*2011年04月04日:図書館と美術館のハシゴ/廃墟通信15周年
*2011年04月05日:右肩の筋肉が..[;_ _]
*2011年04月06日:ある幻想アート論
*2011年04月07日:片腕だらり [;_ _]
*2011年04月08日:右腕復活 [;^.^]
*2011年04月09日:献血/焼け石に水やり [;^J^]
*2011年04月10日:佐鳴湖でプチ花見/逃走中エピソード1
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*2011年04月04日:図書館と美術館のハシゴ/廃墟通信15周年


 実家前のバス停から、7:50のバスで発つ。国会図書館着は開館時刻より少し遅れて、9:40。手塚治虫関連資料の調査である。

 手塚治虫自身の発言が含まれていない単なる取材記事は除いて、以下の3件を採取できた。「バラエティ」誌の座談会記事は、コピーを確保。(この規模の座談会記事を、これまで発見できていなかったのである。いったい、あとどれだけ埋もれていることやら..[;_ _][;^.^])

「鉄腕アトム」のソロバン(談話):週刊読売:62/11/25
いま劇画は!?(談話):月刊DONDON:77/03
「スター・ウォーズ」こそチャンピオンだ(座談会)(ゲーリー・カーツ、野田昌宏、伊藤典夫、LEO氏):バラエティ:78/09

 10:50に退出し、国立新美術館に、11:30に着。まずは腹ごしらえ..と、3Fに向かったら、あらあらまぁまぁ、贔屓にしているレストラン「ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ」は、節電のために閉店である。残念。仕方がないので(ほかにも食べる場所はあるはずなので)先に2Fの「アーティスト・ファイル2011 ― 現代の作家たち」を観ることにする。

 特に面白かったのは、松江泰治の高精細の大画面俯瞰写真群と、岩熊力也の(一見、デカルコマニー風の)山水画的イメージ群。鬼頭健吾の、大量のスカーフを使った(ほとんど一発芸に近い [;^J^])インスタレーションの仄かなエロティシズムも、悪くない。ビョルン・メルフスのビデオ・インスタレーションは(いかにも虚仮おどしで)あまり感心しなかったが、巨大な鳥人の映像の存在感がかなりのものなので、不問に処す。[;^.^]

 昼食は、B1Fの「カフェテリア カレ」。入り口の貼紙に(日本全国どこででも見受けられるものではあるが)改めて感じ入った。「当店はセルフサービスとなっております。お食事の際には、あらかじめお席の確保をして頂いてから、お料理等お求めください。」..つまり、荷物を席においておけ、と言っているのであり、実際、皆、コートやハンドバッグを席に置いたまま(それに背を向けて)カウンターに並んでいるのである。これは、多くの国では絶対にやってはいけないことなのだが、もちろん、盗難事件など、起こりはしない。

 12:30に、1Fの「シュルレアリスム展」、再訪。タンギー、エルンスト、マッタらの至宝を改めて堪能して、13:40に退出。

 メトロで神保町に向かい、米澤嘉博記念図書館へ。スタッフルームで14:40頃から3時間ほど、「吾妻ひでお展 吾妻ひでお美少女実験室」のお手伝い作業を行い、18:03東京発のひかりで、浜松に帰る。

 書き忘れていたが、先週4月1日が、廃墟通信の15周年だったのだった。いやはや全く、こんなことを15年間も(毎日書いているわけではないが、少なくとも日付は1日も途切らすことなく)続けてきたのである [;^J^]。やめどきを失うと、こんなことになってしまうのである。[;^.^]

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*2011年04月05日:右肩の筋肉が..[;_ _]


 確かに、起床時に違和感はあったのだ。右肩が痛い。右腕を捻って(体の下に敷いて)寝入ってしまったのだろうか? それにしては、力を入れるときだけ痛いというのが、解せない..

