*2015年03月09日:毎週、まずは
*2015年03月10日:安全地帯で吼える輩
*2015年03月11日:貧乏性な私 [^.^]
*2015年03月12日:アンチももクロ
*2015年03月13日:ネタの無い夜は恐ろしい
*2015年03月14日:「小林清親展」3回目/三原順復活祭/萩尾望都原画展/魔界
*2015年03月15日:「アール・デコと古典主義」展
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*2015年03月09日:毎週、まずは


 誰しも同じかと思うが、週明けは忙しい。私の月曜日の朝いちの仕事に「リスクカウント」がある。先週1週間に、社外から社内へと侵入を試みた「リスク(マルウェア)」の数を、分類してカウントするのである。

 仕事の話だからあまり詳しくは書かないが、もちろん、週に一度しかマルウェアに着目しないのではない。検知するたびにリアルタイムに(なんらかの)反応をしている。(ついでに言うと、マルウェアの活動(活性化)を許したことは、一度もない。)月曜日に行うのは、その「集計」のみである。

 小声で呟きながら、一週間の仕事を始めるのである。「さて、まずはリスカするか..」

 ..疲れてるんです、すみません..[;_ _][;_ _][;_ _][;^J^]

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*2015年03月10日:安全地帯で吼える輩


 なんか、この話は何度も書いているような気がするが、ネタが無いのでまた書く(← 開き直りっ![;^.^])..ま、てみじかにすませるので、軽く読み流してちょうだい。

 長短さまざまな文章がネット上に溢れかえっているが、それらを読みあさる趣味も時間もない。最初からそれらの「群」にちかづかない(敬して遠ざける..敬するまでもないか [;^J^])というのは、非常に賢い「解」であるが、まぁ、さまざまな理由でそうもいかない(こともある)。読まなくちゃならないことは、しばしばある。

 そこで重要なのが「分別する眼力」である。読むに値する文章かそうでないかを素速く(秒単位で)判別し、後者を捨てる(そのサイトのページを閉じる)ことによって、ロスタイムを極限まで切りつめることが肝要である。(私の人生の残り時間は、それほど潤沢というわけではないのだ。)

 一番簡単なのは、「匿名の文章は捨てる」ことである。これでざっくり刈り込める。無署名であることと、読むに値しない内容であることの間には、強い正の相関がある。もちろん、例外は(おそらく多数)あるのだろう。匿名の(あるいは、本人までトレースできないペンネームの)文章であるにも関わらず、読むに値する内容である、という例は..しかし、やむを得ない。十把ひとからげにして捨てるしかない。うっかり、まともな文章を読み逃してしまったかも..などと、気に病んでいる時間はない。

 次に適用しやすい判断基準は、(特に他人を批判する内容である場合)「その文章を書いた人は、その(批判した)当事者に、面と向かって同じことを言えるか」、と、想像してみることである。もしも、「とても当人を目の前にしては言えないだろう」、と、強い蓋然性をもって想像できる内容であれば(この類は、吐いて 掃いて捨てるほどあるのだが)、署名があろうがあるまいが、読む価値はゼロである。直撃で捨てる。その文章を読んだり記憶したりする意味も理由も、いっさい無い。

 ..ま、多分に私の好みの問題もある。私は子どもの頃から、「安全地帯でキャンキャン吼える輩」が、反吐が出るほど嫌いだったのである。おそらくその原体験は、1960年代末期から1970年頃にかけての学生運動の頃。駅におりたら運動家たちからビラを配られた。それは構わないのだが、その運動家たちが、ひとり残らずヘルメットと「タオル」で、完全に顔を隠していたのである。当時はこのスタイルは「ファッション」ですらあったが、まだ子どもであった私には、昨今のテロリストの「目だし帽」よりも、遥かに「不吉」で「卑劣」に見えた。まともな主張を訴えているのなら、なぜ、顔を出せないのか..

 ..もちろん、匿名であることに正当性が認められる(匿名で発言せざるを得ない)事例は、いくらでもある。内部告発。あるいは(闇社会などの)本当に危険な相手。テロリスト/テロ国家。そこは、「ケースバイケース」である。当たり前である。(ちなみに、「ケースバイケース」は「ダブルスタンダード」と言い換えることも可能である。「ダブルスタンダード」(という「言葉」)を頭から(思考停止的に)認めない人々もいるが、それも、その人の幼稚さを示すバロメーター。その人を(私の残りの人生から)「はじく」判断材料になる。)

 ..ちょっと今夜は表現がきつめになってしまったが、疲れてるときはこんなもんだ [_ _]。それに、てみじかにすまんかった。ごめん。[_ _]

