*1996年10月07日:「ミクロコスモス宣言」
*1996年10月08日:豊かさについて
*1996年10月09日:「マンガはなぜ面白いのか」
*1996年10月10日:鎌倉散策
*1996年10月11日:あるベスト3企画について
*1996年10月12日:無意味な“正しさ”
*1996年10月13日:陽だまりの樹/地球を呑む/MW/アトムキャット等、調査
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*1996年10月07日:「ミクロコスモス宣言」


 以下に紹介するのは、以前、D誌に取材された際に、ページ作成者の言葉として送った原稿である(このまま掲載されたわけではない)..

 私は“世界”を構築したい。私の手の届く範囲に。私の部屋の中に。私が「オタク」であるとすれば、それはこの夢想によるものだ。

 例えば遠い未来に世界が滅びたとして、私の部屋(と電源)だけが生き残ったとして、異星人が地球を訪れたとする。唯一残された、この遺跡だけから、1996年に至る人類の歴史と存在に対する、ある程度正しいイメージを彼らに伝えたい。そう考えている。

 では、世界文学全集を、世界美術全集を、世界**全集を買い集めるのか。もちろん違う。そのようにまともに全世界の全歴史の情報量と立ち向かってしまっては、アレキサンドリヤの図書館をもってしても収めきれまいし、そもそも“私”という個人がまとめる意味が無いではないか。

 「海底2万海里」のノーチラス号艦内に作られた、ネモ艦長の図書館に、重大なヒントがある。世界を捨てたネモは、世界の中から「彼に取って価値のある」書籍だけを海底に持ち去ったのであり、そのコンセプトは、上記の私の考え方とは微妙に異なるのだが、決定的に重要なのは、「彼が世界を捨てた日(即ち、ノーチラス号が海底に去った日)の新聞を、保存している」ということである。彼はその新聞を「(彼が捨てた日の)全世界を集約したもの」として、図書館に備え付けたのである。まるで不完全で不正確で話にならないほど小さな情報量だ。しかしそれでも“世界の代理”として、機能しうるのである。

 ベルリオーズ、吾妻ひでお、手塚治虫、澁澤龍彦、江戸川乱歩、ハヤカワと創元のSF文庫、サイエンスのバックナンバー..いずれも世界の“ある領域”を集約し、それらの集合体が宇宙を構成する。私のミクロコスモスを。

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*1996年10月08日:豊かさについて


 さて、今CDを何枚持っているのであろうか? 多くのコレクター同様、1000枚位までは(どうかすると毎日)嬉しく数えていたりしたものだが、2000枚を越える頃には、もうどうでもよくなってしまった。

 ほとんど全てクラシックである。(クラシック以外の、ある程度まとまったコレクションとしては、民族音楽の全集企画(50枚組)と、イエス、ジェネシス、冨田勲、太田裕美。何を血迷ったか、安田成美が1枚。)これだけあれば十分だろうと、あなたは思うだろうか?

 事実は全く、そうではない。買えば買うほど飢渇感が酷くなる。コレクションの“穴”が、どんどん目立つ一方なのだ。これは恐るべき逆説である。

 例えば、私はドビュッシーの(少なくともCD化されている)作品のほとんど全てを、CDとして所有しているが(ドビュッシーの作品のCDの全てを所有しているという意味ではない)、「間奏曲 バッカスの勝利」というピアノ連弾曲は持っていない。これはとことんマイナーな作品で、もしかするとCD化されていないかも知れない。CD化されているかも知れない。いずれにせよ、手元にない。これが恐ろしく気になるのである。何故なら、これ(と、あと数曲)を除く、ほとんど全ての作品が手元にあるからだ。

 これ以上、詳述する必要は、あるまい。この、実際問題、一度でも聴く値打ちがあるかどうかすら不明な作品をも、所有しなければ気が済まない、という強迫観念は、“持ち過ぎている”ことから来ているのである。