 ..午後になっても、痛くなる一方である。もしや、一週間前に自転車で転倒したときの後遺症か? ..しかしそれも、考えにくい。右肩から落ちたわけではなく、負傷したのは右膝と右肘であり、しかも右肘は、ほんのかすり傷なのである。もちろん、なにがしかの衝撃は肩に伝わっただろうが、それなら、肩より先に肘がどうにかなりそうなものであるが、肘は全くなんともないのだ。それにそもそも、転倒した翌日に病院でレントゲンを撮り、なんら異常が無いことを確認している。

 全く別の原因に因ると考える方がわかりやすい。先週末から土日月、と、リュックに重たい荷物(買い込んだ書物)を詰めて都内を移動していたので、どこかのタイミングで、右肩を捻った(そしてその場ではなんら痛みは発生せず、1〜2日経ってから発症した)というのは、ありそうなことである。[;_ _][;^J^]

 終業後、右膝の治療を続けているT整形外科で、今朝から肩も痛くなってきまして..と相談したところ、(転倒以来、肩に湿布はしているので)そちらはしばらく様子を見ましょう、ということになった。

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*2011年04月06日:ある幻想アート論


 ..朝の痛みは、昨日よりも明らかに酷い [;_ _]。着替えるのが大変である。しかし(我慢して)動かしていると、少しは痛みが和らぐような気もする。

 去年の後半あたりから(金銭上の理由により [;^J^])上京時には出来るだけ東名ハイウェイバスを使うようにしているのだが、今頃になって、渋谷新宿ライナー浜松号の存在に気が付いた。[;^.^]

 時刻表で比較してみると、東名ハイウェイバスの場合、浜松駅北口7:30発で、霞ヶ関着が11:53。渋谷新宿ライナー浜松号だと、浜松駅北口7:00発で、渋谷駅(渋谷マークシティ)着が10:47である。ざっくり言って、30分早く発って、1時間早く着く。無論、時刻表どおり着くものではないのだが、東名ハイウェイバスの実績としては、ティピカルには、霞ヶ関着が12:15〜12:30。(大きな事故や例外的な渋滞などが無い限り)最悪12:45といったところ。従って、渋谷新宿ライナー浜松号の渋谷着は、11:00ないし11:15(最悪、11:30頃?)と推測される。

 1時間早く着くというのは、悪くない..が、本当に早く着きたいときは新幹線を使うのであって、バスで上京するときは、実は日中にはそれほど用件が詰まっていないことが多いのだ。(夜からのコンサートのための上京とかね。)都内での滞在時間が1時間増えるのはもちろんメリットだが、30分早く発たなければならないというデメリット [;^J^] もある。ここらへんのトレードオフを勘案しつつ、ゴールデンウィーク時の横浜への帰省時には、渋谷新宿ライナー浜松号を試用してみようかな。(4月24日の上京用には、既に東名ハイウェイバスのチケットを購入済みなのであった。)ちなみに料金は、ほとんど同じである。

 先週月曜日(3/26)に、額の大人ニキビの薬を止めたのだが、微妙に再発している気配がしないでもない..

 「怪 VOL.0032」に掲載されている「荒俣宏の脳内異界探偵 荒俣宏×山田維史「他人に見せる夢」としての幻想アート」が面白いので、メモがわりに何箇所か抜き書きしておく。(ご存知ない方のために。山田維史は、幻想アートを描く画家である。)

荒俣  恐れ入りますが、ゴッホを語る前にロンブローゾが打ち出した精神障害におけるアート作品の特徴パターンを、すこし紹介していただけますか?
山田  はい、歴史的に見ると、ホガースという画家がイギリスの精神病院ベドラムで見た「絵を描く患者」を描写したのが始まりの一つです。じつはロンブローゾに至るまでは、アウトサイダー・アートとはいっても、患者が描いた作品への関心ではなく、精神障害の人々を絵画的に表現することが精神病アートだったわけです。

(参考リンク →「ベドラム」、「A Rake's Progress「放蕩一代記」1735」(「絵を描く患者」の絵ではないが、ベドラムの情景で終わる連作)以下、ロンブローゾが分類抽出した13のパターンを、山田が紹介する。

「独創性」(絵具で描かないとか)
「無用性」(無駄に細かいとか)
「反復性」(単調になる(エンドレスの問題ともからむ))
「模倣性」(自分自身のパターンだけを模倣する)
「犯罪性と道徳的な問題」(猥褻性も含む)
「稠密性」
「不合理性」(馬鹿馬鹿しさ)
「アラベスク」
「先祖返り」(原始アート、音声的なもの、言葉(偽の言葉/人工言語))
「エキセントリック」
「主題としての狂気」(精神病者が精神病者を描く)
「シンボリズム」(アレゴリーではない、もっと実感的なもの)
 ..以上、12パターンだが、13番目には言及されていない [;^J^]。対談の流れ(あるいは編集過程)で見失われたようである。[;^.^])

