*1996年06月17日:あるプロフェッショナルの追憶
*1996年06月18日:霧の底へ
*1996年06月19日:浜松市の遠大なる野望
*1996年06月20日:D誌に原稿を発送する
*1996年06月21日:死にゆく蝶に
*1996年06月22日:アナログ盤
*1996年06月23日:FCLAうたオフ
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*1996年06月17日:あるプロフェッショナルの追憶


 板書するとき、黒板に向いてしゃべる教師というのは、教育技術上、問題ありと言わねばならない。(オペラ歌手だって、客席に向いて歌うものだ。)まともな教師ならば、手早く板書をすませてから、客席もとい生徒席に向き直って、しゃべり始める。しかし、これはこれでタイムロスがばかにならないことがある。書く材料もしゃべる材料も豊富に持ち合わせている教師は、これらを並行処理したくなることもあろう。そういう教師が黒板に向かってしゃべるのを、一概に非難する気にはなれない。

 この問題を解決した教師を、ひとりだけ知っている。私の、高校時代の古典の教師である。彼はチョークをタバコを持つように指にはさんで、タバコで言えば火がつく所、即ち手の甲側の先端で板書した。顔も体も生徒側に向き、掌を生徒に見せ、手の甲でスラスラと(しかも達筆で)板書しつつ、生徒の目を見て理解度を計りつつしゃべり続けたのである。

 試しにやってみるといい。これは並大抵の練習では出来ない。彼は、自らの仕事を最高水準の生産性でこなすべく、この技術を身に付けたのだ。まさに真のプロフェッショナルであった。

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*1996年06月18日:霧の底へ


 私の職場は、浜松市街から山側へ、13キロほど北上したところにある。まだ平野とはいえ山間部に接近しはじめるあたりで、盆地状の地形の底。朝の通勤時には、最後に長い坂を蛇行しながら下るのだが、このとき眼前に開ける盆地風景は、なかなか広壮で気持ちが良いものだ。晴れていれば。

 山にほど近い盆地であるためか、ここには霧が溜まりやすい。今日のような雨もよいの日には、眼前に広がるのは盆地風景というよりは、一面の雲である。そして私の車は、雲海の底、霧の国へと沈んで行くのだ..(朝っぱらから“幻想”していては、仕事にならないのだが。[;^J^])

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*1996年06月19日:浜松市の遠大なる野望


 例の道路計画の進捗状況が気になって、市役所に電話を入れる。どうやらこの工事は、「植松和地線」という大規模な計画の(ほんの)一部らしく、全線の開通がいつになるかは、当局の人間にも見当がつかないようだ。しかし部分開通はありうるだろう、と水を向けたら、「それはもちろん」。ではこの館山寺街道をショートカットするバイパスは、いつ頃完成するのか? 「予定としては、さ来年にはなんとか..」。今世紀中は、転居を考える必要はなさそうだ。

 先週、「少女アリス」を発注したのであるが、まだ送られてこない。これは落選したな。(この場合、連絡は来ない。)まぁ仕方がない。

 声楽のレッスンのあと、いつもの居酒屋が満員で入れなかったので、久しぶりにS亭へ。味はともかく、カウンター席は狭く、本も満足に読めないので、ビール1本と料理2品で引き上げる。

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*1996年06月20日:D誌に原稿を発送する


 A社のD誌へ原稿をメールで発送した。「オタク・マニア特集」用のホームページ紹介許諾依頼メールを、最初に受け取ったのが、今週日曜日。(その日は疲れて帰宅したので、受信はしたものの、読まずに寝てしまった。)その後取材メールが数往復。結局写真まで送ることになってしまった。鳥仮面で通したかったんだけどな。[;^J^]

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*1996年06月21日:死にゆく蝶に


 帰宅時に、会社の駐車場に止めていた私の車のワイパーに、蝶がとまっていた。空模様は不穏である。雨が降り出したら、その蝶を潰してしまいかねない。逃がすためにそっとつかまてみえたら、翔ぶ体力がほとんど残っていないようであった。

 アスファルトの上で死ぬよりは、草むらの中で死に、土に帰る方が幸せだろう、と、駐車場の外の草原に連れてゆき、そっと離してやった。僅かに羽を動かしただけで、草むらの中に落ちていった。

 これはこれでよいことをしてやったつもりで、帰路についたのだが、あの蝶にとって、これは本当に幸せなことだったのだろうか? 土の上に落ちれば、蟻がやってくる。まだ死にきれずにもがいている蝶を、容赦なく生きながら分解していく。おそらく即死とは行くまい。断末魔の苦しみは長引くことだろう。(無論、アスファルトの上にも蟻はやってくる。しかし、土の上よりは、見つかるのが遅いような、先に無事に死ねるような気がする。土の上では、死ぬ暇もなく、蟻たちに襲われるように思えるのだ。)

 生きながら喰われる苦痛を“不幸”と感ずることもまた、私の勝手な思い込みなのではあるが。

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*1996年06月22日:アナログ盤


 以下は、先日、O誌に掲載された原稿である。(ちょっとした修正を受ける前のバージョン。)


 新石器時代の土器の模様に、針を当ててみた人がいる。

 その土器は、明らかにろくろで作られたものであったのだが、それに施されていた螺旋状の装飾は、たくらんだものというよりは、単にろくろを回している間に、草か、木の枝か、何かそのようなつまらないものが偶然触れていて、それに溝を彫ってしまったかのごとく、見えたからである。もしもそのろくろ作業の空間に、何かの音が鳴っていれば、その枝か草かがその震動を拾い、その土器に刻みこんだかも知れない、と、考えられたからである。