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*2015年03月11日:貧乏性な私 [^.^]


 昨夜の続きだよ。しかも昔書いた話だよ。ネタが無いんだよ。[;^.^]

 私は、ネットでは匿名では発言しない。もちろん、「原則として」である。25年以上のネット発言歴において(そこらの 若造 若者が生まれる前からネットで発言しているのだ、もっと敬え [;^.^])、記憶する限り、3回か4回、無署名で発言していると思う。(理由はそれぞれ、それこそ「ケースバイケース」である。)しかしまぁ、パーセンテージ的には限りなくゼロだわな。

 別に高潔な理由などない。単に貧乏性なのである。もったいないと思ってしまうのである。どんなに素晴らしい発言をしても、切れ味鋭い意見を吐いても、匿名では、「倉田わたる」にトレースできないようでは、無駄ではないか。私の「手柄」にならないではないか。私の人生(のささやかなキャリア)を飾れないではないか。

 自己顕示欲なのである。名誉欲なのである。これは、人間の根源的な「健全な」欲望だと信ずる。その意味で信じられないのは(言うまでもなく)2chに代表される、匿名の発言者たちである。彼らには自己顕示欲も名誉欲もないのであろうか。(それとも、自分自身にトレースされたくない、名誉にならないことを書いているのであろうか..これはいかにも穿った見方だが..)なにしろ2chは、この25年間で、通算、5〜6回程度(合算して、100発言程度?)しか眺めていないので、判断できないのであるが..

 もしも私が2chに書き込むとしたら、必ず、署名してしまう。「倉田わたる」と..しかしそれは、2chという場においては、明確なルール違反である。たとえて言えば、仮面舞踏会に素顔で参加するとか、あるいは、ヌーディストビーチで裸にならないとか..いずれにせよ、場を壊す、失礼極まりない、失笑ものの行為である。だから、2chには、書くに書けないのである。

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*2015年03月12日:アンチももクロ


 ももクロにも不遇な下積み時代はある。しかし、ブレイクしてからのロケットカーブは、ほとんど記録的であろう。何も大箱ライブ(の成功数)だけがバロメーターではないが、メジャーデビューから国立(しかも2日連続)まで、史上最速、最年少。この記録は、当分、破られないだろう。

 となると、当然、アンチも大量に発生する。(私の知り合いにもいる。)嫉妬の対象になって当然。これは健全な現象である。全国民がモノノフ(ももクロファン)なんて、それこそ悪夢である。[;^.^]

 ただし、少し不思議なことがある。私はアンチももクロの人々の発言を読みあさっているわけではないが(さすがにそれほど暇でもMでもない [;^J^])、ももクロの最大の弱点(欠点)というべき「歌唱力」に対する攻撃が、あまり目立たないのである。ライブではそれほど気にならないが、例えばCSの「フジテレビNEXT」で毎月生放映されている「坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT」を聴いて(視て)いると、アラが目立つどころの騒ぎではなく..[;_ _][;^.^]

 むしろ多いのは、彼女らの「容姿」に対するディスである。「アイドルとは思えない不細工」とか「アイドル史上最低」とか..どうして彼等には理解できないのだろうか。先日のテレビ番組で評論家たちが喝破していたように、「だからこそ」「にもかかわらず」の人気であるのに..彼等は「ブスだ」「不細工だ」と(得意満面で)ディスっているのだが(痛恨の一撃を与えたつもりになっているらしい)、前記の理由によって、それは逆にももクロを「称揚」することにしかなっていないのである。

 まぁ、匿名でディスるような「倫理程度」の連中には、理解できないんだろうねぇ..(「倫理程度」と「知能程度」には、強い正の相関があるよね。)「他人の愚かな振る舞い」には、娯楽としての存在価値は確かにあるので、一概には否定できないが..悪いが、こうやって、無聊を慰めるために毒を吐く奴が、一番、たちが悪いわな。[^J^]

 (さらに蛇足。「悪いが」と書いたが、「悪い」とは1ミリも思っていない。ただの定型句である。悪いね。[^.^])

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*2015年03月13日:ネタの無い夜は恐ろしい


 「鵺の鳴く夜は恐ろしい」のパクリなのだが、元ネタがなんだったのか、もはや全く憶えていない [;^J^]。こういうのも.パクリになるのか? [;^.^](ぐぐれば一発でわかるのは百も承知で、敢えてぐぐらないという修行を積んでおります。[;^.^])

