*2010年04月05日:如何にして遺すか
*2010年04月06日:アニマルファーム
*2010年04月07日:「ドイツ幻想小説傑作選」
*2010年04月08日:虚構の素材
*2010年04月09日:失敗作とは珍しい
*2010年04月10日:「放射能X」
*2010年04月11日:「わが家の歴史」
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*2010年04月05日:如何にして遺すか


 コレクターなら誰もが悩むこと。それは自分のコレクションを、誰に、どのようにして引き継ぐべきかということである。そのコレクター本人が既婚者だろうが独身者だろうが子どもがいようがいまいが、関係ない。なぜなら普通の子どもは、親のコレクションになど興味を持たないからである [;^J^]。そんなガキ息子(娘)に自分のコレクションを引き渡したが最後、いつ処分されてしまうか、わかったものではないからである。心安らかに死ぬことができないからである。[-人-][-人-][-人-](例外的なご子息もいくらか存在していることは、存じ上げております。[;_ _][;_ _][;_ _][;^J^])

 以下、話の見通しを良くするために、書籍のコレクター(コレクション)に限定する。

 自分の家族が信頼できない(生涯かけて集めたコレクションの管理を託すことができない)場合、書籍のコレクターなら一度は考えることが、「図書館への寄贈」であるが、これもまた、解にはならない。図書館の数もキャパも人手も有限なのである。あなたがよほど名の通った地元の名士(例えば大学の学長か学部長クラス)であり、あなたのコレクションの(なんらかの意味での)値打ちが周知のものであるのならば、散逸させずにまるごと保管してもらえる可能性もゼロではないが、仮にその場合でも、数万冊も持ち込んだりしたら、ありがた迷惑というものである。もしもあなたが上記の条件に適合しない場合、図書館に持ち込んでも廃棄される(古書店への売却を含む)のがオチである。図書館に悪意があるわけでも意欲がないわけでもない。単に、物理的にあり得ない状況だというだけのことである。もちろん、書籍の寄贈を募っている図書館も存在するが、それはニュースになる。つまり、例外的な事象なのである。

 さて、どう思われているかは知らないが、私は書籍のコレクターではない。(自宅が狭く、物理的に、書籍のコレクターには成り得なかったのである。[;^J^])とはいえ、まぁそれなりの数の書籍や雑誌は、蓄積されている。私が死ぬとき、これらをどうするべきか。

 CDやDVDの類もあわせて、大部分は、散逸してしまっても構わないようなしろものである。捨てるべきではないが、古書店に(バラバラに)売り払ってしまっても、全然問題はない。どこかの蔵の中に死蔵されてしまうよりは、マーケットに再デビューさせて、その書籍を探し求めていた誰かに買ってもらう方が、百万倍も素晴らしいことである。今の時代、私の蔵書(の一部)を引き取った古書店が、ネット上にデータを上げる手間を惜しまなければ、それは必ず、その書籍の探求者の目にとまる。(古書流通の、黄金時代なのである。)「彼(彼女)に買われること」イコール「後世に残すこと」になるのである。

 悩むのは、ごく僅かながら存在する「散逸させるべきではない、書籍・資料」の存在である。例えば、吾妻ひでお関係の書籍/切り抜き/コピーである。これをどうやって「後世に残す」か。古書店に託すと、解体されバラ売りされてしまう可能性が高い。信頼できる吾妻ひでおコレクターに託すか。そういう人は何人か存じ上げているが、残念ながら、みな私と同世代かその前後であり、つまり、私が死ぬ頃には彼らも死ぬ [;^J^]。仮に彼らに貴重なコレクションを寄贈したとして、彼らの子息がそのコレクションを廃棄/解体してしまわないという保証はどこにもないことは、最初に述べたとおりである。[_ _][;^J^]

 となると、図書館。図書館が(一般に)当てにならぬことも先述しているが、一部に例外的な図書館もある。たとえば、現代マンガ図書館ならば、「吾妻ひでおコレクション」として、散逸させずに保管してくれる様な気がする。問題は、この図書館にはそういうセンスと意欲があると期待できるが、キャパと人手が足りていない。誰もが閲覧できる状態に整理して保管してもらえないと、意味がない。(そこまで下拵(ごしら)えしてから、引き渡せばいいわけか..)また、現在の施設は物理的に不安である。火災や大地震に耐えられないと思うのだ。どこかに移転する予定があるという噂を聞いたことがあるのだが、先立つものがあるのだろうか..他の(寄贈先の)選択肢として可能性があるかも知れないのは、京都国際マンガミュージアムとか米澤嘉博記念図書館とか..しかしいずれもキャパが無限ではないし、現代マンガ図書館よりは(寄贈受け入れの)ハードルが高いような気がする。まぁ、問い合わせてみなければわかりませんが。いずれにせよ、どこに寄贈するにしても、死蔵されては意味がないことは言うまでもない。それはこちらからはコントロールできないからなぁ..

