*1996年09月16日:ジュラシックパーク頌
*1996年09月17日:アポロ13頌
*1996年09月18日:アクセス二題
*1996年09月19日:オートマ車は嫌いだ
*1996年09月20日:パチンコについて
*1996年09月21日:アドルフに告ぐ/未解決の諸問題/サンケイ新聞等、調査。そして東京閑人オフ
*1996年09月22日:台風17号との駆け引きに敗れる
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*1996年09月16日:ジュラシックパーク頌


 早いものだ、あのジュラシックパークに出会ってから、もう3年が過ぎてしまった。歳を取るはずだよ。

 私は、この映画を、41回観た。信用しない人も多かろうから、日記から引用する。(日記の証拠能力については、既に述べた通りだ。)

*1993/07/18(日)ジュラシックパークを観る。感激の余り泣いてしまう。
*1993/07/24(土)JPを観る。
*1993/07/25(日)JPを観る。
*1993/07/31(土)JPを6回観る。[;^J^](9:30 - 23:00)
*1993/08/23(月)中央劇場でJPを2回観る。松菱よりいい感じ。
*1993/08/28(土)ワインを魔法瓶に詰めて、夕方からJP4発。[;^J^] 通算15回。
*1993/08/29(日)JP1回、通算16回。
*1993/09/04(土)ワインを魔法瓶に詰めて、夕方からJP3発。[;^J^] 通算19回。
*1993/09/11(土)JP3回、計22回。[;^J^]
*1993/09/18(土)JP4回、計26回。[;^J^]
*1993/09/25(土)JP3回、計29回。そろそろ終わりだ。[;_;]
*1993/09/30(木)JP1回、計30回。
*1993/10/02(土)JP、眠りながら3回、計33回。
*1993/10/09(土)JP3回、計36回。Iさんと一緒。
*1993/10/16(土)JP3回、計39回。赤ちゃんに寄って帰る。
*1993/10/24(日)JP、40回目。
*1993/11/06(土)JP、41回目。

 週末ごとに、ハーフナイトで深夜まで観ていることが判る。6回観た日などは、弁当を2食分(と、ワインを2本)持参して、朝から晩まで映画館の中にいたのである。(このことを聞いた妹は、開口一番「それはアリバイにならん」と言った。現実的でなく、証言として採るに値しないというのである。それはそうかも知れないが、いきなり犯罪者扱いしないで欲しい。)

 一体、なぜ、これほど入れこんだのか。

 ジュラシックパークのストーリーが、支離滅裂とまでは言わないまでも、幼稚で一貫していないことは、衆目の一致するところだ。私は先に原作を読んでおり、これは遥かにまともなSFなのだが、それでもまだおかしい。物語のキーになるロジックに、何ヶ所か欠陥がある。そういう、もともと“弱い”原作から作られた映画は、もうロジックも伏線も、あったものじゃない。

 しかし、そんな欠陥は、(私に取っては)問題にすらならなかった。何故なら、映画・ジュラシックパークは“動物園”だったからだ。動物園に、ロジックの一貫性や伏線の解決が必要だろうか? そのような小賢しい辻褄合わせは、むしろ邪魔である。

 子供は、動物園が好きだ。ゾウさんやキリンさんやライオンさんやクマさんを、一日中でも見ていて飽きることがない。私も、スクリーンの向こう側の、トリケラトプスやティラノザウルスやガリミムスやヴェロキラプトルを、一日中眺めていて飽きず、そして幸せだった。実際の動物園とは異なり、映画には(例え動物園であろうとも)ストーリーが必要だ。必要悪みたいなものである。邪魔にならない程度の、最小限のストーリー(恐竜たちを動かす(例えば人間を襲わせる)理由付け)さえ、あれば良いのだ。

 原作には、ロジックに多少の弱みがあるとはいえ、そんなことは全く問題にならないほどの長所(存在意義)があった。それは、恐竜の生態の“生き生きとした”描写である。その映画版は、さらに極端に恐竜の動きと描写に専念して、恐竜を現代に(但しDNAの力には依らず、スクリーンの魔法に依って)蘇らせたのである。