 ある作曲家の作品を、A、B、Cランクに分けるとする。無論、このランク分けの基準は、“客観的な作品価値”でも“世評”でもなく、“自分にとって聴く価値があるかどうか”である。Aランクの作品を全て収集するのは、まず当然であるとして、とあるBランクの作品を買ったとする。さて、これは(自分にとって)さほどの作品ではなかったが、このBランク作品を買って、あのBランク作品を買わない理由はなんだ? ここが分水嶺である。うっかり買ってしまったBランク作品を売り飛ばせば勝ち、まだ買っていなかった(他の)Bランク作品を(公平を期すために)買いに行けば、負けだ。そして私に言わせれば、私のような「百科全書派コレクター」は、ひとり残らず“負け犬”なのだ。やがてCランク作品にまで手を伸ばして、破滅することになる。(既に破滅している。)

 10年以上前、初めてCDプレーヤーを買った時、ほぼ同時にCDを7枚買った。確か、

*「ブランデンブルク協奏曲」(バッハ)
*「ピアノ協奏曲第5番“皇帝”」(ベートーヴェン)
*「幻想交響曲」(ベルリオーズ)
*「ニーベルングの指環(抜粋)」(ヴァーグナー)
*「ピアノ協奏曲/左手のためのピアノ協奏曲」(ラヴェル)
*「三角帽子」(ファリャ)
*「カルミナ・ブラーナ」(オルフ)

だったと思う。わけあって学生時代にクラシックのLPをあらかた処分してしまい、数年間、クラシックをまともに聴いていなかった私は、久方振りに渇を癒したというところだったが..

 なんと豊かな時代だっただろうか。このたった7枚のCDしか持っていなかった頃には、これで不足しているとは“全く”思わなかったのだ。この7枚から、クラシック音楽の全貌を、全世界を聴き取ることが出来たのだ。先に述べたように、クラシックの素人だった訳ではない。クラシック音楽の世界の途方もない規模、膨大な作品数を知悉していた。それでもなお、この7枚でクラシック音楽を代表させるという心の持ちようが、可能だった。何故か。

 それは“イリュージョン”を聴いていたからだ。「ブランデンブルク協奏曲」を聴きながら、私は、その音楽の向こう側に“バッハ”を、“バロック”を、そして“バロック音楽の時代”を聴いていたのだ。いや、ほとんど“視ていた”“体験していた”とすら言える。

 それは幻想に過ぎない。しかし幻想は無限に広がる。この7枚のCDから物理的に聴き取れる音楽は、いわば幻想のトリガーだった。私はこれらから、幻想のバロック時代を、幻想の古典派時代を、幻想のロマン派時代を、そして幻想の世紀末を、確かに聴き取っていたのだ。

 私は幸福だった。しかしそれは数ヶ月と続かなかった。

 CDを買い足したからだ。余りにも少なかったが故に(たった1枚の「ブランデンブルク協奏曲」から全バロック音楽を、たった1枚の「皇帝協奏曲」から全古典派音楽を、演繹(導出)するほどに少なかったが故に)、それは現実の音楽のコレクションというよりは“音楽の種子”であったのだ。しかし私は、より多くの音楽を“耳で”聴きたいが故に、CDを買い足した。

 ベートーヴェンが1枚ではあんまりだ。そこで交響曲全集を買った。これが地獄への扉を開いた。

 なるほど、交響曲はOK。しかし何故ピアノ協奏曲が「皇帝」だけなんだい? 1番2番はともかく、せめて3番と4番は。ピアノ協奏曲もいいが、交響曲と並ぶベートーヴェンの三本柱は、ピアノソナタと弦楽四重奏曲。それに「荘厳ミサ」がないと、バランスというものが。おや、なぜピアノ三重奏曲がない? ちょっと待ったヴァイオリンソナタとチェロソナタはどうした? ふむ、ベートーヴェンはいいとして、モーツァルトは? おいおいベルリオーズとヴァーグナーでロマン派を押さえたつもりかい? シューマンは? リストは? ウェーバーは? ラヴェルがあってドビュッシーもフォーレもないのはちょっと..(以下、無限に続く)

