*2008年09月08日:サンプルについて
*2008年09月09日:吾妻ひでおのイラストを見繕う
*2008年09月10日:更新をスキップする
*2008年09月11日:原稿に悩む
*2008年09月12日:原稿に悩む(承前)
*2008年09月13日:ようやく、脱稿
*2008年09月14日:利根運河を歩く
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*2008年09月08日:サンプルについて


 (前にも似たようなことを書いたかも知れないが、ネタ不足は全てを正当化する。[;^J^])私の書架には、「あまとりあ」という雑誌が、1冊だけある。昭和26年発行の号。歴史的に名高い性風俗雑誌だが、それが1冊だけ。貸本劇画雑誌では、「影」が1冊、「X」が2冊。同様の例はほかにも多数ある。

 私はどちらかと言えば「全集志向」であり、特定の作家/漫画家/作曲家/雑誌などを、「全部」集めようとしてしまう傾向があるのだが、その一方で、こういう「ポツポツとした」コレクションも、実に多い。

 自分で分析するに..これは恐らく「サンプル」のつもりなのだ。その1冊は、けっして全体を代表していない。そのような(優れた、代表的な)号を吟味して買ったわけでもない..しかし「ランダムサンプリング」の結果と考えれば、意味がある。あたかも、「海底2万海里」のネモ船長が、地上の世界を永久に捨てて深海へと去り行く日に、新聞を購入して、ノーチラス号の図書室に備え付けたように..

 かくして、これらの散発的な(正直に言えばいい加減な)「サンプル」たちが、ロマンティックな色合いを帯びることになるのである。「海底2万海里」と結びつくことによって..

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*2008年09月09日:吾妻ひでおのイラストを見繕う


 吾妻ひでおの代表的なイラスト類を見繕って梱包して、A社のM氏に送る。といっても、原画や色紙の類にはもとより興味のない私である。数冊のイラスト集、美麗(あるいは代表的)なイラストを(口絵などの形で)含む単行本を数冊、それと、数十冊の単行本・文庫本のカバー。

 どうやらA社でイラストの歴史に関する本を企画しているようで、吾妻ひでおのイラストについては、ウェブからたぐって、私ならば色々持っているだろう、とアプローチされたという経緯である。

 前述のとおり、たいした持ち合わせは無いのだが、まぁ、協力できることはいたしましょう、という次第。M氏は「大切に扱います!」と言ってくれているが、書籍(イラスト集)を撮影だかスキャンだかするとなれば、思いっきり開くか、あるいは解体しなければならないはずである。別に構わない。二度と手に入らないような貴重品は送っていないしね。

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*2008年09月10日:更新をスキップする


 大遅れの原稿を、何がなんでも今週中には提出しなくては..というわけで、廃墟通信の今週の更新はスキップすることにした。仮に計画どおり「今週中」に提出できた場合、日曜日には日記を更新する時間が取れるかも知れないが..タイミング的に中途半端なので、多分来週、2週間分まとめて更新することになるだろう。(「先送り」と、それのもたらす悲惨な結末(未来において約束されたる重労働)についての、教訓的な事例である。[;^.^])

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*2008年09月11日:原稿に悩む


 自宅にいると、どうしても気が散る(ほかにやらなきゃならないことが沢山あるのが目に付いてしまう)ので、外に逃げるのである。外で書くのである。行き先は、「ゆう遊空間 宮竹店」か「湯風景しおり」である。漫画喫茶かスーパー銭湯というわけさ..

 ..切実感を感じてもらえないかも知れない(感じてもらえないだろう)、というリスクについては、承知しています..[/_;][/_;][/_;][;^.^]

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*2008年09月12日:原稿に悩む(承前)


 同じネタで2日連続書くことこそ、追い詰められている翔子証拠にほかならない、緊張感が伴ってきたでしょ(、と、書くつもりだったのに、変換ミス一発で、あらぬ妄想に迷い込んでしまって云々 [;_ _][;^.^])

 ..だけでは、あんまりなので [;^J^]。要するに文字数の制限が問題なのだ。明確に規定されている訳ではないが、他とのバランスを考えて、5千文字から最大8千文字。9千はありうるかも知れないが、1万は、無い..この文字数で、手塚治虫の怪奇幻想漫画について包括的に述べなければならないのだ。4万字なら圧倒的に楽だろうに..(40万字となると、それはそれで問題ですが。[;^.^])