 私は、恐竜の動きや生態の描写のことだけを、語り過ぎたようだ。

 ジュラシックパークの本質は、恐竜への“夢と憧れ”である。いずれ、あのCGも特撮も踏み越えられる時が来る。しかし、映画・ジュラシックパークを生み出したスタッフたちの“童心”は、永遠に不滅だ。そしてそれを、正しくストレートに受けとめて本能的に理解した、私の(生涯忘れられぬであろう)感動も。

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*1996年09月17日:アポロ13頌


 映画・アポロ13を観たのは、ちょうど1年前。これはジュラシックパークとは異なり、1回しか観なかった。つまらなかった訳ではない。逆だ。感動した。最後にパラシュートが開く場面では、肩を涙で濡らしてしまった。

 何より面白かったのは、二酸化炭素の処理が追い付かないのを、船内のありあわせの機材を組み合わせて切り抜けるところ。そして、大気圏に再突入する際に突入角が浅すぎる(本来、積んで来るはずだった“月の石”の分の重量が足りない!)ので、これまた船内のガラクタを放り込んで重さを合わせるところ。

 「まるで鉄腕アトムのようだ」と思った。ずばりこういうシーンがあったかどうか、定かではないが、確かにこういう感覚・こういうセンスがあった。あるいは、A・C・クラークの初期の短篇。

 結果として同じ(ような)エピソードが呈示された場合、フィクションがノンフィクションに勝てるわけがない、これがひとつ。もうひとつは、数十年も前の漫画や小説が、いかに的確に「宇宙開発の現場の匂い」を再現していたか。“宇宙SFの黄金時代”を支えていたのは、リアリズムだったのである。

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*1996年09月18日:アクセス二題


 ログをチェックしていて、面白いことに気がついた。早朝5時52分から6時22分にかけて、私のホームページの下の、拡張子が*.htmlと*.gifの全てのファイルにアクセスされている。階層を深くしながら、整然としらみつぶしにである。うちはロボットの侵入を禁止しているはずだ。するとこれが、噂の波乗り野郎(族)というか、バッチ処理で指定したURLを全部キャッシュするソフト(の形跡)なのだね。

 私のホームページ全体に興味を持たれているらしいので、ありがたいやら、30分もかかってしまって、申し訳ないやら。

 夕刊一面の下の方に、韓国沿岸に北朝鮮のスパイ?が潜水艦で漂着したという記事が。なにこれ? [;^J^] 事実関係が判然としていないけれど(集団自殺だとか逃亡中だとか)、命がけの当事者諸氏には申しわけないが、安物の劇画みたいだなぁ、というのが、正直な感想である。

 先週、新聞のバックストックを全部捨てたので、このように最新のニュースに反応できるのである(威張るなよ [;^J^])。

 しかし1年間のブランクは大きい。[;^J^] 政治面が全然わけわかめ。社民党というのは、社会党のなれの果て?らしいのだが、一体このひとたちは何をしたいの? 他の政党も、なんかついたり離れたりしているみたいで..沈滞して動かないよりは余程ましな状態かと思うが、しかし、どうも“結果を出す”という発想がないように見える。面白いのかな?自分たちの仕事。

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*1996年09月19日:オートマ車は嫌いだ


 車のディーラーが代車を持ってきた。先週土曜日に壊れたドアの修理のためである。これが私の苦手なオートマ車。(事前に、オートマ車しか(代車が)ありませんが、よろしいですか?と、連絡を受けているので、もちろん文句を言う筋合いではない。)

 慣れの問題だとは思うが、フニュルとした反応の鈍さが、気色悪い。まぁ圧倒的少数派の戯れ言である。その気色悪い車を浜松駅まで走らせて、21日深夜発の「ムーンライトながら」の切符を買う。21日に東京でオフをする予定だからだ。全席指定だが、当日では席を取れないことが、たまにあるのだ。

 スパイ漂着事件は、ますます漫画化している。銃撃戦ねぇ。(このような馬鹿馬鹿しい作戦で亡くなられた方々の遺族を、なんと言ってなぐさめればよいのやら。)捕まったひとりは、360ミリリットル入りしょうちゅう4本を飲んでから、供述が滑らかになってきたと言うが、普通それだけ飲んだら、あることないことべらべら喋ると思うぞ。[;^J^]

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*1996年09月20日:パチンコについて


 私は、パチンカーとしては“勝っている”状態である。つまり、トータルで黒字なのだ。(威張りっ)

