*2016年06月13日:意外にも..
*2016年06月14日:優香が..
*2016年06月15日:仕方ないわな..
*2016年06月16日:幻想美術選「サターンの王子たちの戦い」ヴォルフガング・パーレン
*2016年06月17日:バグが見つかったモジュールは..
*2016年06月18日:黄金のアフガニスタン展/樹をめぐる物語展/ポンペイの壁画展
*2016年06月19日:日本画アワード 2016/メディチ家の至宝展
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*2016年06月13日:意外にも..


 ..といったら、怒られることは、承知。[_ _]

 米で銃乱射、50人死亡。「米国史上最悪」..え、この規模の銃犯罪、これまで米国では発生していなかったの? ..不謹慎だとは承知しているが、正直、吃驚した。[_ _]

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*2016年06月14日:優香が..


 ..ついに、結婚するとの報道。(昨日のニュースですが。)さっそく、「優香ロス」が社会問題化 [;^J^] しているようだが..私は、平気だもん..へ、平気だもん..[/_;][/_;][/_;][;^.^]

 いや、少なくとも、(奇しくも「優」つながりであるが)優木まおみのときのような、ショックはない。(優木まおみのことなど、全て忘れたよ..(← パラドックス初級編。[;^.^]))

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*2016年06月15日:仕方ないわな..


 舛添都知事、辞職表明。まぁ、時間の問題ではあったわなぁ..

 「違法行為を犯してもいないのに、職を追っていいのか(全くの無能ならまだしも、それなりの実績を残しているのに)」、という声には、説得力がある。彼より「マシ」な「都知事候補」がいるのか、という危惧も、深刻である。(どうしようもないタレントが担ぎ出される可能性が、極めて高い..)しかしたしかに、「クレヨンしんちゃん」は致命的だったとしか、言い様がない。「国民感情で超法規的決定(この場合は、都知事更迭)が為されるのは、法治国家ではない」、と、肝に銘じてはいるが(これでは、まるで韓国だ)..やはり、人間とは(← 一般化するのは卑怯だな、「私」は)不合理な存在なのだなぁ..

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*2016年06月16日:幻想美術選「サターンの王子たちの戦い」ヴォルフガング・パーレン


 第16回なのだが..(これまでのあらすじ →「幻想美術選」)2回続けて、超メジャー作品を紹介してしまったので、敗北感に苛まれている..[;_ _](← なにもそこまで。[;^J^])そこで今回は、普通の美術愛好家ならまず知らないであろう作品を取りあげて、復讐するつもりである..(← だから落ち着け。[;^.^])

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「サターンの王子たちの戦い」(ヴォルフガング・パーレン、1938年)

 ..ま、「デビルマン」である。(← こらこら。[;^J^])タイトルはもちろん、どことなくマンガ的なフォルムといい色彩感覚といい。全体に「モーフィング」がかっているが、これが、「デビルマン」世界の「合体」を髣髴とさせることは、言うまでもない。

 ウィーン生まれのシュルレアリスト、ヴォルフガング・パーレン(1905 - 1959)の作風は、手元の画集で見る限り、「フュマージュ」という、炎の煤を使った技法の作品を除くと、むしろ静謐で張りつめた空気の(超現実的)絵画空間に、冴え冴えとしてしばしば刺々(とげとげ)しい超現実的オブジェが配置されている、広大な「(超現実的)風景画」が主流であり、今回ご紹介したような「物語的」な作品は、むしろ例外に属するようだ。彼の「風景画」がまた、実に魅力的なシュルレアリスム絵画なので、いずれ改めてご紹介したいが、今日のところは、この楽しい作品を、存分に堪能していただきたい。

 (不注意な読者のために注意喚起しておくが、前回(「聖アントニウスの誘惑」ヒエロニムス・ボス)とは、「悪魔つながり」である。これがボスの悪魔の末裔かと思うと、感興もまた、ひとしおである。)

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*2016年06月17日:バグが見つかったモジュールは..


