*2002年12月30日:伊勢丹大古本市/帰省
*2002年12月31日:西和彦氏からのメール?
*2003年01月01日:曇天の元旦
*2003年01月02日:快晴の二日
*2003年01月03日:「ガラス玉遊戯」
*2003年01月04日:古書市ハシゴ/「ウロボロス」
*2003年01月05日:ウィフレド・ラム展/秋葉オフ
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*2002年12月30日:伊勢丹大古本市/帰省


 8:10発の東名バス(3700円)で帰省する予定だったのだが起きられず、10:02のひかり(7560円)。差額、3860円である。3860円の、大損害なのである。[/_;][/_;][/_;]

 昼過ぎに新宿着。伊勢丹デパート恒例の大古本市。今日が最終日である。3860円の衝撃さめやらず [;^J^] もっぱら大人しく(財布をいたわりつつ)眺め回っただけ。収穫は3冊。マレイ・ラインスターやレイ・カミングスの古典SFなど。

 渋谷まんだらけに寄るも、相変わらず収穫無し。それにしてもいつもながら驚くのは、買い取りカウンターの長蛇の列である。(中野店では、買い取りカウンターのラインを確保するためだけに、一店舗分のスペースを割いているほどだ。)

 横浜の実家へ。

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*2002年12月31日:西和彦氏からのメール?


 西和彦(nishi@*****.***)という人から、メールが届いた。アスキーの西和彦らしい..が、どう考えても、これはアドレス(並びに本名)詐称である。

 廃墟通信の1997年12月20日の日記「高橋葉介調査」に噛みついているのだが..クリックするのも煩わしいだろうから、この日の日記の該当個所を引用すると..


 さらに神保町に向かう地下鉄の中で「週刊アスキー」の吊広告が目に入る..週刊アスキーって潰れたんじゃなかったか? 復刊したのか? どうも見出しを見ていると、新創刊という雰囲気が無いんだが..

 わはは、これはなんだ、「西和彦のデジタル日記」大好評連載中![;^O^]

 で、でじたるにっきぃ..? これほどイモなタイトルを、天下のアスキーの看板?雑誌の看板?コラム(何しろ執筆者が西和彦である)につけて、大丈夫か?>アスキー。

 どう贔屓目に見ても3年前のセンス。しかもおやじ入ってる。(まぁ、西和彦は、20年前からおやじ系だったが。)


 ..これに対して、自称「西和彦」曰く、(アドレス詐称に決まっているメールなので、差出人の許可を得るまでもなく全文転載すると、)


おい、なんで俺がオタクなのか

お前のほうがよっぽどおたくなのじゃあないか

昔のことだけど、今になってみたら、どうなってるか見てみろ

週刊アスキーは売れてるぞ!

 ..ちゃんちゃらおかしいとは、このことである。

 以下、差出人が「西和彦」とは考えられない根拠を列挙するが、要するに、様々な意味で「スキルが低すぎる」のである。私は西和彦氏の人となりは知らないが、人品がこれほど卑しいとは考えにくい。

 まず、メールのサブジェクトが、「おまえのホームページ」、なのである。一面識も無い人間に対して「おまえ」は無いだろう。さらに、「ホームページ」ときたもんだ。世間での慣用はいざ知らず、西和彦ほどのキャリアの持ち主なら、「ウェブページ」か「ウェブ日記」と書くべきところだ。

 次に、このメールが(例によって)「“無意味な”HTML形式」であることだ。画像を入れたりフォントに凝ったりするのならばともかく、ただのテキストファイルであるにも関わらず。いかにも無知である。

 そして何より決定的なのは..私は日記の中で西氏を「おやじ」呼ばわりしているのにも関わらず、「なんで俺がオタクなのか」、と、噛みついてきていることである。言うまでもないことだが、「おやじ」と「オタク」は、全く次元の異なる概念なのである。西和彦本人であれば、これほど基本的なことがらが判っていないはずがないのだ。

 まぁ、恐らくは、私に対してむかっぱらを立てている誰かさんが、(あまり自覚していないが、ネット上には敵が多いらしいのです [;^J^] 面と向かって?難詰メールを送って来るほど肝の据わった人は、過去14年間で5人といなかったが、私が読んでいない場所では、ガンガン叩かれているらしいのだが、)「虎の威」ならぬ「西和彦の威」を借りて、私を脅しにかかったのであろうが..おおはずれ。お疲れさまでした。

 だいたいなぁ..こともあろうに、この倉田に対して、「お前のほうがよっぽどおたくなのじゃあないか」、とは何事だ!

