*2025年03月24日:セダム計画/春の格付けベーシック
*2025年03月25日:消えた書物 [?_ _]
*2025年03月26日:坂本龍一展
*2025年03月27日:幻想美術選「黙示録 ゴグとマゴグ」横尾龍彦
*2025年03月28日:現れた書物 [;^.^]
*2025年03月29日:ミャンマー地震/漫勉「大友克洋:童夢」
*2025年03月30日:「ミッキー17」
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*2025年03月24日:セダム計画/春の格付けベーシック


 6:40、夜行バスは横浜駅東口に着。昨日、大阪駅のサウスゲートビルの11Fのハンズで買っておいたモバイルピロー(首に巻くタイプの簡易枕)は効果があり、往路と異なり、首が痛むことはなかった。良い買い物をした。[^J^]

 明るい曇天。6:57の相鉄で、7:09、鶴ヶ峰。7:23のバスで、7:32、帰宅。徐々に晴天。

 スーパービバホーム長津田に、セダムを買い足しに行く。2週間前から、駐車場の玄関側の端にセダムを何株か試験的に植えていたのだが、そのうちの3品種、セディフォルムゴールド、パリダム、コーラルカーペットを選んで、数株ずつ買ってきた。生育の横方向/縦方向、および色彩と形状のバラエティを勘案しての選択である。帰宅してから、庭の真ん中にある「苔山」から苔を剥がして(というか、ほぼ根づかずに乗っているだけなので、「どかして」)、替わりに前記のセダムを約20cm間隔で植えた。取りあえず1ヶ月ほど、様子を見てみることにする。

 「苔山」を断念したのは、1年以上経っても、根づきも成長もしなかったからである。これは別に異常なことではなく、そもそも苔は根づかなくても元気に生きているのであるが、私としてはやはり、地面にがっつり食い込んで欲しかったのである。ただ、挫折というほどの挫折ではない [;^J^]。私のそもそもの野望 [;^.^] は、庭の地べたを「なにやら原始的っぽい、できれば不気味な生命体で埋めつくしたい」[;^.^] というものなのであり、1年半前にはその生命体を「苔」と解いたのであるが、別に苔でなくてもよかったのだ。最近知った「(各種の)セダム」でも、それは実現(演出)できるのではないか、と、考えを改めたのである。

 まずは、今夏までに、どこまでできるかだ。

 土曜日に録画しておいた「芸能人格付けチェック」を観た。春は「ベーシック」である。今回も、面白かった。

 「赤ワイン」では、桐谷健太が劣勢ながら見事正解していたという、大番狂わせ [^.^][;^.^]。いい掴みである。

 「スーパーミュージシャン」は、一流のスタジオミュージシャンによるバンドと、いつもの小学生ガールズバンド(推してます [^.^])との聴き比べ。(キーボードとドラムが小6なので、次回からはメンバーチェンジなのだよなぁ..[/_;] 「小中学生バンド」に格上げしてメンバーを維持してもらうの希望。[;^J^])ここは正直に書こう。わからなかったと..[;_ _] 一方が明らかにドラムが重くパワフルであり、普通に考えるとこちらが正解だし、事実そうだったのだが、前回は「ドラムが重い方が小学生バンドだった」ので、そこで迷いが生じてしまいまして..[;_ _][;_ _][;_ _] ただまぁ後知恵(後出し)ではあるが、答えを知ってから聴き比べると、確かにプロの方がスクェアにかっちりとアンサンブルが決まっている。[;^J^]

 「弦楽七重奏」は、普通の(プロ用の)楽器によるアンサンブルと、全ての楽器の弦を2本減らしている [;^J^] アンサンブル。これは簡単にわかりました(やれやれ。[;^J^])正解の方はごく普通の(平凡とすら言える)響きなのだが、不正解の方は使える音が限られているため、アンサンブルのボイシングが不自然で、ほとんど不快なのである。前川清が「(不正解の方は)コードが移る時に2個所ぐらい変な動きがあり、違和感があった」と指摘して正解したのは、さすがである。