 考え方を変えて、個人図書館を開設してしまう、という手もある。一番簡単なのは、全部スキャンしてネット上で公開することであるが、言うまでもなく、著作権のクリアという、高いハードルを越えなければならない。

 それよりは、コストの廉い土地で小さな物件を入手して、物理的な図書館を開設するほうがまだしも簡単なのかも知れないが、この場合は、死後、誰にこれらの実体を引き継ぐのか、という当初の問題にループバックしてしまう..

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*2010年04月06日:アニマルファーム


 以前から、ひどく気になっていたのだが..勤務先から国道257号線を1キロほど南下したところに、「アニマルファーム」という大きめのペットショップがある。一度も入ったことは無いのだが..

 ..ここの経営者、ジョージ・オーウェルの「動物農場(Animal Farm)」を読んだことは、ないんだろうなぁ [;^J^] ..ホームページをパラ見した限りでは、この名作の書名にちなんではいないようだが..(まともな神経のペットショップなら、ちなまないと思うが。[;^.^])

 佐藤史生、逝去。合掌..

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*2010年04月07日:「ドイツ幻想小説傑作選」


 「ドイツ幻想小説傑作選 ロマン派の森から」(今泉文子訳編、ちくま文庫)を一読。珠玉の佳品ぞろいである。特選級は「金髪のエックベルト」(ルートヴィヒ・ティーク)と「ファールンの鉱山」(E・T・A・ホフマン)。前者の冒頭は変形雪女かと思われたが、後半、異様というか予想外の、妻の昔の罪の罰を夫が受けるという展開となる。ロマン主義の創作メルヒェンの嚆矢、幻想文学の祖、とのことであるが..ここまで書いて、ふとイヤな予感がしたので読書記録を検索してみたら、「ドイツ怪談集」(種村季弘編、河出文庫)所収の訳を、17年前に読んでいた。[;_ _][;_ _][;_ _][/_;]

 ..気を取り直して [;^J^]。後者は、地底で50年間保存された若者の死体と50年振りに再開した許嫁の実話に取材した作品であり、地底の鉱物の世界の魔力に囚われたのだという設定を与えたところに、ホフマンらしい妙味がある。

 「アラビアの女予言者 メリュック・マリア・ブランヴィル」(アーヒム・フォン・アルニム)に登場する「魔女」は、メーディア的な位置づけなので、そういう成り行きになるのかと思ったら、意外にも夫妻と和解して共同生活をし、しかし最終的には革命の動乱の中で(半ば)悲劇的結末となる。「大理石像」(ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ)はタンホイザー型であるが、通俗化・形骸化した似非ロマン主義からの脱却がテーマである。ほか、「アーデルベルトの寓話」(アーデルベルト・フォン・シャミッソー)を収録。

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*2010年04月08日:虚構の素材


 1984年に公開された2本の映画のそれぞれ1シーンについて、トリビアな話をしてみたい。2本の映画とは、「さよならジュピター」と「ゴジラ」(いわゆる「84ゴジラ」)である。

 現在ではいずれも(コアなSFファンや怪獣ファンからは)高く評価されているとは言い難い作品であるが、少なくとも「さよならジュピター」については、評価が不当に低すぎると思う。この映画の最大の問題点は、シロウト役者たちのボンクラ演技であるが、これは彼らの責任ではなく、わざわざシロウトを起用した意味を提示できなかった監督(と製作サイド)の責任と言うほかはない。当時の日本SF界の総力を結集したとまで言うと言い過ぎになるが、とにかく事前の(特にSFファンからの)期待が非常に高かっただけに、公開時の失望も大きく、そのため必要以上に貶されているということではないかと思う。全体の構想はまことに素晴らしく、リメイク(リベンジ)するに足る作品である。それに対して「ゴジラ」はねぇ..[;_ _] まぁ、今夜語りたいのは、映画自体についてではない。極めてささいな、ほんの1シーンの、特撮の「素材」についてである。