 私を持ち上げてどうする!\[^O^]/

 ..思わず、大喜びしてしまったじゃあないか。[;^.^]

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*2003年01月01日:曇天の元旦


 曇天。近年ずっと、横浜では元旦は快晴だったのだが、久々に朝からどんより。これをさらなる景気悪化の徴候とみるか、近年の不景気からの脱却の徴候とみるかは、心の持ちようひとつである。

 終日、読書。

 夜、米国から一時帰国中の妹夫婦が、甥&姪込みで来訪。米国事情など聞く。アチラ(シカゴだったかな)の学校では転校(転入&転出)の挨拶などなく、いつの間にか級友が増え、いつの間にか級友が減っていること。(こんな環境では「座敷童子」の概念の発生のしようもあるまい。全くツヤ消しなことである。)成績優秀な生徒には「宿題切符」が発行され、これを行使すると(その日の)宿題は免除になること。(本末転倒では。[;^J^])日本式の「(栄養のバランスを考慮した)給食(弁当)」などは存在せず、昼食は(生徒、教師問わず)ビスケットやお菓子などで済ませることが珍しくないこと、などなど。

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*2003年01月02日:快晴の二日


 快晴。終日、読書。

 実家のあたりも、徐々に様変わりしている。なかでも、「白根通り」と称する道路の(路幅)拡張工事が、延々と延々と延々と延々と続いているのだが、(何しろ、鶴ヶ峰駅から横浜動物園にアプローチするための幹線道路なのだ、)もしかすると100年計画ですか? ま、周辺の古い店や民家は、随分取り壊されましたが..密かに「小・九龍城」と呼んでいた(魔窟系・廃墟系)マーケットが消滅して、小綺麗で無個性なアパートになってしまったのは、いかにも残念なことであった。

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*2003年01月03日:「ガラス玉遊戯」


 鶴ヶ峰駅前まで、革靴の靴紐を買いに行く。(12月25日に切れて以来、そのまんま履き続けていたのです。[;^J^])自宅を出た頃から曇っていたが、帰路、天候が崩れて雪に見舞われ、都合25分間、八甲田山する。

 ここんとこずっと、まとまった時間を取れず、もっぱら短編集しか読んでいなかった。正月休みは長編を読むチャンスである..ということで、積読の山の中でも特に気になっていた「ガラス玉遊戯」(ヘルマン・ヘッセ、角川文庫)を読了した。

 「ガラス玉遊戯」とは、作者が創造した「観念的・人工的な遊戯」であり、架空の教育州(教育都市)「カスターリエン」の根幹を為している。「音楽」と「瞑想」に基礎を置くこの「芸術」は、「ひ弱な花」であり、過去を尊び分析し再利用するのみ。なんら新しい創造を行わない..

 ..となると、どうしたって、論語の「述而第七」冒頭の「述べて作らず、信じて古(いにしえ)を好む」を、直ちに想起せざるを得ないが..実際、本書中では孔子に対する言及も多いので、作者は実際に意識していたのかも知れない。(あるいは、「孔子」に対する言及は単なる「かっこつけ」で、実際には読んでいなかったのかも知れないが。)

 過去の(価値ある)文化遺産の再利用であるところの「ガラス玉遊戯」は、現代の「サンプリング」「リミックス」を強く想起させるが..いったん「解釈」し直し「抽象化」した上で「パーツ」として取り扱うところが、異なる。なんにしても、こんにちの文化状況に対する、ひとつのヒントになりそうである。

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*2003年01月04日:古書市ハシゴ/「ウロボロス」


 新宿京王デパートで開催されている古書市と、松屋銀座で開催されている古書市を、ハシゴする。伊勢丹大古本市から始めてみっつ並べると、この順に規模が小さくなり、この順に「書画・骨董」の割合が増え、この順に平均単価が上がって行く。実際、高い物件の多い松屋では、ついつい感覚がおかしくなり、普段は絶対に手を出さない価格帯の商品をレジに持っていきそうになるので、要注意である。[;^J^]

 収穫は、計5冊。

 この正月休みの長編消化第2弾。「ガラス玉遊戯」どうよう、ずっと昔から気になっていた「ウロボロス」(エディスン、創元推理文庫)読了。

 極めて雄渾な傑作。特にキャラクタ造形に優れ、また、自然描写もスケールが大きい..しかし、この「結末」は..[;^J^]..言われてみれば遙かな昔、「『ウロボロス』はこういう“終わり方”をする」、という解説を、どこかで読んだような気がしてきたが、今回幸いにも読了するまで、そのことは全く思いださなかったが、しかしそれにしても、この「結末」は..[;^J^]..“英雄たち”はともかくとして、“民草”の立場はどうなるのだ..眼中にありませんか、そうですか。[;^J^]

 強敵を滅ぼしてしまった“唯一の超大国”(の“支配者たち”)が何を夢見るのか..という観点から見ると、意外にこんにち的な寓話であると言えるかも知れない。

 TVで「ホワイトアウト」。私は映画館で観ているので、(今回、初めてこれを観る)母を“サポート”するために、後半だけ一緒に観た。(ご存知の方も多かろうが、終盤に仕掛けられている「大トリック」が、ぼんやり観ていると判りにくいのである。)

 気になったのは、(ヒロインを演ずる)松嶋菜々子が自動小銃でテロリストのひとりを射殺する(松嶋菜々子ファン的には最も“そそる”[;^.^])シーン。私の記憶違いでなければ、TV放映に際してここが“数秒間”カットされており、そしてそのカットのために、やや意味不明になってしまっているのである。

 松嶋菜々子は(ドアが開いたままの)エレベータの中で自動小銃を構え、エレベータの外から迫ってくるテロリストと対峙している。彼女は必死になって引き金を引くが、弾は出ない..エレベータのドアが閉まる..すぐにドアが開く..彼女が構える自動小銃が火を吹き、テロリストは倒される..