 「フラダンス」..これも正直、正答できなかった [;_ _]。全力で言い訳するが [;_ _][;^.^]、「同時に踊る」系の判別は苦手なのである。ひとりひとりじっくり見れば(多分)わかるのだろうが、同時に踊られてしまうと気が散り目移りしてしまい、落ち着いて評価できないのである [;_ _]。ちなみにどうでもいいことではあるが、各問題の紹介時に、BGMとしてさまざまなクラシック音楽が流されるのだが、フラダンスではなんと気でも触れたか、幻想交響曲の第4楽章「断頭台への行進」であり、アンマッチも極まれりで、悶絶した。[;*.*][;^.^]

 「写真」。これは自信をもって正答できました [^J^]。不正解の方は、明らかに素人臭かった..というか、「私が撮りそうな画角と色調の方が不正解」という判断で、正答できました..[;_ _](屈辱..[;_ _][;^.^])

 最後は「ミシュランシェフ」で、オムライス。味については視聴者に伝わりませんので(こちらが試されることはないので)気楽に見てられる [;^J^]。この浜田オムライスは見てくれはよくないけれど、美味しいのだろうか。何組もだまされていたが、口を揃えて「食べたことのない味」と評していたのが、気にかかる。[;^.^]

 今回、DAIGOと鬼龍院が出題側で出演している。正月には粗相 [;^.^] を重ねているふたりなので、もう(少なくとも数年間は)出禁だろうな、キャラはいいのに残念だな、と惜しんでいたので、これは嬉しい。今回(DAIGOは)結果も出したしね [^.^]。また、佐々木希が(“地雷”として)いい仕事をした。[^.^](実は彼女は全問不正解ではなく、「写真」では最初の判断では正解(プロ写真家)を当てていたのだが、自信喪失していて、不正解を選んだパートナーに合わせてしまったのである [;^J^]。運も失っていた。[^.^])

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*2025年03月25日:消えた書物 [?_ _]


 快晴。10時から12時まで、オンラインで某無料セミナーを受講する。(AI系である。[;_ _][;^J^])もちろん「無料」ということは、営業(売り込み)つきということは先刻承知、そこらへんはスルーして、無料ならば文句をつける筋合いはないか、という程度の情報は収集できたので、よしとする。

 ららぽーと横浜の紀伊國屋に雑誌を買いに行く。昼食は2Fの「とんかつまい泉」で、ロースかつ丼。

 一昨年の10月31日に森美術館の「手恷。虫 ブラック・ジャック展」で購入してきたアートブック(結構分厚い、B4版の背表紙が真っ白な本)が、見当たらない [?_ _]。書庫にも書斎にも屋根裏(ロフト)にもリビングにも、玄関からキッチンからクローゼットから洗面所 [;^.^] まで捜したのだが、見つからない。

 かつて確かに書斎の棚に置いてあった記憶はある。それを書斎で読んだ記憶もある。そして、自宅から出ていった可能性が、まずないのだ。出ていくケースを場合分けしてみると、「廃棄」..捨てる理由がない。「売却」..売る理由がない。「誰かに貸し出し」..来客にもたせた記憶はない。「持ち歩き」..私は外出するとき、電車内や飲食店で読むために常に本を持ち歩くのだが、こんなに大きくて重い本をこの用途で持ち歩く可能性は、ない..となると、自宅内のどこかにあるはずなのだが..

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*2025年03月26日:坂本龍一展


 快晴。暖かい。7:41のバスで発ち、9:15、清澄白河着。9:30、東京都現代美術館。列は既に300人ぐらい? [;_ _][;^.^] 「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」(〜3月30日(日)まで)である。会期終了目前だし春休みだし、30分前に着けばいいやという判断は、なめてたか [;_ _]。まぁいいや [;^J^]。10:00、開館。全12作品中、6作品のインプレを書いておく。

 「TIME TIME」(坂本龍一+高谷史郎)は、本展のために新たに制作されたインスタレーション。「「時間とは何か」という問いを、能の影響を受けた音楽劇とも呼べる表現で提示した」とのことで、夏目漱石の『夢十夜(第一夜)』、能の『邯鄲』、荘子の『胡蝶の夢』などの「ゆったりとした」朗読に乗せて、「水(水流)」や「雲」のイメージ、宮田まゆみが笙を奏でながら横切っていく影絵、田中泯の舞踊(ほとんど静止しているが)など、5分程度の映像が接続されていく..悪くはない。まったく悪くはないのだが..長すぎる。[;_ _]凸