 必要最低限(以下)の枚数しかなかった時代には、空想を紡がざるを得なかった。しかし、それ以上の枚数が手に入り、空想に依らずとも実際に耳で聴けるようになった時、空想の世界は崩壊し、「現実の(物理的な)音楽の世界」に立ち向かうことになったのだ。それは、無力な子供は空想の中で世界も宇宙も征服できるが、社会に出てなにがしかの(現実の)金銭収入を得るようになった時、零細企業の社長になることすら、容易ではないことと、似ているかも知れない。

 これは恐るべき逆説だ。ほんの僅かのものしかなかった時代には、「ミクロコスモス宣言」で告白した私の夢想(“世界を私の手の上に”)を、実現するチャンスがあったのだ。それはあるいは“幻想の宇宙”に過ぎなかったかも知れないが..

 かくして私の飢餓は永遠化されたのである。あたかも、全ての知識を手に入れながら、なお知識の欠如に絶望して自殺を図ったファウストのごとく。

 もしも悪魔が現われたら..?

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*1996年10月09日:「マンガはなぜ面白いのか」


 録画したまま観ていなかった「マンガはなぜ面白いのか」(NHK人間大学、96年7〜9月期、講師:夏目房之介)を、昨夜から二日がかりで片付ける。大層面白く刺激的なマンガ論。時として必要以上?にテクニカルなアプローチに淫する傾向があり、好悪はわかれよう。しかし例えば、「めぞん一刻」のクライマックスシーンを取り上げて、「作者はこの決定的な瞬間に、ふたりの顔を“同時に正面から”描きたかったのだ。この問題をいかにして解決したか」と切り込む点など、大いに唸らされた。この講座は一見の価値があると思う。録画を観ることが出来なくても、テキストは入手可能なはずだ。

 この講座の第10回で、私がつい先日話題にした、コマの番号の件について、しっかり指摘されていた。1960年代末までの習慣だった由。また、私は、素直でないコマ割りの中で、読者をガイドするためのものかと思っていたのだが、事実は逆で、“縦にも横にも読める田の字型のコマ割り”において、縦に読むのか横に読むのかガイドするためのものだったという。デフォルトで横に読む、というルールが確率されるまでの過渡的な措置だったのだ。

 「3軒茶屋の2階のマンガ屋」の写真カタログの Vol.2からVol.4までが手元にあるのを、今頃になって思い出し、「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」と照合する。このカタログは非常に有用なものであって、各雑誌の表紙写真はもとより、主たる掲載作品、あるいは主たる別冊付録の扉ページの写真が、しばしば並べて掲載されているのである。これは貴重な資料だ。というのは、その号に掲載されたエピソードが何であるのか、判るからである。普通のカタログには、せいぜい作品名までで、サブタイトル(「…の巻」)が記載されている例は、ほとんど無いのだ。

 チェックを進めているうちに、不穏な気配が漂ってきた。「少年」誌の「鉄腕アトム」のデータの、かなりのものが、1号前後“ずれている”形跡がある。例えば、写真版カタログ Vol.3の60頁を見ると、「少年」の1959年11月号の付録は、明らかに「人工太陽球(原題 火の壺島)の巻」であるが、従来このエピソードは、59年12月から60年2月までの連載であると、されていたのである。

 盲点だった。完全に虚を突かれた。二次資料のデータが間違っていること自体は珍しくもないのだが、ことは「鉄腕アトム」であり、その主要掲載誌の「少年」である。私が参照した、各リストのデータも(3つのエピソードを除いて)問題なく一致しており、そこに問題点があるとは想像出来なかったのだ。そうは言っても、3エピソードについては不一致が生じていたのだから、その他のエピソードのデータも疑うべきである、と、考えを及ぼすべきであった。(私が所有している「少年」のバックナンバー13冊分については、問題なく各資料と一致していることも、油断を生んだわけだ。)

 しかし、やっかいなことになった。以前も述べたことだが、月刊誌の全盛期から末期にかけては、別冊付録が異常に発達しており、本誌に4ページほど掲載して「つづきは別冊ふろくでよもう!」あるいは、当月の連載分は、最初から別冊付録まわし、など、こんにちの週刊誌連載からは想像も出来ないことが行われていたのである。そして多くの図書館には別冊付録は収められておらず、古書市場でも流通性は良くないことも、すでに述べた。これだけでも十分、やっかいなのだが、さらにまずいことに、本誌連載と別冊掲載作品とがシンクロしていない可能性もありうるわけで..とにかく、国会図書館と現代マンガ図書館の「少年」収録状況から洗いなおすが、これまた両図書館でボロボロに歯抜け状態なのである..

