*2011年12月05日:「さよなら小松左京」
*2011年12月06日:「自転車は右側」だとぉ!?
*2011年12月07日:「宇宙ヨットで太陽系を旅しよう」
*2011年12月08日:「乱歩彷徨」
*2011年12月09日:従姉の訃報
*2011年12月10日:従姉の通夜/皆既月蝕
*2011年12月11日:「メタボリズム展」/従姉の告別式
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*2011年12月05日:「さよなら小松左京」


 完全読本 さよなら小松左京」(徳間書店)読了。既読の座談会やエッセイのうちのいくつかは(時間が無いので)再読をスキップしたが、全体として、貴重な文献が数多く再録されている(新規の文章/談話も、もちろん多数収録されている)、非常にお買い得の1冊といえる。超お薦め。

 「小松左京の世界展」における手塚治虫との対談(1984/01/08 収録)のCD(約71分)が添付されているのが嬉しい。内容は多岐にわたり、ふたりの記憶力の良さに改めて驚くが、「さよならジュピター」の試写を観たばかりで褒めちぎっている手塚治虫と、微妙に腰が引けている小松左京の温度差が、いとをかし [;^.^]。制作の裏話は、最初から最後まで興味深い。

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*2011年12月06日:「自転車は右側」だとぉ!?


 寒い!(但し、帰宅時には、自転車でもさほど寒くはなかった。)

 番組名は忘れたが、たまたま目に入ったバラエティ番組で、出演者のひとり(名前失念)が、「自転車は(自動車と違って)右側通行だから」、と、さらっと(自然に)口走りやがった [;_ _] ..やっぱ、知らなかったのか。こういう人間が、当たり前に存在しているのか..[;_ _]

 自転車を歩道から追い出すのは(自転車にとって本当に危険な車道は山ほどあり、それらをケースバイケースで丁寧にケアしていただけるのであれば)、おおいに結構。しかし私に言わせれば、歩道走行よりもさらに危険なのが、右側走行である。

 1ヶ月ほど前のこと。あまりに逆上したので(そういう状態で公開日記に書くべきではないので)廃墟通信には書かなかったのだが..夜、帰宅時。257号を南下していたら、無灯火のステルス自転車が暗がりの中を正面から、右側走行で突っ込んできたのである。衝突直前に気が付き、間一髪、私が避けて 難を逃れたのだが..

 あいつら全員、ひとり残らず1回ずつ、大怪我させてやりたい!!

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*2011年12月07日:「宇宙ヨットで太陽系を旅しよう」


 北海道立図書館に、手塚治虫関連資料を3件ほどコピー請求。(今のところ)ここにしか所在が確認されていない資料(雑誌等)は3冊どころではなく、この図書館から発掘できるであろうネタはまだまだ沢山あるのだが、たとえば、担当者が目次からすぐに発見できる記事ならばコピーの依頼をしやすいのだが、「その号のどこかに、これこれのカットがある“可能性がある”ので、端から端まで(なめるように)探して、あればコピーしてください。無ければ結構です」..とは、なかなか依頼しにくいものなのである。人として。[;^.^]

 ..ま、ぼちぼち進めてます。別に締め切りがあるわけじゃなし。終わりがあるわけでもなし..(← もしかすると、わりと地獄の責め苦的な? [;^.^][;^.^][;^.^])

 宇宙ヨットで太陽系を旅しよう −世界初! イカロスの挑戦−」(森治、岩波ジュニア新書)読了。

 はやぶさも快挙だったが、私の魂をより一層わしづかみしたのは、「太陽からの風」で深宇宙へと帆走して行く「宇宙ヨット」であったのだ。「ジュニア新書」というだけあって、技術的内容を平易に説明してくれているのだが、実のところ技術的解説は、本書の内容の半分。あとの半分は、若い世代に向けたポジティブなメッセージなのである。その意味では私は想定読者層とは微妙に [;^.^] 異なるのだが、誰が読んでも気持ちよく読了できる好著である。お薦め。(「間に合わなければ、「オモリの刑」」(49頁)に、ウケた。[;^.^])

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*2011年12月08日:「乱歩彷徨」


 午後、雨になるらしいので、念のため、車出勤。

 それにしても寒い! これはどうやら、会社の暖房が不十分(控え目)であるというよりは、スチール机が冷たいのが原因なのではあるまいか。肘から先をべたっと乗せているのだが、ここからどんどん体温を奪われているような気が。[;^.^]