 いずれも手元にソフトが無いので、26年前の記憶に頼って書くが..「さよならジュピター」の1シーン。宇宙船(「スペース・アロー」だったかどうかは記憶が曖昧)の天井付近のパネルに、KORGのポリフォニックシンセサイザーPS−3300のパネルが埋め込まれていた。また、「ゴジラ」の1シーンでは、林田博士が、ゴジラの内部構造の分析をSONYの8ビットパソコンSMC−777で、リアルタイムにグラフィカルに行っていた。

 特撮において、大道具・小道具を、何もかも1から(ゼロから)作ることは現実的ではなく、使える素材があればそれで代用するのは、少しもおかしなことではない。「さよならジュピター」においては、宇宙船の内装を全部手作業で作り込むよりは、このシンセサイザーの雰囲気豊かなパネルをそのまま嵌め込むことで、時間とコストを抑えつつ効果をあげようとした。「ゴジラ」においても同様に、本物のスーパーコンピューター(あるいは見栄えのいい大型コンピューター)を用意するのはもとより論外、それなりのルックスのモックアップを作るのも手間がかかるということで、廉価に用意できるパソコンのうち、グラフィック画面の表現力が高いSMC−777を使用した。

 いずれも目的は正しいが、採った手段(解法)について言えば、前者(「さよならジュピター」)は正しく、後者(「ゴジラ」)は間違っている。

 「さよならジュピター」の宇宙船について言えば、この作品の時代設定は2125年であり、PS−3300の発売年は1977年であるから、もとより「全く異なる世界に属する」物件なのである。「さよならジュピター」の作品世界に「PS−3300」というシンセサイザーは存在しない。だから、宇宙船の内装に(現実世界でいうところの)PS−3300のパネルが嵌め込まれていても、それは「ウソ」にならない、少なくともリアリティを損なうことにはならないのである。それに対して、「ゴジラ」の時代設定は1984年、SMC−777が発売されたのは1983年であるから、「同じ世界に属する」物件なのである。にも関わらず、「ゴジラ」の中でSMC−777は、現実のSMC−777の能力を大きく越える性能を発揮していた。これは「ウソ」であり、作品世界のリアリティを損なっているのである..

 ..この違い、わかっていただけるだろうか。

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*2010年04月09日:失敗作とは珍しい


 会社での昼食は(面倒だから [;^J^])浜給の「A弁当」と決めている。味の好み・評価は人さまざまだとして、まぁ、特段、美味いとは思わないが、不味いというほどでもなく、廉くもあるし格別の不満を感じたことはなかった。

 ..今日の昼食までは。[;^.^]

 今日のA弁当はカレーライスだったのだが、どう優しく評価してみても、これは「焦げ臭い」としか表現のしようがない [;^J^]。スパイシーな味とか香りとかぢゃねぇ![;^.^]凸 ここまで問答無用の失敗作が出てきたのは、ほとんど始めてのことではあるまいか。まぁ、日記のネタにはなったからいいけどね。[;^J^]

 今日から3夜連続で、フジテレビ開局50周年特別企画「わが家の歴史」が放映される。当初は(ホームドラマには基本的に興味はないし)スルーするつもりだったのだが、手塚治虫が登場するという情報を聞き、あらまぁ、そういう話だったのか(実在人物が多数登場する戦後史の中での一家族を描くドラマだったのか)、と、あたふたと録画予約をしたという次第である。

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*2010年04月10日:「放射能X」


 今日から始まる「伊藤若冲 アナザーワールド」を、静岡県立美術館まで観にいく予定だったのだが、何しろ快晴。わざわざ混雑が約束されている初日にいくこともあるまい、と、湯風景しおりに行くことにした。[;^J^]

 クリーニング出ししてから行く関係上、クリーニング屋の開店時刻の10時までの時間が余ったので、先日録画した「放射能X」(1954)を観た。1時間半そこそこなので、こういう時間の穴埋めには手頃である。前回見たのは小学生の頃か? だとすると、ほとんど40年ぶりだろうか。僅か数シーンしか憶えていないのだが..