 ..徹底的に疑え、叩け、というのが、プログラムテストの鉄則である。そこには必ず、まだ他のバグが隠れている。(これは、ゴキブリが1匹見つかれば、あと30匹は隠れている、という、常識的な生活感覚(経験則)とも、よく合致している。)

 最近のソフトウェア開発手法には、モジュールは修正せず、ひとつバグが発見された段階で、いきなり捨てて最初から書き直す、というものがあるらしいが(すみません、開発現場から離れて10年以上経つので、話題が蒼古がかっているかも知れません [;_ _][;^.^])、確かにこれには一理あるのだ。ひとつバグが発見された、ということは、もともとバグが発生しやすい構造になっていることの顕れであり、果てし無い修正の泥沼に陥るよりは、その構造ごと破棄してしまう方が、結果的には納期を守れるのだ。(勇気のいる判断ではあるが。)

 この原則(経験則)を人間に適用すると、ちょっと嫌な結論が導かれる。つまり、何か良くない癖のついている人間は、更生しない、いつまでも同じ過ちを繰り返しつづける、という主張(判断)になるからだ。もちろん、こんなことは声高には主張しないし、そうであって欲しくはない、とも思うのだが..

 しかし、正直、この考え方は、ある意味合理的であり、楽でもある。それが自分の肉親であったり、あるいは会社の同僚であったり、つまり、嫌でも長くつきあわなければならない人間であれば、悪い点を矯正するよう、心を砕き、働きかけることもあろうが、そうでもない人間関係というのも、世の中に無数にある。つまり、たまたまなんらかのつながりが出来たが、自分の人生にとって、特に必要でもない人間関係。切り捨ててしまってもいい人間関係。しかし、わざわざ切り捨てるまでの理由もなかったので、これまでなんとなく続いていた人間関係..

 その相手に、何か良くない性質があると判れば、喜んで整理(絶縁)してしまうのが、普通の発想ではあるまいか。彼(彼女)の更生を待つ手間をかけるよりは、「直らない」と決めつけて、それを理由に自分の人生から切り離す..

 こういう、適当に距離のある、つかず離れずの人間関係が出来やすいのが、ネット社会である。そして私も、たまさかメールのやり取りもするなど、そこそこ有意義な情報交換をしたこともある人を、ある種の過ちを理由として、何人も、私の人生から切り捨ててきたのである。

 ただ一度の過ちで見捨てるようなことは、それが惜しい人材であれば、普通はしない。(惜しくない人間であれば、過ちは一度で十分、ということでもある。)私だって、何度も過ちをしでかしている。ただ、「同じタイプの過ち」は、(ネット社会では)繰り返していないつもりである。(都合良く、忘れているだけかも知れないが。[;_ _])また、「過ち」から逃げずに、落とし前をつけてきたつもりである。

 ここに、重要なポイントがある。過ちをしない人間は、いない。しかし優秀な(というか、普通以上の)人は、過ちをやらかしたあと(汚名を消し去るために)奮起して、心機一転、素晴らしい活躍をする。実例も沢山見てきた。ところが、ダメな人は、「逃げる」のである。それも、「改名」して。

 改名すれば、過去は消せる、と考えている時点で、リアル社会とネット社会とを問わず、ダメダメである。しかし、当人は、そのことに気がついていない。そしてその程度の人間であるから、改名しても、「同じ過ち」を、必ずしでかす。(そして、その「過ち」のパターンによって、「なんだ、こいつは、あいつだったのか」、と、バレてしまうことすら珍しくない。ここまで来ると、笑い話だが。)

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*2016年06月18日:黄金のアフガニスタン展/樹をめぐる物語展/ポンペイの壁画展


 6:00に自宅を発つ。快晴。暑くなるぞ、これは..6:54のひかりで上京。8:35、(開館55分前に [;^J^])東京国立博物館着。「黄金のアフガニスタン−守りぬかれたシルクロードの秘宝−」(〜6月19日(日)まで)である。もちろん、誰も並んでいない(ので、どこに並べばいいのかわからないありさま。[;^.^])

 この展覧会の「意義」については、前記公式ページを参照してください。さすがの私も、姿勢をただして鑑賞しましたよ [_ _]。とはいえ、図録は買わなかったので、代わりに購入した絵葉書からスキャンして、雰囲気をお伝えしておこう。(絵葉書なので、画質は見劣りします。[_ _])まぁ、図録を購入したところで、いったいどれを紹介すればいいやら迷うばかりになるのは明らかなので、その分の手間と時間を省けたという側面は、あります。[_ _][;^J^]

