*2004年01月19日:入札負け
*2004年01月20日:2台目のLDP
*2004年01月21日:因果の謎
*2004年01月22日:痛さの冬
*2004年01月23日:「ローマ三部作 シンセサイザーバージョン」
*2004年01月24日:自暴自棄?[;^.^]
*2004年01月25日:ある教師の想い出
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*2004年01月19日:入札負け


 こだわりやまのカウンターにてヤフオクにアクセスし、「テレビマガジン 1972年12月号」の落札間際のせめぎ合いをしているところに、いつもの友人がやって来た。約10分後、友人が見物している前で、せめぎ合いに負けた..というより、降りた。敵手の気配が不穏だったからである。金銭感覚がキレていたからである。(← お前が言うかお前が。[;^.^])このままでは、いつぞやの 大流血半死半生事件 の二の舞になりかねない..

 ..というわけで、今回は見送った。まぁ実際のところ、この物件に関してどうしても必要だった情報は、ゲット済みだったのである。「出品者への質問」で、この号に掲載されている「魔法使いチャッピー」(吾妻ひでお)が、確かに「最終回」であることを、既に確認していたからである..が、もちろん、現物と単行本を比較照合したいわけなのであって、入手できるに越したことはなかったのだが..ま、次の機会を待ちましょう。

 ちなみに、私の買い物(落札)は、こういう「情報取得を目的とする」ケースが多く、この場合は当然、「美本」である必要は無い。該当頁や奥付が切り取られたり破損したりして読めないのは困るが、そうでなければ、ボロボロでも構わないのである。そのようにして買い集めたボロボロの古雑誌群は、(市場価値など無いので)転売できるものではなく..結果として、溜まりに溜まってゆくのである。この、廃墟の部屋に..[;^J^]

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*2004年01月20日:2台目のLDP


 ニフのFCLAの友人のAさんから、マランツのレーザーディスクプレーヤー、CDV−390が届いた。無論、中古品。格安で譲っていただいたのである。

 既に新品のLDプレーヤーが入手し難くなっている、このご時世。いずれ必ず再生できなくなる数百枚のLDソフトを、なんとしてでも救済しなくてはならない..大体、10年近く積んだまま未開封のソフトも、少なくとも数十枚、あるのだ。早急に手を打たないと、こいつらに取り殺される..[;^.^](なかには、「どろろ」BOXとか「バンパイヤ」BOXとか、人間を取り殺してもなんの不思議もないような奴らもあるしよぅ..[/_;][;^.^])

 やるべきことは、決まり切っている。DVDへのコピーだ。しかしそれ以前に、LDプレーヤーが動作しなくては話にならない。私が使っているLDプレーヤーは故障もせずに動いているのだが、これが実にパイオニアのCLD−7であって、20年近く前に購入した機種。確か一度も修理(メンテ)に出していないはずだ。これが何故、今なお動いているのか、私には理解できない [;^.^]。(実は何年も前から動作していなくて(死んでいて)、私は幻想(幻覚)を観ているだけだったりしてね。[;^J^])..というわけで、少なくとも(DVD化が終わるまでの)向こう1〜2年間(2〜3年間?)のLD再生環境を安定させるために、セカンドプレーヤーを確保した、というわけなのだが..動作確認している時間がな〜い。トホホ..[/_;]

 本日の夕食は、三方原のいずみ庵。いつもの友人に預けておいた某物件を引き取りがてらである。

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*2004年01月21日:因果の謎


 この季節になると、いつも痛感するのだが..

 寒いと眠くなる。

 眠いと寒くなる。

 ...

 ...

 変温動物やんけ、やっぱ! [;^.^]

 こだわりやまのカウンターにて、日記を更新。最近この店のメニューに入った「ニンニクの肉巻き串」が好物なのだが、今日のこれには、死ぬほど辛いのが、ふた粒ほど混ざっている [;_ _]。あまりの辛さにワインを何杯もがぶ飲みしても、口の中の火を消火出来ない。[;_ _][;^.^]

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*2004年01月22日:痛さの冬


 今日も、こだわりやま..