 単に長いだけではない。普通こういう映像作品は(今回の例でいえば5分程度のパーツが)「一周するまで」観るものである。たとえば、A→B→C→D→E→F→G→Aまで観たら「あがり」であり(パーツの個数は「7」と確定し)、次の展示にいけばいい。ところが今回、何が起こったかというと、A→B→C→D→E→F→G→C だったのである! つまり、パーツの再生順序は一意ではなかったのであり、論理的には、パーツの個数が「不明」になってしまったのである![;^.^]凸 全ての映像パーツを取りこぼさずに観ようとすれば閉館時刻まで観続けていなければならない(厳密には、それでも確証はもてない)ことが判明した時点でプッツンして、次の展示に進んだのであった。[;_ _][;_ _][;_ _]凸(所要時間:ここまで50分。[;^.^][;^.^][;^.^]凸)

 「PHOSPHENES」「ENDO EXO」(カールステン・ニコライ、音楽:坂本龍一)。解説から引用すると、「PHOSPHENES(眼内閃光)」とは、目を閉じた際にまぶたに映る残像のような光のこと。「夢と現実、意識と無意識の境界を彷徨うかのようにニコライによる抽象的なイメージが展開し、深い霧の中から聞こえてくるような坂本のシンセサイザーの音が云々」。「ENDO EXO」では、「ヨーロッパの博物館にある夥しい数の動物の剥製や脊椎動物の骨格標本などが映し出され、坂本のピアノがゆっくりと憂いのある旋律を奏で云々」..まぁ、これ以上でもこれ以下でもない [;^J^]。作品としてはよくできていると思うよ。

 「async―volume」(坂本龍一+Zakkubalan)は、「暗い部屋の中で、24 台の iPhone とiPad が小さく光る窓のように壁に配されている。近づくと、それぞれの映像からささやかな音が聴こえてくる。映し出されている映像は、坂本がアルバム『async』制作のために多くの時間を過ごしたニューヨークのスタジオやリビング、庭などの風景だ」..昔ながらのコンセプトを新しいテクノロジーで実装しただけのように思える。そこに価値がないとは言わないが。

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 左写真は、「LIFE―fluid, invisible, inaudible...」(坂本龍一+高谷史郎)。これは(ビジュアル的には)とても面白かった。「3×3 のグリッド状に配置し、天井から吊られた9個の水槽の中に霧を発生させ、映像が投影される。各水槽の両側にはスピーカーが設置されている。霧が濃い時には映像を鮮明に映し、薄い時には水槽内の水を通過して床にたゆたうように映し出される」..作品はよかったのだが、iPhone で撮影した写真がよくない [;_ _]。実際の部屋は、これよりずっと暗い。床の上では、流動的なヴィジョンが揺らめき続ける。

 中写真は、「LIFE―WELL TOKYO」霧の彫刻 #47762 2024(坂本龍一+中谷芙二子+高谷史郎)。美術館の中庭を霧で満たすだけなら、まぁそれだけのものであるのだが、「会場の両脇から湧き出る霧は、ぶつかり合い、対流を生み出しながら天へと舞い上がる。その動きはカメラでとらえられ、坂本による音へと瞬時に変換される。また階上に設置された鏡が、太陽の動きを追いながら、霧の中へとその光を導く。霧と光と音が一体となり、刻一刻とその表情を変えながら、自然への敬愛や畏怖の念を想起させるような夢幻のシンフォニーを奏でる」..光の効果はいまいちわかりにくかったが、これは天候次第ということだろうし、コンセプトとしてはそれが望ましいわけだ。そこそこ面白かったのだが、服や髪や持ち物が濡れてしまうのが玉に瑕。[;^J^]

 右写真は、「Music Plays Images × Images Play Music」(坂本龍一 × 岩井俊雄)。そもそもは、1996 年に水戸芸術館で初演された坂本龍一と岩井俊雄による音楽と映像のコラボレーションパフォーマンスであり、「坂本が弾く MIDI ピアノから出力された演奏情報が、岩井のプログラムによって瞬時に映像となり、スクリーンに投影され、可視化された」というものらしいが、今回展示されているのは、「97 年のアルスエレクトロニカで坂本が実際に演奏した MIDI データと、その様子を撮影した映像データからの再現展示」であり、坂本の演奏はホログラムで映されている。生々しくて不気味だが [;_ _]、本質的には、「過去の演奏家のプレイの、ピアノロールによる再生」と変わるところはない。