山田  シュルレアリスムやピカソは、象徴をもっと文明的に使いこなしたと思います。(中略)思潮としてはとっても機能して、やっぱり20世紀を代表する主張だったけれども、果たして、そこから何か突出した精神病者の持ってるようなエネルギーが発してるかどうかとなると、ちょっと疑問だなと。
荒俣  それは素朴芸術や原始芸術とのかかわりにも似ていますね。20世紀はそういうものに関心を発見したけれども、それを手本にしてしまうと、野蛮性の礼賛みたいなものになってきて、結局、最終的には退廃芸術になりかねない。彼らが退廃芸術といわれることをとても嫌がった最大の理由は、「おれたちは文明人のアートなんだ、クールなんだ」と。
山田  精神病者たちのすごいエネルギーを前にしたら、文明人は自縛されちゃいますから。
荒俣  (中略)そもそも後期印象派のグループとか、みんな最後はモダンから離れないのですよ、精神病者のアートに代表されるような精神の奥にまでは、なるべく手を突っ込まないようにする。印象派の絵なんかは、表面の光だけを描くようになった。それでも逆に人間の心理が暴き出されたのですから、恐ろしいものです。
  
  (ずーっと略)
  
荒俣  そういうことを考えてみると、ファンタジーとか幻想絵画といっても、さっきのピカソなんかのモダンアートと同じで、そういうものすごくドロドロした下層に隠れた絵をなるべく感じさせないで、表側だけを軽く楽しもうという運動の成果の上にあると言えるかもしれませんね。みんなが楽しく「幻想アート」だと言ってられる時代になった。
山田  そうですね、ダッドの時代には、エジプトのような所にいて、強烈な日光かなんかに当たって神がかりになっちゃうわけですけれども。マチスやセザンヌは、同じアフリカ − 北アフリカのモロッコ辺りでしょうか − に行っても、ぜんぜん別な明るい色彩感覚と軽さを持って帰ってきたわけですね。
荒俣  ピカソなんかひどいですよ。パリの骨董品屋で、アフリカやオセアニアの神像アートを買ってくるわけですから(笑)。それで、「うん、アフリカはすごい」と言って20世紀アートに組み込んじゃう。ムンクなんか、パリの博物館でインカのミイラなんかを見て、『叫び』の顔に使ったり。ゴッホですら、禅宗のスタイルを真似て、その扮装して自画像を描くというコスプレ的な楽しさもある。だから、モダンアートはそういう本当に重かった物を、文字通り「アート」という軽さにすくい上げた。アートを軽い狂気、軽い深刻さ、軽い前衛でファッションに大成させた(笑)。
  
  (さらに略)
  
荒俣  なんか大きいストレスが来るといいかも知れない。下に描かれていた絵の重みを実感するためには。エジプトにでも行きますか、エジプトの太陽を一週間ぐらい浴びて。
山田  浴びたら、なにか変化が出そうですね(笑)。
荒俣  だから、現代社会ではその変化が起きないように理性のダイエットをするわけでしょう。クールでいられる環境をつくるわけですよ。美術の面でもね。いい例は、印象派の作品を、日本でなんで家に飾りたがるのかっていったら、軽いからですよ。精神の重さがない。モネが描いた『睡蓮』なんかは、結局、人工的な池ですからね。原始のナチュラルじゃなく、飼いならした自然ですよね、ガーデンに過ぎないので。もしも中世宗教画なんか日本の居間に飾ったら、重くて嫌になっちゃう(笑)。(後略)
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*2011年04月07日:片腕だらり [;_ _]


 ..右肩の激痛で目が覚めてしまった [;_ _]。まだ4時半かそこらである [;_ _]。二度寝したかったが、寝返りをしようとして右肩が下になった瞬間、思わず悲鳴 [;_ _]。これでは仕方が無い..と、諦めて起きようとたのだが..あらあら大変。右肩(というか右腕)の筋肉にいっさい力を入れずに起き上がるというのは、至難の技なのである [;^.^]。ああでもないこうでもないと(体感時間として)5分ぐらい、姿勢を工夫をしつつ何度も呻き声を上げつつ、ようやく起き上がれたのだが、まぁ実際には3分もかからなかったのだろう。