 ..後悔した。帰宅時に。(← 倒置法。)

 23時少し前。バス停を降りてから、自宅までの徒歩10分..


寒い冷たい痛い寒い冷たい痛い寒い冷たい痛い寒い冷たい痛い..!!


 ..寒風で顔が切れるかと思った。やっぱりタクシーにすれば良かった..というか、そもそも出かけるんじゃなかった..[;_ _][;_ _][;_ _]

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*2004年01月23日:「ローマ三部作 シンセサイザーバージョン」


 「レスピーギ:交響詩《ローマ三部作》」(野尻修平、DENON、COAQ−21)。DVDオーディオ・フォーマットである。この規格、どのくらいポピュラーなのかは知らないが、取りあえず私はDVDオーディオプレーヤーを持ってないのだが..しかしDVDビデオプレーヤーでも再生可能なので、私の廃墟城でも聴くことができるという次第である。DVDオーディオプレーヤーならば48kHz/24ビット、DVDビデオプレーヤーならばドルビー・デジタル。いずれにせよ、私の(ハイ落ちしている)聴覚には関係の無い話だろう。いずれのフォーマットでも、5.1chなのだが..残念ながら、私の再生システムは2chであり、本来の立体音場は再生できない。

 ..という制約のもとで聴いてみたわけなのだが..

 ..つまらん。印象に残らない。電子楽器業界の一員としては、残念なことなのであるが..

 いわば「冨田勲型」の作品であり、クラシック音楽を(原曲のイメージを損なわずに)シンセサイザー作品にアレンジしたもの。「冨田勲型」というのはある意味当然で、野尻修平は、冨田勲の薫陶を受けているのである。

 公平に言って、さしたる印象を受けなかった責任の半分は私にあり、つまり、5.1chの立体音響で聴くべきだったのだ。野尻修平は「音場」表現に心血をそそいでいるらしいのだから..しかしそれにしても、音自体・音色自体の魅力が、もっとあるべきではないか..いや、あるいは..

 冨田勲まで話を戻す。誰もが認める最高傑作は、第一作の「月の光」であろう。このアルバムは、確かに音色の魅力が圧倒的であった。今聴き返してみても、そう思う。これに次ぐ傑作は、やはり、「惑星」「展覧会の絵」「ダフニスとクロエ」あたりか。「宇宙幻想」「バミューダ・トライアングル」あたりになると、ちょうど私がシンセサイザーによる音作りに入れ込み始めた時期に重なるので、一般的な公平な評価が難しい。(「僕ならこうする」等などの様々なバイアスを込みにした上での、物言いになってしまうので。)そして、「ダフニス」はともかくとして、「展覧会の絵」と、そして特に「惑星」は、音色の魅力以上に「物語のアイデアの魅力」が、圧倒的であった..というか、(確か第4作目くらいではなかったかと思う)「惑星」の頃には、既に「シンセサイザーならではの、未だかつて誰も聴いたことの無い音色の魅力」は、メインでは無くなっていたのである。むしろシンセは、「冨田勲の物語的アイデアを具現化するための道具」として、機能していた。(現実のオーケストラを使うと、冨田勲版「惑星」のストーリーを、実現し難いのである。)

 賛否両論あるだろうが、シンセサイザー(あるいは電子楽器)の重要な機能は、ここにあるのであろう。「未だかつて無い音を作り出す機能」ではなく、「未だかつて無いアイデアをサポートする機能」。そして、この「ローマ三部作」では、その「未だかつて無いアイデア」は「音場」であり、そして私の自宅の再生環境では、その「アイデア」を再現することは出来なかった、というわけだ。