 初めてパチンコをしたのは、高校三年生の時である。確か18歳になっていた筈だが、仮に17歳だったとしても時効だ。1時間も座っていなかったと思うが、玉をなにやらチョコレートのようなものに換えてもらい、これをどうしたものかと眺めていたら、裏に回れと言われ、そこにあった、なんとも胡散臭い窓口にチョコレートを出したら、現金をくれたのである。

 200円。

 パチンコは時間がかかるばかりで、たいして面白いものではない、と判断した私は、二度とパチンコをしないことにした。それは今でも続いている。そして恐らくこれからも、生涯パチンコをすることはない。つまり、この200円の黒字は、決して減ることはないのだ(増えもしないが)。

 (パチンコ屋という商売が成立している以上)パチンカー全体で平均すれば、必ず赤字である。すなわち私は、人並み以上の、平均以上のパチンカーというわけだ。(大威張りっ)

 車が、さっそく直ってきた。なんと快適な足回りの反応性。やはり車は、マニュアル車に限る。

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*1996年09月21日:アドルフに告ぐ/未解決の諸問題/サンケイ新聞等、調査。そして東京閑人オフ


 国会図書館。毎度のことながら、ここでの調査は目が回るほど忙しい。限られた時間内で、極力大量の資料を閲覧しなければならないからだ。

 「アドルフに告ぐ」(週刊文春)の、全5巻中第4巻までに収録された分。前回積み残しの「ガムガムパンチ」(小学二年生)は、全数クリア。(これは、単行本2種(計3冊)も借りだして、これらには全50エピソード収録されていることを確認した。全集に収録されているのは22エピソードのみ。)同じく積み残していた「マコとルミとチイ」(主婦の友)もクリア。

 このあたりまでは順調だったのだが、想定外だったのは、「バンパイヤ」(少年サンデー)「リボンの騎士」(なかよし)を全く閲覧できなかったこと。

 国会図書館では、漫画雑誌、学年誌、柔らかめの雑誌など“散逸しやすい雑誌”は「雑誌課別室」の中でしか読めず、ここから持ち出すことは出来ない。前記の例では、「週刊文春」と「主婦の友」が、通常の雑誌カウンター扱い、その他は別室扱いである。“散逸しやすい雑誌”というのは、平たく言えば、盗難や切り抜きの被害にあいやすい雑誌ということだ。従って、これらを多少(かなり)閲覧しにくくしている(特定の部屋でしか読めない)のを、一概に非難することは出来ないのだ。実際、これまで数年間に渡って利用してきた範囲で言えば、雑誌課別室で(体の良い監視の元に)利用される、これら“散逸しやすい雑誌”よりも、一般の雑誌カウンターで借り出せる(国会図書館の建物の中であれば、どこででも(例えばトイレの中ででも)読むことの出来る)雑誌の方が、遥かに切り抜きの被害にあっているのだから、なおさらである。

 で、その雑誌課別室が、本日はキャパオーバー。朝いちで「小学二年生」を18冊借り出して「ガムガムパンチ」の調査を終えたのだが、続いて「少年サンデー」「なかよし」を借りようとしたら、貸し出し停止である。これが終日続いた。これにはまいった。今日だけのことならば、まぁどうでもいいが、土曜日はいつもこんな状態なのだろうか?(年休をダブつかせている訳ではないので、こちらとしても国会図書館は基本的に土曜日にしか利用できない。(さらに言えば、国会図書館は、月に一度しか土曜日に開いていない。)こういう人が多いのであろうなぁ。)雑誌課別室が、手塚治虫の初出誌調査のクリティカルパスなのだから、これは痛い。困った、困った。

 困っていても仕方がないので、一般の雑誌カウンターで出来る調査を、どんどん進める。

 「電子夫人」。またなんで、こんな超マイナー作品を、と思われるであろうが [;^J^](あなた、この作品を知っていましたか?)、理由はちゃんとある。これは初出誌が不明確だったのである。

 「未解決の諸問題」の、先週までの版に記載されていたように(今回の調査で解決されてしまったので、もうこの頁からは削除されている)、

	電子夫人::4:くらしの泉:59/04/10 - 60/10/10
		「くらしのしおり(三洋電機)」 [全]
		「くらしの泉(三洋電機)」 [物]← これを採用
		「くらしの泉(松下電器産業)」 [軌]
		「くらしの泉(発行元不明)」 [E]

