*2006年05月22日:プロとアマチュア
*2006年05月23日:夢の中で..
*2006年05月24日:大きくなったら..
*2006年05月25日:メンバーチェンジ
*2006年05月26日:転居通知はやはり必要?
*2006年05月27日:「ダ・ヴィンチ・コード」
*2006年05月28日:ブログの陥穽
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*2006年05月22日:プロとアマチュア


 勤務先の物置で(問い合わせ応対用に)昔の機材を探していたら、私が学生時代(四半世紀以上昔)に欲しかった小型のミキサーが目に入った。懐かしいなぁ..

 身も蓋もない年寄りの昔話モードだが..昔のアマチュアと今のアマチュアには、決定的な違いがひとつある。昔のアマチュアは「プロ級の機材」は使えなかったのである。一年や二年のバイトで手の届く金額ではなかったからだ。(「男の60回払い」はあったが..)そして当時の(比較的廉価な)「アマチュア用機材」と「プロ用機材」とは、完全にランクが異なったのである。

 そこにまさしく、えも言われぬ楽しみと喜びがあったのである。このプアな機材群から、どうやって素晴らしい音を引き出そうか..私が持っていたのは、コルグのモジュール型モノフォニックシンセ「MS−50」、ローランドのポリフォニックキーボード「SA−09」(これは実に個性的な音が出る楽器であった)、同じく10バンドグラフィックイコライザー「GE−10」、同じくスプリングリバーブ「RV−10」、そしてTEACの4チャンネルカセットテレコ「144」である。これで全部である。当時の(アルバイトよりも勉学がメインの)学生としては、これだけ揃えるのもなかなか大変だったと記憶するが..これで「冨田サウンド」に対抗しようとしていたのである。

 素晴らしいでしょ?

 夢があるでしょ?

 もちろん、それはそれはチープなものしか作れなかったのであるが、それでも、工夫して工夫して工夫すれば、「灼熱の惑星を上空から見下ろしながら、ゆっくりと虚空を行く宇宙船」のイメージサウンドぐらいは作れたのである。このプアな機材群の能力を120%引き出せば。

 これらの機材は(大学を卒業する前に)全て処分してしまい、今は何ひとつとして残っていない。今、私がもっているのは、私自身が開発に携わった、ローランドの「Fantom−S」である。バリバリのプロ用機である。今どきは、この水準の楽器をアマチュアが普通に買えるのである。録音機材もそうだ。ほんの数十万円で、ほとんどプロ級のサウンドのCDを作れる環境がすべて揃ってしまう。

 この環境に「アマチュアとしての喜びがない」とは、口が裂けても言わない。しかし、かつての「低レベルのハードル」は、完全に消滅してしまった。今はアマチュアとプロの間には、より「高レベルのハードル」のみが残されているのである。そして..この「高レベルのハードルを実はクリアできていない、肩書きだけの(実力はアマチュアの)プロ」がいまや存在することもまた、事実なのである。われわれ電子楽器業界の長年の努力の結果として、そういう階層も存在しうるようになったのである。このことの是非は、ここでは問わない。

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*2006年05月23日:夢の中で..


 ..「究極の珍味」を味わう、という場面があったのである。確か、鯖の押し鮨のような料理で、下の階層から順番に、すし飯、分厚い鯖、すし飯、そして最上段が「五色の薬味」、みたいな料理だったと思う。で、その味だが..夢の中のことであるし、正確には憶えていないのだが..「すし飯と鯖と五色の薬味」の味がしたのであった。[;^J^]

 夢の中で「現実世界では観たことがないような、不思議な(素晴らしい)景色」を観ることはある。まぁそれもおそらくは、現実世界で観ているものの組み合わせに過ぎないのだろうが、少なくともその夢の中では「生まれてこのかた観たことがない!」、と、感嘆できる。ところが「味」となると、「生まれてこのかた体験したことがない!」という味に遭遇した記憶が、一度もない。「夢の中の味」は、体験を越えないのである。あなたはどうですか?(ついでに言えば、聴覚(音楽)、嗅覚、触覚についても、現実の体験を越えるものはないような気がする。視覚だけが特別なのか?)

 残業なしでT整形外科へ。リハビリ。

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*2006年05月24日:大きくなったら..