 もとより、冨田勲は極めて早い時点から「音場」に着目して軸足をそこに置いており、彼の弟子である野尻修平が、そこに力点を置いたのは、ある意味、自然である。しかしそれにしても冨田勲の掌から一歩も出ていないとは思うが、まぁ、これからだろう。

 一般大衆が「インターネットに常時ブロードバンド接続している」ことを、「ある程度は」前提にしても良い時代になった。そこから敷延すれば、一般音楽聴衆が「5.1ch環境にある」ことを、「ある程度は」前提にしても良い時代がやってきつつあるのであろう。その意味では、「5.1ch」でなければどこが面白いのか判らない音楽ソフト、というのは、確かにありうる..ま、頑張ってくれ。

 (しかし、このDVDオーディオで一番ウケたのは、野尻修平の顔写真である [;^J^]。全くもう、絵に描いたような「シンセサイザー少年面(づら)」。[;^.^])

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*2004年01月24日:自暴自棄?[;^.^]


 午前中は、若干の掃除..というか、不要品の廃棄。クリーニング出し。午後から休日出勤。

 帰宅してから、今週火曜日に届いたLDプレーヤー(Aさんから購入したもの)の動作チェック。問題無し。Aさんのぱるる口座にネットで振り込む。

 しかし、このLDPを活用して大量のLDのDVD化を開始するにしても、(実は、DVDレコーダーを買うのも、これからだったりするのだが [;^J^]、)まともなAV環境を整備しないとなぁ..大型でなくてもいいから、そこそこのサイズのモニターとか、スピーカーとか、とかとかとか..

 ..もう、考えるのが面倒だから、何もかもSONYにしちゃおうか?

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*2004年01月25日:ある教師の想い出


 理科系の大学における、「文学」の授業の追憶ばなしである。もちろん、教養課程(1年目か2年目)である。

 なかなかユニークな先生であった..というか、「なるほど、大学の先生というのは高校と違って、何を教えても良いのだな」、ということを初めて知ったのが、この先生の講義を聴いた時のことだったような気がする。[;^J^]

 もう、細かいことはほとんど忘れているのだが、確かに話題は豊富であった。『撰集抄』所収の、「西行が高野の奥にて人を造る話」は、この講義で知ったはずだ。実にスリリングな体験であった。先生は漫画に関する造詣も深く、「風と木の詩」や「火の鳥」の話をしばしばしていた。

 基本的に右翼であった..少なくとも右翼陣営における(精神的?)顔役のひとりであったようだ。三島由紀夫の割腹自殺事件の直前、「盾の会」の面々が、この先生の自宅に何度も詰めかけて、わいのわいのやっていたと言う。

 「それは“作り”だろう」、とは思わなかった。ハッタリ(フィクション)とは、到底思えなかったのである。「何しろ、もうそろそろ彼らの親分(三島由紀夫)が自決しようという時期ですから..私は知りませんでしたが、もちろん、彼らの間では、そのことは予めわかっていたようですが..そのせいか、緊張感が凄くてね。もう、腹を壊す壊す。で、私のうちのトイレに入れ替わり立ち替わり入るわけですが..連中、袴を履いているでしょう。で、トイレの中で切羽詰まっているわけですから..どいつもこいつも粗相して袴を汚して、臭くて閉口しましたよ、あの時には..」..これほどリアルで尾籠な話を、作ることができるとは思えないのである。これは確かに、彼の実体験であったのだ。

 この先生の講義でもっとも印象的だったのは、毎回用意される「資料」であった。確かA3用紙2〜4枚ほどに、ぎっしりと書き込まれた「ガリ版刷り」。全部取っておけば、相当貴重な知的財産となったはずだが、もちろん、全て散逸。1枚も残ってはいない。先生としても、大学の教養課程の講義などで使い捨てずに原稿用紙に書き溜めておけば、毎年毎年、非常に立派な専門書が上梓できたはずであるが..そんなことは気にも留めていなかったようである。

 顔も名前も覚えていないのだが、確かに、素晴らしい先生であった。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jan 29 2004 
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