 こんなときは、恥を晒してでも、ネタ帖から使えるネタを書き写すしかない..今夜は、テレビ番組を観ながら間断なく呟き続けている、オヤジギャグのコレクションである。

 「鬱蒼とした繁み..」→「ウッソ〜!」

 「家々が連なる..」→「イエイエ〜!」

 「魚影の濃い海..」→「ギョエ〜!」

 「雨期が訪れる..」→「ウッキ〜!」

 ..もう、このへんで勘弁してください.. [;_ _][;_ _][;_ _] ネタが無いということは(正確にいうと、ネタがあろうがあるまいが毎日何かしら書き続けると決めるということは)、かくも恐ろしい結果をもたらすのである..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

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*2015年03月14日:「小林清親展」3回目/三原順復活祭/萩尾望都原画展/魔界


 穏やかな涼しさ。軽い方のセーターを着用し、コートは着ずに紙袋に入れて持参する。

 7:48に自宅を発つ。8:38のJR在来線で東上。9:51、静岡着。10:00の開館の数分前に、駅前の静岡市美術館着。「没後100年 小林清親展 文明開化の光と影をみつめて」である。今日で3回目かつ最後の観覧である。

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 左図は、この展覧会のポスターにもなっている「東京銀座街日報社」。和洋折衷の風景が面白い。まさに文明開化の光景であるが、今でも本質的にはかわらないような気もする [;^J^]。右図は、「東京小梅曳船夜図」。スキャン画像の品質がやや残念だが、夜のムードは伝わると思う。冷静に考えると、重労働に従事しているのだが..[;^J^]



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 これは両図ともタイトルは同じで、「明治十四年一月廿六日出火 両国大火浅草橋」。しかし版画の別版というわけではない。同じ下図によるものだろうが、いずれも錦絵である。物凄い迫力に圧倒される。



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 左図もジャーナリスティックな作品の例。「我艦隊黄海ニ於清艦ヲ撃チ沈ル之図」であり、非常に珍しい構図である。「沈黙の艦隊」を想い出す [;^.^]。右図は「獅子図」。もちろん、写生ではない。なんらかの元ネタがあるのだが、それをこの大画面に、この筆致で写し取った技量は、並大抵のものではない。



 図録に、面白い一節があったので、引用しておこう。「彼ら(北原白秋、高村光太郎)は、隅田川岸の西洋料理店で酒宴を開いては隅田川をパリのセーヌ川に見立てて異国情緒への憧れを募らせた。また彼らは浮世絵を愛し、失われつつある江戸情調を哀惜したが、後年、詩人野田宇太郎が指摘したように、その哀惜は単なる懐旧の念というよりは、むしろそれらを珍重した西洋人の立場に自らを同化することで生じる異国趣味であった。今日、清親の東京を夢の中の街のように感じてしまうという感覚もまた、この異国趣味と無縁ではないだろう。清親をめぐる後世の反応は私たちの逃れがたい「近代」というものの性質を示唆しているようにも思われ、興味は尽きない」(56頁)。

 11:10に出る。静岡駅構内(というか同じビル内)のASTYにある「洋麺屋 五右衛門」でパスタ。11:52に静岡を発つこだまで、13:17、東京着。

 13:50、米澤嘉博記念図書館着。「〜没後20年展〜 三原順 復活祭」である。全4期中の第2期である。

 私は、三原順の熱心な読者ではなかった。(少なくとも作品の追っかけはしていなかった。)そんな私でも、「はみだしっ子」の終盤は、初出誌でリアルタイムに読んでいた。ここだけの話、アンジーには、かなりヤラれていたことを、白状しておこう [;^J^]。例によってセンスのいい展示。ファンなら一見の価値は、絶対にある。

 14:25に発つ。15:00、有楽町のスパンアートギャラリー。「萩尾望都 原画展」である。

 会期が短いので、あなたがこれを読んでいる頃には、とっくに終わっている。素晴らしい内容だが、と〜っくに、終わっているのである。[^.^][^.^][^.^](← ことさら友だちを無くす行為。[;^.^])肉筆原画の美しさたるや、まさに無類! 印刷でも画像ファイルでも、再現不可能である。(昨今のハイテク複製原画技術なら、まぁなんとか..というレベル..1枚何万円もするけどね。)次の機会があるかどうか知らないが、そのときはお見逃し無く。

 15:40に発ち、神保町ブラをちょっとしてから早めに新宿につき、待ち合わせ場所(東口のベルク)を確認してから付近を軽く散歩。

 18:10頃、Y君、Yさんと落ち合う。(昨年10月、新宿で飲んだのと同じメンバーである。)ベルクでは軽くビール。ちょっとわけありの店らしいのだが [;^J^]、ソーセージもパテも美味しかったよ。

