「火の鳥・羽衣編」について、初出誌版と全集版(全集に限らず、あらゆる単行本も同様と推察される)の差違を記しておくのを、忘れていた。

 基本的に絵は同じで、台詞だけの変更である。

 初出誌では、おときは未来世界で「毒の光」を浴びて逃げてきたのであり、その毒の光は「私にこんな子を生ませてしまった!!」、と、おときを悔やませる。そして「坊や……お前は生れて来てはいけなかったのだよ! この時代に生まれても、一生笑い者不具者になるばかり……」と、その子を殺そうとする..(さらに、その子供の姿は、全く描かれていないのだ。これは(敢えて不謹慎な表現をさせていただくが)ホラー映画的恐ろしさをもたらしている。)これは確かに、被爆者にとってはたまらない表現だろう。単行本版では、ただ大きな戦争から逃げて来たことだけが語られ、「毒の光」という表現はカットされた。また、おときが子どもを殺そうとする理由は、それがタイムパラドックスの原因になるから、と書き換えられた。

 初出誌版の羽衣編の直接の続編である「火の鳥・望郷編(COM、COMコミックス版)」が、2回で中断された理由は、羽衣編がリライトされた理由と、全く同じである。COM版の望郷編に登場するコムと、現在流布している「火の鳥・望郷編」に登場するコムとは、出自が全く違うのだ。前者のコムは、おときの子供なのである..(コムの、あの不具の姿は、実は放射能症に由来するのであった。)

 Sホテルを8時40分頃に出て、国会図書館へ。「鉄腕アトム」と「海のトリトン」のチェック。アトムの方は、やはり初出誌の別冊付録が、ほとんど全滅状態である。初出テクストの半分も参照できない。どのエピソードがどの号(の付録)に掲載されたか、ということは、大体確定出来るのだが、いくつか確信を持てないエピソードもある。(そもそも、エピソードが号で綺麗に分れていないことが多いのだ。すなわち、ある号に、Aなるエピソードの最終回とBなるエピソードの第1回が掲載される。)これらは別途、調査/推測する。

 閉館時刻まで粘ったあと、渋谷に出て、カワイでヘンデルの「メサイア(プラウト版)」の合唱譜を買い、エナスタジオの「お気楽メサイア・練習会」へと向かう。

 30人ほども来ていただろうか。私は、さきほど譜面を買ったことからも明らかなように、全く予習をしていない状態。全然歌えない。[;^J^] 音取りは初見でも出来るのだが、言葉(歌詞)が乗らない。例えメロディーがわかっても、歌詞が出てこないと、ひとことも歌えないのである。本会は来年2月1日。多分出席可能。少しは練習をしないと。

 終わってから、近くの居酒屋で反省会(宴会)。「ムーンライトながら」で帰宅。

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*1996年12月03日:ファッションについて


 (衣裳の)ファッションというのは、つくづくくだらないものだと思う。まぁこの世界については全くの門外漢なので、偏見もたっぷりと入っているとは思うのだが。

 よくは知らないのだが、毎年(フランスで?)、来シーズンの流行はなんにしようか、会議で決めるのだという。色とか形とかスカートの長さとか。

 その決定に従って、流行が作られ、みなが競ってそれを買う。

 なんのことはない。決められたことに盲目的に従っているだけではないか。むしろ規則という形でトップダウンで与えられずに、なんとなく自分の意志で選んだという気分にさせるだけに、かえって始末が悪い。

 別に、服飾界だけのことではないのかも知れないが..しかし例えば、私が従事している電子楽器業界でも、流行の創出、のようなことを(結果的に)しているかも知れないが、しかし意識としては、全世界のユーザーが、楽器愛好者が、音楽愛好者が、プロが、アマチュアが、どんな音を、どんな楽器を求めているかを懸命に調べて(あるいは想像して)、その意向に(いくらかでも)近い製品を、作って、売っているのである。

 ユーザーの意向のみならず好みまでもコントロールするなんて..「ビンテージブームも数年間続いたことだし、さ来年位から、そろそろデジタルサウンドブームに“戻そうか”」などという発想は、あり得ない。

 こういう発想をする服飾メーカーに、唯々諾々と従う、ファッショナブルな人達..

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*1996年12月04日:くだらないことを尋ねる能力


 湯川秀樹博士は、大学のゼミの輪講などで、実にくだらない(初歩的な)質問を、学部の学生に、平気でばんばんしたそうである。(無論、ノーベル賞を受賞するなど、大成してからだ。)そこが彼の“偉さ”だった、という。同感である。

 まぁ最低限の基礎知識は身に付けてから質問するのが、礼儀というものだとは思うが。

 そのような(こんなことも知らないのか、と思われても無理はないような)質問を、平気で発することが出来たのは、ノーベル賞という実績の裏付けがあったからだ、とも聞く。

 会社でも同じだ。大体、上司というのはものを知らないことが多い。無理もない。下っ端ほど具体的な作業や調査に従事しているのであるから、知識レベルは、当然、上なのである。(中間管理職や上級管理職が、そのような具体的な作業に従事している職場というのは、組織として歪んでいる。)そして上司は確たる情報を元にして決断を下さなければならないのであるから、当然、部下にものをばんばん聞かなければならないはずなのだ。そしてこれは意外に難しいことである。

 上司としての能力、(そしてその上司を頂点あるいは中間管理職とする)組織としてのポテンシャル、それは、ひとえにこの「聞く」力にかかっていると思う。私は最近は、少しは聞き上手になって来たと思うのだが、まだまだ駄目だ。

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*1996年12月05日:守護霊について


 私の職場の廊下は、霊的に安定している..