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*1996年10月10日:鎌倉散策


 年に2回の「鎌ぶらオフ」。ニフティのFCLAの恒例のオフラインパーティのひとつだが、音楽とはほとんど何の関係もなく、単に鎌倉をぶらぶら散策するだけの集まりである。

 13時に北鎌倉駅集合なので、新幹線を使うのも牛刀。8時17分浜松発の鈍行で熱海まで。そこからさらに鈍行を乗り継ぐつもりだったが、熱海に着いた頃には、すっかり鈍行の垂直背もたれに飽きてしまい [;^J^]、おり良く入って来た急行に乗り継いで、一気に大船まで。私はリクライニング出来ないと、駄目なのである。

 鎌倉では歩くのだから、と、汗をかくことを恐れて薄着で出て来たのだが、むしろ肌寒い日。日中はともかく、帰りの電車を待つ、深夜の大船あるいは小田原のホームで風邪を引く可能性がある。念のため、大船の西友でセーターを買ってから、北鎌倉へ。

 参加者は十数名。北鎌倉駅から、少し歩いていきなり山道。前日の雨で滑りやすく、ところどころ崩れている。(私は革靴である。ハイヒールの女性もいたことを鑑みれば、なんということもない。)建長寺。烏天狗(の像)の群れ。歐林堂という洒落た喫茶店で、ゆっくりと休む。ここで参加者のひとりが取りい出したるIBMの“バタフライ”を初めて目撃した私は、少なくとも10分以上、これを開閉することに専念していたのである。(開閉猿である。)鶴岡八幡宮。例によって面白い絵馬を探す。圧倒的多数は、平凡な(定型的な)祈願なのだが、たまに妙なものがあるのである。このあと二次会に移り、いつものKという店で、旨い酒と食事。

 最終のこだまをつかまえるために、8時過ぎに発ち、鎌倉から大船、小田原、浜松、と、何事もなく帰宅。雨にも降られず、暑すぎも寒すぎもせず、良いピクニックであった。たまには運動しなくちゃね。

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*1996年10月11日:あるベスト3企画について


 fj.rec.comicsで「あなたの、コミック・ベスト3を教えてください!」という、企画というか呼び掛けに応じて、大量のフォロー記事がついている。私は、最初のリクエスト記事を読んで、頬杖をついていた肱が、10cm、外側に滑ってしまったくちである。

 まぁとやかく言うつもりもないが..この人は、挙げられたベスト3作品を読破して批評文をポストするというのであるが、ポストするのは勝手だが、まず全く読む気にならない。何故か。

 このリクエストは「あなたの、世界文学・ベスト3を教えてください!」という問いかけと、論理的に等価である。この場合、想定される回答の集合は?

 「ハムレット」「平家物語」「罪と罰」「レ・ミゼラブル」「水滸伝」「デューン」「ファウスト」「イーリアス」「海底2万海里」「豊饒の海」「三銃士」「ラーマーヤナ」「城」「三国史」「ソドム120日」「ヴァリス」「ドグラ・マグラ」「ルバイヤート」「白鯨」……

 つまり、ホワイトノイズである。個々の作品の価値はともかく、このリスト自体には、全くなんの情報量もない。これの読破レポートの集合にも、同様に情報量は無い。なんらかの制約条件をつけるだけで、遥かに面白いリストが出来るのだが..