 彼は、ピックアップを土器の溝に当て、そっと土器を回転させた。

 そして彼は、獣の鳴声を、確かに聴いたのだった。

 人類はその歴史を通じて、多くの物を作り、多くの物を残し、そして多くの物を失ってきた。中でも最も大規模に失ってしまったのが、「音」と「音楽」である。

 音を直接残す機械的な仕掛けが作られたのは、歴史上つい最近のことである。それ以前の音は、全て消えてしまった。今の我々に出来ることは、当時の楽器や楽譜や、あるいはその音楽(や音)がどのようなものであったかを語る言葉などから、想像し、復元を試みることだけである。膨大な量の絵画や建築、あるいは文学作品が残され、そのオリジナルな姿に直接アクセス出来ることと比べると、その差は歴然としている。しばしば、「古代ギリシアの音楽」などと題されたCDが発売されるが、良く言って想像力の産物、悪く言えばでっちあげである。人類の文化史上、確かにひとつのピークであった古代ギリシアの音楽は、偉大な彫刻や建築、そして劇作品たちとは異なり、永久に失われてしまったのだ。

 しかしあるいは地球のどこかに、その音たちが残っているのかも知れない..土器に針を当ててみた実験は、われわれに楽しい夢を見せてくれた。

 恐らくは幻聴だったに違いない。相当に風化が進んでいるはずの発掘土器の表面に彫られた溝..どれほどの情報が取り出せるというのだろうか。しかし同様に幻想の産物であった、火星の運河。ローウェルは真実、それを「目撃」したのであり、彼に触発された無数の人々が、やはり運河を「目撃」した。そして「火星に存在する運河」が、今世紀の精神文化をいかに豊かなものにしたか、いまさら言うまでもない。

 アナログ盤が、ブームだと言う。音質、回顧趣味、色々と理由はあるだろう。その底流には、ものを引っ掻いて音を残す、という、子供にでも実験できる、最も簡単なメカニズムへの、素朴な驚異の念があるのではないか? 全く何の意志もない、ろくろと石器と木の葉の組合せが、遥けき過去の音を蘇らせてしまう、その単純さ。あるいは化石に、あるいは古代建築の遺跡に、同様に音が刻みこまれていないと、誰が断言できよう? これは針と溝の紡ぎだす夢だ。

 無論、デジタル時代にはデジタルの夢がある。永遠不滅のビット列が、それだ。それに対して、アナログの夢とはまた、崩壊のロマンでもある。数千年、数万年を奇蹟的に生き延びた土器の溝も、やがては消滅しよう。次第に擦り切れてゆくアナログ盤にも、過去を堅持しつつも永遠にはそれを保持できない、滅びの美学がある。CDとアナログ盤とを楽しみ分ける現代のわれわれは、“永遠”と“衰滅”とを共に楽しんでいるのである。なんと贅沢な時代であろうか。

 「ドイツ・グラモフォン・オリジナルス・アナログ名盤」「キング・スーパー・アナログ・ディスク」などのシリーズで、往年のアナログ名盤が、マスタリングしなおされて続々と出されている。しかしアナログ盤の値打ちは、音質だけではない。「CDとはまた別の」夢、だ。それは場末の中古レコード屋で二束三文で叩き売られている、傷だらけの盤にも、あるいはあなたの実家の押し入れの奥深くにしまい込まれている、黴だらけの盤にも、込められているものなのだ。

 クラシック音楽フォーラム(FCLA)には、アナログ盤専門の会議室は、ない。ここは極めて間口の広いフォーラムで、全く何もかも差別しない。アナログ盤談義は「一般会議室」や「音楽喫茶」でこころゆくまで出来るはずだ。

 インターネットのネットニュースでは、fj.rec.music.classical をお薦めする。

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*1996年06月23日:FCLAうたオフ


 7時のひかりに乗って、東京:千駄木のTスタジオへ。今日は NIFTY-Serve のクラシック音楽フォーラム(FCLA)の「うたオフ」である。これは歌と器楽の出会いをテーマにした、演奏オフ。ピアノ+ホルン+独唱、小編成のオーケストラ+独唱、など、普通の演奏オフでは実現が難しい、さまざまな編成の演奏。オペラやカンタータからの抜粋や、リート、二重唱など。参加者は50人以上。

 私は演奏には参加せず、シンセサイザー(XP−50)を持参した。パイプオルガンとチェンバロの代用である。弾くのは別の人。私は音色のセットと調整役である。昨年来、東京の演奏オフでオルガンやチェンバロの代用品が必要な時は、私が持参するのが通例になっているのだ。

 必要な音色はあらかじめわかっていたので、いくつものバリエーションを取りそろえておいたのだが、演奏者・共演者の好みや、他の楽器とのバランスなどは、現場で鳴らしてみないとわからない。ポジティブ・オルガンの可愛らしい音が必要だったのだが、これは非常に音圧が高く、小さなスピーカーでは歪んでしまう。低音をカットして、騙し騙し鳴らす。倍音の多いチェンバロなどは、楽々鳴るのだが。スピーカー担当のB氏(XP−50自体には、スピーカーは付いてなく、別に必要なのである)と、相談する。

 最高に楽しく、幸せな時間であった。打ち上げは西日暮里の居酒屋。どうして練習の成果を披露しないのだ(わたるのボイトレ日記参照)と、詰め寄られる。[;^J^] まだそういう段階ではないのだが。[;^J^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 27 1996 
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