*1996年06月10日:「少女アリス」を発注する
*1996年06月11日:新聞9ヶ月分
*1996年06月12日:浜松市の野望
*1996年06月13日:闇の中の島比売神社
*1996年06月14日:電子頭脳について
*1996年06月15日:雨にけぶる島比売神社
*1996年06月16日:楽興の時
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*1996年06月10日:「少女アリス」を発注する


 「3軒茶屋の2階のマンガ屋」と「伍魅倶楽部(名古屋を中心とする古書店5店のグループ)」から、定例の古書目録が届く。前者には掘り出し物なし。後者に「少女アリス」(アリス出版)のバックナンバーを発見し、早速、注文葉書を出す。吾妻ひでおのファンには説明不要であろう。氏の作品の初出誌中、特に重要、かつ入手困難なものである。(こうして部屋にエロ雑誌が増えていくのだ。)

*目次へ戻る


*1996年06月11日:新聞9ヶ月分


 廃墟たる私の部屋の景観の重要なポイントが、散乱する9ヶ月分の新聞(朝日新聞の朝刊と夕刊)である。これは全て未読なのだ。すなわち去年の9月20日から、新聞を基本的に読んでいないのである。(一面トップの見出しだけは、見ている。)

 こんなに溜めてしまったのは、ひとえに私の性格による。だらしないのではなく、逆に潔癖症なのだ。すなわち、記事を時系列に読まないと気がすまないのである。

 昨年の9月のはじめ頃、何かのはずみで(恐らく仕事の都合か何かで)一週間分ほど新聞を溜めてしまった。これが転落の始まりだった。毎朝毎晩、新しい新聞が届けられ、積まれてゆく。私はその山を先頭から読まなくては気がすまない。しかし、新聞を一週間分まとめて読む、というのは、並大抵の時間で終る作業ではない。単にページをめくるだけならともかく、少なくとも琴線に引っ掛かる、あるいは重要な記事は“読もう”というのであるから。

 毎日毎日、新しい事件が起こり、また、以前の事件は発展して行く。新しい事件の記事は、読んでもよい。読んではならないのは、以前の事件のフォロー記事である。何故ならば、私はその事件の初期段階の記事を読んでいないからだ。ある死体が“ついに”発見されたという見出し。私はその本文を、恐くて読めない。その死体が“何故”捜索されていたのかを知らないのだから。

 こうして、躊躇逡巡している間に、リニアに着実に新聞の山は成長してゆく。もはや昨年の9月に起こった事件は、今の社会情勢になんの影響もないのかも知れない。いまさら読む必要はないのかも知れない。しかし、それを確かめるためにも読まなくてはならない。しかしますます時間が足りなくなっている昨今、貴重な休日を一日潰したところで、この山は5%も減らないだろう。私はその確実な予想に絶望して、その作業に取り掛かることが出来ず、そしてその間にも、朝刊は届けられ、夕刊も届けられるのだ。

 この話を聞いた人は、ひとり残らず「読まずに全部捨てろ!」と言う。それは100%正しいアドバイスだ。しかし、私には出来ない。読まずに捨てることは出来ないのである。

*目次へ戻る


*1996年06月12日:浜松市の野望


 以前、「廃墟の建設」の章で、無駄としか思えない道路の建設工事について述べたが、今日、なんとなく気になって、書店で地図を買って調べてみたら、なんと、その道路は行き止まりの(と思えた)狭い道路と空き地と森を突破して、台地の斜面を下り、麓の大きな道路に接続する計画なのである。そうか、無意味・無目的な工事ではなかったのだ。(考えてみれば、当たり前である。[;^J^])しかし、だとすると、私の棲息するアパートから20メートル位しか離れていないところに、恐らくかなりの交通量のバイパスが出現することになる。これは要注意だ。

 従来、この道路がこれ以上延びることはないだろうと、なんとなく考えていたのは、その先には、まだ新築に近い住宅などがあり、それらを退去させるとは到底思えなかったからである。現場を注意深く観察してみると、この道路は、それらを巧妙に(そして不自然に)回避しようとしているらしい。かくして、浜松名物「不自然で唐突な急カーブ」が、またひとつ出現するのだ。

*目次へ戻る


*1996年06月13日:闇の中の島比売神社


 地図によると、この道路計画は「島比売(しまひめ)神社」とニアミスするらしい。まさか潰すことはあるまいが、気になる。会社から帰宅した足で、宵闇が迫るなか、島比売神社を訪れてみた。

 実は自宅から300メートルほどの、この小さな神社を訪れたのは、今日が初めてなのである。10年間住んでいて、今までこの方角(西)に歩いてきたことすらない、というのも、なかなか凄い(呆れた)話であるが、理由はあるのだ。

 私の住まうアパートのある一角。私の住まいを中心に、半径400メートルのコンパスで半円を描く。その円周に沿って、3時の方角から10時の方角に向かって、東側から北上して北西に回り込んでゆくのが、館山寺街道。1時の方角から10時の方角にかけて、かなり急激に蛇行しながら坂を下り、10時の方角まで回り込んだ以降は、北西に向かって直角に曲って離れて行く。すなわち、館山寺街道に上辺を区切られた、この一角は、北から北西、そして西に向かって、台地状に張り出しているのである。そしてこの台地から下る急斜面には、竹とその他の雑木が密生している。地図上、車で突破できる道はなく、狭い道を踏み込んでいっても、すぐに林の中に道が消滅してしまうのだ。

 公共交通網の発達していない浜松では、自動車を使わないと、ほとんど生活出来ない。私もこれまで、オフタイムでも基本的に車で移動していた。だから、車で乗り入れられない方角は、盲点になっていたのである。