 12:35に発って、渋谷へ。13:30、まんだらけ。ダブリ本13冊を買い取りに出したところ、9冊引き取っていただけた..つまり、4冊、突っ返された [;_ _][;^.^]凸。「在庫のタイミングで」と言っていたので、またリトライしよう。(少々痛んでいるので、ブックオフには持っていくだけ無駄。)

 15:00に出て、10分後、センター街の地下の居酒屋、神田屋。ここはコスパがいいと思うよ。(前にも書いていると思うが、私のIME、「おもう」の第一候補が「重う」というのは、理解できない。[;^.^]凸)

 17:50に発ち、渋谷から18:01の埼京線で、18:41、鶴ヶ峰。19:00のバスで、19:10、帰宅。

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*2025年03月27日:幻想美術選「黙示録 ゴグとマゴグ」横尾龍彦


 「幻想美術選」、第319回。

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「黙示録 ゴグとマゴグ」(横尾龍彦、1977年)

 横尾龍彦(1928〜2015、画像検索結果)については、Wikipedia に項が立っていないので、神奈川県立近代美術館 葉山館で2023年に開催された「横尾龍彦 瞑想の彼方」のサイトから、引用する。

横尾龍彦(1928〜2015)は、日本とヨーロッパを行き来して活躍した画家です。1965年にスイスで個展を開き、以後、聖書や神話に着想を得た幻想画により国内外での評価を確立しました。ドイツに本格的な拠点を設けた1980年以降は、ルドルフ・シュタイナーや禅の思想に影響を受けて制作に瞑想を取り入れ、書に通じる抽象画へと画風を変化させました。

 初期の作風は、ある意味、非常にわかりやすい、神話画・宗教画であり、いっそ、「ロマンティック・シュルレアリスム」とも呼べるほど。その後(中期と言うべきか)になると、何やら抜けるような「青の時代」(命名者:倉田 [;^J^])に入り、やがて、具象的な形態は姿を消し、抽象表現に舵が切られる。また、日本回帰というよりは、東と西が融合した世界を描くようになる。そして、アクション・ペインティングの世界に入って行く..というのが、上記の展覧会を観ての、私のまとめ。[;^J^]

 この「黙示録 ゴグとマゴグ」は「青の時代」の作品であり、爽やかな青空と地表の暗黒(あるいは混沌)とが、対比されている。これは(特にフランドルの画家たち直系の)「地獄図」なのだろう。上空の中央付近の白い光を、「天上から飛来する白い天使たちの禍々しき [;^.^] 輝き」、と妄想するのも、楽しいものである。[^J^]

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*2025年03月28日:現れた書物 [;^.^]


 曇天。7時前には雨が降り始めたが、9時には晴れた。

 ヤフオクで落札した Roland Saturn 09 SA-09 が、届いた!\[^O^]/

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 そうだ、そうだよ、思いだした。このチープな音 [^.^]。多くの人にとっては、アクチュアルな価値(実用性)は、ないであろう。全音ポリではあるが、本格的な「オルガン」サウンドも「ストリングス」サウンドも、出せないのだ。「何ができるの?」と訊かれても、返す言葉がわりとない [;^J^]。しかし、それだけが(実用性だけが)楽器の価値ではないのである。

 外観上は、ネジ山が多少錆びてるぐらいしか瑕疵のない美品なのだが、やはり完動品とはいえなかった。(45年物だしね。[;^J^])10個近くの鍵盤の音量が小さい。(鳴ることは鳴る。[;^J^])現在、「楽器リペアドットコム」にFantom−Sを預けているのだが、これが返ってきたら、折り返しで相談するか。[;^J^]



 冬季のあいだずっと「枯れ木」であった、庭のサルスベリが芽吹いた [^J^]。ついでに、本来「雑草」であったフヨウも芽吹いた [;^.^]。「雑草」から正規メンバーに格上げするか。[;^J^]

 スーパービバホーム長津田で、セダムを追加購入。

 先日、「なくなった〜![/_;]」、と、大捜索していた「ブラック・ジャック展」の「アートブック」、もう完全に諦めていたのだが、なんら意識に上っていなかったせいか、まったくの不意打ちで、書庫の中で偶発的に見つかった!(ま、あるあるである。[;^J^])

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 左の写真をご覧いただこうか。白くて大きい本が、あるでしょう。わからない? では、少し引っぱり出してみた中写真。「見えなかった」ね〜、これは [;^J^]。こういう本だと、わかっていながら。[;^J^]



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*2025年03月29日:ミャンマー地震/漫勉「大友克洋:童夢」


 しとしと雨。寒い。

 昨日のミャンマー地震の(ミャンマーとタイの)映像が、SNSの動画にガンガン流れてくる..[;_ _] タイのビル崩落の映像には、驚いた。誰もがそうだと思うが、WTCと、それに加えて私は特に、マイアミのコンドミニアムの崩落事故を思いだした..バンコクでは(少なくとも今のところは)このビル以外は倒壊/崩落していないのである。特殊な事情があったのだろうか?(構造上の弱点とか?)