という状態で、資料毎に初出情報が食い違っていたのだ。「くらしの泉(三洋電機)」という説を採用したのは、まぁ、誌名と発行元、それぞれの多数派のandを取ったという、いい加減な判断を全くしなかったとは言わないが [;^J^]、少なくとも「三洋電機」であることは間違いあるまいと思えたからだ。何故なら全集の解説で、手塚治虫本人が、当時三洋電機にスポンサーになってもらったこともあり、いろいろ雑件をてつだっていた、と、説得力のある発言をしているからである。

 正解は、「くらしの泉(松下電器産業)」。つまり、全集の初出誌情報は、誌名も発行元も、間違っている。作者の回想も(裏付けごと)勘違いであった。どれほど信憑性の高い資料であろうが証言であろうが、結局二次資料は二次資料に過ぎぬ、真相は初出誌の現物に当たらなければ判らない、というのは、このことである。(また、だからこそ調査のしがいもあるわけだ。)

 同じく、「未解決の諸問題」として計上していた「テレビの国のあやちゃん」の発表年も、1958年ではなく1959年と確定した。少なくとも、「主婦と生活」の1958年1月号から5月号にかけては掲載されておらず、1959年1月号から5月号にかけて“目次に記載されている”。そう、全数切り抜かれていた。凸[-_-メ] 幸いにも、(全集には未収録であるが)80年代に少なくとも3冊の単行本に収録されている。そちらをあたっておこう。

 従来チェックしていなかった、新聞連載の予備調査を行なう。つまり新聞閲覧室の使い勝手の調査である。

 悪くない。[^J^] ターンアラウンドタイムが極小である。(つまり請求票を渡すと、その場で後ろのマイクロフィルムの棚に探しにいき、出納する。雑誌課別室の最低30分とはえらい違いである。)いったん借り出したら、それを返すまで利用者カードを預けていなくてはならない(つまり、他のフロアのカウンターで並行して借り出すことはできない−これは雑誌課別室も同じ)、一度に借り出せるマイクロフィルムは3巻(大体、1巻で1ヶ月)まで、という制約はあるが、ほとんど問題にならない。

 問題は、新聞連載という形態、それ自体にあった。[;^J^] 新聞連載は、大体、1日1頁であるという、単純な事実を忘れていた。[;^J^] 「アトム今昔物語」の冒頭7回で、ざっと試してみたのだが、マイクロフィルムをカラカラと回して、朝刊の第11頁を捜す。(日によって、多少前後することもあるし、抜けることもある。)そしてその頁を、手元の全集の頁と照合する。1頁ずつ。

 ざっとチェックしてみたら、サンケイ新聞に連載されたものだけでも、「オズマ隊長」「ハトよ天まで」「アトム今昔物語」「海のトリトン」があり、計3149頁。上記の作業を、3149回..(他にも、「赤旗」などに連載しているのだが、今はそのことを考えないことにする。[;^J^])始めてしまったものは仕方がない。やるよ、やりますよ。[/_;]

 閉館後は、現代マンガ図書館でフォロー。「バンパイヤ 第二部」をチェックするが、連載中の2回は別冊付録に掲載されており、それは蔵書されていない。(国会図書館にも、まず、あるまい。)これが、月刊誌全盛期(あるいは末期)の連載のこわいところで、やたらと別冊付録に回されるのである。そして、雑誌の別冊付録というのは、この両図書館に限らず、多くの図書館が苦手としているジャンルなのだ。古書市場に出まわる数も、極めて少ない。

 その他、「未解決の諸問題」を3つほど解決する。いずれも誌名あるいは掲載号の確定である。この過程で初めて閲覧した「黒い河」に驚く。実は、初出誌を何度めくってもこの作品を見つけられず、これは掲載号が(全ての資料で)間違っていたか、と(この場合、大捜索になるので)腹を決めかけたのだが、落ち着いて目次から検索したら、発見できた。つまり、何度目を通しても、それが手塚治虫の作品であるとは認識できなかったのだ。それほど異様な絵だった。時間に追われていたので、コピーを取る暇もなかった。これは次回の課題だ。