 道行く人に場所を訊ねて、島比売神社を訪れる。東から接近してきて、私の家のすぐ南を通り過ぎて西に向かう道路計画は、この島比売神社の南をかすめて、前回述べたように、不自然なカーブを切りながら坂道を降りて、上記館山寺街道の北西で直角に曲るポイントにつながっているようだ。

 小さな神社である。碑文のひとつもなく、何をまつっているのか、全く判らない。ふと気がつくと、神社の裏手の森の中に向かって降りてゆく、狭い山道がある。とうに陽も落ち、足元もさだかではないのだが、私は蜘蛛の巣をかき分けながら、この暗い道を降りていった。

 50メートルも進めなかった。森の中の狭い急坂は、既に闇の中である。しかし左手方向は木立の壁も薄く、すぐ足元の崖の下に、例の建設予定の道を待ち受ける、北西から接近してくる道路工事現場が見える。なんとも迂闊なことであったが、確かにこの方角から建設現場の音が(遥か以前から)していたことには、気がついていたのだ。私は、住宅地の造成工事だろう位に思い込んでいたのである。

 道路工事現場の向こう側には、館山寺街道を流れてゆくヘッドライトと、ネオンの明り。足元と周囲は、森の闇の底。

 この道路が開通したら、さぞやうるさくなるであろう。ここの静けさが何にも代えがたく、10年間を過ごして来た私も、引っ越しの潮時なのかも知れない。しかし、まさに“ボーダーランド”である、この森が健在である限り、多少の騒音は我慢して、ここに住み続けてももいいかもしれないな、と思った。この森は、全く異なるふたつの時空間−−自動車のヘッドライトの流れが持ち来り持ち去ってゆく“動く”時間と、島比売神社がアンカーとなって沈殿させている“静止した”時間−−の、緩衝地帯なのである。

 これ以上長居をすると、帰路が危ない。私は爪先で足元を探りながら、森の中の急坂を、昇って行った。

*目次へ戻る


*1996年06月14日:電子頭脳について


 10年以上も前に、実家のある横浜でみた看板。多分いまでも健在であろう。クリーニング屋なのだが、

「英国製電子頭脳使用!」

 別に戦前からあるような古いものではなく、つい最近作られたばかりの、生乾きのペンキが匂うような看板だ。多分、レジスターのことではないかと思うのだが。

*目次へ戻る


*1996年06月15日:雨にけぶる島比売神社


 早朝、霧雨が残っている。私は傘をさして、再び島比売神社の裏手の森を、探検してみた。

 確かに50メートルを過ぎると、もうあまり降りることは出来ない。麓まで道は続いていそうだが、それは工事現場の中に通じているのである。道を外れて森の中へ入っていく獣道はあるが、まぁ今日のところはやめておこう。短いとは言え、面白い道だ。これは散歩コースに組み入れよう。

 島比売神社から戻って、逆にまっすぐ北側に歩いて、この台地を北西方向に降りる道を見つけた。これは途中で階段になっており、車では抜けられない。ちょっと危険なほどの急坂である。

 麓まで降りた私は、林の中を西側に向かって(すなわち、この台地の麓に沿って)歩き、林の中を登って行く道に至った。鬱蒼とした竹林の中を台地の頂上に向かって進む、これは素晴らしい道である。いつしか雨もやみ、うっすらとにじんで来た汗をふいた私は、頂上の坂の終わり(入り口)に、「七曲りの坂」という立て札を見つけた。

 まだ朝食の時間ではない。いったん帰宅して一休みしたのち、喫茶店でモーニングサービスを取って、駅へ向かう。途中、書店で「日本探偵小説全集11」と、M誌を購入。前者は7年ぶり位の最終巻。編集者の北村薫が、あとがきで言い訳している。もったいなくて一気読みはとても出来ない。後者には私のホームページの紹介が載っているので、内容チェック。問題なし。URLも、ほぼ正しい(最後のスラッシュが落ちている)。

 人に会う予定があり、新幹線で京都まで。近いものだ。帰路、乗り継ぎとなった名古屋駅できしめんを食べる。

 夜になってから、浜松駅前の名鉄ホテルのロビーで、数人と待ち合わせて、食事とワイン。NIFTY-Serve の FCLA のオフラインパーティーが、明日、ここ浜松であるのだが、前泊の人がいるので、地元勢で迎撃前夜祭、というわけである。Nというなかなか趣味の良い、素敵なお店である。話の内容は、とてもここには書けない。

 長い一日であった。

*目次へ戻る


*1996年06月16日:楽興の時


 地元の博物館に、島比売神社の由来を調べに行くが、これが判らない。展示はないし、学芸員が出払っているのである。

 久しぶりにCDを購入したのち、昼いちからMという店で、NIFTY-Serve の FCLA のオフラインパーティー。新婚カップルを囲む、30人ほどの演奏オフである。貸し切り状態なのであるが、キャパの半分も使っておらず、ゆったりとしていていい感じである。二次会は、エスニック系の店でお茶と食事。三次会は、カラオケである。

 私は、持ち歌の「エイトマン」以下、アニソンと70年代ポップスを重点的に。メニューに第九があるのには驚いた。いや、第九であるというだけのことならば驚かないが、終楽章の、合唱の美味しいところ(従って、しばしば極めて困難な箇所)だけを、歌詞のテロップ無しで(まぁ二重フーガで歌詞を出すことも出来まいが)。浜松周辺のオフアクティブは歌屋が中心なので、問題なし。私は暗譜していないので、音と歌詞を取れるところだけ。

 四次会はパスして、タクシーで帰宅。

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 16 1996 
Copyright (C) 1996 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]