 着替えはもちろん、洗顔も歯磨きもまともにできない。それに問題は、食事だ。案外、包丁は普通に使えるのだが、大変なのが洗い物である..というか、洗えない。とにかく、右肩(右腕)に力を入れるたびに、「はうっ..[;*.*]」なのである [;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]。仕方がないので(今夜か明朝までには、症状がいくらかでも軽快していることを期待して)使用後の食器はシンクに放置したままとし、とにかくこれでは話にならんので、出社前にT整形外科へ。

 力を抜いて左手でサポートすれば、全方向に問題なく動くので、五十肩ではないのである。とりあえず、リハビリ(赤外線と低周波)を始めて、痛みが続くようなら、筋肉が痛んでいないかどうか検査しましょう、ということになった。

 で、1時間少々遅れて出社したわけであるが..まぁ、右腕(右手)が使えないこと、使えないこと..[;^.^]。靴を履き替えようとして、「はうっ![;*.*]」。ドアノブを手前に引こうとして、「はうっ![;*.*]」。席に座って、インスタントコーヒーの入ったマグカップを持ち上げようとして、「はうっ![;*.*]」..[;^.^][;^.^][;^.^] 椅子が低いのでPCのキーボードが割と高い位置にあるのだが(このこと自体の是非は今日のところはさておくとして)、キーボードまで一気に右手をもっていけない。まず、肩の力を抜いて、机の手前の縁(へり)に指をだらしなくひっかけて、そのまま指をシャカシャカシャカシャカ、と机の上をキーボードまで這わせて、這い上がるのである。[;^.^][;^.^][;^.^]

 こんな状態でどうやって会社まで辿り着けたのか不思議に思われるかも知れないが、自動車は案外、左腕一本でも運転できるものなのである。右手は、低い位置(膝の上)でハンドルを支えるだけ。(← これは、ここだけの話にしておいてください。[;_ _][;_ _][;_ _])もちろん、ドアの開け閉めは右手ではできないので、左手を使うのである。[;^J^](自転車の方が、マシだったかも知れない。)

 とにもかくにも、なんとか帰宅。

 右肩の痛みに比べれば遥かに軽微だが、体の不調、もう一件。額の大人ニキビがどうやら明確に再発したとみなし、塗り薬を再開する [_ _]。まぁ、この薬に「意味がある(少なくとも、悪化を防ぐ仕事はしていた)」ことはわかったので、実験としては、有意義だったわけだ。う〜む、それにしても、完治させたいものではあるが..(ちなみに、額に薬を塗るのがまた、大変でさぁ..[/_;][/_;][/_;][;^.^])

 9月3日〜4日に開催される第50回日本SF大会「ドンブラコン」(@静岡県コンベンションアーツセンター「グランシップ」(JR東静岡駅前))に、参加申し込みする。

 9月12日の読売日本交響楽団の定演(@サントリーホール、「ロメオとジュリエット」(ベルリオーズ))のチケットを、e+から発注する。

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*2011年04月08日:右腕復活 [;^.^]


 をを。起床時、右腕のコンディションが、昨日よりも遥かに良いではないか![^.^] むろん、まだまだ痛いけど、少なくとも物を持てる [;^.^]。週末を越せば、かなり楽になりそうに思える。

 赤外線と低周波のリハビリが(1回で)いきなり効くわけがないので、そもそもこのくらいの短期間(3〜4日)でピークを迎えて快復に向かう程度の症状だったのか、あるいは、継続して貼付し続けている湿布が意外に効いているのか、その両方か。なんにせよ、ほっとした。(まことにありがちな病人の心理として、もう一生、この痛みは消えないのかと思っていましたので..[;^J^])

 アマゾンに発注していた「ガケップチ・カッフェー 1」(大前田りん、モーニングKC)が届いた。もちろん、古本である。早速一読。やはりいいな、この漫画。[^J^]

 この作品は、以前もこの日記で取り上げたことがある。(2003年02月05日:想いは漂泊(少し違う [;^J^]))実に20年近く前に雑誌(モーニング)で読んで以来なのだが、記憶の美化作用もほとんどなく、細部まで実に鮮明に(正確に)憶えていたことに驚いた。よほど印象深かったのだろう。

 怠惰なその日暮らしを続ける男がやっている、ろくに客も来ない冴えないオンボロドライブインに、ふらりとやってきた謎の女が、奇跡を起こす..どうやら、映画『バグダッド・カフェ』が元ネタらしいのだが、私はこの映画を観ていないのだった [;^J^]。とにかく、この男の怠惰っぷりが最高で、妙にはりきる女との微妙なすれ違いが、絶妙なのである。