 「浦沢直樹の漫勉neo(20)大友克洋」を、録画しつつ見た。取りあげられているのは、「童夢」である。

 まことに面白い。漫勉シリーズはすべて面白いのだが、そのなかでも、「諸星大二郎」回に匹敵する、神回ではなかろうか。ペン先の「超絶技巧」というよりは、演出/構成の「超絶技巧」。非常に、勉強になった。

 すぎむらしんいち、上條淳士、とり・みき、江口寿司、新井英樹らが(各々の仕事場で)「童夢」の衝撃を語っている下りがあるのだが、こういうシーンでいつも楽しみにしているのが、彼らが背負っている「書棚」の内容である [^J^]。たとえばとり・みきの書架には、平凡社の「イメージの博物誌シリーズ」とか、最近話題になった(話題にした)「物語要素事典」が備え付けられていて、うむ、いかにもである、と、勝手にうなずいたりしてね。[^J^]

 番組終了後、Eテレの4月2日からの「3か月でマスターする 絵を描く」という、「イイ感じの絵を描く(多分、インスタントな)テクニック」を教えてくれる番組のお知らせが入ったのだが、思わず、「ChatGPT を使いこなせばいい」、と、毒舌取っ込みを入れてしまったのは、大友克洋の超絶技巧に嘆息した直後だからではある [;^J^]。ま、面白そうなので、録画はする。[^.^]

 気合いの入った写生というわけでもなく、「なんとなくいい感じの絵(想像画)を、楽しみのために描く」というのは、素敵な趣味である。(昔の「文人画」が、そもそもだいたいそういうもんだったしね。[^J^])私は、観る方の絵心についてはまぁまぁ自信があるが、描く方はさっぱりなので [;_ _]、もしかすると、余生を豊かにしてくれるかも知れないし [^J^]。ただ、いまや、ペンや筆のような物理的な画材どころか、イラレやフォトショのようなアプリすら使わずに、「なんとなくいい感じの絵」を描けてしまう時代なのである。テキストをタイプする以上の手間暇をかけずに絵を描きたいのであれば、AI。過程を楽しむのであれば、手を動かす、ということになるのかなぁ..

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*2025年03月30日:「ミッキー17」


 夜になってから、車でららぽーと横浜へ。2FのFOURSYUN(フードコート)の「利久」で、牛たんカレーライス。3Fのトーホーシネマで、21:25からの回で「ミッキー17」。

 ま、悪くないんじゃない?(上から。[^.^])原作は未読。予備知識なし。なかなか鬼畜な基本設定については、前記リンク先の「ABOUT THE MOVIE」でも一瞥していただくとして、使い捨てクローン(どころかもっと酷い、捨ててすらもらえず、(すぐ)死ぬことを前提に何度でも再利用される)の話だが、どこか軽くわかりやすく作られているので、重苦しくはならない。ブラックコメディというほどコミカルかなぁ?とは思ったが、恋人と考案した新規の(性行為の)体位(の意味)が、最後に利用(伏線回収)されるあたりは、確かにコメディ [;^J^]。エイリアンの造形も、初登場シーンでは「凡庸」という感想しか出てこなかったのだが、これほど大量に繰り出すとなれば、あまりに尖ったデザインでは邪魔になるという判断だったのだろうと、理解できる。

 お暇なら、どうぞ。悪くはないよ。

 なお、端役とはいえ儲け役のアナマリア・バルトロメイ(画像検索結果)は、アベマの女子アナ、瀧山あかね(画像検索結果)に(雰囲気が)似ており、ナイスでした。[^.^](瀧山あかねのファンなのよ [^.^]。そういえば、写真集をまだ買ってなかったっけ。)帰宅したのは、0:15。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 3 2025
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