 ..なんか変でしょ? なぜ、急に撃てるようになったの? これを観ていた母も妹も、「あれ?」、という顔をした。

 映画館で観た時は、確か、以下のようであったはずだ..

 松嶋菜々子は(ドアが開いたままの)エレベータの中で自動小銃を構え、エレベータの外から迫ってくるテロリストと対峙している。彼女は必死になって引き金を引くが、弾は出ない..テロリストはせせら笑いながら、「お前には撃てねえよ..安全装置を外すんだよ..」、と、余裕をかます..次の瞬間、エレベータのドアが閉まる..すぐにドアが開く..彼女が構える自動小銃が火を吹き、テロリストは倒される..

 ..つまり、いらんことを教えた次の瞬間、彼女にそれを実施する時間の余裕が出来、そのためにテロリストは(自業自得だが)殺されたのである。(まぁ実際には、「安全装置を外せ」と言われても、どうやったら外せるのか、数秒間で判るわけはないと思いますが、それはそれ。)記憶違いじゃないと思うがなぁ..

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*2003年01月05日:ウィフレド・ラム展/秋葉オフ


 冬休みは今日まで。まず、桜木町の横浜美術館へ。「ウィフレド・ラム展」である。

 朝いち(10時の開館直後)に入ったためか、美術館全体が「貸切状態」である。(物音から判断するに、私の次の観客は、20分以上経ってから入館したらしく、従って、彼らとは全く顔を合わせなかったのだ。)「私ひとりのために、世界各地から、これらの至宝を集めてくれた」とは! [^J^] まさに王侯貴族の愉しみである。

 壁には、シュルレアリスムの神髄とも言うべき、魔術的な絵画群。観客は私ひとり。要所要所に(ほぼ等間隔で)身動きひとつせずに座っている(静物的な、監視員の)女性たち。もろに、デ・キリコ的状況である..(彼女らが全裸であれば、ポール・デルヴォー的状況だったのだが..残念なことである。[;^J^])中にひとり、よほど眠かったらしく、船を漕いでいる女性がいたが..動くなよ、動くなってば! あんたは“静物”なんだから! [;^.^]

 図録を購入してから、11時少し前に退去。(常設展にも素晴らしい作品が数多くあることは知っているのだが、今日はこのあと予定があり、さらに1時間を常設展に割くことは出来なかったのだ。)京浜東北線で、秋葉原に直行。

 FCLA恒例の新春秋葉オフである。定刻の12:30までにワシントンホテルのロビーに集まったのは、常連のR氏、K氏、それに私の、計3人。(途中でB氏、Y氏が加わり、最終的には5人。)

 ラジ館のエフ商会、石丸ソフトワン、ツクモパーツ王国、ツクモケース王国、ツクモロボコン王国、あきばんぐ、あきばお〜、カクタソフマップ、T−ZONE AKIBA PLACE、じゃんぱらの順に回る。また、店内に入らないまでもジャンク系の路上ショップを(移動中に)見て歩く。

 特筆すべきは、ソフトワンで、誰ひとりとしてCDもDVDも買わなかったことである。私について言えば、欲しいソフトが無かったわけでは無いのだが、たまたまこの日は入荷していなかったり、来月発売だということが判っていたり、だったのだが..このメンツが揃っていながら、誰もソフトを買わないというのは..こりゃ、クラシックソフト市場が衰退するのも無理ないわ [/_;][;^.^]。(ちなみに、本日の私の収穫は、DVDのブランクケースの白×2、黒×2、及び、CDのブランクケース×10、である。[;^.^])

 あまりに寒いので、店巡りは早めに切り上げて、古炉奈でお茶。(電機)業界の四方山話などしてから、解散。(食事に行く一同と別れて、私ひとり、東京駅に直行。)

 ..19:13発のこだまに乗ってから気がついた。どうも荷物が少し少ないと思っていたのだが..ラム展の図録が無い! [/_;] 秋葉のどこかに置き忘れてきた! [/_;](恐らく、最初に待ち合わせていた、ワシントンホテルのロビーである。)痛いなぁ..2500円..しかし、2500円分しか、痛くない。たかが金の問題である。2500円出して買い直せば良いし、慌てずとも、半年もすれば、古書市場に半額程度で出回るだろうから、それを押さえれば良い。

 なぜ“痛くない”のかって? なぜなら私は、これを今日の午前中に買ったっきり、まだ読んでいなかったからである。つまり、まだ全く「感情移入」していないのだ。(幸か不幸か)「別れ」に伴う「身を切るような辛さ」が発生する以前の段階なのであった。

 浜松へ。明日から仕事である。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jan 8 2003 
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