 この「第1巻」でエピソードはひと区切り付いているが、雑誌にはこのあともう少し連載され、中断した(従って、その部分は単行本化されていない)..とは、とあるブログで知ったことで、私はその「単行本未収録」分の記憶が無い。(リンクを張った8年前の日記には、打ち切られ際の記憶があるように書かれているが、確認してみたら、これは第1巻の途中のエピソードのことであり、つまり何かの勘違いである。)当時の私は、モーニング誌を隅々まで読んでいたはずなのだが..前記のブログのライター氏によると、単行本未収録分は、急速につまらなくなっていった(ので、打ち切られたのだろう)とのことなので、だから印象に残っていないのかも知れない。まぁ、図書館で捜し出して読むことは可能だろうが、(本当につまらないのかどうかはともかく)話が途中で終わっている(つまり必ず欲求不満になる)とわかっているのに、わざわざ読む気にもなれないし [;^J^]、まぁ、この第1巻を私の廃墟城に常備しておき、おりにふれて読み返せれば、それで十分、幸せだ。[^J^]

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*2011年04月09日:献血/焼け石に水やり [;^J^]


 朝、昨夕からの雨が残っている..というより、目いっぱい、本降りである。朝いちでT整形外科へ。膝の治療(といっても、あなたが想像するほど大層なものではなく、皮膚の再生の進捗状況の確認とガーゼの交換程度)がメインだが、肩はだいぶ楽になりました、と報告する。もちろん、痛みが全部消えたわけではないので、リハビリは続行である。

 その足で(自動車で)献血ルーム・みゅうずに直行するが、献血カードを忘れてきたことに駐車場で気が付き [;^J^]、仕方が無いので、いったん出直すことにする。りそなで金を下ろし、谷島屋に寄って、午前中に帰宅。

 軽い昼食をとってから、12時に再起動。みゅうずで400ml献血。帰途、雨上がる。13:40に帰宅。

 狭い自宅の中で、いくらかでも書籍等を置くスペースを捻出するために、デッドスペースを探し出しては、書籍/CD/DVD等を右から左に動かし続ける。焼け石に水もいいところであるが、根本的な解決策(1部屋か2部屋多いアパートに引越しする)を取ることが不可能である以上、今はこれ以外に現状を改善する方法が無いのである。(引越しは、金銭的にはなんとでもなると思うが、これらの荷物(ほとんどは書籍だが)を動かす根性が、1ミリも無いのである。)

 わかりやすく一言で言い換えると、「ここに居続ける限り、未来は無い」のだ [;_ _]。もって、あと2〜3年だろうか。どうしたものか..(..と、数年前にも書いたような気がするが。[;^.^])

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*2011年04月10日:佐鳴湖でプチ花見/逃走中エピソード1


 快晴である。8時前に自転車で出発。まずは、投票。そのまま久しぶりに佐鳴湖沿岸へ。早朝ウォーキング(その後、早朝ジョギング)をしていた頃には、毎朝来ていたのだが、膝を痛めてジョギングをやめ、自転車通勤を始めてからは、むしろ足が遠のいていたのである。

Picture Picture

 水質浄化のための葦(ヨシ)の植栽のための(← のが多すぎると思いますの [^.^])、新川からの流入口の湖岸工事が、終わっている。なかなか良い散歩道が整備されたわけだが、もしかしてここに自転車で乗り入れるべきではなかったかも知れない。[;^J^]

 軽く花見をする。まだ時刻が早いためか人出も少ない。非常に暖かい。


 高校生たち2〜3人が、水質調査のために?水の採集を行なっている。顧問の先生らしき人がいたので、少し立ち話をする。生物部ではなく科学部の部活動とのこと。(高校名は訊き忘れた。)

 昨日は雨が降ったので、水質がかなり変化しているはずで云々、というあたりの話から入ったのだが、以前から気になっていた、蘆の植栽の「効果」について、伺った。

 今日の日記の先頭付近の「佐鳴湖」の(ウィキペディアへの)リンクを見ていただくとおわかりいただけると思うが、この小さな湖の汚濁度の高さは、日本でも有数のものなのである。水質汚濁の原因は複数あり、それぞれに対策は取られているのであるが、直接的には、リンと窒素を減らさなければならない。そのために、蘆などの植物の助けを借りるべく、せっせと植栽しているのであるが..