 ..少年時代の記憶(印象)を遥かに上回る傑作であった! SFマガジンの今年の3月号の「オールタイム・SF映画ベスト50座談会」なる企画で、添野知生氏が歴代1位にこの作品を挙げており、そこで、

「「放射能X」っていうのは、50年代のSF映画ブームのなかでもっとも早い時期に作られたというチャレンジ精神と、それでいてむちゃくちゃ完成度が高くて、これ一本で怪獣SF映画のスタンダードな構成を決めてしまったところがあると思うので。最初に怪事件があって、悲劇や謎があって、調査して戦う、っていう段取りですね。だから映画史的に見てもこれが一位でよかろう、と思いました」

 ..と語っているのだが、なるほど。

 冒頭から、息を付く暇もない。砂漠をさ迷い歩いている幼女を保護するパトカー。荒らされたキャンピングカー。そして、どこからともなく鳴り響いてくる「ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン..」という、不吉な音..素晴らしいサスペンスである。巨大蟻と戦う人間たちの行動が、完全に理に適っている(科学的である)のも、いい。

 10:40から14:00まで湯風景しおり。暖かいというより、はっきりと暑い [;^J^]。風が吹いているので、汗こそ流れはしないけど..

 ローソンエンターメディアよりメール。「WALKING WITH DINOSAURS」のチケットが当選した! \[^O^]/ 7月31日の11時である。ローソンにチケットを引き取りに行かなくてはならないが、それはまぁ、月曜日でいいか。

 「わが家の歴史」第二夜に、手塚治虫登場..文壇バーで(リボンの騎士の)サファイアのコスプレで [;^.^][;^.^][;^.^]。おそらくこういう性癖は無かったはずだか、まぁいいや [;^J^]。物語自体は非常に面白い。

 就寝前に確認。脚とか胴とかが色濃くなっておる。[;^.^](湯風景しおりで日光浴をするときは、顔をタオルで覆います。去年1年間で、それだけは学習しました。[;_ _][;^J^])

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*2010年04月11日:「わが家の歴史」


 今日は快晴ではないので、湯風景しおりに行く理由はない。(何故だ。[;^J^])じゃあ、静岡県立美術館(「伊藤若冲 アナザーワールド」)に行けば良いようなものだが、う〜ん、もうちょっと空いてからにしようかな..(← 怠惰スイッチ、入ってしまいました。これは大変まずい状態です。[;_ _][;^J^])

 私のメインのメアド(@rinc.or.jp)を「Gmail を rinc.or.jp ドメインで使う」というシステムに変更してから、どうも、とあるMLに投稿できなくなってしまっている形跡がある。(正確に言うと、受理されていない。)From: が "@rinc.or.jp" なのに、Message-ID: が "@mail.gmail.com" だからだろうか。(これは、推測に過ぎない。)Gmail に切り替えてから、ほとんどデフォルトの設定で使っているので、何か、MLのシステムが気に入らないフォーマットで送っているのかも知れない。まぁ、ぼちぼち調べますか..

 「わが家の歴史」、今夜の第三夜で完結。いや、これは実に、大変素晴らしかった! こういうドラマ(企画)を見ると、地上波(あるいはキー局)のテレビ番組っていいな、と、素直に思う。滅び行くメディア呼ばわりされてはいるけれど、ネットオリジナルのコンテンツには、なかなかこれだけのものはないのではないかなぁ。知らんけど。

 とにかく、脚本の出来がいい。

 戦後史のあらゆる場所に出現するつるちゃん [;^J^] の(ほとんど超現実的な)設定とか、戦後史上の著名人たちを綺羅星のごとく登場させながら、彼らは全員脇役に過ぎず、主要登場人物はひとり残らず無名の(歴史に埋もれた)庶民であるとか、それらはもちろん、ドラマツルギーの定石以外のなにものでもないのだけれど、基本(王道)を一歩も踏み出さずに、これだけのものを作れるというのは、やはり、プロの基礎体力なのであろう。

 良い俳優を大勢揃えている。個人的に特に気に入ったのが、一之瀬ゆかりを演ずる長澤まさみで、彼女の(現在の)持ち味とジャストフィットしているという意味では、キャスティングの勝利だったかも知れない。何というか..名演では“ない”ところが良いのである。藤原竜也演ずる手塚治虫は第三夜にも登場したが、第二夜のような奇矯な役作りではなく、ひと安心。[;^J^]

 すぐにDVD(とBD?)が出ると思うが、とりあえずは、今回の録画を保存版とする。

 昭和時代を支えたひとりである井上ひさし、逝去。合掌..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 15 2010
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