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*2008年09月13日:ようやく、脱稿


 先日の日記に書いたとおり、明日(14日)の夜には、東京(正確には蒲田)でミニオフがあり、どうせ上京するのだからと、朝いちで千葉県野田市にまで足を伸ばして、利根運河沿いを歩くつもりである。つまり、今日中に脱稿して送信しないと、どんなに早くても明後日(15日)になる..ぶっちゃけ、ここまで遅れた以上、この程度は誤差範囲じゃねーか、と思わないでもないが、人として、そこは越えてはいけない一線ではないかという気も(錯覚だとは思うが)少しはするし。[;^.^]

 ..というわけで、なんとか書き上げて編集者のIさんにメールで送信したのが、午前2時過ぎ。やれやれ..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^] これから直しの指示は来るだろうが、ついにようやく、一段落である。ほんとに長くかかったなぁ..

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*2008年09月14日:利根運河を歩く


 ことの次第については、先週(9/4)の日記を参照していただくとして..

 5:00起床。(睡眠時間3時間。[;^J^])6:24に出て、6:57のひかりで上京。8:47上野発の常磐線に乗り、9:17柏着。柏に来るのも1984年以来である。東武野田線で運河駅に向かうのだが、途中に見覚えの無い駅が..流山おおたかの森駅? 妙に小じゃれたホームと交差している.. これが噂の、つくばエクスプレスか。帰りにはこれに乗ることにしよう。

 運河駅前の姿は、四半世紀前と全く同じ..てゆーか、変わらないにも程がある [;^J^]。ちっぽけな駅前広場の片面を占めていた酒屋は、ファミリーマートになっていた。その向かいの蕎麦屋は、ケーキ屋になっていた。あと、四半世紀前には確かに存在しなかった6F建ての(しかしこぢんまりとしている)ビルが建っていた。下の1〜2階が事業所で、上の4フロアほどはマンション、というタイプである..目に付いた大きな変化はこの程度。君ら(現地民諸君)は、この四半世紀、いったい何をやっていたのかねっ!、と、理不尽な逆ギレをしそうになった。[;^.^]

 それはともかく、利根運河沿いの徒歩旅行をしにきたのであった。今日のプランとしては、まず運河の北岸を利根川へ。南岸を戻って来ると、昼過ぎにここ運河駅に着くので、適当な食堂で食事。一休みしてから、引き続き南岸を江戸川に向かい、北岸を運河駅まで戻る..つまり、運河の土手を時計回りに16キロ歩く予定である。

 この経路のスタートポイントに、母校・東京理科大学理工学部の校舎がある。ここに寄るつもりは全く無かったが..しかしあまりにも目の前にありますのでね [;^J^]。それにしても、休日に部外者が構内に入れるものだろうか..はい全く、何の問題もなく、警備員の皆さんは通してくださいました [;^J^]。まぁ、校舎の中にまで入れるわけではない(と思う)ので、こんにち的なセキュリティ意識に鑑みても、この位はいいのかな。[;^J^]

 とはいえ、学内の散策は予定していなかったし、それほど時間が余っているわけでもない。適当に歩き抜けてから、しかしこの際やはりついでに、と、四半世紀前の下宿(アパート)の跡地を探してみることにした。徒歩5分程度のはずである。かつて理工学部の北側には、うっそうとした深い林があり、その中を歩き抜けたところに、私がトータル6年間も棲んでいたH荘があった。(Hなアパートではない [;^J^]。「ハ行」から始まる名称だというだけの話である。[;^.^])現存するはずはない。当時ですら、築20年は堅かったと思われるからだ。半世紀もつとは思えない..

 ..もちろん、影も形もなかった。当時、H荘の周辺と言えば、南側は(上述した)深い林、西側が林、北側が林、東側が野原、という荒涼たるものであり [;^J^]、玄関や廊下の窓など、ロクに密閉もされていなかったため、シーズンになると、廊下一面、一度に視界に入る範囲に限定しても、数十匹の大型カミキリムシが蠢いているという、素敵な環境 [;^.^]。その林も野原も、全て住宅地になっていた。当たり前である。それは全然構わない。構わないが..

 上述したH荘の南側の林を切り開いて作られた、ちょっと瀟洒な、なんとかタウン(1本の道の両側に、数十軒の一軒家が並んでいる)を理科大側に歩いて戻りつつ..妙な違和感というか錯覚にとらわれた..