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 左から、「冠」「襟飾」。とにかく、細工の素晴らしさに圧倒される。



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 左から、「マカラの上に立つ女性像」「イルカに乗るキューピッド文留金具」。特に左図の女性たちに目を奪われる。この地が地政学的要衝であり、文明の交差路であったことが、理屈抜きでひとめでわかる。だからこそ、戦乱が絶えない地になったともいえるが..しかし、複数の文明・宗教が、平和共存していた時代もあったのである。人類は、進歩など、していない..



 11:05に退出し、ぶんか亭で昼食を食べてから、新宿へ。12:20、損保ジャパン日本興亜美術館。「フランスの風景 樹をめぐる物語」(〜6月26日(日)まで)である。

 この展覧会は、あまり難しいことを考える必要は無い。樹木がテーマの、あるいは画面の一部に樹木が映り込んでいる、風景画を集めたと考えればよい。素敵な作品たちを気楽に楽しめ、お薦めである。ここでも図録を買わなかったので、(画質が劣る [_ _])絵葉書から。

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 左図は、「森林の道」(ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ)。右図は、「ヴァルモンドワの下草」(シャルル=フランソワ・ドービニー)。いーでしょ。[^J^]



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 左図は、「アルシエの泉」(エミール・イーゼンバール)。右図は、「オンフルールの眺め、朝」(フェリックス・ヴァロットン)。いーでしょ、いーでしょ。[^J^]



 ほか、テオフィル・ナルシス・ショヴェルの「ヌイイ公園の大きsな島」、ギュスターヴ・ドレの「嵐の後、スコットランドの急流」画像検索結果)、レオン・リシェの「妖精の沼」、フレデリック・コルデの「柴の束」、フェルディナン・ロワイヤン・ドュ・ピュイゴドーの「月下の彫像」画像検索結果)など。

 13:35に退出し、六本木へ。14:20、森アーツセンターギャラリー。「日伊国交樹立150周年記念 世界遺産 ポンペイの壁画展」(〜7月3日(日)まで)である。ものすごい行列が出来ていたのでびびったのだが、隣のフロアだか会場だかで開催されている「セーラームーン展」であった。[;^.^]

 この展覧会は、すごいですよ [;*.*]。速攻で図録を買ったのだが、どれを紹介すればいいのやら..前記公式サイト(の「みどころ」)と、大ざっぱな画像検索で、雰囲気を把握してください [_ _]。ここでは、もっとも私の心に響いた作品を、2点だけ紹介する。

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 左図は、「詩人のタブロー画がある壁面断片」。この、詩人の顔を見てくれ! 2000年前の絵だぜ、これ..そして、植物(果実)群への「埋まり方」のセンス!

 右図が、極めつけの、「踊るマイナス」! この躍動感、空気感、透けるヴェールのエロス! くどいようだが、2000年前の絵なんだぜ、これ..人類は、本当に、進歩してるのかよ..



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 これは、オマケ。ミュージアムショップでみつけたので、(許可をとって)写してきました。どうして、「ポンペイの壁画展」で、「プリニウスととり・みきとヤマザキマリ」の色紙なのか、わけわかめな人は、とっととぐぐりなさい。



 16;20に退出し、18:00に横浜・鶴ヶ峰の実家。

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*2016年06月19日:日本画アワード 2016/メディチ家の至宝展


 曇天だが暑くなるとのこと。実家前のバス停から8:16のバスで発ち、9:55(開館5分前)に、恵比寿の山種美術館。「Seed 山種美術館 日本画アワード 2016」(〜6月26日(日)まで)である。

 たまには、新作を見ないと..というわけで [;_ _]。実際、こと美術鑑賞(展覧会巡り)については、そうだな、SFに喩えると、ヴェルヌ・ウェルズとは言わないが、まぁ、1950年代の歴史的名作ばかり読んでいるようなもの。音楽にたとえると、(このさいクラシック音楽は(自明なので)スコープ外として)1970年代のプログレばかり聴いているようもの。無論、SFでも音楽でも、今世紀に生み出されている新作を(なんとかかんとか)追っかけている。(現代のディレッタントとしてね。)マンガの新作は必ずしも追い切れていないにせよ努力はしているし、新作映画は観ている..なのに、こと、美術に関しては、新作を追っていないのである。