 乱歩彷徨 なぜ読み継がれるのか」(紀田順一郎、春風社)読了。

 一気通読の面白さ![^.^] 2年前に、大乱歩展(@神奈川近代文学館)における紀田順一郎の講演(「江戸川乱歩と少年探偵の夢」)を聴講しており、いわば「予習」をしていたこともあって、論旨はすんなりと身に入った。(備忘程度の内容ではあるが、聴講メモをリンクしておく。→ 「2009年10月24日:ベルギー幻想美術館/大乱歩展」)

 以下、ポストイットしたところを、抜き書きしておく。

「『二銭銅貨』や『心理試験』には作者が犯人の心情に沿っているがゆえに、読者は犯行動機に僅かにせよ共鳴を覚えるのであるが、中期以降の作品には作者がだれの立場にあるのかという一点において、あいまいなケースが多いのである。このような場合、作者としては無意識にせよ、猟奇性や白昼夢、異常なユートピアといった代替的な記号を打ち出し、読者の《共鳴》ではなく《関心》を引こうとするのは自然な成り行きではないだろうか」(23頁)

「(乱歩のコード)探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学である」(56頁)

「(1943年、ある工場の壇上から、何千人という工員を相手に演説を行ったとき、)ささやかだが、人に命令したり訓示したりする立場の快感というものを味わったことになる。乱歩はまた大下宇陀児が自分よりも早く町会長へと「出世」したのをうらやましく思ったという。これらは小さなエピソードのようだが、戦時中の作家でこのような屈折した心理を記した例は皆無なので、特筆に値しよう」(136頁)

「すでに述べたように、高木彬光は乱歩が長く大家の位置にとどまっている理由の一班として、「頑固なほど一徹な創作態度」を挙げている。「推理小説に純粋な愛情を持ち合わせ」、「推理小説以外の作品はなく」、発表も「断続的」であること、これは職業作家としてあり得べからざる特質ということになる。
 高木の見解は、推理文壇の最大公約数的なものといってよいが、一つ重要な点を見逃している。涙香により紹介された揺籃期の翻案推理小説を、一気に近代的な本格推理小説へと近づけた創造性ということである。つまり、日本の推理小説は歴史的文献としての涙香ら明治の作家を別として、実質的には乱歩にはじまるという意味である。そのコードは自らがつくりあげたことを、つまり創造者であることを乱歩は常に意識していた。困難な時期にはそれが矜持ともなったことは想像に難くない。他の作家にはまったく見られないコードへの異常な固執は、ここに胚胎する」(181頁)

「乱歩の自覚している「弱点」とは、平林のいう「生温るい説明的な文章」である」(191頁)

「当時から乱歩という作家が一目置かれたのは、このように率直な自己評価を下しているためで、事実推理小説界に限らず、かくも厳しい自己採点を行った作家は稀である」(227頁)

「日本の文壇では、軍部に妥協するよりも大衆に妥協することの方が致命傷となるが、肝心なことは乱歩が早晩この種の批判にさらされ、自作相場の下落がはじまることを見越して、厳密なコード化と自己仕分けを済ませるという、まさに肉を切らせて骨を断つ、捨て身の戦法が功を奏したことにあった」(233頁)

 就寝前、iPhone に着信履歴が残っていることに気が付いた。実家からである。「バイブレーション」にしていたので気が付かなかったのだ。(これは、よくやってしまうのだ。帰宅したら「鳴動」に切り替えるクセをつけないと..)もう深夜なので、明朝、電話することにする。

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*2011年12月09日:従姉の訃報


 早朝に電話するのもどうかと思うので、とりあえず出社。好天なのは嬉しいが、北風ピューピュー、向かい風。祝田の下り坂で、自転車が煽られて恐い。

 会社に着いてから、朝礼前に実家に電話したら、従姉の訃報だった..私よりは年上にせよ、まだそんな歳でもないのに..癌だったのか..

 帰宅してから、改めて電話で打ち合わせ。明日(土曜日)上京し、通夜に出る。午後に発てば十分だ。当日は横浜の実家に泊まり、日曜日に浜松に戻れば良い。

 デスクトップPCの外付けHDDのデュプリケートを作成し、リブ100の内蔵HDDのデュプリケートを作成する。(いずれも、実家へのバックアップ配備用である。)

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*2011年12月10日:従姉の通夜/皆既月蝕


 朝いちで起動。まず、伊場の日産までマーチを転がして行き、ポジションランプの不良を見てもらう。ただの部品不良ならば良いのだが、かなり古い車体であるし、電装系自体にガタが来ているかも知れないので..