 ホームページを紹介したい旨のメールが来る。別に珍しくもないが、T社の、美少女系ソフト紹介誌、という点が異色である。さすがに、少し引いた。[;^J^] 書店で、その雑誌を立ち読み(視察)してみて、さらに引いた。[;^J^] どういうコンテクストで紹介されるのか教えてくれ、と、返事を出す。別に偏見など持たないので、どのような雑誌で紹介されても構わないが、妙な色合いがつけられると、アレなので。[;^J^]

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*1996年10月12日:無意味な“正しさ”


 先日の、fj.rec.comicsでの脳天気なベスト3企画に噛みついたのは、例によってL氏である。彼の言わんとすることは、私の意見とほとんど同じであり、多くの賛同者を得ていると確信できるのだが、例によってその意見表明の仕方が拙劣に過ぎ、全く不要なフレーミングを引き起こしている。おかげで、読み飛ばさなければならない記事が増えた。

 毎度のこととは言え..

 “正しい”だけでは、意味がないのだ。正しいことを叫ぶだけなら、7歳の子どもでも出来る。

 “正しいこと”(この表現に引っ掛かるのならば、“相対的な正しさ”“その状況における正しさ”“自分のためだけの正しさ”等、なんでもよい。要は、自分が押し通したい主張)を“行なわせる”ためには、それなりのテクニックが必要だ。それを持ち合わせないのならば、でしゃばらないことだ。

 判りやすい例として、いわゆる「半角カナ」を使った人に注意するとする。

 「それは単に、あなたの記事が文字化けで読めなくなる、というだけではすまないのです。読者の端末をハングアップさせることがあり、さらにまずいことには、あなたの記事のあとに続く記事まで、文字化けで読めなくさせてしまうことがあるのです。多くの読者は、ひとたび文字化けで読み損ねた記事を、わざわざ(端末のハングアップなどから回復してのち)改めて読みなおすなどの手間はかけないものです。つまり、あなたの(文字化けを誘発した)記事は、たまたまあなたの記事のあとについた不運な記事から、読者に読まれる機会を奪うことになるのです。これは正しいことでしょうか?」と、理非を説けば、通らない話ではないはずである。それを、

 「また何をやってんだか、この馬鹿は。半角カナ混じりでポストしてしまうような、そんな屑ソフトは捨てちまえ!」などと、頭ごなしにどなられたら、態度を硬化させるのが、むしろ当たり前であろう。意地になって半角カナを使い続けることになっても、私は不思議だとは思わない。

 むろん、この場合でも、“悪い”のは、態度を硬化させて半角カナを使い続ける人である。しかし、結果として、この人の態度を改めさせることに失敗し、ネットワーク上には半角カナが流れ続けることになった。この事態を引き起こした責任は、拙劣な叱りかたをした人にある。

 「言っていることは正しいのだから」「努力はしたのだから」などと、大目に見てもらえるのは、子どもだけである。結果をださなければ評価されないのが、大人社会というものだ。それが理解できない者の、出る幕ではないのである。

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*1996年10月13日:陽だまりの樹/地球を呑む/MW/アトムキャット等、調査


 高速バスで上京。日曜日だからか、席も半分しか埋まらず、東名もすいている。10分早く、11時55分に霞ヶ関着。今日は現代マンガ図書館で、そして浜松に帰らずに宿を取って、明日は(有休取得済み)国会図書館で、集中調査をする予定である。

 永田町駅構内で、全く偶然に、FCLAの友人、N嬢、M氏、T氏に会う。食事くらい一緒にしたかったが、今日明日は、分秒を争う戦争状態である。仕方が無い。

 「陽だまりの樹」「地球を呑む」「MW」を、大車輪で片付ける。これで、ビッグコミック系の残る大物は、「グリンゴ」だけである。他、「アトムキャット」なども閲覧。

 渋谷の天狗(井の頭線側)で、資料を整理しながら食事。その後、Sビジネスホテルへ。ここでさらに資料整理(ドラフト執筆)等するつもりだったのだが、このままいくと、月曜の晩に半徹夜作業になることは必定。それに備えて、ここは無理せず早めにベッドに入る。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Oct 16 1996 
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