 さて、覚悟を決めて魔界都市・歌舞伎町へ [;^J^]。「ロボットレストラン」の前を通りすがったのだが、外からは中の「ロボット」たちが見物できない仕様に改装されてしまっているので、スルー。(入るほどのものじゃないらしい。[;^J^])このあとは、ゴールデン街の店をハシゴ。[;^J^](店名は、イニシャルとさせていただく..「隠れ家」かもしれないので。)

 19:10から21:30まで、Sで上海料理。揚げパンが美味い。21:40から23:15まで、T。マンガのコレクションが特徴的なバーである。いわゆるマン喫とは全く異なり、蔵書数だけみたら桁違いに少ない。何十巻もの続き物のマンガでも、第1巻しか置いてなかったり。ただ、そのセレクションが、異様に趣味がいいのである。「ひきだしにテラリウム」(九井諒子)とか、「闇の国々」(ブノワ・ペータース、フランソワ・スクイテン)とか。ついつい何冊か手にとって読み耽ってみたり、ひとくさり「語りたく」(キャッ [;^.^])なってしまう。

 23:30から1:35まで、これは昨年に続いて二度目のK。週末ヒロインならぬ週末バーテンダーの子は、まだ健在である [*^.^*]。ちみにこの時点で、電車では水道橋のラクーアに行けないことが確定 [;^J^]。タクシーを使えばいいのだが、そんな金かけても、たかだか数時間しか休めないわけで。どうせタクシー使うのなら(明朝、仕事がある)秋葉まで行ってしまって、そこのマン喫でひと休みする方が廉くつくが、いくら私でも、いくら休日出勤の(私以外に出勤するのは、むさいオッサンがもうひとりだけの)汚れ仕事といっても、仕事前にはさっぱりしておきたいと思うぞ。[;^.^](いや、マン喫にも、シャワーぐらいあるけどさ。[;^J^])というわけで、多分、当初からの予感どおり、新宿でカプセルホテル泊になるのだろう..

 ..その前に、もう1軒 [;^J^]。1:35から2:20まで(仕事前日だというのに、毒皿であります [;^.^])G。酒には不満はなかったが、看板に「●●●母」のレコードジャケット写真まで使っているのに、プログレを流していないとは、どういうことだ、こら! ["^.^]凸(..あ、店名、わかっちゃった? [;^.^])

 今夜はここまで。おふたりに引き連れられて、歌舞伎町内でカプセルホテルを捜すが、1軒目は満員。2軒目が空室(というか空カプセルというか)ありだったので、ここで散会、ここに投宿。歌舞伎町の出口近くの「カプセルホテル はたごや」である。2:30。風呂も浴びずに、バタンキュー..

 (備忘:ゴールデン街は、撮影禁止。なぜなら「私道」だから。(全く、知らんかった。[;^.^]))

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*2015年03月15日:「アール・デコと古典主義」展


 ..どんなに夜更かししても、6:00前には目が覚めてしまうという、遅刻できない体質 [;^J^]。まずは朝風呂。そりゃもちろん、ラクーアの 劫火 豪華な施設とは比較にならないが、浴槽は広いし、清潔だし、これで必要十分である。少し早いが、7:30に発つ。曇天。歌舞伎町のはなまるうどんで朝食。

 8:30に、秋葉原駅から徒歩5分の某所(勤務先の東京オフィス)がまだ停電していることを確認してから秋葉原駅に戻り、スタバで時間調整。7:00から9:00までビル全体が計画停電なので、予め自動シャットダウンしてあったサーバー群を復旧させるのが、本日の私の使命なのである。

 もちろん、基本的にはスイッチを入れるだけなのであって、ただそれだけのために浜松から東京まで要員を出張させるほど、バブリーな会社ではない。順序は逆なのであって、この土日のプライベートな上京は、以前から決めていた。それが、つい先日になって、突然、誰か3月15日(の朝)に東京で作業しなくては、ということになり、「あの..私、その日その時刻、東京にいますけど..」..というわけで、「出張」することになったという次第なのであった。[;^J^]

 9:00前に、東京オフィス側の担当者、F氏と入り口で落ち合い(この時点で、電源は回復していた)、早速仕事。さすがにスイッチを入れるだけでは「出張」に見合わないので [;^J^]、サーバー回りの掃除、寿命がきているUPSの交換、サーバーの起動、動作確認、(あと若干の半端仕事)。10:10、業務完了、10:20、退出。プライベートで遊びに上京しただけなのに、たったこれだけのアドオン作業をするだけで、浜松から東京までの往復旅費と、休日出勤(70分)手当と、出張手当がもらえるのだから、笑いが止まら