 ..つまり、この小さな街並みが、「妙に古く」、その古さ故に、居心地がいいのである。具体的に言うと、どの住宅についても言えることだが、「庭が土っぽく、雑草が多い」のである。つまり、芝生で覆われていないのだ。落ち葉も多い。この小さな街の中のところどころに、猫の額のような公園スペースがあるのだが、それらも同じ。土っぽく、雑草っぽく、落ち葉っぽい。雑草と落ち葉については、単に前回の掃除から間が開いてしまっているだけのことかも知れないが、「土」は違う。要するに、この「街(の住宅や庭)」の「基本設計」が、「古色を帯びている」のである。私が感じた違和感の正体が、これだ。だって、この街は、私が卒業した時点では、まだ存在しなかったのに..

 ..ここで、正真正銘の衝撃に襲われた! そうか! 私が卒業した時点では、ここはまだ林だったのだが、仮にその5年後にそれが切り開かれて、この街が作られたとしても..それから既に20年が経っているのである! 古色を帯びていても当然だ! いくつかの施設の耐用年数が切れかけていても、少しも不思議は無いのだ!

 ..これには、参ったね..[;_ _][;^J^] 私が過ごしてきた歳月を、これほどまでにわかりやすくビジュアル化してくれた「現実」というものに、初めて直面してしまったよ.. そうだよ、大体、あそこを歩いている若夫婦、私が卒業した頃には、まだ産まれていなかった可能性(あまりのダメージに脳内のヒューズが飛び、以降、運河のほとりに戻るまで思考停止。[;^.^][;^.^][;^.^])

 ..さて [;_ _][;^J^]。何ごとも無かったかのように、運河の土手を歩き始める。まずは運河沿いの道を利根川に向かう。約5キロ。昔と変わらぬ風景が広がる。いい感じの農村風景やら原野やら..そしてまた驚くほどゴミが少ない..というか、ほとんどない。土手道の大部分がサイクリング道であり、車が通らないからだろう。利根川に着いた時点で、足が少々やばい状況になっていることには気がつかなかったフリをして、今度は対岸を運河駅に戻る..晴れてきた。

Picture Picture Picture

 暑い。そして往復2時間強かけて運河駅に戻った時点で、脚が上がらなくなっていた [;_ _][;^J^]。具体的にいうと、簡単には階段を上がれない状態である。実感として、ほとんど負傷しているに近い [;^.^]。ちょうど運河駅に帰ってきたところなので、このまま電車で引き上げるのが合理的で正しい判断。しかしまだ江戸川方向の6キロを踏破していないし、「16キロ歩く」と決めて来たんだしなぁ..と、妙なところで融通がきかない。[;_ _]

 駅前の寿司屋の座敷で1時間ほど体を休めて十分に鋭気を養ってから、江戸川方向に歩き始める..もちろん、5分後には後悔したが、今さら遅い [;^J^]。時速3キロ以下に落ちているのだが、なんとかかんとか江戸川に辿り着いたのだが..とにかく、脚の動かなさ加減は、これまでの人生で記憶が無いほどのものである。ほとんど摺り足。いくらなんでもこれはおかしい。疲れすぎだろう..これはやはり、1日に高々数百メートルしか歩かずに、会社でも自宅でも座りっきり、という生活を何年も続けたあとに、準備運動なしにいきなり4〜5時間歩いたからであろう。こんな事態は、これまでの人生では無かった、ということなのだろう。(数年前、コールセンターに勤務していた頃には、6.5キロの距離を徒歩で通勤していた。その頃なら、多分こんな体たらくにはならなかったと思われる。)

 東武野田線で流山おおたかの森駅へ。そこでつくばエクスプレスに乗り換えて、秋葉原まで25分ほど。やはり便利だ。とはいえ秋葉を歩き回る元気など皆無で、喫茶店で1時間程度座って脚を休め、水分を補給してから、京浜東北線で蒲田へ。18時から、吾妻ひでおファンの人たちと合計4人でミニオフ。21時前にお開きにして、21:37に品川でひかりに乗り込み、浜松駅着が22:50。

 浜松駅から自宅に直行することはせずに、タクシーで湯風景しおりへ。ジェットバスやら薬湯やらで30分ほど脚を養生してから、タクシーを呼んで0時前に帰宅。やれやれ、楽しかったけど、ほんとにくたびれた..[;_ _][;_ _][;_ _][;^J^]

 メールをチェックしたら、Iさんから、昨夜送信した原稿についてのリプライが届いていた。1個所のみ、書き直し(というか書き足し)の指示である。想定の範囲内、というより、想定より遙かに少ない [;_ _][;^.^]。とはいえ、この作業に、あと2〜3日はかかりそうだ。なにしろ、結論のパラグラフなのである。あと本当に、ひと踏ん張りだ..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 18 2008
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