 どうしてそんなに時間に追われていたかというと、18時半に、渋谷のモヤイ像で待ち合わせていたからである。今夜東京で暇が出来るのが判っていたので、オフを設定していたのだ。題して「東京閑人オフ」。ニフティのFCLAで声をかけ、お馴染みのメンバー5人が集まってくれた。

 渋谷の天狗(井の頭線ホーム側)で、歓談。ふと気がついたら、ムーンライトながらの車内である。またやってしまった。[;>_<] 誰かがこの深夜列車に押し込んでくれたらしい。感謝するやら情けないやら。日本酒は一杯か二杯でやめよう。ビールを飲んでいる限りは、寝てしまうことはないのだから。

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*1996年09月22日:台風17号との駆け引きに敗れる


 「ムーンライトながら」から降りたら、そこは豊橋であった。[;^J^] 1時間ほど待って上り電車で浜松に帰還。帰宅は6時半を回っていた。

 さて、今日は静岡で(やはりFCLAの)オフがある。静岡駅13時集合なので、12時2分のひかりに乗ればいい..ということで、寝直す。起きたら11時過ぎ。軽く慌ててバスで浜松駅に駆けつけたら、新幹線も在来線もストップしている。静岡に集まる連中のうち、半数は東名経由であり、彼らは到着できる可能性がある。従って、僕は(少なくとも定刻には)行けない、ということを連絡しなくてはならない。

 間抜けなことに、東名組のM氏の携帯電話の番号のメモを忘れてきた。13時までに帰宅して、電話を入れなければならない。

 帰宅と連絡は、滞りなくすんだ。どうやら東名組は全員静岡に集まれた由。電車組が何人か足留めをくっている。ここで選択肢はふたつあり、(今度こそ電話番号のメモを持って)浜松駅に戻り、電車が動き出すのを待つ。あるいは、参加をやめる。いったん帰宅してしまうと、この風雨の中をもう一度出かけるというのは、精神的に結構ヘビーであるということと、今から動き出すと、仮に無事に到着するとしても、相当時刻は遅くなるはずで、つまり、向こうで待っている連中の行動を縛ることになる。そこで、この段階では参加を断念し、ビールを飲んで、トマトソーメンを食って、うだうだとホームページのメンテなどしつつ、一眠りした。(この“トマトソーメン”というのは(名称は私の造語だが)かつてfjで覚えた料理である。凄く簡単。トマトを1箇すりおろし、それに麺つゆの元を入れ(水の替わりにトマトで薄める感じ)、氷と胡麻など入れ、それを普通の冷やしたソーメンに絡めて食べるだけ。美味である。)

 ふと目を醒ましたら、もう夕方近く。既に晴れており、多分電車も動いてるだろうと思えた。静岡オフは、西からの主賓の帰宅のタイムリミットから、20時に静岡駅で解散となるはずである。それには間に合うだろう、と、17時半に家を出た。浜松駅に18時頃。

 この時点で、新幹線は、まだ止まっており、在来線は動いていた。ちょっと迷った末に在来線に乗った。これが敗因。私は“ダイヤの乱れ”というのがどういう状況か、理解していなかったのだ。(実に、この歳になるまで“ダイヤの乱れ”に巻き込まれた記憶がないのである。)途中、4つの駅で足留めをくらい、静岡着は20時15分。はやばやと掛川を過ぎたあたりで、新幹線に追い抜かれており、これは歯ぎしりをするだけ無駄。M氏に連絡をしたかったが、携帯を持っていないし、足留めを食った駅は、揃いも揃ってホームに電話がなかった。

 静岡に着いた時に、入れ替わりに下り新幹線が出ていくのが見えたので、多分、主賓は(遅くとも)これに乗っているだろうと判断して、もう今更「間に合わなかったよん」という連絡をしてもしょうがないので、電話を入れずに下りの新幹線のホームに移動してみれば、なんと、1時間半遅れのひかりが、狙ったように入ってきて、何の問題もなく25分後には1駅先の浜松に着いてしまった。

 いきはこわくて、帰りはよいよい。ひかり車内で、状況のあまりの愉快さに、思わず高笑いしてしまったのだった。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 22 1996 
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