 太田裕美の「DOLL」を(何故か)聞き返していて思ったのだが..「大きくなったらなんになる?」「花嫁よ」..昔からの、少女の普遍的な夢である。しかし、「大きくなったらなんになる?」「人妻よ」..とは、言わないねぇ [;^J^]。なぜだろう? 同じことなのに。もしかして結婚式という「一瞬の快楽」だけが夢であって、その後の「結果」には夢なんかないのか? [;^.^]

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*2006年05月25日:メンバーチェンジ


 勤務先の部署には、4種類の社員がいる。「正社員」「契約社員」「派遣社員」「アルバイト」である。しかし、名札や制服で区別しているわけではないし、さすがに誰が正社員であるかぐらいは憶えているが、この人は派遣社員だったか、アルバイトだったか、契約社員だったか、思い出せないことも少なくない。さらに言えば、アルバイトから契約社員に、契約社員から正社員に、という移動もしばしばあるので、ますますわからなくなってしまうのである。

 そんな中で、わりと移動(出入り)が多いのは、アルバイトや派遣社員である。しばしば雇うし、しばしば退職する。で、問題 [;^J^] はここからなのであるが..40〜50人規模のこの部署において、ある人が退職した場合、少なくとも私は、そのことに気が付くのが(非常に)遅れることが少なくないのである。それは何故か。

 まず、シフト勤務体制である。全員が休日をずらしながら、一週間をカバーしている。つまり、毎日必ず10人近くが休んでいるのである。さらに、有休や代休などが組み合わさるので、とあるメンバーと1週間ぐらい顔を合わせないことは、珍しくもなんともない。そして「そう言えば2週間ぐらい顔を見ていない気がするけど」、と、フト気になってみたら..実は退職していました、というわけだ。

 次に、私が「木金休み」だということも原因である。どうやら、退職する人は「金曜日」までの勤務、というケースが多いようなのである。(自然な発想だと思う。)そして、数日前から「実は今週一杯で..」と予告してくれればまだわかるのであるが、どうも当日(の朝礼か終礼)でサプライズ、というパターンが多いらしく、木金休みの私は、その現場に居合わせていない、というわけだ。

 メンバーの「一覧表」はあるのである。「行き先表示板」に、40〜50人分の名札が貼ってある。しかし..当たり前の話だが、「そこにいる人」はすぐにわかるが、「そこにいない人」に気が付くのは、非常に困難なのである。

 T整形外科でリハビリ。I内科で薬。昼食は久しぶりにココイチ。季節メニュー?の野菜系のカレーの宣伝文句に「野菜をザク切り!」..なぜウケタんだろうね、我ながら。[;^.^]

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*2006年05月26日:転居通知はやはり必要?


 T整形外科でリハビリ。昼食は浜松環状線の浜松西インター近くのスシロー。このチェーン店に来るのは始めてであるが、まぁ、値段相応の味である。

 rincのページへの(転居しましたという)立て看板の件。アクセスがゼロ収束したというのは大きな勘違い。面倒なので子細は略すが、全体としてみるとせいぜい「半減」である。まだまだrincのページへのアクセスは多い。あと5日間で、このページは物理的に消滅してしまい、その暁には立て看板も見えなくなってしまう。せっかくアクセスしてくれたのに、読んでもらえなくなる。目的意識をもってアクセスしてくれた人は、グーグル等で検索しなおしてくれるかも知れないが、少数派だと思う。大抵の人は、「なくなったんだな」、とだけ思って、それまでである。

 とはいえ、この「廃墟通信」のrinc側へのアクセスは、10分の1ぐらいに減っている。それは、このページの読者が(ほぼ)毎週読んでいて、事態に気が付いているからだと思う。「手塚治虫」や「吾妻ひでお」や「ベルリオーズ」や「2001年」のページに、毎週アクセスする人がいるとは思えない。月に一度どころか、年に一度の可能性もある。そういう人々に対しては、実は「告知期間」が一ヶ月あっても、全然無意味なのであるよなぁ、考えてみれば当たり前の話だが。

 やはり、各リンクリストのオーナーへの「転居通知」は必要かなぁ..しかし前回の経験で言うと、直してくれる人は、1割しかいないんだよなぁ..(ひとのことは言えない、私が誰かから転居通知をもらっても、大抵、面倒だから直さないと思う。[;^J^])う〜〜、どうしよう、どうしよう..