 ..結果、単なる部品不良であった [;^J^]。部品代100円+工賃500円..まず、自分で交換して、それでもおかしかったら業者に依頼、という手順を踏むべきだったなぁ。[;^.^]

 引き続き、高林のハードオフへ。AV機器を1点、売却する。諸事情により新品同様(どころか、ほぼ未開封)だったので、まずまずの金額になった。ここは、古着とか食器とかも扱っているんだね..来週あたり、少し処分しにくるかな。(たとえ焼け石に水であろうとも、僅かでもモノを減らしていかないと、部屋に本が入らない。[/_;][/_;][/_;][;^.^])

 杏林堂と百均で買い物をして、昼前に帰宅。カレーを食べて、正午過ぎに発つ。

 浜松駅前のビックカメラで、先日に引き続き、デジタルフォトフレームをいくつか試用・検討する。今回、デジタルフォトフレームにインストールして実家の母にプレゼントしたいjpgファイルの多くは(スライド用のポジフィルムからスキャンしたものであり)800×512ドットなのだが、前回ここで試用した機種では、800×600の画面いっぱいに表示すべく、勝手に左右をトリミングしてくれやがったのだが [;-_-]凸、今回、うまい具合に、この多少横長の画像ファイルをトリミングせずに(つまり、上下に黒帯を付けて)表示してくれる機種が見つかった。(当たり前の仕様なような気もしますが。[;^J^])起動/表示が早く、機能も少なく、値段も廉くていい感じである。これを第一候補とすることにしよう。

 13:20のこだまで東上し、新横浜経由で、15:21に横浜駅着。西口のヨドバシカメラのデジタルフォトフレーム売場を視察してから、15:50、相鉄線の改札口で、母、妹たちと待ち合わせ。京浜急行と都営線を乗り継いで、千石へ。

 18:00から龍泉寺で、従姉の通夜。最近は誰かの葬儀以外では、親戚と会うことも滅多に無い..(ゴルゴ13の、確か「帝王の罠」か何かで、巨大企業の会長が同様のセリフを呟いていたと思うが..[;^J^])

 何時に引き上げたのか忘れたが、妹たちと別れ、母と実家に向かう途上、22:15、鶴ヶ峰駅前のバスロータリーで、今夜が皆既月蝕であることを(母に言われて)思い出した。調べてみたら、23:05に蝕が完成する。つまり既に、進行中なのだ。どうりで(少し)変な形をしてると思った。[;^.^]

 22:40、実家着。庭に出て、23:05を待つ。強烈な太陽光線ではなく、淡い地球光を照り返す月は、くっきりと立体的に、球体として見える。人によって、「ビー玉」や「巨峰(葡萄)」などに見えるようだが、私には明らかに、「眼球」に見える..

 ..濁った眼球に。

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*2011年12月11日:「メタボリズム展」/従姉の告別式


 今日の告別式には、倉田家からは私だけが行くことにした。式は13:00からなのだが、ついでにというと聞こえが悪いが、せっかくなので、午前中に1件片付けることにした。

 実家前のバス停から8:16のバスで発ち、六本木の 森美術館 に着いたのが、開館15分前の9:45。「メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」である。

 「メタボリズム」についての、これほど大規模で包括的な展覧会は、初めてのことらしい。内容は極めて濃く、しかも映像展示が多いので、じっくり観ると3時間はかかると思われるが、今日はあとの予定があるので、最大2時間弱しか時間を取れない。できればもう一度、観に来たいところであるが、会期が1月15日までなので、来れる保証はない。なんにせよ、図録を購入して読み込まなくては..と思ったら、なんと4800円! うーむ、4800円..[;_ _][;_ _][;_ _] 取りあえず、見送ろう..どうしても必要となれば、あとから購入することもできるからさ..[;_ _][;_ _][;_ _]

 11:55に美術館を発って千石に向かい、龍泉寺に着いたのが12:45。

 告別式。初七日。会食は17:40頃に終わり、18:00に仙石駅を発って、19:03に東京駅を発つひかりで、21:05に浜松の自宅に帰宅。

 ..さすがにいささか疲れ、思うところもあった。いろいろと..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 15 2011
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