 難しいことではない。「日展」「院展」を追っかければいいのだが..出来ていない。ひとつには、「私の好みの作品は、ごく一部だろう」、と、予め予想できてしまうからなのだが..そういう態度だと、青田買いとは言わないが、画家の成長を目撃したり追っかけたりすることもできないしね。

 ..とまぁ反省しごくなのであるが、大規模な「日展」「院展」は、とりあえず後回しにさせていただいて、この小規模な展覧会に来てみた、というわけ。

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 ..審査員たちと同じ評価になるほど悔しいことが、世に有ろうかっ(切歯扼腕!(← なにもそこまで。[;^.^]))左図は、京都絵美の「ゆめうつつ」で、これが「大賞」。右図は、長谷川雅也の「唯」で、これが「優秀賞」。



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 左図は、外山諒の「Living Pillar」。一目瞭然、「炎舞」(速水御舟)にインスパイアされた作品たが、「審査員奨励賞」が与えられていた。「パロディ」「オマージュ」を評価できているのは素晴らしいし、また、「奨励賞」ということで、「いつまでもここに留まっているなよ」、という、激励も込められていると見た。右図は、中村嘉宏の「塀」。これは、特段、受賞はしていないが、私は非常に気に入った。



 10:45に退出。目黒へ向かい、東京都庭園美術館へ。「メディチ家の至宝−ルネサンスのジュエリーと名画」(〜7月5日(火)まで)であるが、ちと油断していて、チケット売場で30分ほど行列するハメになってしまった [;_ _]。今から向かわれる方は、コンビニでチケットを買っとく方がいいですよ。

 それにしても、この厖大な宝物のどれを紹介すればいいというのだ [;_ _]。図録は買ってあるとはいえ..こんなときは、私が面白い、と思ったものを少量ピックアップして、掲載するのみ。

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 左図は、「蜂に襲われる竜がついたペンダント」。とにかく、見たこともない画題というかテーマに驚いた。図録の解説でも、この謎めいたモチーフの解析をもっぱらとしている。右図は、「トンボ」。こういうのは、単純に、倉田の趣味である。[;^J^]



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 メディチ家の歴代の人々(当主も当主でない人も)の肖像画もたくさん来ているのだが、その中には名作も多いとはいえ、しかし、1作だけ選ぶとすれば、迷わず、「アンナ・マリア・ルイーザ・デ・メディチの肖像」(アントン・ドメニコ・ガッビアーニ)である。作品自体の素晴らしさもさることながら、このモデルが、「まったく特別な存在」なのである。

 メディチ家の歴史については、ここでは述べない。(ピンと来ない人は、ぐぐれ、というか、世界史の教科書を読み直せ。絶対に習っているから。)その偉大なるメディチ家も、やがては没落する。その長い歴史の末期というか衰退期には、凡庸な当主たちが続いたのである。(当主が凡庸だから衰退したのであるが、ある程度、ニワトリ卵でもある。)そして、メディチ家の最後のひとりとなったのが、この、アンナ・マリア・ルイーザ・デ・メディチ。最後の最後に、この賢女を得たのは、メディチ家にとって最大の幸運であり、ある意味、世界美術史にとっても、重大な幸運であった。彼女は、「家族協約」と呼ばれる有名な遺言書に、「メディチ家の美術作品などはすべてトスカーナ大公に遺すが、フィレンツェから持ち出さない、市民に公開する」、という条件をつけたのである。これによって、メディチ家のコレクションは散逸を免れ、フィレンツェは美術の都、ルネサンスの都であり続けられたのである。

 彼女の行動は、全てのオタクの手本となるべきものである。私も、早く遺言書を書かないと..



 13:55に退出。14:06に目黒を発つ山手線で、品川へ。14:34に発つこだまで浜松に着いたのが、16:22。

 考えてみれば昼飯を抜いていたので、EKIMACHIの中の店でちょっとだけ飲み食いしてから、18:00、帰宅。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 23 2016
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