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*2006年05月27日:「ダ・ヴィンチ・コード」


 「ダ・ヴィンチ・コード(上・中・下)」(Dan Brown、越前敏弥訳、角川文庫)を読みました。ええ、読みましたとも。読んで悪いか。[;^J^]

 読み始める前は、う〜、3冊もあるのか、しんどいなぁ..と気が重かったのだが、読み始めてみたら、なんとも内容(というか文章)がスカスカで読みやすく、まぁさすがに1日以上はかかってしまいましたが、全く負担のかからない読書体験ではありました。きょうびのベストセラーの条件かね。蘊蓄がどーたらこーたらという前評判だったので、もしかして「黒死館殺人事件」(小栗虫太郎)みたいな!?、と恐れつつ期待していたのだが..対極。[;^.^]

 なんだ、マグダラのマリアの話かよ。なんで今さらこんなのが騒ぎになるんだろ。要は「アマデウス」みたいなものかな。あの映画で始めて「サリエリ」の名前と「モーツァルト毒殺説」を知った人々が多かったのだと思うが、サリエリは昔から音楽史上の著名人だったし、毒殺説も(真偽はともかく)200年前からの流説。マグダラのマリアとイエスの結婚説も、200年とは言わないが、20年ぐらい前?(もっと昔?)から語られていたはず。何を今さら。ただ、「最後の晩餐」でイエスの右隣に「女性がいる」というのには、私も気が付いていませんでした。これは確かに盲点だった。しかしこれが「マグダラのマリアである」というのは楽しい仮説だが、じゃあ使徒ヨハネはどこに行ったんだ?、という点については、触れられていませんな。(読み落としたかな?)

 ミステリとして評価してみると..正体不明の「導師」が序盤から登場し、これが(真犯人かどうかはさておき)「黒幕」であることは間違いなく、さて、役者も出そろってきた中盤以降、誰が「導師」でありうるかと考えると、もうほとんど自明としか言い様がない。この「軽さ」も値打ちなのかねぇ。

 まぁ、フツーに面白いフツーの小説である。未読のあなたに薦めはしない。止めもしないけどね。

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*2006年05月28日:ブログの陥穽


 この「廃墟通信」は、「広義のブログ」ではあるらしい。「広義のブログ」の定義というのも良くわからないが、昔聞いた説によると..「今も定期的に更新されている」こと、「現在のブログから、過去の記述へのリンク(一覧)があって、誰でも読める」こと、「過去の記述には日付が入っている」こと。なるほど、確かにこれらの条件は充たしている。

 しかし「狭義のブログ」でないことは間違いあるまい..といいつつ「狭義のブログ」の定義もしていないが [;^J^]、要するに、ブログ専用ツールを使って作られるのが狭義のブログであろう。ここではそのように定義する。

 さて、その「狭義のブログ」であるが、今さら語ることなど何ひとつない。世間で完全に語られ尽くしている..のだが、つい最近、思わず感嘆してしまった事例があるので、それは述べておきたい。

 (敢えてリンクは張らないが)「島本和彦」のオフィシャルページである。従来、普通のWeb日記だったのだが、最近(狭義の)ブログに移行したのである。そして..まさに私は目を疑った。文章の質が、完全に変わってしまったのである。というか、従来の「Web日記」には「文章」が書かれていたのである。「ブログ」には文章が書かれていない。思考の断片。しばしば思考ですらない、脊髄反射の記録..

 ..別に、ことの良し悪しを述べているのではない。ただ、従来(曲がりなりにも)文章を書いてきた、文章を「書ける」人が、ツールをブログに変えた瞬間、文章を書かなくなった(書けなくなった?)のである。

 もちろん、一般化するつもりはない。立派な「文章」が書かれているブログが無数に存在することも知っているし、いくつかは読んでいる。しかし、「ブログをしていると文章を書かなく(書けなく)なる」という傾向も、確かにあるのではないか。

 島本和彦自身、そのブログの中で書いているのだが、「簡単に更新できる」ことが本質的なのではないか。そもそも「更新」という概念があるのだろうか。それ自体はいいことかも知れないが、自分の書いた文章(あるいは「文字」)が簡単にインターネットに載る、というお手軽さ故に、一瞬たりとも自分で読み返していないだろう、という文章(あるいは「文字列」)が山ほど公開されているのではないか。

 もちろん、自分の文章を読み返さないのは自由だが、それを読みに来る人が100人いるとすれば、それは100回読まれるのである。人気ブログなら10万人ぐらいは読みに来ると思うが、その場合は10万回読まれるのである。10万回読まれる文章だからといって10万回推敲する必要はないと思うが、せめて10回は推敲すべきではないのだろうか。それが、読者の時間を頂戴する者の礼儀というものではないだろうか。(廃墟通信の推敲回数は、ここ最近は平均3回です。[_ _])もしかすると「読者」という概念自体、ないのかも知れないが。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 1 2006
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