 「リン、窒素を減らすためには、ほとんど役に立ってない」、という、明確な回答をいただけた [;^J^]。ある意味、安心した。つまり私も直感的にはそう思えて仕方がなかったわけで、それは専門家の見解と一致していたのである。先生は、「全ての専門家が無駄だと指摘しているが、行政は耳を貸さない(せっせと「緑化」し続けるばかりである)」、と、溜息をつかれていた。

 考えてみれば、当然のことではある。蘆は、自分の成長に必要なだけのリン、窒素しか吸収しないし、枯死すれば逆に、蘆に蓄えられたリン、窒素が水の中に流出する(つまり、リン、窒素の供給源になってしまう)のである。

 佐鳴湖で問題なのは、底生生物がいないこと。湖底に積もったリン、窒素が、生物によって分解・吸収されず、濃縮して直接湖水に戻ってしまう..とのこと。

 10時過ぎに帰宅する。暖かいが曇ってきた。クリーニング出しをしてから、ブックオフに何冊か売りに行く。(← もはや、「焼け石に水」ですら、無い。[;^.^])BDレコーダーのHDDに溜まっている番組の一部を、BD−R/BD−REに落とす。

 今夜の「逃走中 エピソード1」(フジテレビ系)は、傑作というかなんというか、もう、究極の馬鹿ばかしさである。[;^.^](← エンタメ系バラエティ番組に対する、最高の褒め言葉である。[^.^])

 「逃走中」の設定については、Wikipediaの解説を読んで頂くのがてっとり早いのだが、要するに、「ハンター(複数)」から逃げる、鬼ごっこ。では、そもそもその「ハンター」とは、なんぞや? ..という謎解き編が、今夜の「逃走中2011〜エピソード1・ハンター誕生〜」なのであるが..[;^J^]

 ネタバレを気にする必要があるかなぁ..まぁ一応、ここ最近の「逃走中」の視聴者であれば薄々気が付いているだろう、と思われる範囲からあまり逸脱しないように書くが..要するに「逃走中」とは(参加者はまったく知らないことであるが)未来社会において未来人たちが見物しているエンタテインメントだったのである。「ハンター」を開発した天才科学者が「ゲームマスター」となって、ゲームを操り、参加者(逃走者)たちを翻弄する..頭の回転の早いSFファンならここまでの説明だけで「あれ?」、と気が付くだろうが、この設定は、微妙に危うい。つまり、「ハンター」が「物理的実体」なのか「仮想世界において作り出された仮想のアンドロイド」なのか、はっきりしないのである。そもそも、この「逃走中」世界自体が、仮想世界であるとも平行世界であるとも、あるいは、「リアルタイムタイムマシン(なんじゃそりゃ [;^J^])」経由でモニターされている過去の世界であるとも、読みとれる(いずれとも判然としない)のである。これを、脚本の出来の悪さに帰することも可能だが、現時点ではまだどのように解釈することも可能だという含みを持たせている、と考えよう。(まだ、先のことは考えていない、というのが、一番ありそうな話だが。[;^.^])

 これだけでも、十分にお腹いっぱいなのであるが..なんと、上記の天才科学者(ゲームマスター)の助手が、「裏切る」のだから、驚くではあ〜りませんか [;^.^]。ゲームの円滑な進行を妨害し、そうでなくとも複雑なルールの「逃走中」をさらに混乱させ、ゲームマスターを失脚させようとする。もちろん、自分ひとりの意志によってではなく、とある背景(陰謀)を背負って..

 ..もはやそもそものスタート地点を(放送作家が)完全に見失っている、暴走状態である [;^.^]。この番組は、ただの鬼ごっこだったはずなのである [;^.^][;^.^][;^.^]。いいなぁ、いいなぁ、この全力疾走のバカバカしさは、最高だなぁ..[^.^][^.^][^.^]

 そして、この過剰なSF設定を成立させているのがキャスティングの妙であることを、指摘しておかなければならない。天才科学者(ゲームマスター)に、細田よしひこ。彼を裏切る助手に、北川弘美。驚くべきことだが、彼らがそこにいるだけで、この荒唐無稽な作品世界に説得力が伴ってしまうのである。[;^J^]

 このシリーズの次回作が、楽しみだ。[^J^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 14 2011
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