 ..閑話休題 [;^.^]。予想よりも1時間早く片づいたので、早速、目黒へ向かう。11:00、東京都庭園美術館。「幻想絶佳 :アール・デコと古典主義」である。

 数年間にわたって耐震改修工事を行っていたので、まさに久しぶり。外見は全く変わらず、しかし、良くみると、一部、復元工事も行っているようである。洒落た新館も(邪魔にならないように)併設された。とにかく、この美術館(旧:朝香宮邸)に行ったことが無い人は、悪いことは言わないから、一度、行っとけ..というか、行け! 美術館自体が、極めてすぐれたアール・デコの美術品なのである。

 この展覧会のタイトル、「アール・デコと古典主義」には、違和感を感じる人も多いだろう。アール・デコと古典主義にどういう関係が? 恥ずかしながら、私もそうだった。大体、植物的なグネグネが「アール・ヌーボー」。「アール・デコ」はそれへの反動で、単純・直線的なデザイン..これが、普通の認識だろう。私もそうだった。そこに「古典主義」が入る余地など、無いように思われる。

 しかし確かに以前から、ここに来るたびに、微妙な違和感を感じてはいたのだ。ここは「アール・デコ」の傑作建築..しかし、単純で直線的なデザインで構成されているか? ..違うのである..その理由が、この展覧会で、ようやくわかった。要するに、私は「アール・デコ」を理解できていなかったのである。

 ..といって、ここで解説をはじめたりすると重くなるし [;^J^]、それにまだ完全には咀嚼できていない受け売り状態だから、パスさせて頂戴。[_ _]

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 家具の作例。左が、ジュール・ルルーの「キャビネット《花火》」。右が、ジャック=エミール・リュールマンの「キャビネット」。素晴らしいでしょう..アルセーヌ・ルパン(ルパン三世じゃないよ、ルブランの小説の主人公の方だよ)ならずとも、このような豪邸に忍び込んで盗み出したくなるよね![^.^]

 ..何を言い出しておるのかと呆れられただろうが [;^J^]、今から、えーと、45年ぐらい前になるか。50年まではいかないか。はじめてルパンもの(「怪盗紳士」とか「奇岩城」とか)を読んでたちまちはまったみぎり、なんとなく不思議だったのは、古城や豪邸に押し入ったルパン一味が、「やたらと、家具を盗む」ことだったのだ。絵とか彫刻とか宝石ならわかるが、嵩張るばかりで逃走の足手まといになりかねない家具に、どうしてそんなにこだわるんだろう、と..こういう作例を見れば、そりゃ、無理ないわ。盗むわ。[;^J^]



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 絵画作品では、ロベール・プゲオン(初見の画家である)のカラフルな作品群が、印象に残った。左図が、「イタリアの幻想」。右図が、展覧会のポスターにもなっている、「蛇」

 どこに蛇が? と思われる方は多かろう。画面最下辺の中央、布(脱いだ衣類?)の上に、小さい蛇がいるでしょう。「蛇」と「裸女」がいれば、これはもう、女は「イヴ」に決まっているのであって、さて、それでは「アダム」はどこに? ということになる。普通に考えれば、この、黒い服を脱ぎかけている頬髭の男である..が、キャプションを読むと、「この作品では、アダムは白馬の姿で表されている」なんて書かれている。とすると、この男は誰よ? イヴを誘惑する「悪魔」か? 確かに服を脱ぎかけているが..いやいや、悪魔の「誘惑」は、そういう意味じゃない。それに、そもそもこの絵には、プレイヤーが多すぎる。ただのオーディエンスかも知れないが..それに、白馬がアダムだとしても、何故、2頭いるのさ..?

 ..と、一見、忘れがたい謎に満ちあふれた作品である。好悪はわかれると思うが、観ても損はしないよ。



 ロベール・プゲオンでは、ほかに、「捕虜たち」「パリ14区役所別館祝宴の間 壁画下絵」。アリスティド・コロットの「ナンシーの軍人の肖像」、カルロ・サラベゾールの「パラス・アテネ」なども、面白かった。

 13:40に発つ。14:25、昨日に続いてもう一度スパンアートギャラリー。「萩尾望都 原画展」の最終日である。14:45に発つ。

 15:03、東京発のひかりで、16:32、浜松着。17:30、帰宅。大変充実した2日間であった。[^J^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 21 2015
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