 ..と、思わず荒俣ってしまったが。[;^J^]

 数ヶ月前から、廊下の壁の天井付近に、PHSのアンテナが設置されているのである。うすっぺらな白い板の両側に、短い角が斜めに生え、板の右下部分には(誰がどう見ても“眼”である)緑のLED。それがゆっくりと点滅している。

 これは明らかに、シュルレアリスムの芸術家、マックス・エルンストのオブジェ。特に「カプリコン」である。その形態は明確に異なっているのだが、受ける印象は、驚愕するほどそっくりである。

 私の職場は、霊的に安定している。その守護霊は数百年も昔の武将ではなく、今世紀最大の幻視者なのである..

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*1996年12月06日:再び、夢について


 全く、妙な夢を観たものだ。

 何か白くて大きな建物だか機械だかを、壊しているのである。解体作業の現場。その(戦場の噴煙のごとく塵芥が舞い上がる)ごったがえしたガラクタの山の中から、いくらかでも使えそうな建材をひっぱり出しては、使えそうもない(壊れた)部分を手荒く切り落とし叩き直し、別の山に放り投げて行く..

 一体、何をしているのだろう?

 「これは、廃棄されるソフトウェアです。リサイクルできそうなプログラムコードを取り分けているのですが、ご覧の通り、ほとんど全部ガラクタです。再利用できるコードは、数%もありません」

 どうもすみません。[;_ _](って、何を謝っているんだか。[;^J^])

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*1996年12月07日:地獄から天国へ


 この晩秋以降、ずっと、惨めな日々を過ごして来た。

 寒いから。そして部屋にまともな暖房がないから。

 まともな暖房がないなんて、とんでもない! エアコンがある! しかし、これは冬場には、驚くほど役に立たないのだ。何故なら、天井付近にあるからである。天井付近の空気は暖めるが、床付近の空気は冷たいまま。そして私の部屋は和室であり、床に座って生活をしているのだ。

 床面の付近から空気を暖めるべきストーブはなく..そして、炬燵は半年前から壊れていた。

 私は、エアコンの出力を最大にしても、なお寒い部屋の中で、ずっと、惨めな夜を過ごして来たのだ..

 そして今日、ついに意を決して、炬燵を修理した!(なんのことはない、電源コードが断線していただけなので、コードを買ってきてつけかえただけなのだ。紺屋の白袴とはこのことである。)

 なんと暖かい..もう、エアコンはいらない..冬場は、炬燵さえあればいい..

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*1996年12月08日:リブレット30をセットアップする


 先週の土曜日に買って以来、バックアップを取っただけでまともに整備していなかったリブレット30のセットアップを、本格的に始める。

 まずWin95のマニュアルを読むが..(プレインストールされているアプリは、取り敢えず後回し、)ほとんど情報が無い。[;^J^] ここから先はヘルプを読め、の嵐である。ま、いいけどね。

 インターネットマガジンの付録CDからネットスケープの2.02(試用版)をインストールする。

 ここで非常に助かったのは、MOを効果的に使えたことである。私の主機はT2150というノートパソコンで、CD−ROMドライブはこれに内蔵されている。これにはSCSIカード(PCMCIAカード)を経由して、MOドライブもつながっている。CD−ROMの内容は、このノートパソコンを経由してMOディスクに落ちる。そしてSCSIカードごとMOドライブをT2150から外して、リブ30にぶち込む。リブ30はWin95機であり、プラグ&プレイで、このカード(とMOドライブ)を認識する。これでMOディスクから直接アプリをインストールできる。T2150はWin3.1機であり、このOSではプラグ&プレイはサポートされていないのだが、ブート時にSCSIカードを挿してMOドライブの電源を入れておけば、カードもMOドライブも認識され、それ以降にカードを抜き差ししても(ワーニングのブザーは鳴るが)問題はない。結果として、2台のパソコンの電源を入れ放しにして、SCSIカードを交互に抜き差しすることによって、ソフトをCD−ROMからリブ30に転送できた。フロッピー渡しよりも、遥かに便利で効率が良い。

 面食らったのは、レジュームが無いことである。かわりに“ハイバネーション”という機構がある。これは電源オフ時のメモリ(とCPU等)の情報を、全てハードディスクに覚えるメカニズムである。このクラスのCPU(とメモリサイズ?)では、レジュームが出来なかったのだろうか? 東芝の(サブ)ノートではレジュームが当たり前と思っていたので、ちょっと戸惑う。

 サウンド機能もないが、こんなものはどうでも良い。それよりも、10年以上も昔のMZのようなチープな単音ブザーが鳴るのが、ノスタルジックで面白い。

 とりあえず、ネットスケープと秀タームと、Vzエディタ(DOS窓で使うのだ)を入れて、最低限のことは出来るようになる。そして、ここまで出来れば、あとは望むことはほとんどない。要は出先で、文章が書けて通信が出来て、望ましくはネットサーフィンが出来れば、それでいいのだ。

 あと必要なのは、キーの入れ換えその他の小技。それと、Win95をまともに勉強せずに作業をしたせいか、数箇所おかしな設定になって直らなくなっているので、これらの修正(あるいはインストールし直し)など。

 思うところは色々あるが、これは名機だ。私は久々に感動している。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 19 1996 
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